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メソポタミアの蛇ノ目  作者: 前河涼介
第3章 音楽――あるいは愛について
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カリスマのメディア

 羽田もまたコイの泳いでいるうす緑の水槽の前に三十分くらいも座っていた。じっとしていても深海の闇に引き込まれるような感じがないのだ。ここには確かな地面が存在していた。

「劇、見に来てくれたんだ」羽田は訊いた。ブドウ棚で練習が忙しいと言っていた劇のことだ。

「メディア?」

「なぜ待っていてくれなかったの?」

「出る時の廊下で挨拶をしたから、そうだね、待っていてもいいとは思ったんだけど、あんまり人の流れがあって。もしその方がよかったならごめん」

「そうよ、通路で会った時もう少し話してくれればよかったのに。あなた優しいけど気は利かないのね」

「また会う時にゆっくり話せばいいと思ったんだよ。今日みたいに」

 僕が羽田の演技を見に行ったのは前々週の水曜日の夜だった。池袋の古びた劇場の地下にある百席くらいの小さな舞台を借りた一日限りの公演だった。階段を下りたところの受付にリクルートみたいな安物のスーツを着た若い男女が座っていて、木戸を払ったところで演目の二つ折りと、劇団の紹介、アンケート、それと少し短い鉛筆を貰った。二重の防音扉を押し開けると舞台上の緞帳の模様が目に入った。薄明の山地を上空から描いた刺繍で、幾重にも重なった山の稜線とその上にかかる靄や大気の厚さを紺から紫の落ち着いた濃淡で素朴に表現していた。近づいて見上げると所々糸がほつれてボロになっているのがわかった。古びたものは大抵遠くから見ていた方が綺麗なのだ。

 席指定はないので前方の席を取ってまず劇団の紹介に目を通した。一面が団長らしき男の挨拶文、その右上に印刷の粗い顔写真がついていた。四十くらいの太った鷲鼻の男で、背広の中に変に襟の尖ったシャツを着て頭の上にいかがわしいシルクハットを乗っけている。十九世紀の資産家みたいなふざけた恰好だけれど、文章を読んでみると考えは結構筋が通っていた。変な恰好に見合うだけのカリスマ性はあるかもしれない。役者や演劇スタッフを志す学生の予備校として劇団を運営しているのだそうだ。裏は団員の名前と役職で、役者が十数人、スタッフがだいたいその倍という程度の極めて小規模な劇団ということがわかった。女性の方が多いようだ。キャストには男性が二人しかいない。

 定刻の十分前にいかがわしいカリスマの団長が写真と同じ格好で舞台袖に上がってきて何ら前触れなしにマイクのスイッチを入れた。内容は上演中の諸注意と案内に過ぎないのだけど、喋り方は確かにカリスマだった。噛んだり震えたりしないし、かといって気取ってるわけでもない。テレビ局のアナウンサーだって生放送でこんなに流暢に喋らないだろう。そんな感じだった。

 演目は『メディア』だった。エウリピデスのメディアはギリシャ悲劇の例に漏れず肉親殺しの要素に事欠かないけれど、子持ちの女が主役であり殺しの為手であるという点で少し特異である。ギリシャ神話におけるメディアは、ちょっと出自に不確定なところがあるのだけど、いずれにしても強大な力を持った神々の系譜にある一人の魔女で、コルキスの王女にあたる。そこにイオルコスの王子イアソンが王位継承を懸けて伝説の宝・金羊毛皮を探しにやってくる。コルキス王アイエテスは宝を守りたいから数々の無理難題を突き付けるのだけど、メディアはイアソンに惚れてしまって神秘でひょいひょい問題を解いてやる。コルキス王家的にはこれは謀叛だから放っておくわけにはいかない。メディアは残酷にも弟アプシュルトスを八つ裂きにして船から海に捨て、追手がそれを拾い集めている間にイアソンと逃げ延びる。ところがイアソンの故郷イオルコスへ行ってみると、確かに宝を献上したにもかかわらずイオルコス王ペリアスは約束を反故にしてイアソンを王位に就かせなかった。メディアはイアソンの復讐を助け、若返りの秘儀と偽ってペリアスの娘たちに父をみじん切りにして釜で煮させた。メディアが先に同じ手順で老いた羊を子羊に生まれ変わらせて見せたので娘たちはすっかり信じ込んでいたのだ。しかし結局この件でイアソンとメディアはイオルコスをも追われることになり、歓待を受けたコリントに移り住む。問題はコリント王クレオンがイアソンを歓迎するだけでなく娘婿に指名したことである。イアソンは予てから望んでいた王位に目が眩んで家族を捨てて出ていってしまう。

 ここからがエウリピデスの語るところなのだけど、この時のメディアは二児の母であり夫以外に身寄りのない亡国の女であり、なにより人殺しの計略に慣れた残酷な魔女だった。もちろんメディアは激怒した。復讐が恐いからよその国へ行ってくれとクレオンに頼まれたのも悪かった。彼女はまずイアソンの新しい妻になる王女クレウサをターゲットにして子供たちに呪いの贈り物を持たせた。燃える冠と締めつける羽衣である。見た目がいいので早速身につけてみた王女は悶絶の末に倒れ、その体に触れたクレオンも呪いに取り込まれて死ぬ。そのうえイアソンの心をもっとズタボロにするために自分で産んだ息子すら刺し殺す。神話には諸説ある中でも自ら手を下したという筋書きはないのでこれはエウリピデスの脚色なのだけど、クレウサとクレオンを殺す時には呪いを使ったのに、息子の時は刃物を使って自ら直に手を下したわけだ。そしてその死体を携え龍のチャリオットで保護を取り付けていたアテナイに向かって去っていく。ギリシャ悲劇では激情に身を任せた人間が神の裁きを受けて滅びるという筋書きが典型だけれど、この戯曲では特例的に激情と神の裁きがメディアに内包されていて滅びだけが相手のイアソンに齎される。

 開演のブザーが鳴ったところで振り返ってざっと見ると席は半分くらい埋まっていた。僕の知った顔はなかったけれど、団員が各々の学校でチラシを配ってくるとそれくらいの人数になるのだろう。

 客席の明かりが消える。光の消失を追うように客席が沈黙する。何も見えない、何も聞こえない。深宇宙の陰に沈められたような気分になる。「禁煙」の赤いランプだけが生命維持装置のようにうっすらと浮かんでいる。薄明の稜線の緞帳がウィンチに引き上げられる。演劇専用の舞台ではないので奥行きを殺して中ほどに背景代わりに暗幕を引き、背景は真黒で書き割りはなく、その手前中央に一段高い踏み台が置かれている他に舞台装置もない。

 薄闇のまま上手に立っていたメディアの乳母とイアソンのお付きが経緯を語り、やがて裏からメディアの嘆きが聞こえ、乳母とお付きは捌け、スポットが舞台の奥を照らし、背景暗幕の襞の間から羽田のメディアが姿を現す。黒に近い紫のドレスを体に巻き、右肩と両腕は露出し、左手には蛇のブレスレットを嵌めている。あっさりした舞台環境と対照的に衣装と小道具は力作だ。

「ああ、なんという仕打ち。なんと非情なイアソン、そして哀れな子供たち」ほとんど地声で最初のセリフ。明瞭ではないが悪くない。始めからあんまりせかせかはきはき語られても入り込めないだろう。スポットに照らされながら杖を剣舞のように振る。「天の怒り、禍よ下れ」祈祷である。そこに上手から三人のコロスが現れる。「聞きました、嘆きの声を。可哀そうな異国の女――」

 台本が戯曲通りでないのはすぐに分かった。脚本家と演出家が良くも悪くも存在感を示している。日本語としてもう少し柔軟で簡潔なものに直されている。ギリシャ悲劇式の長々しい独白や回りくどい会話は健在だが、役者の体を最大限躍動的に使って、つまり剣舞やバレエや、あるいはブロードウェイミュージカル式のダンスを交えて客の退屈を避けている。メディアとイアソンが喧嘩を始めると口だけではなく杖と剣を打ち合わせて立ち回り、クレウサとクレオンは舞台の上で呪いに嵌ってもがき苦しむ。本式のギリシャ悲劇は人の死を決して舞台の上で見せない。大抵伝令や召使が走ってきて事の次第をつぶさに告げるのだが、それは劇場に穢れを持ち込むのを嫌ったためで、映像としては面白くない。後世の映画などではほとんど殺しを見せてしまう。そういった慣行をカリスマの団長も取り入れたらしい。そういうわけで、あえて悪く言えば、古典劇を見る時の重厚感みたいなものはやはり薄っぺらくなっていた。

 羽田の演じるメディアの舞はよかった。クレオンとクレウサが死んだ後の場面でメディアは呪術を終えて子供たちが戻ってくるのを待っているのだが、エウリピデスのメディアが初めからどこか子殺しの覚悟をしているのに対して、カリスマのメディアはこの時点でもまだ決心を固めていない。彼女は杖を短剣に持ち替え、迷いを振り払うように黙々と舞う。何もかも観客に向かってぶちまける古典式より、黙っている方が現代の観客には伝わるものがあるのかもしれない。

 ほとんどセリフのないこの場面はある意味ではカリスマのメディアで最も退屈な場面だったけれど、退屈であることがいつもいつも悪であるわけではないし、何よりその場面の羽田はほとんど完全に役に入っていて綺麗だった。なにせヒロインなんだから、あえて説明する必要もないだろうけど。

 僕は演技の合間にアンケートを書き終えて、カーテンコールが終わると同時に荷物をまとめて席を立った。外の廊下に役者が並んで口々にお礼の挨拶をしていた。駆け抜けでもしないと目が回ってぶったれそうな騒々しさだった。だから一人一人の顔を確認している余裕なんてなかったけれど、当然羽田もその中にいて僕のことを捕まえた。瞼にアイラインの黒い線が描いてあって普段の彼女とは違っていた。学生らしい感じだと思った。お疲れ様、君の踊りがとてもよかったよ、とてもよかった。僕は何か感想を言わなきゃいけないと思ってそんなようなことを叫んだ。叫ばないと騒音で何も伝わらないんだ。すると羽田にしては素直にありがとうと叫んだ。それから客席の出口の方に少しだけ目を向けた。僕もそっちを見た。退出する客がどんどん続いていた。羽田が視線を戻して「また見に来て」と言ったので「うん」と答えて僕は彼女の前を離れた。


お見舞いの時に羽田がエウリピデスを読んでいたことを記憶している読者はこの劇がかなり長期のプロジェクトだったことに気づくかもしれません。


メディアが蛇のブレスレットをしているのはもちろんミュシャのリトグラフ《メディア》から。これは彫金と七宝の実物があって、ドイ財団が持っているので日本でもミュシャ絡みの展覧会があるとしばしば出品されていて見ることができます。かくいう僕はスラヴ叙事詩展の時人混みの間をするする駆け抜けているうちに2周もしたくせ見逃しました。とほほ。

そして蛇のブレスレットといえば星の王子さま。ここでサン=テグジュペリにも接続します。

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