白州さんの館
七つ目のバス停で降りてから深理さんは僕に日傘を持たせてくれた。僕より彼女の方が背が高いので肩くらいの高さで支えておかなければならなかった。日差しは僕の頭や左肩を掠める。家々のレンガ風の塀に囲まれた庭先に淡い瑞々しい緑色のコニファーが立っている。
オレンジのネコが道路を渡り、門柱を踏み台にしてひょいっと塀に登る。しっぽを立ててちょっとだけこっちを見る。その動作は「おまえたちのことはわかっているからな」と言っているように見える。いたずらされるのを心配しているみたいだった。僕にはそんなつもりはなかったけど、あるいはネコを襲うのが趣味の人間もいるのかもしれない。本当にまともな人間なんて一握りだけだから。そうでなくたって、分別のない子供が彼の相手なのかもしれない。それは彼の経験から導き出されるものだから僕にはわからない。警戒心を強く持つのは自分を守るために大切なことだ。多くの人間が潜在的な危険に無関心で、いざという時に対応できずに怪我をしたり命を落としたりする。ネコは自分の縄張りを持っている。自分の行動を知り尽くしている。危険が潜んでいそうな場所を知っている。僕は違う。綾瀬に来るのは初めてだった。静かだ。鳥の鳴き声が聞こえる。ヒヨドリがぎゃあぎゃあ鳴いている。桃の木の上だ。電線の上にキジバトがいるけど、こいつは鳴かない。二つ先の交差点を郵便局の赤い軽バンが通り過ぎる。
「深理さん」
「ん?」
「どこに向かっているんですか」僕は我慢しきれずに訊いた。童話の中で森の奥へ誘い込まれていく猟師のような気持ちだった。
「今日?」彼女は訊き返して包容力のある微笑を向ける。「もうすぐ着くわ」と返事はそれだけだった。着けばわかる、ということらしい。
深理さんがこの日の提案をしたのは前回絵を届けに行った時だった。そこで彼女が教えてくれたのは、僕に会わせたい人がいるということ、それから今までに描いたあらゆるものを持ってきてほしいということ、その二点だけだった。それなりの理由があるのだろうと思ってぎりぎりまで訊かずにいたのだ。
Y字路に差し掛かる。一方がコンクリート舗装の急な坂道になって、その入口に黄色い標識が立っている。僕たちは坂を登っていって、ある洋館の前で立ち止まる。傾斜地なのでコンクリートの基礎が城の石垣のように反り立っている。門柱の表札に「白州」という彫り込み。
「ほら着いた」
深理さんはベルを鳴らす。返事を待たずに門を開け、玄関下の階段を登り始める。僕も日傘を畳みながら続く。一面に煉瓦のタイル、十五段ほどで右に折り返し。欄干から見える地面が遠くなる。
「ちょっときついのよね、この上り」
登り切って前庭に入る。小さな城郭のようにアベリアとツツジの生垣が囲んで、その内側にバラのための支柱がいくつか立てられていた。建物の外壁は階段と同じように赤っぽい何種類か微妙に色の異なる煉瓦のタイルで覆われている。深理さんはポーチの日陰に入って僕から日傘を受け取り、ハンカチで額と喉の汗を拭い、襟に手を差し込んで下着を正した。少し息が上がっていた。
白州さんが黒い両開きの扉を開けて出てきた。扉はいっぱいに開いた位置で止まって中の様子が少し見えた。よく整頓された広い玄関だ。
「今日は酷い陽気だな」白州さんは深理さんに対して言った。そしてたくましく日焼けした腕を開いた扉に突いた。髪が短くて白いコットンシャツの似合う好青年だ。それから僕に意識を向けて「やあ、いらっしゃい。君がミコトの言っていた子だね。話は聞いているよ」と簡潔に言って手を差し出す。握手か。僕が応じると力強く握る。人当たりのいい、しかし気難しそうな顔立ちをしている。髪型はアイビーカットを一月分伸ばしたような感じだ。
「さ、二人とも中へ入りたまえ」
白州さんは僕らを招き入れる。
扉をくぐると独特な匂いがした。たぶん画材屋の匂いだ。ペトロールやキャンバスの糊が混じった匂い。正面の壁に飾り棚があって、西洋風の置物が並んでいる。左手が水場、右手がリビング。深理さんはヒールを揃えて上がる。彼女のファッションはこの屋敷に違和感なく調和している。白州さんは僕たちをリビングに通してキッチンで紅茶を淹れる。真ん中に調理台のあるアイランドキッチンだった。驚いたことに廊下の壁に僕が手島模型のために描いた飛行機の原画が三枚並べて貼られていた。きちんと額に入れてある。それもステンレスの質素なもので、絵の身の程に過不足なくぴったりしていた。
「君の絵だ」白州さんは通りがけにちょっとだけ手で示す。
リビングは天井が高く、サンルームが庭に向かって張り出していて日当たりがとてもいい。入って左手にひと続きの部屋があり、そちらにはグランドピアノが据えられていた。ガラス越しに庭を見ると、手前にちょっとしたデッキ、奥にぎりぎりバーベキューができるくらいの芝生があって、その周りを季節の植物が囲んでいた。この時は赤いベゴニアと白のアガパンサスが咲いていた。
「アトリエに入るなら、悪いけど物には触らないでくれ」白州さんは僕に注意した。吹き抜けの天井のせいで声が良く響いた。「なんにもだよ。僕の問題だけどね、少しでも配置が変わっていたりするとまったく失くしたみたいに感じちゃうんだよ」
ピアノの部屋の北側に接しているのがアトリエだった。やはり間仕切りはない。床が丸ごと二段だけ下がって、同じところから藍色に塗り分けられた壁がはっきり境目になっている。天井の高さはそのままだけれど、境目に細いレールがあって、そこから吊るされた目隠し用のカーテンが壁にタッセルでぴたりと纏められている。
僕はその境界の手前で立ち止まって中を眺める。壁の色が違えば空気の成分まで違うような感じがした。向かいの壁に大きな窓があるので画家のために造られた部屋なのだとわかる。南窓だと一日の間に光源が、つまり太陽が東から西へ移動する。光が変化すれば影の形も変わる。被写体の見え方も変わる。それじゃ絵に収めるには都合が悪い。北窓は太陽光が直接入らないので明かりが弱い代わりに光源が動かない。比較的時間を止めることができる。
白州さんは画家なのだ。
壁際には題材のためのアンティークの小さな机や椅子などがあちこちに置かれ、果実のサンプルや風変わりなモビールがその上に乗っている。それらに囲まれた空間にはイーゼルや椅子や車輪のついた道具箱が雑然と置かれ、椅子の上にはツナギが脱ぎ捨てられ、作業台のあちこちに絵の具が垂れ、チューブや筆が小動物の死骸みたいに転がっている。それは画家の作業や錯誤の痕跡であり、完成された絵の裏側であり隠された部分だった。白州さんがどんなふうに絵を描いているのか想像するのはあまりに簡単だった。少し踏み込み過ぎかもしれない。来客があるからといってリビングや玄関のように片付けたり掃除機をかけたりする場所ではないのだ。早く隣の部屋に戻りたい気分だったけれど、それよりまだ見ておきたいものがあった。
真ん中にある作業台と椅子の前にはまだ取り掛かったばかりの絵が画架に乗せられている。四十センチ四方くらいのカンバス、たぶんS6号だ、そこに木炭の下書きがある。こちらを正面に見据えた人の顔、頬に当てられた指。書き込みは少ない。消した形跡もなく空白には白い下地がまっさらに残る。線は細く、震えや継ぎ足しといった迷いの痕跡が一切ない。陰影がついていないので描写がはっきりしないのだが、モデルはやはり深理さんか。
金色の装飾的な額に入れられた百×八十センチ、F40号くらいの大きな油彩画が西の壁に掛かっている。こちらは確かに深理さんだとわかる。間違えようがない。体に巻いているのは埃よけの布だろうか、やや画面左を向いた木椅子に浅く斜めに座って背凭れまで体を倒し、顔をこちらに向けて頭そのものは画面右へ少し傾けている。左へ出た膝の上にサイドテーブルが見切れて、その上に黒電話が置かれ、受話器は架台上ではなくダイヤルの前に裏返っている。鏡に映したくらい写実だ。そこに深理さんが居る。
けれど様子は僕が知っている彼女とは違う。何か拒絶的なのだ。人を遠ざけるような。あるいは猜疑。膝をぴたりと合わせ、心持ち背中を丸め、左手は右腿の付け根にあり、右手がそれを隠すように前腕の中ほどに被さっている。何より表情が微笑やなんか相手を迎え入れるものではない。口元は凍り、顎は引かれ、下瞼は妙に力んで、目は怯えを含み、それでいて画家に焦点を合わせていない。荒んだ感触はそれとも背後の壁のせいだろうか。白く、灰色の煤が斑に入り、端に罅もある。たぶんこの家ではない。椅子やテーブルもちょっと粗末なものだ。アトリエに置かれているアンティークとは全く趣が異なる。
「僕が自分で一番よく描けたと思う作品だよ。だから誰にも売らずに大事にしているのさ」白州さんはピアノ椅子に逆向きに座り、開いた膝の上に手を置いて僕を見ていた。「ミシロくん、お茶が入ったよ」
白州さんはリビングに戻って奥のアームチェアに座った。深理さんは先にソファの右側に座っていて、僕に隣に座るように促した。ソファはどっしりしてクッションが分厚く、座った人間を呑み込もうとしているみたい柔らかい。乳白色の革張りで、上等なものなのだろうけど、かといって華美ではない。家具は総じて飾り気のないシンプルなものだ。白州さんがあまり装飾的な性格ではないのだろう。ソファとアームチェアにそれぞれ長辺と短辺を合わせるようにしてコーヒーテーブルがあり、これも綺麗に磨かれた天板の角のところにちょっとした彫刻が施されているだけだった。その上に縁に染付の模様のある薄いカップが三つと同じデザインのポットが一つ、それからあり合わせのお茶菓子を入れたボウルがひとつ置かれていた。カップの中身は紅茶で、覗いてみるととても赤い紅茶だった。そもそも赤いから紅茶なのだけれども、でもその紅茶には言葉の成り立ちを再認識させるような鮮やかさがあった。
僕たちの居る空間にはサンルームの窓から白い光がいっぱいに差し込んで、とてもいい気分だった。庭の様子もよく見えた。テレビは窓の手前にあるので見るにはカーテンを引かないと都合が悪いだろうけど、こうして目の前で座っていてもあまり見ようという気分にならないのではないかと思った。つまり、何の気なしにソファに腰を下ろした時、テレビを点けなくても窓の方を眺めているだけで気持ちが安らいでくるんじゃないだろうか。
深理さんはボウルに手を伸ばして小分けのシルベーヌを取る。袋の赤い方だ。
「ミコト、わかっていると思うけど、君のために出したんじゃないよ」ほとんど間髪入れずに白州さんが言った。彼女がそうするのを予想して待ち構えていたみたいだった。
深理さんは鬼の真似みたいに一瞬鼻に皺を寄せてシルベーヌをボウルに戻し、ボウルごと僕の目の前に置いた。
「ふと思ったんだけど、ミシロくん、君はジュリー・マネに似ているね」白州さんは言った。浅く座り直してから僕の方に体を倒して前屈みになる。「それも写真に写っているジュリー・マネ本人ではなく、ルノワールが描いたジュリー・マネだ。そうは思わないかい?」
「どうかなあ」深理さんはそう言って背凭れに体を預け、慎重に僕の顔をじっと見る。「その絵って、女の子と猫の?」
僕は首を傾ける。
「なんだ、せっかく芸術家らしいことを言ってみたのに反応がよくないな。君はルノワールのジュリー・マネ、あるいは猫を抱く少女といわれたらどんな絵か思い浮かぶかい?」
「わかります。座ってこう猫を抱いている」僕はジュリー・マネの真似をする。
「そう、まさにその角度だ。もう少し首を傾げていたかもしれないけどね。うん。ルノワールの絵は写実的じゃないが、その分雰囲気や感触が前へ出る。モデルになった彼女も実際そんなふうだったかもしれない。ルノワールの研究家でもない僕がとやかく言うのは憚られるから、現実と印象それぞれを描くことの意味の違いだとか、あまり込み入った言及は控えるけど、それにしても、あの絵がわかるとはなかなか博識じゃないか。それとも特別な思い入れがあって知っているのか」
僕は首を振る。
「そう。歳は? いくつだっけ」
「十六です」
「高一か」
「高二です」
「普通科の学生?」
「はい」
「なるほどね。一応断っておくと、僕は自分では印象派のような作品はやらないけど、ルノアールのあの絵はかなり好きだよ。実に可愛らしい少女だ」
「あなたのことを褒めているのよ」深理さんが補足した。「白州くんはたまにわかりにくいから」
「すまないね。それに、少し喋りすぎる」
「ミシロくんね、初めにうちに来た時は黒髪だったのよ。それから少し薄い色に染めたから印象が違っているの。あなたがジュリー・マネと思ったのにはそういうわけもあるかもしれないわね」
「いいね、その色の方が君に似合っていると思うよ」白州さんは僕を見て言う。「お茶を飲み終わったらミシロくんにこの館を案内して差し上げるとしよう」
洋館の二階には白州さんの寝室とゲストルームが二部屋と、リビングの上の吹き抜けに面したホールにビリヤード台がどっかり据えてあった。ホールの角にベルニーニ風の天使像が対に置かれていて、白州さんはそれを指して、僕の好みじゃないんだと言った。家に置くにはちょっと動きがありすぎるから。テニスクラブのロビーなんかにはうってつけだと思うけどね。
吹き抜けからピアノの音が聞こえた。深理さんが弾いているのだ。白州さんは欄干に寄り掛かって下を覗いた。「彼女がピアノを弾こうと思う時、一番手っ取り早いのがここへ来ることなんだ」と白州さんは僕に説明した。
「君、好きな画家は?」白州さんはそう訊きつつ欄干に掴まって腰を後ろに引き、オールでも漕ぐようにして肩関節を伸ばした。「ルノワールではないようだったね」
「アルフォンス・ミュシャ」
白州さんは一度瞬きして「極めて人気の高い画家だね」と感想した。
僕は少し不満だった。なぜだろう。ミュシャの絵を評価しているのが僕だけだとでも思っていたのだろうか。
「彼のことをミュシャと呼ぶかムハと呼ぶかは意見が分かれるところだね。我が国では特に」
「どっちで呼ぶかって、違いますか」
「僕はミュシャの愛好家ではないし、まして美術史家でもないから、ごく限られた知識を引いて言うけれど、彼が美的活動を大成したのはパリだ。サラ・ベルナールのポスター、パッケージ・デザイン。ミュシャの名で名声を得たゆえに多くの彼のイラストの消費者は何のためらいもなくその名で呼ぶ。しかし彼はモラヴィアの出身で、後半生は故郷の叙事詩を編むために活動の場を移した。『スラヴ叙事詩』という壁画のような連作があるだろう。あれは彼の時代に流行った民族的アイデンティティの模索のひとつの形であり、自民族がいかに歴史に根差したものであるかという証明、いわば起源神話なのだよ。それを考えるとムハでも差し支えはない」
「我が国では?」
「外国語のローマ字はヘボン式で読まないからね。現地語の読みに従うという慣例がある。現地をモラヴィアとするか、パリとするか、そういう浮わついたところがあるのさ。他の非ローマ字文化がどうなのかは知らないが、母語をローマ字で書く民族なら慣れた読み方に従えばいい。日本人がフーチンタオのことをコキントウと呼ぶのと同じように」
「ふむ」
「君がミュシャと言ったのはどちらかといえば商業向けのカラーリトグラフをたくさん作っていた頃の彼を意識したからなんじゃないかな」
僕は何度か単発的に頷いた。
「地下に案内しよう」
白州さんは欄干を離れ、ビリヤード台を回って階段を下った。二階層下がる。
地下階の窓は壁の上の方に細長いのが並んでいるだけだ。低い天井に非常灯のような小さく黄色い明かりが列になっている。手前の扉が書庫、広さはウォークインクローゼットほどだった。天井一面からくぐもったピアノの音とペダルを踏む音が聞こえる。ピアノの足が伝声管の役割をしているのだろう。白州さんは奥へ入っていって木枠の書架から白とパステルオレンジの画集を取った。表紙はミュシャの対作『花と果実』の片割れ、『花』だった。彼はまずページ同士がくっついていないか確かめるように一通り素早く捲り、それから中程に戻ってゆっくり数ページ捲った。僕はその間書架に収まっている他の画集の背表紙を眺めていた。
「確かに彼の絵には不思議な質感がある。こんなに如才なく、偏見なく、いわば普遍的な独断を以て女性を描写する画家が他にあっただろうか。特にパリ時代の絵に登場する女性たちはまるで女神だ。多く絵の依頼主のために石鹸や離乳食など世俗的なモチーフとともにありながら、決して彼女が現実に下ることはない。それらがない場合はなおさら、その姿を神話世界に写し込んだようなもので、祭壇画にしてもいい。とにかく我々が日々苦しみながら生きねばならない世界からは遠く離れたところにある。モデルたちもまたこちらの住人なのだが、服を脱ぎ衣装を身につけたところでこちらの空気もまた彼女の周りから完全に排除される。技巧に言及すれば、模様化した図形や花を背景に埋め絵全体を平面的に描くことでその印象を一層強化している」
白州さんは暗記していた文章を吐き出すみたいにそう言うと画集を閉じて僕に渡し、「感じたことを言葉にするというのはとても難しいことなんだよ」と言い訳を付け足した。
僕は少し画集を開いてみる。風の女神のようなうっすらとした単色のスケッチに目が止まった。書庫には図録が百から二百ほどきっちり並べられ、他にも白州さんが過去に描いた素描などがファイルに入れてまとめられていた。
隣の部屋は完全な納戸だった。あらゆる調度品や他に置き場のない作品などが雑然と置かれ、上に埃よけの布が被せられている。奥へ入ると深理さんの油絵に描かれていた椅子と机もあった。やっぱり埃よけの下になっているけど、裾が床まで届いていないので足の素朴な感じで判別できた。
白州さんのルノワール評、ミュシャ評




