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メソポタミアの蛇ノ目  作者: 前河涼介
第2章 踊り――あるいは居場所について
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狭霧へのメール 2009年12月

 ハロー。またひとつ定期テストが過ぎ去ったのでメールを送ります。学校から帰る時間帯にはもう空が真っ赤に染まっていて、いつの間にこんなに日没が早くなっていたのかとびっくりします。もう秋も終わりですね。北風がイチョウの落ち葉でアスファルトを掃いて回っている。


 この秋の始めに僕は仕事を始めました。といってもそれ一筋で生計を立てるようなものではなくて……、手島模型という近所の小さな模型店に頼まれて絵を描いているのです。

 手島模型はとても偏屈な店で、扱っているのは飛行機のプラモデルとその道具と資料だけ、車や城のプラモどころか、戦車や軍艦のプラモすら一切置いていないのです。それだけじゃありません。営業時間が平日の夕方だけなのです。日曜だって朝から晩までシャッターをぴしゃりと閉めているので、きっと大勢の近所の住人たちがあの店はもう潰れているんだと思っているに違いないのです。そんなことだから売り上げの大半は通信販売で、直接店にやってくるお客さんはとても珍しいのです。

 さて、手島模型はなぜそんな偏屈な店になってしまったのか。

 それは店主のおやじさんがほとんど趣味で始めた店だからであり、おやじさんとその娘の深理さんが2人で切り盛りしているからです。

 おやじさんの本業は模型屋ではなく大学の外部講師で、昼間はきちんと(?)外に出て仕事をしています。何の講師なのか確認したことはないけど、何かしら外国語だと思います。深理さんも大学生なのでいつもいつも店にいるわけにはいかないのです。

 開かずの店にはそういう事情があります。店内は狭くて、薄暗くて、模型の箱がまるで漬け物のようにぎっしり詰め込まれています。力いっぱい引っ張っても棚から抜けない箱があるくらいなのです。でも入り口の半自動扉(電車の渡り扉みたいに、人力で開けるとバネの力で勝手に閉まるので僕たちはそう呼んでいます)を開けるとからんからんと本物のチャイムが鳴ったり、古い厚紙の匂いがしたり、そういうレトロなところが僕は好きになりました。僕は自分では模型を作らないけど、眺めたりするのは今でも好きなのです。

 おやじさんはとても捉えどころのない不思議なおじさんです。自分にも他人にも緩くて、怒るどころかイライラしているところすら見たことがありません。その代わりお客さんが来ているのにカウンターで爆睡したままだったりするのです。本業の方もきっとそんな感じで、自分の講義を取った学生全員に100の評価をあげたり、評価をつけ忘れて全員落第させたりしているのだと思います。そんな飄々としたおやじさんですが、趣味で模型屋を始めただけあってプラモデルを作る腕は一級品以上です。繊細で、手が込んでいて、それでいてゴテゴテしすぎないとてもいい模型を作ります。その手のコンテストで一番いい賞をもらったことは1度や2度ではないのです。


 深理さんはとても綺麗な人です。「美」という概念をそのまま具現化したような、とてもこの世のものとは思えないような美人さんなのです。その綺麗のほどといったらどんな人なのかを説明する前に言っておかなければならないくらいすごいのです。そのせいで僕はいまだに彼女の顔や目を長い間見続けるのに苦労しています。どうしても上手く見据えることができないのです。綺麗すぎて直視できないって、わかりますか? 深理さんは性格も明るくて、親しさと丁寧さが絶妙なバランスです。内面も美人だといえばいいでしょうか。彼女が接客しているところを見ているとそれがよくわかります。ほとんどのお客さんは上機嫌で帰っていきます。

 何といっても深理さんのすごいところは記憶力です。手島模型には星の数くらいも模型の在庫があるのですが、彼女はどうやらそれを全部完璧に記憶しているみたいなのです。注文の電話がかかってくると帳簿の確認も何もなしに「その品物なら2つありますよ」とか、「それは廃盤であと1つしかないです」とか、すらすら答えてしまいます。しかも数だけではなくて、どんな箱絵がついているか、中身のキットの出来はどうか、隅々まで把握しているのはもう人間業とは思えない。それは円周率を百桁や千桁暗記するよりもずっとすごいことのように僕には感じられます。そういった面も含めて「世界にはこんな人もいるんだなあ!」と思ってしまうのが彼女です。


 その深理さんが僕に仕事を持ちかけたのでした。

 僕はいま手島模型の特典として売り物につけるポストカードの原画を描いています。その模型と同じ飛行機の絵をつけるのです。つまりスピットファイアのプラモデルにはスピットファイアのポストカードをつけるわけです。

 深理さんは僕の絵をとても高く買ってくれます。なので僕もその値段に合うような良い絵を描こうと試行錯誤しています。機種や角度によっては10回以上描き直すこともあります。簡単に雰囲気が出る飛行機もあれば、どうあがいてもそれらしく見えない飛行機もあって僕を困らせています。たった今もひとつ納得のいかないのがあって、紙も鉛筆も作業部屋にほったらかしてリビングに逃げ出してこのメールを書いています。寝室の横に細長い洋間があるのでそこを作業部屋にしているのです。だいたい鉛筆と水彩、最近はアクリルも修行中なのですが、絵の具の匂いが壁紙やらカーペットに染み込んでしまってあとでおじさんに叱られるかもしれません。

 まあ、その時はその時。

 そうそう、普段は僕が店に寄った時に次どんな絵を描いてくるか話をするのですが、深理さんはときどき電話で絵の注文をくれます。深理さんから電話がかかってくると僕はとても嬉しいです。なぜって、それが絵そのものに注文が入ったことを意味しているからです。たぶん、店の壁に貼ってある原画にお客さんが目を向けると、深理さんは目敏くそれを見つけて「好きな絵はありますか?」とか、「他に好きな飛行機があるなら注文で描いてもらえますよ」とか、そんなふうに上手く口車に乗せてくれているのだと思う。状況がありありと目に浮かぶのです。普段の絵は機種の指定があるだけなのだけど、そういった注文の絵は、角度や背景にまでこと細かな指示が与えられていることが多いし、納期もあるのでとてもスリリングです。何よりお客さんが期待した仕上がりと食い違ったものを渡してしまうわけにはいかない。ただ彼らが注文したのが他の誰でもない僕の絵である、という点が僕は嬉しい。描いていてよかったと思える。まあ、ほんと言うと、深理さんと電話できることそのものの幸せも半分くらいはあるんだけどさ。

 いま取り組んでいるのも、その類の難しい絵なんだ。


 手島模型は古びた住宅地の一角にあって、なんにもない小さな公園に面しています。日差しの具合で、午後3時頃になると公園の真ん中の空き地にぽっかりと気持ちのよい日なたが出現して、それを目掛けて近所のネコたちがよく集まってきます。

 僕が最初に出会った時の深理さんもベンチに座ってそんなネコたちと戯れていた。降り注ぐ真っ白な日差しの中で僕に振り向いた彼女の顔やその仕草を僕は今でも鮮明に憶えている。一生、死ぬまで忘れられないんじゃないかというくらいに。そしてそのベンチに座ったり日なたを見かけたりする度に思い出している。

 変なのかもしれない。でも僕はそれをやめることができない。

 ツナ缶を買っていってベンチに座り、紙ナプキンの上に中身を開ける。ネコたちを呼び寄せる。きちんと掃除するなら野良たちに餌をやってもいいというルールらしい。序列に従って順番にツナを食べ、日なたにごろんと横になった色とりどりのネコたちの、繊細に光る毛並みを眺めるのが僕は好きだ。触ったり撫でたりはあまりしない。ネコたちにとって僕はそこまで心を開ける相手ではないみたいだ。ネコたちが人慣れしていないわけじゃない。彼らは深理さんには気持ちよさそうに撫でられていた。でも僕の手や脚には体を擦り寄せない。

 そう、ネコたちが人慣れしていないわけじゃない。どうやら僕がネコ好かれのしない人間みたいだ。

 寂しい。二重の意味で寂しいです。

 でも日なたのネコたちを眺めているだけで満ち足りた気持ちになってくるので、それは大した寂しさではないのだと思います。

 しばらくすると、店のシャッターを上げたり、大学から帰ってきたり、様々なシチュエーションで深理さんは僕を見つけて店に招き入れてくれます。

 ネコたちは大概そのまま。どこかへ行ってしまうか、店に入ってこようとするのも、時折。


 そう、そんな生活になってからもう3ヶ月も経っている。手島模型は僕にとってあらゆる意味で特別だから、君にも話しておきたいと思っていた。でもその特別さゆえになかなか伝えられなかった。頭の中がまだ熱くなっていて、上手く言葉にしてまとめることがなかなかできなかった。

 何よりことを難しくしていたのはやはり深理さんの存在だと思う。僕の彼女に対する所感を君に言うべきではないんじゃないかという気がしてならなかった。それはもしかしたら君の感情をひどく害してしまうかもしれないと思った。

 でも結局は全部明かすことにした。なぜなら、そうしなければきっと僕という人間の構造や性質が君から見えなくなってしまうからだ。それほど彼女の存在は僕の深いところに突き刺さって構造や性質を変えてしまおうとしていた。そんな変化は自分でも上手く捉えることはできない。でもそうとしか言いようのない感じがしているんだ。だからこそ僕は僕の中にあるものをあけすけに話してしまうのが君に対して一番真摯な選択肢だと思った。君には本当のことを知っておいてもらいたかった。

 3ヶ月、というのは僕がそう決めるまでに要した時間だ。簡単な悩みではなかったというのはどうかわかってほしい。



―――――



 僕はそのメールに終わりの挨拶を書かなかった。書けなかったといってもいい。「またね」では返信を期待しすぎていたし、「さよなら」どころか「では」でもこれっきりになってしまうような感じがして嫌だった。だからちょん切れた空白のままにしておいた。

 そして返事はほとんどすぐに届いた。比較的短いメールだった。



―――――


 ハロー、お元気ですか?

 あなたのことを強く惹きつけ、芯から変えてしまいそうな人、深理さんがどんな人なのか、私はとても知ってみたいような気持ちになりました。会ってみたくなりました。あなたが受けたほどの感動を私も感じることができるでしょうか。

 本当にそう思います。私のこの気持ちがあなたの憂鬱を少しでも溶かしてくれるといいのだけど。


 私は最近、ある縁でお年寄りたちのお話をたくさん聞いています。彼らのうち少なくない人数が第二次世界大戦の経験を持っていて、「当時のことは鮮明に憶えているよ」と言って記憶を語ってくれます。飛行機にまつわる話もいくつかあって、きっとあなたなら興味を持つんじゃないかと私は思っています。そのうちきちんと筋道を立ててまとまった文章にするので待っていてください。

 彼らの記憶は70年も昔のものです。彼らは今ここにはないもの、失われてしまったものについて語ってくれるのです。私が直接知覚することのできない世界が彼らの言葉の向こうにある。そんなふうに思えるのが私には面白いです。

 いつか詳しく話すから、今日はこれくらいに留めておきます。

 それまでどうかお元気で。

 「僕」の場所には飛行機の模型があり、狭霧の場所には飛行機の記憶がある、という話を前にどこかで出したと思います。この一節ではその対比をやや押し出したつもりです。

 記憶は霊、模型は形代と書き換えられないでしょうか。

 完全なるひとつのものが形而上と形而下の成分に分けられてそれぞれ不完全な状態で存在している。狭霧の世界は直接描写されることなく、狭霧の言葉によってのみ語られる。対して「僕」の世界は狭霧という指標を失っている。

 記号的に言えば、「僕」と狭霧はもともと一つの存在で、ある種の死による魂と実体の分離によって第2章以降それぞれが独立している、と見ることもできる。

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