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メソポタミアの蛇ノ目  作者: 前河涼介
第2章 踊り――あるいは居場所について
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技術を失い、美術に優しさを見出す



モトリルのあの小蛇のことを、ぼくは一生忘れないだろう! それは一見なんの変哲もないささやかな流れでしかなく、その軽やかな水音が、せいぜい数匹の雨蛙を歓ばせるくらいが関の山としか思えないにもかかわらず、じつは単に、見せかけに心を許しているにすぎないのであった。この不時着の楽園中に草の下に長々と横たわって、この小川は、二千キロの彼方で、ぼくを待ち伏せしているのであった。


――「定期航空」(前掲書より)






 美術室の作業台の下から角椅子を引っ張り出して、後ろの壁に貼られたアルフォンス・ミュシャの絵を見る。

『崖岸のエリカ』と『浜辺のアザミ』。

 中学校の美術室にも『夢想』が貼られていたけれど、こっちの方がいい印象だった。華やか過ぎず、温かみがある。

 白州さんの言葉を借りれば、こんなに如才なく、偏見なく、いわば普遍的な独断を以て女性を描写する画家が他にあっただろうか。特にパリ時代の絵に登場する女性たちはまるで女神だ。多く絵の依頼主のために石鹸や離乳食など世俗的なモチーフとともにありながら、決して彼女が現実に下ることはない。それらがない場合はなおさら、その姿を神話世界に写し込んだようなもので、祭壇画にしてもいい。とにかく我々が日々苦しみながら生きねばならない世界からは遠く離れたところにある。モデルたちもまたこちらの住人なのだが、服を脱ぎ衣装を身につけたところでこちらの空気もまた彼女の周りから完全に排除される。それが彼のひとつの批評だった。

 美術室は普通のクラス教室二部屋分の広さに作業台が七卓あり、うち一つは黒板の前の一段高い実演台だった。上下分割スライド式の黒板には片面に大判のポスターが二枚裏向きで貼られ、一枚には材料費徴収のいろはが記され、もう一枚には教室の使用予定が時間割と同じ枠組みで示されている。黒板の右手には奥の控室に続く扉があり、右の壁の非常階段に出る扉との間が道具置き場になっていて、教室の入り口のすぐ右手に並んだ机には美術展のチラシ何種類かの上にウサギやシカなど動物の形をした銀のペーパウエイトが置いてある。黒板の左手には油彩の乾燥棚があり、窓の下に水道がある。僕が教室に入った時、太陽光はわずかに西に傾いただけだったので相対的に屋内の天井は少し薄暗く、蛍光灯が全部灯っていた。奥の控室の扉は閉まっていた。

 教室に居るのは僕を除けば一人だけだった。彼女は油彩の乾燥棚に近い作業台を使って、針金を芯にして紙粘土を貼り付けていくやり方で三四十センチほどの高さの抽象的な塑像をつくっていた。ワイシャツに前開きのジャージ。時間限定の芸術家にありがちな服装だった。僕は教室に入る時に押し開けた扉を開いたところで手放した。するとダンパーがいかれているのか、ものすごい音を立てて閉じたものだから、彼女は顔を上げないわけにいかなかった。彼女は少し行き過ぎたくらいに顎を上げて僕を見た。その角度のせいかなんとなく角のある顔立ちに見えた。鼻筋が細く、瞼が薄く目が丸く、頬骨の線と顎の線が比較的明瞭な角を成している。どことなく鷹を思わせる。知り合いではなかった。化粧をしているのが唇や肌の感じに表れていた。彼女は背中を丸めるくらいに会釈をしてすぐ作業に戻る。何年生だ? 僕は彼女のブラウンに染めた髪の艶や指先の作業を少し眺めてから壁の絵に目を移した。

 美術室の背後の壁は一面の掲示板だった。出入口の方の端に避難経路とストーブ使用注意の貼り紙があるだけで、あとは色々な絵画作品の複写版がしかるべき間隔を空けて画鋲留めされていた。画鋲の頭は真鍮色から錆の茶色にくすみ、紙の縁もところどころ黄色く退色している。美術史の各時代を代表するというにはいささか過少な、かといって個人の趣味で揃えたというにも統一感のない作品たち。光琳の燕子花図、北斎の凱風快晴、黒田清輝の湖畔、ラファエロの鶸の聖母、リューベンスのキリスト降架、レンブラントの夜警、モネの睡蓮……。それら多くの絵を前に僕は「エリカ」と「アザミ」を眺める。しんとして良い時間だった。しんとして。

「君、ミュシャが好き?」とワイシャツジャージの人が訊いた。

 僕は彼女の方を見て肯く。彼女はペンギンみたいに首を伸ばして僕を見ている。というより僕が何を見ているのか、見て何を考えているのか観察しているみたいだった。それで一応見当がついたので声を掛けてみたのかもしれない。

「次、授業? まだ二十分もある」と彼女は腕時計を見ながら。「ミュシャの絵では何が一番?」

「一八九七年の冬」

「どんな絵?」

「縦長で、白いガウンを頭からかぶっている」

「カレンダーの絵だね。でもなぜ?」

 僕は横を向いて考える。

「自分でも描くの?」僕が考えている間に相手は次の質問をする。なぜミュシャの「一八九七年の冬」が好きなのか、それはあまり大事な質問ではなかったみたいだ。

「ミュシャの絵を模写したことはないけど」と僕は答える。彼女の方を向いて座り直す。

「描くのは好きなのね」

「イメージをつくるために描く。イメージが出来上がるのは好きです」

「イメージ」と彼女。

「それはすぐに消えてしまったり、思い出せなくなったり、変ってしまって元通りにならなかったりする」

「だから描く」

「そう。描いてその時のイメージをきちんと残しておく。描き留めておく。そうすることで誰か他人に見せることができるし、でも、イメージを繋ぎ止めるのは絵だけじゃない。文字でもいいし、形でもいい」

「イメージが形で浮かぶから絵で留めておくのではなくて?」

「かもしれない」

「一年生か。芸術選択は美術にしたのよね。なぜ工芸を選ばなかったの?」

「工芸の造形には目的があります。道具だから。それは美術の造形よりもやさしくない」

 ワイシャツジャージの人は黒板の前につかつか歩いていって長いチョークを選ぶなり、「優しい」と「易しい」を並べて横書きした。チョークの粉が舞い落ちる。端正な書道の教科書のような字だ。

「右です。優秀の優」

「どういう意味?」

「美術の造形には意味がない。使い方も見方も強要しない。入口も順路も案内板がないから、その分読み解きにくくもある。例えばそういう人間が居るとしたら、とても優しい人間だと思う。そういうことです」

 彼女はチョークを持った手を黒板の桟に少し掛けてそこに目を落とし「ふむ」と声を出す。わかったような、わからないような。

 僕は黒板の字を見ている。本当に綺麗な字だ。そこに字が書かれているというだけなのに、見るか見ないか、僕が選択できるのはそれだけのことのはずなのに、どうしたらいいのかわからない、という気持ちがする。不思議なものだ。

「部活は決めたの?」と彼女。

「いいえ。もしかして美術部?」と僕。

「そう。存亡の危機ってところなの。年三回の展覧会への出品を条件に、朝・昼・放課後問わずこの場所を自由に使える。もちろん造形も可。どう?」

「今の部員は?」

「生徒が二人、教師が二人。女ばかり」

 僕は少し悩んでから「考えてみます」と答える。


 僕が美術部を考えてみることにしたのにはきちんとした理由がある。高校には大型の工作機械がなかったのだ。旋盤もフライスも。工芸室に卓上の糸鋸とボール盤があるだけだった。それが信じられなくて工芸部の顧問の先生に訊いたら、大学にならあるだろうけどね、と言われた。いったい大学まで行くのに何時間かかると思っているのだ、まったく。それに付属高の生徒がひょこひょこ訪ねていっておいそれと使わせてもらえるものか、ぷんすか。

「金工をやりたかったんですが」

「それはうちでは厳しいかもしれないね」先生はずっしりとした焼き物用の粘土を真空練成機の投入口に押し込みながら言った。「君のような子がこの学校に来ることはないよ。高専の方が君の好みには合っているんじなゃないかと思える。でもそれでもこの学校に来たということは、他にうちがいいという強い思いがあったか、そういうこともあるだろうけども」

「この場所以外に使えそうなところは」

「さあ。工場やなんか、下町の方にはあるだろうけどね。いま君の身分でどうにかするのは難しい。もう少し待たなければいけない」

 先生は僕に対する関心が全然ないようだった。粘土を全部詰め込むと練り出し口の方から円筒形になって出てきた粘土を糸で等分にしている。僕は戸口を離れて生垣の外から校舎を見上げた。ここでいくら努力したところで僕の将来がどう変わろうということはないのだ。ここは僕の本当にしたいことを受け入れてくれる場所ではないのだ。中学校にあるものが高校にないなんて考えもしなかったから、それは実に視野の狭い見落としではあるのだけど、僕は酷くショックを受けた。それは入学式の日の午後のことで、部活見学のための時間がたっぷり用意されていたのに、他の部活の見学に行く気にもなれなかった。

 結局それはどうしようもないことだった。旋盤とフライスのない日常を受け入れるほかない運命なのだ。別に積極的に解決していかなければならない問題が生じたわけではなく、当面の楽しみや将来のちょっとした可能性を失ったに過ぎない。このままでは日々が少し物足りないものになるというだけのことだ。そう考えてみたあとで、僕の高校での時間が動きのない静かな成層圏のような時間になるのを予感した。

 そして実際、高校の敷地の中だけに注目するなら、僕の高校生活は変化のない時間だったかもしれない。けれど僕がその三年の間に歩き回った世界はむしろその囲いの外側に――上野や綾瀬など、どちらかといえばより東側に――広がっていたし、僕はそこで師と呼びうる人々に出会い、語り合う友達に出会い、愛する人に出会った。そしてそれは狭霧の言った「自分らしさ」≒アイデンティティという形のない、砂漠を渡る砂のようなものを探し求め、しっかりと捕まえるための旅でもあったのだと思う。


 この作品は入れ子構造だ、というようなことを前にどこかで言ったはずですが、ここからはその入れ子の内側に入っていきます。

 その狭間に金工から美術への転換が同期している。これは実学と教養というふうに読み替えてもらっても構いません。

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