三十九話 ゴブリン
村と迷宮の間には何も無い更地が広がっている。
更地の先には廃墟群があり、その更に奥に迷宮がある。
ルシファー協会としては迷宮周りも更地にしたいそうだが、迷宮に近い程シンの影響を受けてしまい、撤去作業が進まず断念したと言う。
今回の迷宮周辺掃討は、このシンの影響が強い中央区と比較的安全な外縁区とに別けられる。
エリヤ達が担当するのは外縁区。シンの影響の心配はなく、ゴブリンとの遭遇率も低いが警戒範囲は広く、ひたすら歩き回らねばならない。
又、範囲の広さからゴブリンに網を潜り抜けられる可能性も有り、そうなった時の対応も外縁区担当者に委ねられるので気は抜けない。
危険が低い分、神経を使う仕事なのだ。
「さて、今回のゴブリン退治だが」
村を出て廃墟群へ向かいながらリリィは言う。
「ゴブリンそのものは危険度の低い魔物だ。数が多く、知能があり連携して襲ってくるため油断は出来ないが、逆に言えばきちんと警戒していれば恐れる相手ではない」
ちなみに、魔獣は魔力が多く魔法を使ってくる獣の総称で、魔物はシンを帯びた生き物の総称である。
まぁ、これは専門家が使う区分で、一般的には無害・有益な獣を動物、有害な獣を魔獣、迷宮の怪物を魔物と呼んでいたりする。この辺はアバウトだ。
ゴブリンは魔獣よりだが、迷宮周辺に集まる習性があるため魔物に分類されている。
「しかし、ここでは勝手が変わってくる。理由は判るか?」
その問いかけは新人三人へのものだ。
エリヤ達は顔を見合せ、まずエリヤが答えた。
「ひとつは場所です。もともと街だったあの区域は入り組んでいて、崩れ易くなった所もあるでしょう。自分達はそれを注意しながら進まなければいけないのに対し、ゴブリンはそれらを知り尽くしてる。罠をはったり、待ち伏せ等向こうが有利です」
「そうだな。他には?」
次はジェンが答えた。
「え~っと、シンの影響力? かな。シンを滅ぼすには【カルマ】を習得しなきゃいけなくて、ここのゴブリンはシンを強く帯びてる分、倒し難くなってる?」
カルマと言うのは、前述したシンに対抗できる特殊な技術の事である。
ルシファー氏・・・。
「大体合ってる。外縁区に出るゴブリンならお前達でも倒せるだろうが、一般の魔獣より攻撃が通り難い。攻撃役はカルマを習得した私とザックが担当し、エリヤもジェンも今回は支援に回って貰う」
「あたしが支援か~」
「何事も経験だ」
カルマは十五歳以上で、冒険者として一定の実績を積めばルシファー協会で習えるようになる。
逆に協会でカルマを習得し、それから冒険者になる人もいるようなので、入り口は色々ありそうだ。
ジェンは今十四で、十五になったら即習いに行く気だそう。
ついでに言うとミラは十二歳。同い年だった。
「さて、他には?」
「え、まだあるの?」
ジェンが問い、リリィがそれに含み笑いを向けた。
エリヤとジェンの視線は、自然とミラに向かった。
ミラがまだ回答していない。
「えーと、えーと・・・」
視線を受け、悩むミラ。
ふと、顔を上げた。
「人、ですか? 他の冒険者の襲撃・・・」
どこか悲し気に言うミラに、リリィは重々しく頷いて見せた。
「そう。同じ依頼を複数で受けるというのはそもそもトラブルの種になり易いのに、その上シンは人を悪の方へ傾けてしまう。普段信頼出来る相手でも、ここでは警戒すべきだ」
「ちょ、待って?」
リリィの言に、エリヤは思わず口を挟んだ。
「それ、中央を担当する人がより危険って事だよね? そんで中央って熟練の冒険者ばかりなんでしょ、つまり・・・」
慌てて口を挟んでしまった為、言い回しがめちゃくちゃになってしまった。
が、言いたい事はしっかり伝わったようで、ミラとジェンは顔を強張らせた。
「中央区を請け負う人は、戦闘能力はもちろんカルマにも長けている。そうそう呑み込まれたりはしないさ」
ほっ。
「だが、そうした事例はある。注意はしておけ」
「ちょっ、安心させてから落とすのやめて!?」
エリヤの反応に、リリィはふふっと笑った。
いや笑い事ではなく。
なんてやっていたら、あっという間に持ち場に着いた。
「さあ、お喋りここまでだ。気を引き締めて行くぞ」
石造りの建物が並ぶ中を、エリヤ達がゆっくり進む。
建物はドルネルではあまり見ない三階建てが多く、それが半壊した廃墟がびっしりと並び、ここがかつて栄えていた事を実感させた。
道もあちこちひび割れガタガタだ。自然に風化した、というより、戦闘が繰り返された結果だろう。放射状のひび割れや焦げ目、切りつけた跡がある。
そうして出来た隙間から蔦や雑草が伸びている。そんな緑が逞しく、妙に美しく感じられた。
隊列は先頭がザック、ジェンで真ん中にミラとエリヤ、殿がリリィ。
建物が密集したこの場所では、待ち伏せや上方からの攻撃も警戒しなければならない。ただ居るだけで神経を使う。
場所が厄介だ、というのは想定していたが、想像と実感ではやはり違う。
それでも、他の組より大分有利だった。
「エリヤ、反応は」
「今のところ無いです。範囲広げますか?」
今、エリヤはあの"視界"を展開―――していなかった。
情報収集に長けた"視界"だが、こうした状況では逆に使い勝手が悪い。なにせ、この"視界"前後左右上下と全方位の情報を問答無用で送り付けて来るのだ。
なんて言ったらいいのだろう、前を向いたまま真後ろや頭上の様子が把握できるというのが受け入れられないのだ。
その上、送られてくる情報量が半端ない。人間には知覚出来ない光線・音波各種、温度、空気の流れ、重力摩擦etc.
感情エネルギーだけ抽出したように生命エネルギーだけ抽出すればと思ったら、空気中から地中から反応びっしりでホワイトアウト状態。微生物の類いだろう。
人間だけ、とか魔獣だけ、とかやるのはやり方が悪いのか何か勘違いしてるのか出来なかった。ザックを、リリィを、といった個人は設定出来たのに。なぜ。
ともかく、そうした事情で探索において"視界"は使わない。
エリヤの場合、普通の魔力探知で十分なのだ。
「そうだな、皆、止まって」
リリィの指示にエリヤ達は足を止める。
エリヤは両手に杖を握り、目を閉じた。
「・・・二時方向、三階の高さに複数の魔力反応があります。この辺り」
地図を取り出し、反応のあった場所を示す。
「ただ、ゴブリンかどうかは分かりません。人の可能性もあります」
まだゴブリンに遭遇した事の無いエリヤは、見つけた反応が未知のモノである、としか言えない。魔獣の中には人とかけ離れたパターンを持っていて初見でもすぐ魔獣と知れる場合もあるが、話を聞く限りゴブリンは人に近い。
うっかり同士討ちになっても嫌なので、エリヤは慎重に答えた。
「この区画は今私達しかいない筈だが・・・隣の区画が近い。冒険者とゴブリン、どちらが出てもいいよう備えておこう」
エリヤ達は頷き、先へ進んだ。
「ミラ、ジェン、エリヤ。そのまま聞いて。当たりだ。ゴブリンが居る」
その言葉にジェンははっと顔を上げ――
「ジェン」
「っ、すみません」
「向こうが先にこちらを視認したようだ。そして、私達には気付かれていないと思っている筈だ」
この辺りは高い建物が多く、件の場所もその建物群の影になってチラとしか見えなかった。始めから注意していなければ気付くのは難しかったろう。
というか、リリィはよく確認出来たものだ。位置を正確に把握してるエリヤでも建物が見えてた事に気付かなかったのに。
「このまま気付いていないフリするぞ」
そこから数十メートル程進んだ所で、通常の索敵範囲に反応が現れた。建物はまだ少し遠い。
「十時方向に五、一時方向に六、こちらに向かって移動中です。あ、十時方向の二つが建物の中に入りました。・・・上の階に移動。残りはこっちに、いえ、九時方向に向かってますね。一時方向も二つ、建物に入って上の階に。残りは三時方向に」
「包囲する気か?」
「二段構えかな? 後方から脅かして、そっちに気を取られたところに上から攻撃」
検討するザックとリリィ。その会話に、エリヤは気になって口を挟んだ。
「ゴブリンてそんな頭いいの?」
「ああ、頭が良いというより狡猾だな。くれぐれも油断するなよ」
変わらず進みながら、作戦をまとめる。
その頃にはザックとジェンもゴブリンの気配を察知していた。
そのまま何もなかったように歩いていると、後方から突然耳障りな雄叫びが聞こえた。
先頭にいたザックとジェンがぱっと振り返り後方へ走る。エリヤ、ミラ、リリィは前を向いたまま。
前衛二人が後ろに行くと、すかさず両サイドの建物から弓が現れ、ゴブリンが顔を出した。
不意を突いたつもりだったのだろう、ゴブリン達は三人がこちらを見ている事に狼狽えた。
そして、エリヤも狼狽えた。
緑がかった黒ずんだ皮膚。尖った大きな耳。目と口が異様に大きな歪な顔と奇妙にねじくれた四肢は、聞いていたゴブリンそのもので、疑いようもなかった。
それでもエリヤには、その生き物が、人間にしか見えなかった。




