二話 第一現地人発見
猪は首から血を吹き出し、ドウと倒れた。
それを成した人は血を避け、油断なく猪を見下ろしている。
二十前後くらいの背の高い男性だった。金茶の短く刈り込まれた髪に、同色の目。こちらに向けられた横顔は精悍で、女性にモテそうだなと思った。
だが、何より目を引いたのは、頭から生えた犬猫のような耳と、ふさふさしたしっぽだった。
その日、ザックは単独で狩りに出ていた。
ザックは剣の腕を頼みとする冒険者。この土地の出身で土地勘もあり、出没する魔物の種類も熟知している。
無理の無い範囲で依頼を受けて山に入り、この日も危なげ無く魔物を倒したり薬草採取したりしていた。
異変があったのはそろそろ引き上げようかという頃。突如、ドドドドド、と地響きが聞こえてきた。
その響きから、すぐに岩猪だと判断した。岩猪は大型で攻撃力も高く、巨体のわりに俊敏で危険な魔物だが、頭は悪く対処法さえ心得ていれば新米冒険者でも倒せなくもない魔物だ。
どうするか、と少し迷い、地響きの方へ向かった。
ここは街道にも程近い。念のため倒しておこうと思ったのだ。人が襲われてる可能性もあるし、と。
―――そして本当に人が襲われていてザックはギョっとした。それは襲われていたのが平服の子どもだったせいもある。
こんな所に用があるのは冒険者くらいのもの、襲われているとしたら同じ冒険者だと思っていたのだ。
ザックは走った。子どもは十前後で防具など身に付けてもいない。鍛えているようにも見えず、突撃を喰らえば命はない。
間に合うか。
ザックの焦りを他所に、子どもは自力で助かった。
ザックはただ止めを差すだけでよかった。
大したモノだ。地形を利用する観察力と判断力もさることながら、岩猪に追い回されながら冷静に判断・実行する精神力が素晴らしい。経験のある冒険者でも、あんな状況では恐慌状態に陥って自滅してもおかしくない。
が、言うべき事は言わなくては。
「おいガキ、こんな所で何してる!?」
子どもの方に向き直り、ザックは怒鳴った。
こんな魔物がうろうろしている場所に、なぜ子どもが一人でいるのか。
子どもは倒れ込んだ体勢のまま、ポカンとザックを見上げている。
やましい事があるのか単に衝撃が去っていないのか、子どもは黙ったまま。ザックはため息をつき、子どもに近づいて膝をついた。
「ケガは?立てるか?」
「あ・・・えと」
子どもは何か言おうとしたようだがぱくぱくと口を動かすばかりで言葉にはなっていない。また、立ち上がろうとしたらしいが、手足が細かく震え、立てずにその場に座り込んだ。
「む。ちょっとじっとしてろ」
ザックは子どもの体を調べた。段差はそう高くはないが、どこか変な打ち方をしたかも知れない。ついでに子どもを観察する。
子どもは黒髪に紺の瞳で、毛皮も角も鱗も無く、手足は短くも長くもなく耳は丸い。十中八九、土人族だ。
服装はありふれた村人のそれだが、汚れや傷は岩猪に追い回された時のものと見られるものばかりで、こんな所に一人で来たにしてはきれい過ぎるように思えた。
ザックは子どもの手足を動かしたりあちこち触って反応を見た。擦り傷や打撲だらけだが、大きな怪我は無いようだ。
「大きなケガはなさそうだ。今は体が驚いて言う事きかないだけだろう。少し休めば動けるようになるさ」
そう言って笑いかけてやる。
と、ようやく。
「あ、ありがとう、ございました。助かりました」
と言葉を話した。少しは落ち着いただろうか。
「おう。俺はザック、冒険者だ。お前は?」
子どもは返答しようと口を開こうとし、その途中で固まった。
「どうした?」
「あ、その、わからない、みたいです」
「・・・は?」
「えっと、自分の名前が、わからない、です」
自分の名前が、わからない。猪に遭遇する前の記憶が、一切、無い。
いやいやまてまて、猪に遭遇する直前何か色々考えていたはずだ。えっとえっと、・・・こたつ、そう! こたつとゲーム!!
こたつという単語を思い出すと、芋づる式に日本とか冬とかいった言葉、知識が出て来た。あと、ラノベとかアニメとかマンガとか。
・・・他にもっと思い出すべきモノあるだろうよ、自分・・・。
そうした現代日本の(偏った)"知識"は出てきたのだが、自分の名前や年齢、家族、思い出といった"記憶"の類いが全く出て来ない。なぜ。
つうか、出てきたそれらの"知識"の中に、今の状況にぴったり合致するモノが多々あるような。
これいわゆる異世界モノ・・・?
いやいやまさか。
「・・・い、」
どういう事だ? 転移、召喚、転生どれだ。とりあえず死んだ覚えは無いが、って記憶無いんだった。
んー、考えようと思えば、
日本で死亡
→この世界に転生
→何らかの理由で今世での記憶、人格が消える
→日本人時代の記憶と人格が部分的に浮上
なんて想像も出来るが、それを言ってしまえば転移でも召喚でもいくらでも推測出来てしまう。推測というより妄想だな。
そもそもここは異世界なのか?
まぁ、そこは確定と思っていいだろう。でなきゃ、
「おい、おい聞こえるか?」
ぺちぺちと頬を叩かれ、はっと我に返る。
「すみません、つい」
でなきゃこんな、ケモミミシッポのいかにも異世界な出で立ちの人なんか出て来ないだろう。
「いや。名前がわからないと言ったな」
「はい」
「頭を打った跡はなかったが・・・」
とザックと名乗った人はまた頭に手を伸ばす。
まぁ、落っこちた時に頭を打ったかも知れないが・・・多分関係無い。
「あのですね・・・」
私は、いや、俺、なのか? それとも僕か? あー、なんでもいいや、とにかく気が付いたらこの山にいた事、呆然としているうちにあの猪に遭遇し、今に至る事、気が付く以前の記憶が全くない事をザックに説明した。
「ここが山だっていうのは分かるのか?」
「周りを見て、山だろうな、って」
「そうか・・・。んー」
ザックはガシガシと頭を掻いた。うん、困るよね。




