二十四話 上に立つ者
「ねぇザック、《剛狼の牙》を抜けて実家も出よう。そんで、冒険者を駆け出しからやり直そうよ」
エリヤの言葉に、ザックはぼんやりと頷いた。
頭の奥がじんと痺れたようで何も考えられない。ただ、エリヤの抑揚の少ない声と背中を撫でる手が心地よかった。
一つだけ気になって確認する。
「エリヤは?」
「ん?」
「エリヤは・・・一緒か?」
「ザックが良ければ、一緒に」
どこか苦笑するような気配にザックは顔を上げた。
穏やかな、それでいて力強い紺色の瞳とかち合う。そのあまりの強さに、ザックは怯んだ。そして確信する。
(ああ、やっぱり)
エリヤは強者だ。
薄々感じてはいた。けれど幼い姿と物知らずぶりに惑わされて、か弱い守るべき対象と思い込んでしまった。
エリヤは実際幼く、まだまだ周りの助けを必要とするだろう。ただそれと、強さとは別の問題なのだと、今知った。
この子を保護しようなど烏滸がましい。むしろ、自分の方が守られようとしてるじゃないか。
ザックが落ち着いて来たのを察したのか、エリヤは「行ける?」と聞いてきた。
「どこに?」
「《剛狼の牙》の家」
うああああああやっちまった。
ザックの手前落ち着いて見せていたが、エリヤは内心、思いっきり頭を抱えていた。
何が助けてやるだよバカなの? いや言ってないけど言ったも同然だよね何調子乗っちゃってんの? 大した事出来ないクセに。
何より自分がやった事ってマインドコントロールじゃね? マッチポンプじゃね? ザック追い込んだのは自分じゃないしマッチポンプは違うか? ああ、もう、どっちでもいいや。
・・・いやホントどうしよう。
腹を括る前に、ノリと勢いで事を動かしてしまった。ノリというより、苛立ち任せか?
ただ、やってしまった、と思うわりに、後悔はなかった。
形はどうあれ、放置する、という選択もやはり無かったのだと思う。
―――ザックの置かれた状況は、妙に馴染みがあった。ザックの態度は、妙にカンにさわった。
自分は、日本で似たような状況に置かれていたのではないか?
・・・だったらなんだと言うのか。そんな言い訳で、他人をコントロールした自分を正当化できるとでも?
あ、やめよ。これ考えても泥沼にしかならないヤツだ。
自分は自分の都合でザックを引っ掻き回しました。以上。
うん、これでいい。これ以上は余分だ。
エリヤは開き直り、今度こそ、腹を括った。
程なく《剛狼の牙》の拠点に着いた。
家の中の人の反応は五つ。全員いるようだが、内三人は肉体の"気"が荒れた状態で、二階の自室にあたる場所で横になっている。
・・・どんだけ呑んだの。
まぁ、肝心の二人は無事のようなので問題無し。
「んじゃ、話つけよっか」
「ほ、本当に今から?」
「おう、善は急げだ」
それ善か? と自分で思うけど。
「?」
「こういうのは勢いでやっちゃった方がいいって。で、最後に確認するよ。ザックは、本当に自分と一緒に来ちゃっていいの?」
さっきはザックの頭が回ってないところで決めてしまった。ほぼエリヤの言いなりだった。
けれど、エリヤは独裁者になる気はないのだ。・・・いまいち説得力ないけど。
ザックもさっきよりは落ち着いている。躊躇いが見れるようなら考えねばならない。
ザックはその確認にキョトンとして、言った。
「ああ。俺は、エリヤについて行くよ」
「・・・わかった」
ザックは至って自然に頷いた。無理してないなら、いい。
しかし、なんだろう? 自分の言ってる事とザックの言ってる事、微妙に噛み合ってない気が。
これ放って置いたら不味いヤツでは。でも確認しようにも自分が何に引っ掛かったのかが解らない。
・・・いいや、後で。
エリヤは玄関をノックし、ドアを開けた。鍵は掛かっていなかった。
「こんにちはー、ガロアさん、ロイさん、居ますかー」
その時、ロイとガロアは居間でだらだらしていた。
響いたエリヤの声に、ロイは無言で立ち上がり玄関へ向かった。
「おぅ、どうした」
「急にすみません、話があって来ました」
のんびりと笑うエリヤに、緊張に固くなるザック。
そんな二人の様子に、ロイはこっそりと嘆息する。今日で二人、仲間がいなくなるようだ。いや、エリヤは初めから仲間にはならなかったか。
二人を連れて居間に戻る。ガロアはソファーに寝っ転がっている。
「ガロアさん、こんにちは」
軽やかな声が、ガロアに掛けられた。
「よう。なんか用か? こっち座れや」
エリヤは促されるまま、テーブルを挟んだ向かいのソファーに座る。
ザックは癖で台所に向かおうとして、エリヤに引き留められた。これから話す内容を思えば、長居はしたくない。
「今日は話があって来ました」
「あん?」
エリヤの様子に何かを感じたか。ガロアも異変を察したようで、起き上がって座り直し、エリヤに向き直った。
「自分とザック、パーティーを抜けますね。今までお世話になりました」
いい天気ですね、なんて言うような軽さで、エリヤは言う。
そんな調子に一瞬言われた事が呑み込めなかったらしい。ガロアが反応するまで間があった。
「なんだと? どういうつもりだ!?」
戦闘時にも似た怒気に、ザックはびくりと震え、エリヤは気に留める事なく話を続けた。
「《剛狼の牙》に入ってそこそこ経ちましたが、いまだに馴染めませんし、気質も合わないようなのでこの辺で辞めようかと」
「はあ!? ウチを出てドコ行こうってんだ? 行くあてあんのかよ!?」
挑発するように、嘲笑うガロアは言う。
バカ・・・とロイは内心呆れる。それは悪手だ。
ザックはガロアの言葉に怯むが、案の定、エリヤは訝しげな顔をするだけだ。
「どうもこうも、普通に冒険者しますよ?」
エリヤの平然とした様子に、ガロアはしまったという顔をする。
エリヤは魔法使いだ。魔法使い不足のこの街ではいくらでも行く当てがある。
―――なんてガロアは思ったのだろうが、それも的外れだ。
獣人族は、その身に表れた獣の特徴をそのまま有する。
身体的なモノだけでなく、性質も含まれる。
狼の特徴は、その社会性。狼は群れを重視し、明確な上下関係の中に身を置く。
それがどういう事か? 狼特性の者にとって群れに属せないと言うのは酷い苦痛となる。それゆえ群れを――パーティーを追われるのは重い罰になるのだ。
だから、ガロアの言葉は十分脅しになる。ザックが相手なら。
自由の神に守護されているエリヤには、群れに属さない事などなんの痛痒にもならないのだ。ガロアの言葉が恐喝である事さえ、まともに伝わりはしない。
ロイは自由の加護の特性もちゃんと調べてガロアに教えていたのだが、全く伝わっていなかったようだ。
「エリヤは分かった。確かにお前はウチは合わないだろう。それで、ザックは?」
と、ロイが話を進めた。ガロアが、何認めてんだよ! という顔で睨んでくるが、前提が違うのだ。
エリヤはただ自分が抜ける事を"伝えに"来たのだ。ガロアが認めようと認めまいと、勝手に出ていくだろう。
「俺は、エリヤについて行こうと思います。・・・すみません」
「っ、ふざけんな!!」
ドンとテーブルを叩き、ガロアは立ち上がって怒鳴った。ザックは首をすくませ、エリヤはキョトンとガロアを見上げた。
「オレがこんなガキより下だってのか!!? ああ!!?」
「ちょ、なんでそんな話になるんですか?」
エリヤはガロアの反応に不審そうに言う。
「お前、今の意味も分からないのか・・・」
思わず、ロイはそうこぼした。
今のザックの言った事は、要するに鞍替えだ。ボスとして、ガロアよりエリヤがふさわしいからそちらに行くと、そういう意味なのだ。
教えてやりたいが、さすがにガロアの目の前で解説するのは憚られる。
「てめぇ、面倒見てやった恩も忘れて・・・!」
「えっと、すみませんが、そう言われる程世話になってないですよ?」
と例によって世間話のような口振りでエリヤが言う。
エリヤの認識では、世話になった相手はザックであり《剛狼の牙》ではないのだ。
「エリヤもザックも《剛狼の牙》を抜ける。了解だ。話はそれだけか?」
「あ、あと支給された薬と装備の手入れ用品お返しします。それと、パーティー維持費。今月のザックの家賃分もう引かれてましたよね?残り日数分戻ってきませんか?」
こいつ・・・。
やたら現実的なエリヤに、なぜか笑いの発作に見舞われた。吹き出したくなるのを我慢して、ロイは財布を取り出す。
「手入れ用品はともかく、薬はやるよ。餞別だ。・・・ほい家賃」
「これ、今月分まるごとでは?」
「これくらいカッコつけさせろよ。つか、計算めんどくせぇ」
「あとで返せとか言いません?」
「言わねーよ、アホ」
「おい、終わったか? 終わったよな? さっさと出てけよ!!」
軽口を叩く二人に、ガロアがイライラとそう言ってテーブルを蹴りつける。
テーブルは悪くあるまいに、と思いながらエリヤは立ち上がり、ぺこりと頭を下げて拠点を出た。
道路に出たザックは、半ば放心状態で拠点を見上げた。
―――ここまでのやり取りを、ザックはただぽかんと眺めるばかりだった。
「どうかした?」
「・・・もっと、揉めるかと思ってた。こんなあっさり・・・」
ガロアは強引で、なんでも思い通りにしないと気が済まない性格だ。抜けると言っても、簡単には出来ないと思っていたのに。
「そうだね、ロイさんが居てくれて良かった」
そういう問題でもないのだが。
ともかく話は済んだ。二人は早速手続きをしに冒険者ギルドに向かった。
「クソッ、クソッ」
がんっ、がたん。
ガロアはテーブルやソファーを蹴りつける。
本当は剣を振り回したかったが、それを抑えるだけの理性は残っていた。
「修理代、次の報酬から引いとくからな」
なんて、ロイは言う。
ガロアは応えなかった。その代わり。
「てめぇも向こう行くか?」
「はあ?」
「随分仲良さそうだったじゃねぇか。別にいいぜ。お前もオレに不満あんだろ?」
なんて言ってきた。
「まぁ、な」
肯定すると、ギッとロイを睨みつけた。
狼の特性を持って産まれた者は、群れを求める。ただ人が集まればいい訳じゃない。確固たるボスに率いられた群れでなければならない。
群れのボスがしっかりしていないというのは、ボスを尊敬できない事は、狼特性にとって苦痛となる。
又、群れを作ったのにその仲間をまとめられない事も、ボスに苦痛を与える。
それらのストレスを、ガロアもロイも感じていたのだ。ずっと。
「なんでだ」
絞り出すように、ガロアは言う。
「何がいけないんだ、オレはどうすりゃ良かったんだ?」
普段のガロアからは想像もつかない、弱々しい呟き。
群れを追い出されるのが罰なら、群れの一員が自ら出ていくのはボスの無能の証左だ。
エリヤは、ガロアの不足を突き付けたのだ。
「さあな。俺とお前の立場は違うからな」
嘘だった。こうなった原因を、ロイは知っている。
ガロアには元々、人を惹き付ける魅力があった。ザックもその頃のガロアを知っていたからこそ、今まであの扱いに甘んじていたのだろう。
それを潰す出来事があった。ガロアの良さは失われた。
忠告はした。それを、これでいいんだと聞かなかったのはガロアだ。
このタイミングでも、言ったところで聞き入れはしないだろう。
けれど。
「ただ、今のやり方は見直すべきじゃねぇか?」
「・・・・・・」
ガロアは応えない。その反応に、ロイはほくそ笑んだ。
さすがのガロアも、誤魔化しようのない結果に、盲信してるそのやり方に疑問を抱かざるを得なかったらしい。
エリヤに密かに感謝した。
ガロアはロイの見込んだ男だ、こんなところで潰れはしない。
―――潰れさせはしない。




