十五話 剛狼の牙
それから数日、エリヤは冒険者活動に精を出した。
硝子級の依頼は街中の清掃や荷運びといった雑用がメインで、冒険者感はあまりない。
しかし、この清掃や荷運びでは土地勘を養えたし、鍛治屋や薬屋での手伝いでは仕事内容が店番でも学べる事は多く、望めば教えを請う事も出来た。正にチュートリアルだ。
魔法訓練はこれといった問題も無くサクサク進んでいる。むしろえらい勢いで進んでるらしい。エリヤは数日でミラを追い越してしまったそうで、落ち込むミラをスラートが一生懸命慰めていた。なんかごめん。
一度中止になった狩りもした。ちなみに魔法抜きの罠を使った狩り。獲物はウサギ。角が生えてたりとかしない普通の野うさぎ。素人なので。
ナイフで止めを差し、解体までやった。何事も無くあっさり終了した。――もっとショック受けるんじゃないかと身構えてたのだが。
自分が元日本人だと思ったのは勘違いなのだろうか?
そして発覚した――と言うか、薄々感じていた事が確定したと言うか――エリヤの弱点。
武術と家事。
この二つが致命的に下手くそだった。
まず武術。ザック、オルゲン、《灯明の轍》や《蒼樹の一葉》の皆様等々複数から才能なしの太鼓判を頂きました。
・・・いいけどよ、知ってたし。
協議の結果、エリヤはとにかく体力を付け逃げ足を鍛える、という方向に落ち着いた。
プロの意見だ、異論は無い。ただちょっとだけごねて剣の訓練を混ぜて貰った。使ってみたかったんだよ、剣。
家事。
料理は焦がしたり変な味になったり、洗濯をやらせれば生地を傷めたり(洗濯機的な魔法道具はあるらしいが高価で、庶民は手洗いが基本だった)、掃除はまだマシだが順番がメチャクチャで一度キレイにした所に埃を落としたり汚れを持ち込んでしまい二度手間三度手間になってしまったりと散々だった。
ザックの指示に従っていればそうおかしな事にはならなくなったが、どうもポイントが掴めず、自分で細かい判断をして工夫する事が出来ない。(正確にはやると惨事になる)
先の事を思えば家事はしっかり身に付けたいのだが、険しい道のりになりそうだ。―――主にザックにとって。
ちょっとした依頼を終えた帰り道、エリヤは人で賑わう大通りを歩いていた。
日本の都市部よりはずっと空いてるとはいえ、人と人との距離は近い。今も前方から男が一人、エリヤの真横を通り過ぎようとしている。
そして擦れ違う瞬間、エリヤはすっ、と男を避けた。男はそのまま通り過ぎたが、離れる時小さく舌打ちをした。
スリである。エリヤはほぼ毎日、スリやひったくりに遭っていた。
最初はザックが防いだり、謎の偶然で回避したりしていたが、最近ではそうした輩が分かるようになり、先程のように避ける事を覚えた。
「見た目よか治安悪いよね、ここ」
街の雰囲気は明るく、女性や子どもが気楽に出歩いていて安全そうに見えるのに、スリやひったくりと質の悪い連中が意外に多い。
実際にはそこまで多くはないのだが、エリヤはなぜか集中的に狙われており、当人はその事気付いていなかった。その為、街全体の治安が悪いのだと思っている。
「いや、治安は良い筈、なんだが」
エリヤの呟きにザックが応える。ザックは普段の街を知っている為、異常に気付いている。
とはいえ原因は分からず、オルゲンに相談しておいた。
オルゲンは調べると言ってくれたのでいずれなんとかなるだろうが、それまではエリヤから目を離さないようにしなければ。
ギルドに戻り、依頼達成の報告を済ませでは帰ろうか、というところでガロアとロイが顔を出した。
「よう」
「ガロアさん、ロイさん」
「こんにちはー」
鷹揚に声を掛けて来たガロアに、ザックは嬉しそうに、エリヤはのんびりと返事をした。
異世界二日目振りだ。そういや、自分はこの人達の仲間なんだっけか、と他人事のように思う。
「どうだ、少しは慣れたか?」
と、ガロア。
「んー、慣れたかは分からないけど、仕事は少しずつ覚えてますよ。魔法も、簡単なものなら一通りは」
「・・・まぁ、お前は最初から構えてなかったしな」
エリヤの返答に、ロイがぼそっと言う。どういう意味だ?
「なら、一度戦闘に参加してみねぇか?」
「戦闘って、討伐依頼ですか?」
「ああ、明日黒縞蜘蛛の討伐に行く。少し遠出になるが、その日のうちに帰れるだろう」
「え、黒縞蜘蛛って」
「――ちょっと待て」
魔獣の事らしき単語に、ザックが困惑の声を挙げ、同時に凛とした女性の声が掛かった。
「げっ」
「あ、リリィさん」
割って入って来た人に、ガロアが潰れたカエルのような声を出した。
リリィはつかつかとガロアの前まで来て苦言を呈する。
「黒縞蜘蛛なんて上位パーティー向けの魔獣じゃないか。そんな仕事に入りたての新人を連れて行こうとするんじゃない」
「るっせぇな! 他所のパーティーに口出しすんじゃねぇよ!」
「まともな内容なら口出しなどしなかったとも。そもそも、お前はエリヤをほったらかしにしてたじゃないか。やっと顔を出したと思ったらいきなり危険な場所に連れだそうなんて」
「これがオレのやり方なんだよ! 危険なんざ当たり前だろうが! てめぇはてめぇで安全にちんたらやってろよ! オレは口出ししねぇからよ!」
「方針の違いだけ済む問題ではないから言ってるんだ。第一――」
・・・なんか、姉弟喧嘩始まっちゃった。
えーと。
「ザック、黒縞蜘蛛って危ないヤツなの?」
「ああ、まぁ、普通は鉄級、銅でも戦闘に長けた冒険者が五~六人くらいで挑むべき相手だが」
「|《剛狼の牙》《うち》は戦闘バカばかりのパーティーだからな、黒縞蜘蛛も十分倒せる。お前は見学で、念のためザックにお守りをさせるさ」
ザックの言葉に、ロイが補足を入れる。
「それ自分ただの足手纏いですよね? なんで連れて行こうと?」
「・・・。たいした理由は無い。強いて言えば、ガロアの気紛れだ」
その微妙な間は何。
そうしている間も姉弟はぎゃんぎゃん言い合い、ヒートアップしていく。
かなりうるさいと思うのだが、周りの冒険者達はさほど気に留めずスルーしている。いつもの事という事か。
あ、廊下に続く角からミラとジェンがこっちを覗いてる。そっちも大変だね。
・・・・・そろそろ止めるか。
「お二人とも、ちょっといいですか?」
エリヤは二人の間に割って入った。
物理的に。
向かい合う二人の間にぐいっと体を捩じ込み、二人のお腹のあたりに手を置き、ぐっと両腕を伸ばして距離を取らせる。――あ、女の人のお腹触っちゃった。後で謝ろう。
この行動は予想外だったのか、ガロアもリリィも咄嗟に反応出来ないようだった。
「黒縞蜘蛛の討伐について行く話ですが―――」
「ん? そういやその話だったか」
と、ガロア。忘れんなや。
「自分は行ってみたいと思います」
「そんな、」
「おおそうか! そうだろう! 男なら冒険しないとな!」
顔を曇らせるリリィと、鬼の首を捕ったようにそっくり返るガロア。
「リリィさんが正論なのは理解してます。けど、すみません、その蜘蛛見てみたいなって思っちゃって」
リリィが正しい、ときっぱり言い切ったエリヤに、ガロアが鼻白む。
「けど、自分は見学でいいし、ザックが付いててくれるそうなんで」
「そうなのか?」
「あ、はい」
ザックが言い、ロイも無言で頷く。
「危なくなったら自分とザックだけで逃げますから」
「は?」
「え?」
「――いいだろ? どの道、俺達だけで十分倒せるんだから」
エリヤの言葉に、ロイがさもその予定だったかのように言い添える。
ガロアとザックの困惑は無視で。
「そう、か。それなら・・・」
「心配してくれて、ありがとうございます。これで痛い目見るようなら、次はリリィさんの忠告に従いますよ」
気落ちした様子のリリィに、エリヤはそう付け加えた。
エリヤなりの気遣いはリリィに通じたらしい。リリィは小さく笑みを浮かべ、ぽんとエリヤの頭を撫でた。
「くれぐれも無理はするなよ。君は自分の身を守る事だけ考えればいい。あいつは囮にしてもいいから」
「はい」
「ヲイ」
ガロアの突っ込みを無視して、リリィは去って行った。
微妙な沈黙が降りる。
「・・・チッ。そういうこった、じゃあな」
それだけ言ってギルドを出て行くガロア。
ロイは明日の集合場所等の打ち合わせをしてからガロアのあとを追って行った。
翌日。
朝早くからエリヤ達《剛狼の牙》は街を出た。
一行は早々に街道を外れ、獣道すらない山の中を飛ぶように走る。
その様子を、エリヤはザックに背負われ、眺めていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・。
いやだってね? こいつらの一歩、軽く一メートルあるんだよ? 岩がゴロゴロしてる中を、岩の上をヒョイヒョイと文字通り飛ぶように進んでるんですよ?
付いて行けるかいっ! こちとら運動神経並以下の魔法特化型の後衛職なんだよ!!
ちなみに、エリヤがザックお世話になったのは出発から一分後の事でした。こいつらの並足はエリヤが走るより早かった。ガロアの『え、マジで?』って感じのドン引き顔が印象的でした。
――わざとじゃないんか。単に種族と適性差の違いに無理解なだけか。却って質悪いぞ、オイ。
身体能力のの差に呆然とする事約一時間。目的地に到着し、ガロアは足を止めた。
・・・あのスピードを一時間ぶっ通しでケロッとしてるよ。何人かはさすがに疲れたようだけど、軽く息を乱した程度。それもすぐに収まる。
リリィが横槍を入れたのはこのあたりの事を考慮してのものだったのだろうか?
休憩を挟んで黒縞蜘蛛の捜索を開始する。
のだが。
「すみません、もう一度言って貰えます?」
「おう、ちゃんと聞けよ。黒縞蜘蛛はあそっから向こう辺り迄の一帯に生息してる」
ガロアは連なる山並みから別の方向の山並み迄ををぐるりと指差す。
「あの辺りを適当に歩いてりゃ何匹かはぶつかる。簡単だろ?」
「簡単だろじゃねぇ!! 範囲どんだけ広いんだよ!? アタリも付けずに闇雲に歩き回る気!? アホか!!」
思わず怒鳴った。
「はあ!? アホはそっちだろ!! 魔獣が都合良くその辺に居るわけねぇだろ!! 探すのは当たり前だ!!」
エリヤの言葉に、ガロアも怒鳴り返す。
ガロアの怒気に《剛狼の牙》の面々はびくりとすくむ。ガロアにはそれだけの迫力があった。
が、エリヤは平然と言い返す。
「そっちじゃない! 依頼が出てるって事は目撃情報だかどこかで被害が出たかしたって事でしょう!? ならそこから辿って魔獣の居場所ある程度絞れるじゃん。生息域全体を調べる必要ないし、倒しても人に被害が出そうな魔獣を残したら意味無いじゃんか」
エリヤがそう言うと、ガロアを始め数人がポカンとする。え、何その反応。
はああ、と息を吐くと、ぽんとエリヤの肩を叩く手があった。
ロイだ。ロイはエリヤに地図を差し出し、言った。
「この付近の地図だ。ここに鉱山があって、そこで働いてる鉱夫から複数の目撃情報があった。この辺りに集中してる。まずはここを調べる」
ロイの説明を聞いて、エリヤはガックリと肩を落とした。
「ちゃんと調べてあるじゃないですか・・・」
「お、おう! わかったなら行くぞ!」
言って、ガロアは苛立ちも顕にさっさと行ってしまう。
ヲイ、あんた何も知らなかったよな? ロイに丸投げか?
行ってしまったガロアを三人が慌てて追い掛け、その後に続きながらエリヤはロイに訪ねた。
「あの、目的地と違う方に行っちゃってますけど」
「少ししたら誘導する。辛抱してくれ」
「言ってどうにか――」
「言葉ではどうにもならなかったんだ」
言って遠い目になるロイ。インテリヤクザ顔して苦労性ですか。
「・・・ひょっとして、余計な事しました?」
「・・・。いや、よく言ってくれた」
ぽんぽんと、ロイはエリヤの頭を撫でた。複雑そうな顔をして。
さりげなくロイが進路を変え、進む事しばし。
「ちょっといいですか?」
「あ? 今度はなんだ」
エリヤに唐突に声を掛けられ、ガロアはやや喧嘩腰に応じた。
ガロアの機嫌が悪化したのを感じたロイ以外の全員(ザックは懇願顔で)が、『これ以上余計な事言うな』と言わんばかりの視線を向ける。
お前ら・・・。
「この先、八百メートル程先に」
「めーとる? なんだ?」
ロイが首を傾げる。おっとしまった。
「えっと、この先に、大きな魔獣の反応があります」
エリヤは進路からややずれた先を示し、伝える。
「何?」
ロイは『めーとる』が何か気になったものの、魔獣情報に疑問を横に置いて訪ねた。
「全員止まれ。――エリヤ、どういう事だ?」
「岩や木に隠れてまだ見えないけど、そう遠くない所に魔獣がいます。種類は分かりませんけど、大きさは黒縞蜘蛛と同じくらいです」
「魔力感知か?」
「はあ? お前黒縞蜘蛛見た事無ぇだろ」
ロイとガロアが同時に言う。
「昨日のうちに黒縞蜘蛛についてざっと調べました。自分は魔力の偏りで、障害物があってもそこに何か居れば分かります」
「ザック」
「本当です。これまでに何度もオレより先に魔獣や動物を見つけて来ました」
「お前が鈍いだけじゃねぇの?」
ザックの言葉に、三人の内の一人がそんな事を言う。
「他に、魔獣の気配を感じるヤツは居るか?」
口を閉ざすザックを他所に、ロイが問い掛け、全員首を横に振った。
「確認しよう。エリヤ、こっちだな?」
「オイ、本気か?」
「たいした手間でもない。行ってみるくらいいいだろう」
ふん、と鼻を鳴らし、ガロアはエリヤが示した方へ足を向けた。それを受け、しぶしぶと残り三人が後を追った。
そうして間もなく。
「はっ、マジで居るじゃねぇか」
そう真っ先に反応したのがガロア。
にい、と喜色を浮かべるガロアに、残りの面々にも緊張が走る。そして近付くにつれ、一人、二人と魔獣存在に感付いた。
そして、エリヤがそろそろ止まった方がいいな、と思った辺りで、
「おるああああああ!!」
雄叫びを挙げ、ガロアが駆けた。
「え?」
「「「うおおおおお!」」」
ロイとザックを除く三人がそれに続く。
「ええ!?」
打ち合わせは? 作戦立てたり背後に回って隙を突いたりとかしないの?