十三話 大した事じゃないんだろうけど
「あ゛あ゛あ゛まだむずむずする・・・」
「大丈夫か?」
なんとも言えない顔で腕を擦るエリヤに、ザックが心配そうに声を掛けた。
「んー、つらいって程でも無いし、収まって来てはいるから」
昼を少し過ぎた頃。二人は大通りを歩いていた。
魔法の訓練を始めてしばらくすると、エリヤは異変を訴えだした。
体の内側からくすぐられているような、なんとも言えないむず痒さに見舞われたのだ。
症状を聞いたスラートはほぅ、と感心して言った。
『それ、体内の魔力を感じてるんだよ。身の内の魔力は実感しにくいものなのに、随分敏感だねぇ』
魔法使い適性の高い人にまま見られる症状だそうで、おかしな事ではないし、しばらくすれば落ち着くそうだ。
ただ、逆に言えば落ち着くまで出来る事が無い訳で、魔法の訓練は中断、予定を変更して昼食の後街を回る事にしたのだ。
「適性値が高いのもいい事ばかりじゃないんだな」
「うう。まぁその分難しい魔法も使えるらしいし、なんとか頑張るよ」
「そうか」
角を曲がると、急に賑やかな通りに出た。
街の下部に、大広場と広場を中心とした通りが伸びていた。
ドルネルの街はほぼ斜面で出来ており、上下移動がそこそこ面倒になる。特に大量の荷を運ぶのは重労働になる為、街を出入りする商人達は外部へ続く街道の高さからあまり離れたがらない。自然、商業の中心地は街の下部に定着したのだ。
広場の中央には噴水があり、その周囲に青果や肉類、軽食等食品系を中心に屋台が散らばっている。
その更に周囲は、宝飾、パン屋、革製品に日用雑貨の店と多様な店舗がずらりと並んでいた。
「大体の買い物は、ここに来れば用を足せるぞ」
そう言うザックの言葉を聞いているのかいないのか。エリヤは忙しくキョロキョロと周囲を見ている。
むず痒さは継続中だが、好奇心が勝った。昨日は色々あり過ぎて諦めざるを得なかったが、街を見て歩きたかったのだ。
市場にある店の多くは、青果を扱う店だった。ギルドでも少し見たが、自分の知る―――日本で見る野菜や果物とは似ているようで違う。とはいえ、大幅に植生が違う訳でもなさそうだ。根菜葉モノ実モノといった判断はつく。
肉類は肉になった時点で種類などの見分けはつかなくなっているが、塩漬け肉や腸詰め、燻製等があった。
ちょっと驚いたのが料理で、プリンがあった。
似てるな、と詳しく聞いて見れば、材料も作り方も、名前もまんまプリンだった。
確定。地球人、いる。
ステータスといいショーウィンドウといい、地球文化っぽいと思ったが、嗜好品で、材料から名前から一致というのはさすがに偶然ではあるまい。
しかも一人二人でもないだろう。プリン、シャワー、ショーウィンドウでは専門が違い過ぎる。
この世界には、何かしら地球との繋がりがある、と見るべきだろう。
・・・まぁ、それがわかったところで何も変わりはしないんだけど。
二人はここで食料を少しと、エリヤの歯ブラシやコップ等衛生用品を中心に買い物をした。
石鹸やらトイレットペーパーやらあったし、衛生面は整っているようだ。以前いたであろう異世界人さんが頑張ったのだろうか? どこの誰にせよ感謝。
ちなみに買い物の際、ザックはエリヤに買い物を体験させた。無難に買い物を終えたエリヤに、ザックはほっと胸を撫で下ろしていた。
「あ」
ふと目に入った物に、エリヤは弾んだ声を挙げて駆け寄った。
同行者を全く気にかけない行動だが、ザックは既に慣れた様子でエリヤの後を追う。
エリヤが入って行ったのはこの辺りでも大きな店で、幅広い商品が並んでいた。こちらの百貨店、といった所か。
エリヤが突撃したのは文房具コーナーだった。―――単に文具欲しいなぁと思っていただけだったのに、ノートやペンを前にすると妙にテンションが上がる。
文房具は思っていたより種類豊富で、ノートだけでも無地や罫線があるもの、シンプルな大学ノートのようなデザインのものから花柄やゴシック調のものもあった。
ペンは鉛筆や万年筆の他に一見して仕組みの分からないものもあり―――
「あー、エリヤ?」
とんとん、とザックはエリヤの肩を叩いた。
「あ、ごめん。何?」
「熱心に見てる所悪いが・・・値段見てみろ」
何故か慎重な物言いのザックに、エリヤは言われるまま値札に目を向けた。
―――あ、ハイ。手持ち足りないですね。
厳密に言えば買えなくはない。が、岩猪代のお蔭で身の回りの物は無事揃ったし、屋台等を見た結果、数日は持たせられそうなくらい残ったのだが、ここで文具一式買った手持ちが無くなってしまう。
欲しいか欲しくないかと問われれば、欲しい。しかし、今すぐ必要かと問われれば、否である。
・・・今回は・・・見送ろう・・・・・。
「ま、まぁ、このくらいなら、少し頑張ればすぐに稼げるから。なっ?」
あからさまに肩を落としたエリヤに、ザック慌てて励ました。
しょんぼりしたまま店を出ると、店の前に馬車が並び、荷を上げ下げしていた。邪魔にならないよう大きく避けて通りすぎようとしたところ、荷台にある彫り物に気が付いた。
「あれ、何?」
「どれだ? ああ、あれがパティア神だよ」
エリヤの落ち込みを当人以上に気にしていたザックは、エリヤの気が逸れた事にホッとして話を広げた。
「パティア神は旅の神でもあるから、遠くへ行く時はパティア神のレリーフを身に付けたりするんだ。この店は大きいし、仕入れやなんかで他の街に行く事も多いんだろう。それで荷台にパティア神像を彫ったんじゃないかな」
と話していると、店員らしい人が声を掛けてきた。
「なんだ坊主、パティア神が珍しいかい?」
そう人懐っこく笑い掛けてくる。
「自分はパティア神の加護持ちなんです。けど、パティア神の像を見るのは初めてで―――」
「なんだって?」
いきなり、くわっと様子を変えた店員に、エリヤはややたじろいだ。
「え? パティア神像見た事なくて」
「その前だ。パティア神の加護持ちっつったか?」
「はい」
「すまん、ちょっと待っててくれ! ―――店長ー!!」
慌てた様子でどこかへ行く店員に、二人はぽかんと立ち尽くした。
「何事?」
「さぁ・・・?」
ほどなくして戻ってきた店員は、身なりの良い背筋の伸びた老人を連れてきた。
「店長、この子です!」
やたら嬉しそうな店員と、困惑した様子のエリヤを見て、老人はやや眉をしかめた。
「初めまして、ザイラ商店の店主、ザイラと申します」
「エリヤです。冒険者やってます」
「俺はザック、同じく冒険者です」
「どうぞよろしく。ところでなぜ呼び止められたか、もしや聞いておられないのかな?」
「ええ、まぁ。ただ待ってくれと言われただけで」
「なるほど、それは失礼しました。思い掛けぬ幸運に気が急いてしまったようです」
「はぁ・・・」
「その様子だと何もご存知無いようですな。少々お時間を頂けますかな?」
話が長くなりそうだと、店主は二人を店の奥に案内した。
パティア神について何も知らないエリヤに、ザイラはパティア神の加護持ちが人からどう見られ、どう扱われるのか教えてくれた。
パティア神は自由の神だが、同時に旅人や挑戦者の庇護者であり、未知へ挑む者に幸運をもたらす神でもある。
そしてパティア神の加護は、その持ち主だけでなく周囲にも影響する。それは悪影響ばかりではなく、上手く付き合えれば様々な恩恵を得られるという事。
甘いお菓子をいただきながら聞いたところ、ザイラ商店は今新しい事業を初めるところで、表でやっているのはその準備だそう。
その最中に、未知への挑戦を好むパティア神の加護持ちが現れた事で"パティア神が新事業を応援してくださっている!"と舞い上がってしまったのだ、と。
「あのー、自分がいたのはただの偶然ですが」
「そうでしょうな。―――それこそが、パティア神の加護なのですよ。見知らぬ"何か"に挑む時、幸運に恵まれる。身に覚えはありませんか?」
そう言われて思い浮かぶのは、昨日からの一連の出来事。見知らぬ土地に身一つで放り出されたのに、やたら人の良い協力者を得て、その日の内に資金を手に入れ、安定して稼げるよう支援も得られた。
―――当たり前のように受け入れていたが考えてみれば凄まじい強運振りだ。
「心当たりが有るようですな」
何も言わない内から店主が頷く。
「今、この時にパティア神の加護持ちと出会った。これは紛れもなく、幸運の兆しなのですよ。―――そういう時の習わしとして、パティア神の加護持ちに何かしら贈り物するのですが、何か入り用のものはありませんか?」
「へっ? 贈り物って、そんないわれは」
というか今食べてるお茶とお菓子、お高いヤツだよね? さっきチェックしたばかりだから分かるよ?
戸惑うエリヤに、ザイラは穏やかに笑い掛けた。
「そういう習わしなのですよ。行商人や旅芸人、遠方を行き来する者は縁起担ぎとして、パティア神の加護持ちに会えばもてなすのです。少しでもあやかろうとね」
「はぁ」
お坊さんに托鉢するようなものだろうか? 初対面の人に物を要求するなんてさすがに抵抗あるが、宗教的なモノなら無下にするのも良くないかな?
うーむ。
悩んでいると、さっきとは別の店員が来て、ザイラに耳打ちした。するとザイラはエリヤに断って席を立ち、すぐに戻ってきた。
「失礼しました。さて、贈り物ですが、特に入り用の物が無いのであれば、こちらから身繕ってもよろしいかな?」
「ええ、どうぞ・・・?」
「でしたら、こちらの文房具一式はいかがでしょう?」
その言葉と共に、店員が差し出したのはエリヤが熱心に見詰めていた文具。
っ、この人、さっき店に居た人か!!
なんだか色々見抜かれている状況に、エリヤは赤面した。
「あ、あの、これ結構高いヤツでは・・・」
「はい。ですが新しい商品が入り売れ行きが落ちてしまった物でしてなぁ。在庫を減らせればこちらとしてもありがたいのですよ」
いやもう、なんて言うか。
そんな気を使う相手じゃないですよ? こちとらただのガキですからね? ホントにいいんですね!? 貰っちゃうよ!!
「そういう事なら、使わせていただきます」
こうしてエリヤは文房具一式を手に入れ、ついでにお菓子を包んでもらいザイラ商店を後にした。
一方的に物を貰ったのに、エリヤには謎の敗北感が残った。
「はぁ、何か疲れた」
「意外だな」
ため息をつくエリヤに、ザックが思わずという風に言った。
「何が?」
「あ、いや、エリヤだったら貰える物は貰うとか言うのかと」
たった二日でもうそんな評価されたんかい。
「何でそうなる・・・」
「いや、だって、エリヤって遠慮とかしないだろう?」
ザックから見て、エリヤはかなり奔放に振る舞っている。それがなぜ今回だけ及び腰なのか、違いがわからない。
「オルゲンに奢って貰った事? オルゲンはギルドマスターで、新人の世話も仕事の内と思ったからだよ。ザックの家に押し掛けたのは行く宛が無かったからだし、お返しはするつもりだよ」
そこで一度言葉を区切り、少し考えてから続けた。
「ザイラさんはさ、要するに"運"が欲しかったんでしょ? それと、従業員さんのやる気を上げる為とか。文具一式はその対価だよね。けど、その期待に応える保証は無い」
「それはそうだろう、あくまでパティア神の気分次第なんだから。ザイラ店長だって、エリヤにそんな事求めちゃいないぞ?」
「そうなんだろうけど、何かを貰っといて、自分に返すモノが無いってのが、こう、居心地悪いんだよ」
エリヤ自身、己の心情を掴みかねているのか、もどかし気に言う。
ザックには、エリヤの言いたい事も考えも、いまいちピンと来ない。それでも、奔放そのものに思えたこの子どもにも、真面目なところがあるらしい事は、なんとなくわかった。
話しながら歩いていたエリヤは、ふと立ち止まって振り返った。
「そだ、あのさ」
言い掛けたところで、間近から破砕音が響いた。
見れば、つまづいたのか、前のめりの中途半端な姿勢で固まる男性。そしてその足元にある、砕けた陶器の破片。
あー、やっちゃったね・・・。
「大丈夫ですか?」
声を掛けると、男性はこちらを見て硬直し、あさっての方へ駆け出した。
こら、逃げてどうする。
近くの店舗から店員さんが出てきて、ぶつくさ言いながら破片を片付けていった。お疲れ様です。
「行こっか」
「ああ」
ザックは曖昧に頷き、改めて歩き出した。
ザックはエリヤのやや後ろを歩いており、男が路地裏から出て来て壺を落とす瞬間を見ていた。
男はわざとエリヤにぶつかろうとしていた。
エリヤが絶妙なタイミングで振り返ったため、男が一人で転ぶ結果になったが、あのままぶつかり、壺が割れていたらエリヤのせいにされていただろう。
お上りさん丸出しでいたからな。目を付けられたか。
珍しい事ではない、とザックもこの時は気に留めなかった。
家に帰り、夕食の準備をする。準備しながらこちらの調理器具や食材、調理法をザックに教わる。
はっきり言って、エリヤは邪魔にしかなっていない。
けれどエリヤも、いずれ自立しなければならないのだ。家事はぜひとも身に着けたい。
ザックには借りてばかりいるが、仕方ない。少しずつでも返していこう。
そのうちリシアが帰って来た。リシアは工場で働いているそうだ。
三人で食卓を囲み、魔法講座の話になった。
「で、ザックも魔法覚える事になって」
「え? ザックが?」
リシアが驚いて見せる。―――訝しげに。不可解そうに。
「あなたが習ってどうするのよ?」
「どうって、覚えられれば便利でしょう?」
そう言ったのはリシアだ。
「エリヤくんはいいのよ。ザックは習うだけ無駄じゃない」
ザックがびくりと震えた。
・・・そう思うんなら、なんで今朝あんな事言ったんだ?
「無駄なんかじゃ無いですよ。何ならおばさんも挑戦しませんか?」
「あら、私は魔法使えるわよ。獣人族でも竜特性は魔法適性あるの」
イラッときた。
・・・こいつは放置でいいや。
問題はザックだな。見れば、ザックは俯き黙々と料理を口にしていた。
「んじゃ、訓練しようか」
片付けを終え、お湯を貰って、後は寝るだけとなった所でエリヤは切り出した。
「え?」
「え、じゃなくて。魔法の訓練」
ベッドに腰掛けているザックの前に、エリヤは椅子を置いて座った。
「・・・いや、俺はやっぱりい」
「いいから。初めるよ」
ザックの言葉を遮り、エリヤはぐいっとその手を取った。
スラートから出された課題の一つ。エリヤはスラートがやって見せたように魔力をザックに送り、ザックはそこから魔力を感じとれるようになる事。
エリヤにとっては魔力を一定量、延々流し続ける訓練。ザックは昼間の訓練の続き。ザックもエリヤも同時に鍛えられる訓練メニューだ。
それが分かっているのでザックもそれ以上は言わなかった。
ただ、妙に苛立っている様子のエリヤに困惑した。
なお、後になってザイラ商店が取引で失敗しただか競争に負けただかしたと人づてに聞いた。
さすがに気まずくて、しばらく店の周囲は避けた。