勇者観察日記1日目
~勇者観察1日目~
今日はかねてより計画されていた勇者召喚を行う日だ。おれとしては異世界から魔力の強い者を呼び寄せて自分たちの代わりに戦わせようなんて、自分がその立場になったらと考えると腹が立ってしょうがないから反対だ。
そもそも、この世界の問題はこの世界に生きている者たちが背負うべきなのだから。
しかし、上の決定には逆らえないし、何よりおれにそんな自由はない。おれに出来ることがあるとするならば、今度はマシな奴が現れて大人しくしていてくれるように祈るだけだ。
〜とある奴隷暗殺者の手記より抜粋〜
明かりが壁にかけられたろうそくしかない地下室に、うっすらと光が闇を切り裂いて現れる。その光源は地上の窓からではなく、床に描かれた魔法陣からだ。
魔法陣に一番近いところには一人の女性ー当代最高の聖女ーが神に祈りを捧げるように跪いて呪文を唱えている。また魔法陣を囲むようにして修道女や神官が同じ呪文を紡いでいる。目の前で行われているのはこの世界でも禁忌魔法指定を受けている異世界にゲートを開いて勇者を召喚する魔法だ。
勇者召喚魔法と呼ばれているが、その実態は魔力保有量が多いものを無作為に召喚するというものだ。その性質上に、たまに意図しないものを呼び出してしまうことがあるため、教会によって禁忌指定を受けている魔法だ。
(あ~~、早く終わんねぇかなぁ~~)
そんな厳かな雰囲気の中、こんな不謹慎なことを考えているのは壁に背を預け、腕組みをしながら欠伸をしている男だ。普通なら誰かに見咎められそうなものだが、シンプルな目と口元だけに穴が開けられた黒い仮面で顔全体を隠しているため、その心配がないから堂々とした態度を崩そうともしない。
また、壁際には仮面の男以外にも武装した兵士が控えている。その男たちはそれぞれ白いコートに左胸には薔薇十字の刺繡が入った団服で揃えているのに対し、仮面の男だけは似たデザインのコートではあるが色が黒。左胸に薔薇十字はなく、襟や袖などに赤い装飾がされていて一人だけ浮いてしまっている。
(お、そろそろかな?)
ひと際光が強くなり、誰もが手で光を遮って視界を確保しようとしているなか、壁から背を離して腰に差した刀の鯉口を切る。
戦闘状態に意識を移行しながら、魔法陣の中心に目を凝らす。自分がここに呼ばれたのは、これから召喚するものが友好的な存在でなかった場合、誰よりも早く始末するためだ。
部屋の反対側、聖女の背後に控えていた鎧に身を包んだ男も同じように剣の柄に手をかけている。あの男は聖騎士であり、その役目は何よりも先に聖女の前に立って盾になることだ。
「来ます」
魔法陣から離れ、聖騎士の隣に並んだ聖女が呟く。その言葉が空間に溶けて消える前に膨大な光が地下室を照らし、光が収まった魔法陣の中心にはおろおろとして状況がよくわかっていない四人の少年少女がいた。
「ようこそお越しくださいました、勇者様方。どうか魔族の脅威に晒された私たちをお救いください」
聖女が手を胸の前で組み、そうお願いする。それにどう返事をしたものか迷ったような素振りを見せた彼らはアイコンタクトで意思の疎通を図り、短髪の髪を逆立てている少年(後ろ姿だけなので顔などが見えない)が代表して一歩進み出た。
「えっと、すみません。状況がよくわかっていないんですけど、とりあえずここはどこですか?」
その質問はこの不可思議な状況をなんとか把握しようとしているのが見受けられ、その点だけは好感を持ってもいいと思えた。がしかし、どちらにせよこの召喚自体が気に入らなかったからすぐにその感情を打ち消し、とりあえずの危険はないと判断して刀から手を離して状況を見守ることにした。
あれから少年二人と少女二人の四人組を連れ、話すには不向きな地下室から移動した。今、異世界から召喚した勇者(仮)共はこの教会、エル・アーク教団の最高位に位置する女教皇と面会して説明を受けているに違いない。
そう思っているのはおれが彼らに着いて行かず、そのまま教会の敷地内にある庭園へと足を運んだからだ。自分に課せられた任務は敵対的な生物が召喚された場合、迅速に始末することだけだ。”表面上”は友好的だった彼らを見た以上、仕事は終わったものだと判断した。
ただでさえ気に入らないのだから、これ以上同じ空間にいたくなかったという理由もある。
それに、仕事の本番は明日からだと聞いている。あの勇者(仮)共が神器に選ばれてから、その実力を試すようにとのお達しだ。ならばそれまでの間は好きにさせてもらおうと、お気に入りスポットである木に登ってちょうど体がすっぽりと収まる枝に体重を預けてお昼寝タイムに入る。
そう、至福の一時であるお昼寝タイムに入ろうとしたのだが、こちらに近づいてくる足音を耳が拾ってしまった。しかもその足音と気配には覚えがあるから質が悪い。
十中八九、あの野郎だと確信しながら、このまま通り過ぎてくれないだろうかと期待していたがあわや希望は泡と消え、木の下で立ち止まってしまった。ならばせめて気付かれねば問題あるまいと気配を消してみたものの、視線がこちらを射抜いている感覚に晒されながら声をかけられた。
「おーい、ジョーカー!教皇様がお呼びだ!そんな所でサボってないで早く降りてこい!」
「ここにジョーカーなんて男はいませ~~ん。他を当たってくださ~~い!」
「ったく、あまりふざけていると……切るぞ」
ぞわっと寒気に襲われた瞬間、鞘から剣を抜く音が響く。ヒュンッと風切り音がしたかと思うと背を預けていた木が傾いていく。慌てて木から飛び降りると、背後で地響きを立てて木が倒れていた。
「あ~あ、お気に入りの昼寝スポットがまた一つ減ったよ」
「おまえがさっさと降りてくれば良かったんだ」
悪びれもせずにそんなことを言う聖騎士の男、ローランの爽やかな笑顔を浮かべる顔面を思いっきりぶん殴りたくて仕方ない。
「おれのせいかよ。それよりこれ、どうするつもりなんだ?」
「どうするもこうするも、どうにかするだろ?誰かが」
「ああ、いやだいやだ。人を使うことに慣れた奴ってのは使われる側の苦労ってのをわかっちゃいない」
空を仰ぎつつ嘆いていると、先ほどの音を聞きつけて兵士が駆けつけてくる。その兵士たちにテキパキと指示を出しているローランを置いて、さっさと面倒な用件を済ませてしまおうと教皇の待つ執務室へと向かうとする。
すれ違う者も何人かいるが、本気で気配を絶ったおれを景色の一部としか認識できないため気付かれることはない。もし気配を絶っていなければさぞかし非難や嫌悪感のこもった視線が集中したことだろう。
今回の一件はこれが初めてではなく、月に何度かの割合で最近は頻発している。もともと暗部の人間であり、出自のことでも疎まれている身分からすればこんなことで注目を集めるのはあまり得策ではないのだ。
そのことをローランはわかっているのか?いや、わかっていないからこそ、あんな暴挙を簡単に為せるのだろう。
「まあ、あいつはなんでも勢いで乗り切ってところがあるからな。面倒なことは任せてさっさと行くか」
これ以上、面倒なことが待ち受けているとわかっているからこそ、こんなに能天気に考えることができるのだ。重い溜息を吐きつつ、進むことを拒否している足を無理矢理動かしてその場を後にした。
教会の一番高い塔の頂上付近に教皇の執務室がある。階数で言うなら15階。およそ四十メートルくらいの高さになるだろうか?教会自体が街よりも小高い丘の上にあるので、この辺りでは一番高い建物になる。
エル・アーク教団はこの世界で最大の教会だ。その権力は各国の王すらも凌ぐと言われている。実際、年明けには各国から新年の挨拶をしに使者が送られ、お布施として財宝や食料が送られてくるほどだ。
その教団の最高位である教皇は代々女性が務めてきた。というのも、教皇の資質として神の奇跡として信じられている回復魔法に秀でていることが望まれる。その回復魔法を扱えるものは聖人として教会に迎えられるのだが、その多くは女性なのだ。
なので必然的に女性の教皇が多くなってしまうのは道理だと言えよう。もちろん男性も聖人認定されることがある。その例としては先ほどの聖騎士ローランがそれに当たる。
聖騎士に任命される条件として信仰心に篤く、回復魔法を扱える者であること。また騎士である以上は相応の実力も求められる。その厳しい条件のせいで聖騎士は現在ローランを入れて5人しかいない。ローラン以外の4人はそれぞれ騎士団を率いて大陸に赴き、各国の軍隊と力を合わせて魔族やモンスターと戦っている。
聖騎士は一騎当千という言葉を体現すると言われながら、それでも防戦に徹しているのが精一杯という現状は推して知るべしと言わざるを得ない。
なんて思考が脇道に逸れていながらも体は迷うことなく教皇の執務室にたどり着いてしまう。壮麗な装飾を施された重厚な扉は見る者を圧倒する威圧感を放っている。歴史的な価値だとか宗教的な意味が込められているのだろうが、そんなものに全く興味のない自分からしたら手の込んだ扉だねぇとしか思えない。
気を引き締めるために深呼吸を行い、意識を切り替えたところでノックをすること数回、室内からの返事を確認して入室する。
「セシリア様、異端審問会第二部所属のジョーカー、ただいま参上いたしました」
「よく来ました。先ずはソファーに掛けなさい」
「はい、失礼します」
促されるままソファーに腰掛けると、セシリア様が自ら紅茶の用意をして対面に座られた。最初は恐縮したものだが、今はもう慣れてしまった。
白い湯気が立ち上る紅茶の香りを楽しみつつ、口元だけ仮面の一部を外して舌を湿らせる程度に紅茶を口に含む。うむ、相変わらず美味いなと感想を抱きつつ、体面に座るセシリア教皇へと視線を向ける。
真っ白な修道服に身を包み、袖口や襟などには金糸で刺繍が施されている。首から黄金の十字架を下げており、重くないのだろうかとよく思ってしまう。セシリア様は確か40代を超える年齢とは聞いているが、そうは見えないほど美しい。初対面で同い年と言われれば、疑うことなく信じてしまいそうだ。
「今回お呼びしたのは他でもありません。また貴方に勇者たちの護衛と成長の手助けをお願いしたいのです」
「護衛……ですか。監視ではなく?」
「ええ、護衛ですよ」
にこやかに微笑む表情からはその真意は読み取れないが、およそ自分が考えていることに間違いはないだろう。護衛をするだけなら自分じゃなくともできる。異端審問官であり、生粋の暗殺者として育て上げられた自分に任せられる以上、そういうことなのだろう。
「わかりました。その任務、承ります」
「よろしくお願いしますね。私からは以上ですが、貴方から何か質問や連絡事項などはありますか?」
「そうですねぇ。自分から言いたいことがあるとするならば、やはり彼らのような異世界人を呼び寄せて勇者にするのは反対です。今からでも遅くありませんから、元の世界へ送り帰すことはできませんか?」
「それはできません。彼らには私たちが直面する危機に対しての希望なのです。これは枢機卿団とも話し合って決めたことなのですよ。それとも、貴方は私たちが決めたことに逆らいますか?」
穏和な雰囲気から一転、鋭い視線が突き刺さる。自然と首元のチョーカーに手がゆき、無意識に触ってしまう。これは隷従の首輪であり、その主は目の前に座っているセシリア様だ。彼女の命令一つで自分は死ぬこともあり得ることから、逆らうことなどできよう筈もない。
「そういう訳ではありません。自分はただ、この世界の問題はこの世界に生きる我々の手で解決すべきだと考えているだけです」
「それができないからこそ、彼らのような魔力の多い異世界の勇者にご助力を頼むのです。それはわかりますね?」
「はい、重々承知しております」
何を言っても聞き入れてもらえないことなどわかり切っていたが、それでも遣る瀬無い気持ちが湧いてきて俯いてしまう。セシリア様には今からでも考えを改めていただきたかったが、それも無駄なことでしかなかった。
「それではこれでお話はお終いです。彼らには明日、神器の適合試験を受けてもらうつもりです。貴方の仕事は彼らが神器に適合し、ある程度の基礎訓練が終了してから合流して頂くことになるでしょう」
「わかりました。全力を持って護衛と訓練の任務を全うさせていただきます」
「頼みましたよ」と声を受け、紅茶を一息に飲み干して立ち上がる。その後は特に振り返ることなく、執務室を辞した。
~とある奴隷暗殺者の手記より~
こうして教皇より護衛という名目の監視任務を受けた。この日は勇者である彼らも状況の整理を優先したのか特に部屋から出るようなことはなく、大人しく過ごしていた。
本格的に自分が彼らに関わることになるのはまだ先の話ではあるだろうが、3年前の事件のこともあり、今後自分に何が起こるかわからないのでこうして記録を残しておくことにする。
この世界に無関係な彼らを巻き込んでしまうことには心苦しいが、今度こそ無事に元の世界へ帰れるように手助けできればと思う。また、彼らが自ら「帰る」と言ってくれれば上もその願いを無視できないだろうから、そこに希望を見出せないか検討するとしよう。