~さまよえる白き王子様~
その日の早朝、1人の男が行き倒れ寸前で王都の中を歩いていた。
聖職の身に居る彼は長くつらい修行の旅へ出て、己を心身鍛えに行っていたのだが、
元々体が丈夫ではない彼には、今回の旅はとても過酷なものだった。
彼の名はリハエル・ローザンレイツ。近しいものからは「リイ」と愛称で呼ばれる。
この国の第二王子でありながら聖職の身に籍を置く男である。
「はあ……っ、は……」
そんな彼の綺麗な金髪の髪は、今は薄汚れてくすんでしまい、
澄んだ青い瞳は疲労でうつろになっていた。
せめて供の者でも付けていれば良かったのだが、こと真面目な性格ゆえ、
それでは修行にはならぬと突っぱねたのが、彼の運のつきだったのかもしれない。
いや、それでも故郷の国に、それも王都に戻ってこられただけ僥倖なのだろうが。
けれど、もうすでに足元はおぼつかなく、空腹で視界も悪くなっている有様だ。
そんな状態であるのに、運悪く心優しい人間は通りかからず、
更に間が悪い時に、閑散期でもある肌寒い早朝だった為、誰も街にいなかった。
ああ、腹が空いた。ああ、喉が渇いた。ああ、疲れた。
「だめだ……これでは教会まで持ちそうにない」
ついに男はその場に膝を着いた。ここまで来たのに体力が限界に近い、
石畳の上で少しだけ休もうと、膝を抱えて男は突っ伏した。
覚悟を決めた……つもりだった。
――つんつん、つんつん。
にゃーにゃー、みいみい。
「なんだ……?」
しばらくして、男は先ほどから何かに突つかれているのに気づいた。
もしかすると、鳥が自分の死肉を求めて集まってきてしまったのだろうか。
そんな事を考えて顔を少し上げると、目の前にいたのは……。
「みい?」
「え?」
なんと、はちみつ色の髪の、とても小さな女の子の人形が、
紫色の瞳をぱちぱちして、下から見上げるように男をのぞきこんでいた。
「みいみい、みい~み?(こんな所でどうしたのですか、おに~さん?)」
「に、人形?」
そこに居たのは小さな幼子の人形が立っていた。
ふわふわの金色の髪はゆるやかな巻き毛になっており、白い猫耳を生やし、
白と紫のエプロンドレスに白い猫の耳、ゆらゆらと揺らすしっぽを付けたものが、
こちらを不思議そうに見上げているではないか。
「クウン?」
「白き獣……と、人形? 何かの魔術か?」
その背後には大きな白い獣が、人形に付き添うようにこちらを見つめている。
白い獣は男もよく知っている神の使いだ……すると自分はお迎えがきたのだろうか。
神の使いを従えた人形、そう言えば最近王都でも噂になっていると聞いた。
まさか本当に居たとは……と、よく見れば人形も白い猫耳をしているので、
この者は神が創造した白き眷属かもしれない。
「みいみ、にゃああんみい!(人形じゃないですよお、獣人アニモ―のユリアです!)」
「なんか喋っているような……ああ、幻覚か……」
神が自身にくれた神聖能力で、獣とは会話が出来る彼ではあるが、
今回は流石に気の迷いか、体調の悪さのせいだと思っていた。
とたんに腹がぐううっと鳴り、空腹を訴える。
確か空腹で極限状態になると、人は幻覚を見るようになると前に聞いたことがあるが、
そうか、これがその現象なのかもしれないと、他人事のように男は思う。
「もしや私を……迎えに来てくれたのですか?」
すると目の前の人形……白い猫の耳としっぽを付けたその人形は、
紫色のつぶらなその目を、ぱちぱち、ぱちくりとし、ぽんっと両手を合わせると、
男の周りをくるくる回りながら、こちらに話しかけているようだった。
「あ、こっちの言葉じゃないと、つたわらないの。
えと、大丈夫なの、私こっちの言葉も少し話せるようになったですよ。
おにいさん、おにいさん、おなかすいたです? おやつたべる?」
「ほ、本物!? に、人形がしゃべ……」
するとその人形の目がきらりんと光り、男の言った言葉にピクリと反応すると、
いきなり助走をつけて、男の顔に盛大な飛び蹴りをかわした。
「にんぎょうじゃ、なーの!!」
「ぐはっ!?」
そのまま幼女人形、いえ獣人アニモ―ユリアはくるんと着地。
「……はっ!? つい、はんげきしてしまったのです。
ユリアったらわるい子! めっ! じゃなくて……。
白い服のおにいさん、おなかすいているのなら、
アデルさまのおうちに、おいでなさいませ?」
「アデル……さま?」
「みい! 猫耳アニモ―な私を拾ってくれた、やさしいご主人様なの。
ごはんくれるよ。おやつくれるよ? だからお友達になってほしいの」
「とも……だち?」
「はい、お友達なのでしゅ……じゃなかった。です」
男はその誘いに迷う事もなく頷いた。
この国、ローザンレイツでは白き獣を神聖視する風習があり、
神の使いと言われるために白狼のリファはもちろんのこと、
見ようによっては白猫獣人であるユリアも、その眷属に入ると思われたのだった。
しかし、男は衰弱していたあまりに失念していた。
その友達という契約が、人畜無害そうなユリアと友達になるという意味ではなく、
この子の保護者の友達という意味合いだったという事に……。
※ ※ ※ ※
――それは遡ること、2時間前。
『よし……と、これで、できあがりかなユリアちゃん』
『みい』
その日の朝、後輩メイド2名とユリアが仲良く手掛けていたのは、
ナッツや干した果実をふんだんに使った、ぜいたくなクッキー。
(いいですねえ、おじサマーズはこういう作業は苦手ですから)
焼き上がった甘い香りに上機嫌になりながら、そんな事を幼い姿で考えていたユリア。
先日の勧誘でみごと捕獲? をしたユーディと、その後入ったイーアという二人の少女が、
この屋敷のメイドとして働いてくれるようになって大助かりでした。
何しろ、このお屋敷では男所帯で、女性の働き手が圧倒的に不足しており、
小さな小さな猫耳獣人、それも幼女のユリアでは出来ないことも多かったのです。
『はあ……それにしてもこれだけの材料がそろっているなんて、
やっぱり騎士団長様のお屋敷ってすごいですね。
砂糖も糖蜜も干した果実も高いのに』
『みい、アデルさまは甘いものが好きなのですよ』
長い銀髪のおさげ髪を揺らしながら、イーアは用意した食材を手際よく仕分けると、
ユリアが拙く書き記した手書きのメモを元に、
感心したように今日作ったレシピを見ております。
時折ユリアは、こうしてみんなに作ってほしいものをお願いし、
できあがるものはとても美味しいので、とても驚かれておりました。
『ユリアちゃんすごいですね。こんなに小さいのに、
もしかしてお母さんに作ってもらっていたんでしょうか』
一緒に居たメイドの同僚、ユーディはそう言ってつまみ食いをする。
数種類のナッツが使われたクッキーは香ばしく、口の中でほろりと甘みが広がった。
『なるほど、これがユリアちゃんのお母さんの味なんですね……』
お母さんの味と聞き、同じメイド仲間のイーアの方はしんみりした。
きっとユリアがお母さんを恋しがって、母親の味を求めたんだと、そう思ったのです。
孤児出身のイーアには、母親の味なんていう物には縁がありませんでしたが、
幼いユリアを見ると、早く見つかるよう願ってあげたくなります。
そんなユリアは、幼いながらに色んな料理のレシピを覚えています。
男所帯でレパートリーも多くなかったこのお屋敷は、おかげでバリエーションも増え、
メイドの女の子たちも増えたお蔭で、食事面がかなり豊かとなったのです。
(きっと一緒に作っていたから覚えていたんでしょうね)
せっせと紙袋にお菓子を詰めるユリアを、イーアは見守る。
『(みい、みいみいみ、みにゃあんみいみいにゃ。
(さて、せっかくお菓子もできたし、今日はローディナの所に遊びに行こうかな)』
ローディナは、アデル様のお友達になってくれた(と、ユリアは思っている)、
とても貴重な「人間の女の子のお友達」第1号さんです。
亜麻色のツインテールがとても似合って、可愛らしくて、世話好きで、
ユリアを歳の離れた妹のように可愛がってくれる、優しい女の子でした。
いつかこの屋敷にも、気軽に休日に遊びに誘ってくれるような、
そんな関係になってくれたらいいなと思いつつ、
こうしてお付き合いをさせていただいています。
『みいみいにゃ、にゃんにゃん、みいみいみ。
(という訳で、私はお出かけしますので後はよろしくおねがいします)』
小さいけれど先輩になるユリアは、そう言って二人の後輩メイドに言うと、
二人はユリアの言葉を理解してくれ、笑って送り出してくれます。
『これからお出かけですか? えっと……ローディナさんのお家ですね。
ではお見送りを、え? いらない? リファ様が居るから大丈夫?
……そうですか、では知らない人に付いて行かないようにしてくださいね?』
ユーディにそう言われると、イーアもそろって頷き。
『そうですよ? リファ様とはくれぐれも、はぐれないようにして下さいね?
往来の道では人が多い所もありますので気を付けてください』
『『明るいうちに帰って来て下さいね?』』
『みい?』
……なぜでしょう、一応ユリアの方が「先輩メイド」であるのですが、
二人はしゃがみ込んで、白猫のリュックを背負うユリアの頭をなでてきます。
どう考えても幼子への対応そのもの……ですが、絶賛、幼児の思考回路だったユリアは、
深く考える事もせず、元気に頷いて二人に手を振り、玄関を後にするのでした。
『みいみ、みっ、みっ』
可愛くラッピングしたお菓子はローディナへのお土産、
いつもお菓子やお洋服を作ってくれる、そんな彼女に、
日頃アデル様に会いに騎士団まで来てくれ、自分にまでかまってくれる事への
感謝の気持ちとして渡すつもりでした。
(ローディナ喜んでくれるかな~)
ユリアが玄関を開けてぽてちてと歩き、もうすぐ城下町へ続く道だと思った頃に、
行く先の道端にいた存在に気付いた。
(おや、なにかいる……?)
『みい?』
見れば道に薄汚れた男性が、ぐったりとして座り込んでいた。
いや、倒れる寸前という方がただしいのかもしれない。
膝を両腕で抱えてその上に頭を乗せた男は、近くに寄っても何の反応もない。
背後のリファを振り返ると、ママンは養い子のユリアをそっと脇によせ、
おもいっきり足で、てしてしと踏みつけようとした。
「にゃーにゃー、みいみい(リファ、だめなのです)」
もしかしたら、アデル様のお友達になってくれる人かもしれません。
いえ、それどころか、お友達になりに来てくれた人かもしれないのです。
(つまり、お友達が落ちている……っ!!)
ユリアはそう考えて、ここは丁寧に応対をする事にしました。
そんな訳で仕方なく持っていたお菓子は、その男にあげることにし、
少し元気になった所で、リファに手伝ってもらって屋敷の中にひきずり……いえ、
お誘いしたのです。決して拉致ではありません。ええ、拉致ではないんです。
(だいじょうぶです。もしもハゲたらルディ王子様に相談するの)
最初、強引にお誘いしたから恐怖で絶叫していた気もしましたが、なんのその、
小さなユリアは、実に前向きフルスロットルな性格なのです。
(こまかいこと、気にしないの!)
何せいろんな事は、ものの数分で忘れると言う幼女の特殊能力、いえ集中力の為に、
リハエルと名乗るお兄さんを、アデル様のお友達としてロックオンした後は、
お友達をお屋敷に連れ帰るということだけに集中力を使い、
ささいな問題や事情は、脳内の隅っこでさくっと忘れ去られたのでした。
※ ※ ※ ※
そんなこんなで今に至る。
「おや、ユリアちゃん。もう帰ってきたのかい?」
その後、家の中に招くと、全て屋敷にいたおじサマーズ達が迎え入れてくれた。
そして連れてきた彼を発見すると、お客様として手厚くもてなしてくれました。
薄汚れているから明らかな不審人物だろうに、やってきたこの男に警戒しないのは、
ユリアが連れてきたことで、ほぼ事情を察したのかもしれません。
(あれ? 私、何していたんだっけ?)
「みい、ユリア~ドコイッテタノ~? アソボ~」
「み? はあい」
……しかし、その間に幼児の特殊能力で、すっかり彼を招いたことを忘れ、
ユリアはティアルとお庭で仲良く遊びに興じてしまったのは、ここだけのお話です。
そのうち彼女のことを、「うっかり獣人ユリアちゃん」なんて、
そう呼ばれる日がくるかもしれません。
「ああ……温かい食事に温かい寝床、当たり前の日々がこんなにも愛おしい」
ユリアとの遭遇により、あれよあれよと食べ物や飲み物を出されて、
仮眠室も与えられ、半日ほどの間ゆっくりと休むこともできたリハエル王子は、
屋敷での沐浴もさせてくれたことで、すっかり綺麗な状態になりました。
身ぎれいな男を見て驚いたのは、世話をしてくれていた屋敷の者達です。
その姿は、彼らがよく知るこの国の第一王子様と、面差しがそっくりだったのですから。
※ ※ ※ ※
「ユリア、そいつは誰だ? ライオルディに似ているが……」
「み?」
ユリアは帰宅したアデル様にそう問われて、首をかしげた。
背後を振り返ると、綺麗になった金髪のお兄さんが居るではないか。
幼子の集中力で、アデル様が帰ってきた事の方が嬉しくて、
すっかり今まで、壁の花となっていた彼の存在を忘れていたのである。
「みい、えっとそうなの、おともだちなの」
まだ拙くも、上手になってきた人間の言葉でユリアは説明します。
行き倒れていた男が居て、放っておけなかったから家に招いてしまったのだと。
振り返ってみて、おやどこかの王子様と似ているなと思うユリア、
でもばっちい姿だった為に、よく分からなかったのである、だからユリアは悪くない。
「ユリア……知らない動物にエサを与えてはダメだと言っただろう?」
けれど、流石に人間のお兄さんに勝手に餌を与えたのはよくありませんでした。
人間の世界でも“餌付け”という言葉があるように、
不用意に多種の種族を助けるのは、とてもいけない事とされているのです。
餌付けは下手すると給餌、野生では求愛行為となる場合もあるのですから。
「その後もエサを集るようなのもいるし、伴侶に決めてしまうかもしれないんだぞ?」
保護者兼、獣人としても先輩にもあたるアデル様にこう話されながら、
ユリアは彼の腕の中で深く反省おりました。
「みい……みいみい。(だって……行き倒れていたから)」
「ついつい助けてしまったのか」
「みい」
こっくりと頷くユリアに、アデル様は折れました。
ああ、幼いながらもなんて優しい心を持っている子だろうかと。
このまま真っ直ぐ育ってほしいとは思いますが、人間の世界は恐ろしい巣窟、
出来るのならこの子には、平穏な屋敷の中で過ごしてほしいと思うアデル様でしたが、
まさかその安全な屋敷の中に、使用人以外の人間の雄を招き入れてしまうとは。
そう、ユリアには悪気はなかったのです。ほんの出来心でした。
つまりアデル様はこう思いました。ユリアの優しさに付け込んだ男の方が悪いのだと。
「待ってくれ、誤解があるので話を聞いてほしい。
私はリハエル、リハエル・ローザンレイツ、この国の第二王子だ。
旅先から衰弱していた私は、この方の温情で生き延びることが出来た。
白き御使いの方達と、あなたの使用人達にはとても世話になって感謝している。
どうか怒りを鎮めては貰えないだろうか?」
なんとリハエルと名乗った男は、アデルバードの後見人となってくれた王子で、
ティアルが普段「ハゲ」と言っているライオルディの実の弟だと言うのです。
今の姿を見れば、なるほどと周りは既に勘付いていましたが、
幼い姿のユリアにはそこまで思いつくことが出来なかったのです。
「おうじしゃま?」
「はい」
「おとーと?」
「はい、そして本日からはユリア様の下僕として働きたく」
嬉しそうに弟王子であるリイ王子様は応えます。
「む~……」
しかし、ユリアはこてっと、首をかしげて考える。
どうりで面差しがあの王子様と似ているのかと、ユリアは納得しました。
しかし、同時に心底がっくりしました。アデル様のお友達は一般人がいいのです。
王族の人とお友達だと、何かと面倒なものに巻き込まれそうなので、
ユリアとしては、余り王子様との交友関係を深めるのはお勧めしたくなく、
またしても王子様と聞いて、心底残念に思うのは仕方ないことなのです。
(ラミルスさんは龍族のお仲間だし、人間で普通のお友達が欲しいのに)
ガチャで言うなら、はずれくじを引いてしまったかのような残念感なのでした。
(あれ? ガチャってなんだったかな……まあいいか)
てっきり冒険者の人かなと思っていただけに、
ユリアはアデル様に、お詫びも込めてギュッと抱きつきます。
お友達計画は、なんだかレベルの高いお友達が増えていく気がしました。
(アデル様に普通の人間のお友達を作ってあげて、それで私は、私は……)
――何か、やることがあったはずなんだけど?
考えているうちにティアルに「アソボ~」とまた遊びに誘われたので、
「みい、あそぶ~」
ユリアはアデル様の腕から飛び降りて、
嬉しそうにティアルについて行ってしまいました。
この世界でエンジョイしすぎたせいか、ユリアは当初の目的をしょっちゅう忘れ、
残されたのは保護者であるアデル様と、リハエル王子様のみとなりました。
「それで……ユリアの下僕と言うのは」
「はい、私にとってユリア様は命の恩人、いや恩猫? です。
この救われた命は、きっと白き獣である彼女に仕えよという、
主の思し召しだと思ったので、本日より下僕としてこき使っていただこうと」
「いらん、帰れ」
はあはあ言いながら恍惚な目で話す弟王子に、アデル様はこの時悟りました。
――我が愛し子に、よからぬ虫が付こうとしていると。
「下僕は必要ない、ユリアは俺の娘だ。世話は俺がする」
大事な愛娘に余所の雄を近づけるなんて、もってのほか、
なにより、愛娘であるユリアとの大事なコミュニケーションをする時間を奪われては、
親子の信頼関係まで奪われてしまいます。それも余所の馬の骨に。
アデル様は用が済んだなら帰れと、リハエル……リイ王子様の襟首をつかむと、
玄関の外にぽいっと放り投げ、がちゃりと内側から鍵をかけてしまいました。
さすがは兄であるルディ王子を友に持つアデル様です。
その弟が相手でも容赦はありませんでした。
「みい、アデルしゃま?」
「ユリア、友達は選んだ方がいい、あれはダメだ。ほら、バイバイしなさい」
「みい、みいみい……(お友達、バイバイなの)」
ユリアは言われるままに、ドア越しにバイバイと手を振ってお別れします。
けれど、ドアの向こうで「待ってください、どうか話を聞いてください」と、
切羽詰まった声が聞こえたりもしましたが、ユリアはアデル様に抱っこされ、
玄関から引き離されましたが、律儀に声が聞こえなくなるまでバイバイをしました。
「ユリアはよく人間を連れてくるが、
いつかそれで危険にまきこまれなければいいが……」
「み?」
別の物語、別の時間軸ではそんな可能性もあったかもしれませんが、
ここは平和なローザンレイツ、幼いユリアが危険に遭うことはありませんでした。
「ライオルディの弟は聖職者だと聞いたことがある。
以前からリファが白い獣の眷属だからと、
教会側が保護するからよこせとも言われていてな、
まあリファが嫌がっていたから事なきを得ているが、
ユリアまでここに居る今、保護するとか言ってこなければいいが」
「みい!?」
引き離されると聞いて、ユリアはぎょっとしました。
慣れ親しんだこのお屋敷の皆とお別れして、
知らない所に連れて行かれるのは、ユリアにとって恐怖でしかありません。
だから、ぷるぷると震えて、アデル様にがしっとしがみ付きます。
「みいみい、ここからはなれるの、やなの、いやなの、アデルさま」
「ああ、大丈夫だユリア。君は俺の大事な娘だからな、教会になんて渡さない、
俺達がここで大事に育ててやるからな」
「ガウ」
こうして神の僕であり、聖職者である第二王子、リハエル・ローザンレイツ王子と、
異邦人であるユリアはファーストコンタクトを済ませたのでした。
実はこの弟王子様には、特殊な能力を持ち合わせておりましたが、
出会ったユリアが余りにも幼くて小さく、そして何より白き獣の眷属だと分かった為、
何があっても「神の思し召し」と即判断したせいで、
彼女を世界の異物とすら思わなかった彼は……。
「これは今後もお近づきになるべく、励まなければ」
彼 もまた、ローザンレイツの国民性でおとぼけな思考回路だったせいか、
ユリアはそんなこんなで、彼女がよそ者と気づかれることなく、
今日も元気に、保護者の周りでのびのびと平和にすごしておりました。
しかし、リイ王子様に出会ったことで、彼が時々「供物」と称し、
白き眷属のユリアとリファに餌付けを試みているのを見て、
アデル様は青筋を立てて睨むことがふえたのは、ここだけのお話です。
「どうぞ水菓子です。お納めください、ユリア様」
「アデルさまとリファが、知らない人からもらっちゃだめいうのよ?
……あれ? リイ王子さまはもう知り合いだからいいのかな? み?」
「ガウガウ!!」
「だめだ。あと、お前は早く帰れリハエル!」
……ローザンレイツは今日も平和です。