ユリアのお茶会
いつものように、ユリアがアデル様に引っ付いて、
共に騎士団本部内にある執務室へやってくると、
机の上に小さな箱を置こうとする、同僚であり龍仲間のラミルスの姿があった。
「……ラミルス来ていたのか」
「ラミスしゃん、おはようございましゅ!」
拙くもユリアはそう言って、覚えたての人間の言葉であいさつを交わす。
どうですか? 私でもきちんとあいさつ出来るんですよとアデル様を見上げれば、
アデル様はユリアの頭をなでて褒めてくれました。
「お、おはよう。ユリアは小さいのに人間の言葉を覚えたのか、えらいな。
お前の保護者にも、そんな礼儀正しさを見習ってほしいと思うよ、うん」
制服の上着ポケットから顔をのぞかせているユリアの頭を、ラミルスはなでてくる。
子ども扱いされているのが、少々複雑な乙女心のユリアではあるが、
褒められて悪い気はしないものだ。見た目は小さな幼子にしか見えないのだから。
「みにゃあん」
だから、ついついご機嫌な声を上げてしまう。
「ラミルス、これはどうした?」
「ああ、さっき騎士団に来る途中で届けてくれって頼まれてさ」
ユリアが見るとそれは小さめの箱で、白地にピンク色の花柄模様の包装紙、
淡い紫のリボンで綺麗にラッピングされている。
おお、つまりこれは贈り物ではないですかと、ユリアは目を輝かせた。
(おともだち? おともだちできたの? アデル様)
「……ライオルディからか」
「みい? ルディ?」
アデルの肩に乗っていたティアルがその名に反応し、
彼が手に持つ包みの周りを飛ぶ。その眼は期待にキラキラと輝いていて、
それだけで、ティアルの嬉しいことというのは、こちらにも伝わってくる。
「みい、ルディナノ」
鼻でくんくんと匂いを嗅いだティアルは、嬉しそうに箱をぽんぽんと叩く。
どうやらティアルとも知り合いの人物らしい。
「みい?(ルディ?)」
「俺の友だ」
アデル様はそう言って包みを解く。
友……つまり、やはり人間のお友達ですよね。
なんということでしょう。アデル様には既にプレゼントをくれるお友達がいるようです。
しかもこんな花柄の可愛らしいラッピングを見るに、相手は女の子でしょうか。
ユリアは期待に胸を膨らませて箱の中身を凝視します。
今日はお赤飯……は無理だから、他の祝いの品を用意しなくてはと、
きらりんと目を輝かせるユリア。
(女の子のお友達が出来たのなら、これはぜひお屋敷にお招きせねば)
屋敷に帰ったら、すぐにおもてなしメニューを考案しなくてはいけませんね。
「……」
「なになに? 何を貰ったんだ?」
無言のアデル様の横からラミルスが覗き込むと、
そこにはレースをふんだんに使った、小さな小さな菫色のドレスがあり。
おそろいの生地で作られた帽子、皮で作られた靴まで入っていました。
「……ユリアにだな。これは」
「わ、これは手が込んでいるな。こんな小さいの作るの大変だったろうに……。
ほら良かったなユリアにだってさ。ドレスのプレゼント」
ドレスを持ち上げたラミルスはそう言いながら、ユリアにどうぞと差し出してくれる。
小さいとはいえユリアもれっきとした女の子、それなりにおしゃれ心はあるもので、
新しいお洋服がもらえると知って、思わず目をキラキラさせたものの、
ユリアははっと我に返り、伸ばしていた両手を引っ込めた。
「ユリア? どうしたんだ?」
急にしょんぼりしたユリアに、ラミルスは頭をなでて問いかける。
「みい、みいみい(知らない人から、物をもらっちゃいけないのですよ)」
そう、ユリアは小さいが、中身はそれなりに教育と躾を受けているのだ。
何しろ彼女は元女子高生兼、声優を務めていた女の子。
最近の平和ボケで、すっかりそのことを本人は忘れていたが、
物事の分別をしなければいけない時には、こうして我に返るのだった。
(こんなちっちゃな幼女相手にプレゼントなんて、早々できることじゃないもの)
……と、思いましたが、最近知り合った人間の女の子のローディナは、
そう言えば手作りの洋服を、よくプレゼントしてくれているなと気づきました。
なんという事でしょうか、既にユリアはローディナに懐柔されていたのです。
(だってだって、ローディナはおやつもくれる良い人なんだもん!)
やはり幼子の思考回路に引きずられるユリアは、なんだかんだで手懐けられているのでした。
しかし、彼女には悪意のある様子は見えないので良しとするとして、
この場合はどう対応するべきだろうか、彼のお友達というなら下手な対応はできないが、
そのお友達ははたして、アデル様にとって良い人と言えるのだろうか……。
などとユリアがそこまで悩んでいることを、
目の前のお兄さん達は気づきようもありませんでした。
「おー小さいのに、そんなことまで知っていて偉いなあ。
でもくれた人は怪しい人ではないから大丈夫だと思うぞ?
これはこの国の殿下、つまり偉い人から送られた品だからな。
突き返すのも失礼になるだろうから……ってこんな難しいことは分からないかな」
「みい」
それだけで十分怪しい……なんてユリアはちょっぴり思っていましたが、
黙っていた方がいいなということで、黙っておりました。
「殿下はな、こいつの後見人、簡単に言うとこの国での親代わりになっているんだよ。
たまにこうしてアデルバードに菓子とかの贈り物をしてくれるんだ。
だから別にユリアが気にしなくてもいいと思うぞ?」
「み、みいみいにゃ(わ、賄賂を受け取ったということにはませんか?)」
「わ、賄賂って……ユリアはまたいけない言葉を覚えて。
まあ、それは大丈夫だとは思うけど」
なんということでしょう。アデル様には殿下とお友達だったようです。
殿下という事は、このローザンレイツの王族、王子様であることは間違いないようです。
人間のお友達、女の子じゃないのはちょっと……かなり? すっごく残念ではありますが、
アデル様がぼっちなうな生活を、全力でエンジョイしている訳ではないことに、
余計なお世話と思いながらも、ユリアは内心ホッとしておりました。
この際、男の人でもいいでしょう。
(ん……あれ? でもこれどこかで、そんな話を聞いた気がするような?)
脳裏に一瞬思い浮かんだ元の世界での僅かな記憶、
でもそこでもやはり、幼児としての思考回路で吹き消されました。
小さい子の集中力は持って1、2分が限度、ユリアはそんなわけで、
真面目な考えが長時間続かないのです。
(ま、いいかな)
思い出せないということは、どうでもよい事なのでしょうと、あっさり放棄。
しかしここで更にある事に気づきます。殿下のご友人という表向きの立場である以上、
ますますアデル様の身辺は、しっかりしなくてはいけないのでは?
独身で高給取りの職種を持つアデル様、しかも外見はイケメンとイケメンボイス。
これは……よっぽどの悪評がない限り、悪いお姉さんに狙われやすい人材です。
だから小さな両手をぎゅっと握りしめて、ユリアは決意しました。
(よし、悪いお姉さん方を遠ざけつつ、評判のよさそうなお嬢さんのお友達を作ろう!)
アデル様のイメージアップ大作戦を急がなくてはいけないと。
強く強く決意した瞬間でもありました。えいえいおー。
「なんか……ユリアがぶつぶつ言っているけど大丈夫か? アデルバード……って」
「……」
「おいどうしたよ」
「贈り物をくれたのだから、この礼はするべきだろうか。
……が、これはユリア宛てだ。まさかライオルディは幼いユリアに求愛を?」
もしもそうならば、父としてそれ相応の対応をせねばならないのでは。
「あいつは幼女趣味でもあったのか、そうかそうかユリアまで狙っていたとはな」
アデル様は思いつめた表情でいつも腰元に下げていた剣の柄に触れ、
それをゆっくりと鞘から……引き抜こうとした途端に、
隣にいたラミルスによってばっと阻まれました。
「うわあああっ!! まてまて!! 流石にそれはないからきっと!」
「だがあいつの女癖の悪さは俺も聞いている。ユリアが狙われていたらどうするんだ。
確かにユリアは愛らしいが、まだ幼く、守ってやらなければならないほどに儚い」
「流石に殿下も、ユリアに手を出すほど女に飢えてはいないだろうよ。
こんなに幼くてちっちゃいんだぞ!?」
「みい?」
「ああ、だから可愛い」
「それは分かってるから!」
とりあえず話を付けるのは、まず仕事が終わってからだなと判断したのか、
アデル様は本日の鍛錬の為に、剣を片手に建物の外の中庭へと出かけていき、
ユリア達アニモーズは仲良くお見送りをした後、お部屋の中で仲良くじゃれつく。
アデル様が「帰るぞ」というまで、本日は自由時間なのです。
ですが、ティアルは箱から嗅ぎ取ったルディ王子の事が気になるのか。
「みい、ルディ……」
しょんぼりと箱を見つめておりました。
そう言えばティアルは、ルディ王子様に「ハゲ」と伝えてから城に帰っていないのでしたね。
ユリアはそんなティアルを見て、じゃあ今から会いに行こうか? と提案してみました。
アニモーズはみんな仲良し、そして困った時は即実行なのです。
「(リファもいい?)」
「クウン」
仕方ないわねと言いたげにリファはユリア達を咥えると、ポンポンッと背中に乗せ、
いざ目指すはローザンレイツ城となりました。上に乗った子猫たちはみいみい鳴いて、
お母さんのリファから落ちないようにと、しっかりとしがみ付きます。
しかし、ユリア達は幼いゆえにすっかり忘れていたのです。
「ひっ!? 人形が動いて……」
「おばけ、人形のお化けよっ!!」
「こ、これが噂に聞く呪いの人形か!!」
「ひいいいっ!! 誰か、近衛兵――っ!!」
見慣れない子猫獣人のユリアの姿を見て、ここでもやはり同様の騒動が起きました。
人形が怨念を持って蘇り、城にまで侵入した。魔導師の結界も難なく通り抜けた。
それも大陸でも神聖な生き物とされる、あの白い獣まで従えているとなると、
誰も迂闊に手を出せないばかりか、余りの恐怖で泣き出す者も居て、
ユリアはぷくっと頬を膨らませて怒っておりました。
「ちがうのー!」
そう、ユリアが覚えたての人間の言葉で否定すると。
「ひいいいっ!」
腰を抜かせた使用人が腰を抜かして逃げ出す始末。
「みいい!(しつれいなの!)」
せっかく人間の言葉を覚えてきたのに、この容姿の弊害は未だに治らず。
これは普通の人型になれるよう、要修行しなければと考えるユリアでした。
しかしそんな決意もやはり数分立つと忘れてしまうのはお約束。
真面目な内容ほど、ユリアはすっかり忘れていくようです。
それがユリアの精神状態を保つためにも、大事な事ではあるのですが……。
勿論、そんな事を当のユリアは気づいておりません。
ゆらゆらとリファの背に乗せられて、すっかり心地よくなってしまったので、
そのままこてんと倒れこみ、リファの背の上でお昼寝モードに突入します。
……お子様の睡魔は、ある時にいきなり来るものなのです。
そしてすぴすぴとユリアがお昼寝をして、1時間が経過していきました……。
※ ※ ※ ※
「――み?」
ユリアが目を覚まして体を起こすと、自分はお花畑の中におりました。
眠っていた所は花弁が集められ、心地よいベッド代わりになっていたようです。
辺りにリファ達は居るのでしょうか? しきりにみいみい鳴いて呼んでみれば、
リファの鼻息が聞こえ、ユリアの居る場所をかき分けてリファの顔のどアップが。
「りふぁ」
「クウン」
ユリアが嬉しそうに両手、もとい両前足を伸ばせば、
リファも嬉しそうにしっぽを揺らして、ユリアを抱きしめてくれます。
「おめざめ? おちびさん」と言いたげに、リファは彼女の頬をぺろりとなめる。
置いていかれた訳じゃなくて、ここで寝かしつけられていたようです。
それも人の目に行かないように……。
ほっとしたユリアは、ここはどこかとリファに尋ねました。
「クウン」
リファがくいっと顔を向けて、「あっち」と教えてくれると、
ユリアはリファの背によじ登り、指示された方角を見てみる。
そこには庭園の一角にテーブルを並べて、ティータイムをする一人の青年の姿があり、
彼の傍には、嬉しそうに鳴いているユリアの友達、ティアルの姿までありました。
「てぃある」
人間の言葉でティアルを呼ぶと、ティアルは耳をぴくっと動かしてこちらを振り返る。
「みい? ユリア」
「うん? ああ、お友達が起きたんだね。おはよう、よく眠れたようだね」
それはとても見目美しい青年の姿でした。髪は肩まで流れるように真っ直ぐな金色の髪、
海の色をたたえたような青い瞳に、透き通るような白い陶器を思わせる肌をしたその人は、
どうやらティアルがとても懐いている人のようで、
しきりに彼にお話をしているのだった。
「みい、デネ、ティアル、イッパイボウケンシタノ」
「ふふ、そうかティアルもそんなことができるようになったんだね。
そこにいる子達もおいで、私のティータイムにようこそ。歓迎するよ。
甘いものは好きかな? ああ、リファは久しぶりだね元気だったかい」
「ガウ」
「うん、そうか。アデルバードもその様子なら元気そうだね」
「……」
ティアルもリファも知り合いのようだ。
そろそろと近づいて顔を見上げてみる。どこかの貴族のお兄さんだろうか?
こんな所で一人でお茶をしているなんて……お友達が居ないのだろうか?
そうかそうか、アデル様と同じぼっちなう仲間なのかもしれません。
ユリアは同情的にうるっと瞳を潤ませて、彼の手を取った。
「ん? どうしたんだい?」
「みいみい、みいみいいみい。
(アデル様とお友達になれば、寂しくないですよ)」
ぼっちなう同士、仲良くなれるかもしれません。
ここは早速執務室にご案内して、仲良くなって貰いましょう。
ユリアは「こっちです」と手を引こうとしたら、目の前の青年にくすくす笑われて、
蜂蜜色をしたユリアのふわふわの頭をそっと撫でてきます。
「私はもう彼とは友人関係なんだよ。小さなお嬢さん」
「み?」
「それはそうと、プレゼントは喜んでもらえたかな?
アデルバードの瞳の色に合わせて選んだものなんだが」
なんと、アデル様のお友達になってくれたのはこの人だったのか、
そればかりか、プレゼントまで用意してくれたことをすっかり忘れていた。
だからスカートの両端をつまんで、ちょこんとお辞儀をする。
「みいみいみ、みい。(お洋服、ありがとうございました)」
人間の言葉ではまだ覚えていない単語なので、猫語で話すユリア。
伝わるかなと思っていたけど、どうやら頷いているから伝わっているらしい。
そういえば……先ほども会話が成立していたような気がするが。
そんな事を思ったユリアだったが、やはり子供、すぐに集中力が切れて、
目の前のお菓子の山に目を輝かせていた。
「ああ、よければ君もどうぞ。可愛らしいお客さんが来てくれて私も嬉しいよ」
「みい?」
見ればティアルもリファも、既にお菓子をいただいているではないか。
ならばいいのかなと思って、小さな手でお菓子へと……伸ばそうとして止めた。
「みいみい。みい。(アデル様に、メッってされちゃうの)」
そうです、今の保護者はアデル様、リファも居ますが正式な保護者はアデル様なんです。
彼の不在に勝手におやつを貰ったなんてことになったら、怒られてしまうかもしれません。
余りおいたをしても、怒られることは滅多にないユリアですが、
本当に怒ったら怖い事を知っていました。だから、ここはじっと我慢します。
ユリアはこう見えて中身は分別の分かるお子様なのです。
何度も言いますが中身は18歳の女子高生だったのですから。
そう、ユリアはそれだけはちゃんと覚えているのです。
それにしても、ティアルは彼のことをハゲと言っていた気がしますが、
サラサラの金髪をどう見てもハゲているようには見えません。
ちょこちょこと彼の周りを歩いて顔を見上げるユリアに、目の前の青年は自己紹介します。
「ご挨拶がまだだったね。私はライオルディ・ローザンレイツ。
気軽にルディと呼んでくれて構わないよ……と言っても君には言いにくいかな?
一応この国の第一王子なんだ。あ、王子って分かるかな?」
「みい」
こっくりと頷くと、目の前のルディ王子様は嬉しそうにほほ笑んだ。
「そうか、君はかしこいんだね」
なにせ中身が女子高生ですから、という訳にもいかず、
ユリアはえっへんと胸を張って得意げな顔をしました。
「――ユリア! ここにいたのか!?」
「みい?」
そこへ慌ててやってきたのはアデル様、ユリアの現在の保護者でした。
どうやらリファの影を使ってここへたどり着いたらしく、
腰元に下げた剣の柄に手を掛けて近づいてくるアデル様に、
ユリアは両手を広げてアデル様に抱っこをせがみます。
「あでるしゃま、おかえりなさ~い」
「ああ、ただいま、ユリア。部屋に居ないから心配したぞ」
抱き上げてくれたアデル様に、めいっぱいしがみ付くユリア。
その時ユリアは喜んでいました。大好きなアデル様にようやくお友達ができたのです。
人間の女の子じゃないのはやっぱり残念ですが、ここはまず第一歩でしょう。
友達100人できるかな計画は順調のようです。
「やあ、アデルバード、久しぶりだね」
「お前がユリア達を連れ出したのか?」
「いいや? この子達の方から私に会いに来てくれたんだよ。
それにしてもアデルバード、子持ちになったという話は聞いていたけど、
まさかそんなに愛らしい子だとは思わなかったよ。
プレゼントはお気に召して貰えたかな?」
「……ユリアが、知らない者からは受け取れないと言っていた」
「おやおやそれは……ずいぶんと警戒されちゃっているね。
でも、もう知り合いになれたから大丈夫かな?」
じっと見つめてから、ユリアはこくりと頷きました。
アデル様とのやり取りを見るに、悪い人には見えません。
ここは素直に受け取っておくべきだろうと思いました。
そうしてアデル様も迎えて、みんなでしばしのティータイム、
ユリアは彼の制服の中に納まって、ちらちらとアデル様とルディ王子様の髪を見比べます。
「その子は、君の黒い髪が珍しいものだと知らないようだね」
「ああ、そうだな」
「みい」
ユリアは次に自分の髪とルディ王子様の髪を見比べます。
同じ金髪の人だ。髪の手入れはどうしているのかな……などと考えていると、
その様子に気づいたルディ王子様は、ああ……と何かに納得したように見せた。
「アデルバード、君に一つ提案があるんだけど」
「なんだ」
「その子、よければ私が育てようか?」
「みっ!?」
「ほら、髪の色も君とその子は違うから親子としては違和感があるだろう?
その子も不思議に思っているようだし、私の方が分かりやすいだろう。
という訳で……さ、こっちにおいで、新しいパパだよ?」
……パパ?
その瞬間、ユリアの涙腺は崩壊した。
「みにゃああああんっ!」
「ユ、ユリア落ち着けっ! ライオルディ何を言うんだ」
「いや、同じ毛色の方が、その子も落ち着くかと思ったんだが。
他の種族の保護も私はやっているからね。ティアルもそれで預かっているのだし」
そのまま、のんきにカップを傾けるライオルディ。
ユリアはアデル様と引き離されてしまうのかもしれないと思い、
小さな手でしっかと制服を握り締めて泣いておりました。
アデル様と離れるという事は、リファやお屋敷のみんなとも会えなくなります。
それが見ず知らずの世界に放り出されたユリアには、相当なストレスとなりました。
ユリアの声に慌てて顔をあげたリファがこちらへ近づき、ユリアの顔を舐めてきます。
が、ユリアは泣いて震えておりました。
「みっ!? ユリア、エンエン?」
するとそれを見て、びっくりしたティアルまで泣き出します。
リファは慌ててティアルを咥え、くるんと自分のお腹で包み込み顔を舐めてやりました。
小さな子猫たちの泣き声の中、ルディ王子様はおやおやとお茶の入ったカップを傾けます。
「ユリアは俺の娘だ。お前には嫁にやらん」
「別に嫁に欲しいわけじゃないんだが」
「いいや、俺は知っている人間の世界では自分の嫁になる娘を育てたがる者が居ると」
きっとユリアもそのつもりなんだろうと思ったアデル様は、
この件は終わりだと言いだし、席を立ちあがりました。
その時、ユリアはパニックのあまりこんなことを叫ぶ。
「はげ、いやなの――っ!!」
「……」
「……はげ?」
城の庭園に響き渡る幼子の絶叫。
その後訪れる無言の静寂、あっとユリアが我に返った時には既に遅く、
顔を真っ赤にしたり青くしたりしたかの人は、自分の髪を掴んでこう叫んだ。
「まだハゲてないよ! これは地毛だよ!!」
……なんだ地毛だったのか、ユリアは安堵しました。
が、王子様相手になんてことを言ってしまったんだろうと、あわあわすると、
ティアルがリファの懐から顔をだし、ルディはハゲなの、ハゲるの、いつなの?と、
きょとんとした目で訪ねてきていました。
「その歳で、鱗も毛もないとは大変だな。ライオルディ」
どうやらアデル様もハゲ疑惑を抱いていた様子。
憐みの目で彼を見、リファも彼を同じような目で見ている中、
ユリアはすっかり自分の言ったことを忘れて、アデル様にじゃれておりました。
幼子とはそんなものです。思いっきり泣いた事ですっきりとして、
肉体年齢の作用には刃向えない手前、
ユリアはお子様街道を全力で突っ走っておりました。
ルディ王子様が、ハゲ疑惑をどうにか弁明しようと立ち上がりますが、
「さあ、ユリア……そろそろ屋敷に帰ろう」
ユリアは、ハイッと手をあげてお返事をします。
お屋敷では皆が帰りを待っています。こうしてはいられません。
こう見えて、ユリアは小さな可愛いメイドさんなのです。
「え、ちょ、ちょっと待ってくれたまえ」
動揺して引き留めようとする王子様にお別れを告げると、
そそくさとアデル様はリファ達を連れて、自宅へと帰る事にしました。
のちにルディ王子様は、アデルの執務室にも遊びに来ることもありましたが、
ユリアは忘れてしまっても苦手意識が出来てしまい、彼が来るたびに警戒し、
リファやアデルの背に隠れるようになりました。
「ほらほら、おいで? 私は怖くないよ?」
「ふーっ! みにゃあああ!」
「……やはりユリアは、俺の方にお父さんになって欲しいようだ。残念だったな」
「アデルバード、それはどうかと思うがね?」
王子様がこの小さな女の子と仲良くなれるのは、まだまだ先の事になりそうです。