もう一つの世界で
その日の昼食時、保護者のアデルバードはユリアと昼食を共にしていた。
忙しい仕事の合間に娘と過ごせる貴重な時間なので、
アデルバードは優しい眼差しで娘の成長を見守っておりました。
「ユリア、こぼしているぞ」
「みい……?」
しかしすでにユリアは、こっくりこっくりと頭を上下に揺らしている。
話しかけても、もうまともな返事も返ってこないようだ。
きっと相当眠いのだろう、子どもの眠気は急激に来るものらしい。
手に持った特製のミニミニフォークをぎゅっと握り締めたまま、
ユリアはそのまま、くう……と眠りに入ってしまった。
「これ以上は無理か」
そう言って寝かそうとするものの、ユリアの成長は芳しくない。
身長も体重も変化がない所を見るに、栄養が足りていないのではないか。
好き嫌いはないから、食事の時に寝落ちしてしまうのが原因かもしれないと、
アデルバードは足りない分を、眠っているユリアに給餌することにした。
――そして、事態は急変した。
※ ※ ※ ※
「ラミルス、大変だ!」
その数十分後、アデルバードは同僚であり友のラミルスの元をたずねた。
ドアからではなく外の窓から来たあたり、相当、見境がないと思える。
最近はようやく人間らしく振舞えるようになってきたと思ったのに、
まだ奴は野生の習性から離れられないようだ。
いったい今度はなんだと、ラミルスは声がした方向を振り返りながら、
手に持っていた紅茶入りのカップを傾けた。
「んー? なんだよ、いつも窓から入って来るなってあれほど……ぶーーっ!?」
ラミルスはせっかく口に含んだものを、盛大に窓めがけて吹いた。
ここは3階だぞと、アデルバードに言う前に凍りつく。
振り返ったラミルスは、とんでもないものを抱えている友の姿を見た。
なんと、アデルバードは肩に気を失った人間の少女を担ぎあげていたのである。
それも奴は動揺のあまりに龍体になっており……。
その様子から見て、どうやら無理やり何かをしでかしてしまったようだ。
「な、なななななー!?」
「どうすればいい、どうしたらいいか分からない」
「いや、その前にその娘どこから連れてきた!?」
慌てて周囲に目隠しの魔法を掛けてアデルバードを中へと引きこむ。
「と、とりあえず人化しろ。その姿だと目立つし窓が壊れる。
服を貸してやるから急げ!! 人目に付いたらまずい!!」
「ん、ああそうだったな」
見ると担がれている少女は、アデルバードのマントにぐるぐるに巻かれていた。
まさに、す巻きの状態、その表現がぴったりくるのではないだろうか。
その隙間からむき出しの白い肩や、胸の谷間、手足が見えている。
見た感じ、もしかして下には何も着ていないのではないか?
「お、お前、まさかついにそこまで見境なく……っ!?」
蒼黒龍は今や絶滅危惧種、その生き残りがアデルバードだ。
純血種でなくなっても、他の種族に自分の子を産ませようとでも思ったのだろうか。
助けてくれも何もない、その辺のお嬢さんを衝動的に襲ってしまったのなら、
騎士団でもこの不祥事はどうしようもない、むしろ重大な処罰対象だ。
自分の監督下、それも在任期間中でこんなことが起きて、
ラミルスは全身から血の気が引いた気がした。
「――厳罰……いや、俺も巻き込まれて処罰対象だろうな」
(人間嫌いだから、流石にこういう事はないだろうと思っていた俺が甘かったか!!)
世間一般から見ても、守るべき国民を騎士団のそれも団長が襲った形になる。
どうあっても言い逃れが出来そうにない案件だ。
「どうやってって……隣にある、俺の執務室からに決まっているが」
「は?」
「娘の成長がよくないから、もしや栄養が足りないのではと、
寝ている時に給餌してやったらこうなった。
食事中になると、いつも途中で眠くなってしまうようでな」
これのどこが、栄養不足になっている娘なんだよと見つめてみれば、
マントの隙間から、豊かな胸の谷間が少しだけ目に映った。
「じゅ、充分に育ちまくっているお嬢さんだと思うが?」
こほんと咳払いをしてごまかすと、この問題に向き合うことにするラミルス。
「……そ、それでこの娘、口に肉を咥えたままなのかよ」
そう、気になるのは胸じゃなくて口だ。
気を失っている娘の口には、なぜかさっきから肉の切れ端が挟まれていた。
(なんてシュールな姿なんだよ)
服も着ていないようだし、なんでそんな状態の娘をと思っていたんだが。
どうやら目の前の男が食べ物を与えたらしい。
「ちょっとまて、給餌? お前、その子を花嫁にしようとしているのか?」
「いや……子育ての意味での給餌だが?
肉を食わせてやっただけでユリアが人型になるとは思わなかった。
今まで食べさせてやっていたが何もなかったのに……俺も混乱している。
俺の強い魔力を受けて、作用してしまったのだろうか?」
「は!? この娘がユリア、あのおちびちゃんか!?
た、確かに顔とか髪は似ている気がするけど……」
「ああ、突然大きくなって服が駄目になってしまった。
仕方なく俺のマントで代用してみたんだが」
「せめてもう少し何か着せてやれよ。可哀想だろ」
グルグル巻いて、す巻き状態にされた娘は現在床に転がっている。
ベッドとかソファに運んでやれよと言いたいが、ここは副団長の執務室だ。
そうするとまず、この部屋の主である自分の方が疑われてしまうではないか。
そうラミルスは思った。
この現場を事情の知らないものが見たら、
気を失う娘に、良からぬことを企む男達にしか見られないだろうし。
「しっかし、これがユリアねえ……」
薄らと色づく頬と唇、閉じたまつ毛は長く僅かに震えており、
真っ白な肌に整った顔立ちを見て、ユリアは人型になると結構可愛いと言うのが判明した。
年齢的に言って、15~16歳ぐらいだろうか?
(な、なに赤くなっているんだよ俺は)
元はあの幼い女の子だぞと、ラミルスは自嘲気味に視線をそらした。
そんなユリアは眠りながらむにゃむにゃと、口元を動かし、
咥えられたハムを寝ぼけて食べていた……器用な子だな。
「寝る子は育つと言うが、こんなに一気に育つとは思ってもみなかった。
着るものと寝る場所を、早く用意してやらないとな」
今までは、何度か完全な人型になるように練習させてきたアデルバード。
獣人の先輩として、獣の特徴を隠す高位な変化能力は幼女のユリアにはまだ難しく、
これまで何度も挑戦するものの、頭の猫耳を消す事しかできていなかった。
『ユリア、まずは耳としっぽを始終隠せるようにしないとな』
『みい、み~?』
集中すると、ちゃんと隠れるようにはなったのだが、
その後、ふーっとユリアが息を吐くと、隠していたはずの耳がぴょこっと現れた。
それゆえ、これほど完成度の高い人型になれたことなどないのだ。
「……まてよ、肉を食わせてこうなったのなら、
同じ事をしてみれば元に戻るんじゃないか?」
試しに寄宿舎の厨房から、残りのハムや干し肉を持ってきて、
ユリアに咥えさせてみた。
だが、ユリアが苦しがって、寝ながら泣き出してしまった。
怖い夢をみさせてしまったかもしれない。
「みい、みいいい……っ!」
「だめだ……娘にこんな非情な真似、俺はもうできない」
「おまっ!? 俺だけ悪もんにするつもりかよ、おい!」
獣人がこれほど急激に成長するケースは聞いた事がない。
ましてや相手は猫獣人の子ども、情報が少なすぎる上に自分達は専門外だ。
それゆえに、結局アデルバード達は解決策が見つからず。頭を抱えた。
「そもそも、独身で実の子も居ない俺達が問題解決するのは難しくないか?」
「そうだな……」
結局、解決策が見つからずにユリアをアデルバードの寝室へと運び直し、
彼の着替えを代わりに着せてやることにしたのだった。
※ ※ ※ ※
その頃、ユリアは森の中で天白狼のリファに見つけられる前の、
あの頃の出来事を夢で見ていた。
うつらうつらと頭を上下に振りながら眠っていたユリアは、
がくりと頭が揺れて、驚いて目を覚ました。
『……みっ?』
目が覚めるとそこは、ごとごとと揺れている大きな箱の中で、
目の前には見知らぬ若い人間の男が居て、腕を組んでうつむいて寝ている。
それでここが人間の馬車の中に乗せられているのだと分かった。
ユリアは大きな大きな緋色のクッションにちょこんと座らされていた。
どこもかしこも作りが大きく、ドアや窓もユリアが使うには大きすぎる。
その為、今、どの辺に居るのか窓の外を覗きこむことすらも出来なかった。
『……みい』
寝ている男は、やたら煌びやかな装飾の施された白い制服のような物を着ており、
はしばみ色の髪をした男は後ろに一つに結んでいて、
今は前髪で隠れて顔はよく分からない。どこかの聖職者だろうか?
どうやらこの揺れる馬車の中で熟睡しているようだった。
目の前の男は、小さなユリアが目を覚ました事も気づかずにいるので、
ユリアは遠慮なく、きょろきょろと辺りを見る。
……周りには他に誰も居なかった。
(私、これからどうなるんだろう?)
ユリアはこの数時間前、幼子の姿になって森の中に倒れていた。
自分が声を演じた子猫獣人のヒロインのユリアとして……。
いわゆるマスコット系ヒロインだ。
これは本編の攻略キャラクターをクリアした者のみが楽しめる追加シナリオ。
結理亜は主にメイドヒロイン「ユリア」という人間の女の子の声を演じていたが、
ゲームの仕事では、それとは別におまけでガヤや脇役の声を兼任することがある。
今回の場合は、メイドヒロインのユリアのルートをクリアーすると、
ユリアが猫獣人化したバージョンのものが楽しめるようになっていた。
ただし、幼女化しているので思考も退行していたり、設定も変わっているので、
本編でのユリアの情報はあまり役に立たなかったりする。
(よりによって……なんで、特典仕様なんだろうなあ)
声を務めた事はあるが、それでこんな状態になったとは思い難い。
訳も分からないまま、子猫獣人ユリアとしての生活を余儀なくされた。
『ここ、どこだろう?』
そうして気づけば見知らぬ森の中に立っていた。
そんなユリアを見つけたのは、
森の奥深くに住む、人間の村人の男だった。
怖くて逃げ惑うユリアを人間の手が伸びる。
『神託の通りだ』とか、『神殿に捧げよう』とか言いだして、
小さな獣用の檻の中へと無理やり押し込められた。
『みいいい――っ!!』
怖くて助けを呼ぶが、誰も来てくれなかった。
いや、気づいたとしても“助けられなかった”のが正しいのだろう。
そうしてユリアは囚われの身となり、どこかへ連れて行かれる所だった。
やめてと言っても人間の男達にはそれが伝わらない。
怖い顔で何やら話しているが、ユリアには何を言っているのか分からなかった。
暫くするとまた違う人間の男がユリアを見つめ、売り買いされたらしい。
檻から出してもらえたものの、そのまま監視役の人間につれられ、
馬車の中へ押し込められた事を思い出した。
(私……見世物にでもされちゃうのかな……?)
記憶では怖い目には遭っていないはずだけど、それでも不安だった。
再び泣き出したユリアの元へ、ひらりと窓から金色の蝶が入り込む。
『みい?』
蝶の羽は片羽しかないのにとても器用に飛んでいたソレ。
キラキラと金色の鱗粉をふりまきながら、ユリアの目の前までやってきて、
まるで「こっちよ」と言いたげにユリアを導いて、窓の所をうろうろと飛び回る。
すると、ユリアは子供の思考に一気に退行する。
『みい(ちょうちょ)』
ユリアは悲しいのを忘れ、童心に思いっきり戻った。
夢中で目の前の蝶を捕まえようとする。ぴょこぴょこ、ぴょこぴょこと。
まってまってと両手を伸ばし、ドアに飛び乗ろうとしたり、壁をよじ登ろうとし、
何度目かの挑戦で助走をつけて窓にしがみ付くことが出来た。
その時、付き添いの男はまだ眠っていて気づいていなかった。
すると、蝶は窓の外へ出て行ってしまうので、ユリアもそれに習って飛び降りた。
ぽすん。
『みゃっ!?』
そこは幸いにも草が多く生い茂る場所で、
高い所から落ちたにしては、大きな怪我にはならなかった。
何度か転がったりして泥だらけにはなったけど、無事に下りられたらしい。
振り返ると大きな馬車は、ユリアが居なくなったのにも気づかずに通り過ぎていく。
自由になれたと喜んだユリアに、まるで良かったねと言いたそうなさっきの蝶は、
更にこっちこっちと誘導するように、ユリアを道から外れた森の奥へと導いて行った。
『みい~みいみい(ちょうちょ~まってまって)』
出会った金色の蝶は、近くに水を飲む川があることを教えてくれたり、
花の蜜や木の実がとても美味しい事を教えてくれたりした。
『みいみ? みいみい(あなたはだあれ? 精霊さん?)』
『……』
どうやら違うらしい、でも気まぐれでも助けてくれたのは嬉しかった。
『みいみい(ありがとう)』
話せないけれど、なんだかとっても身近な存在に思えた。
だからすっかりその蝶と仲良しさんになって、
追いかけっこをしたり、お花を摘んだりして甘い蜜を味わい、
ユリアは悲しい事をそこで全て置き去りにして忘れてしまった。
そうなるよう、まるで誰かが望んだかのように。
『みい?』
けれど、しばらくすると、綺麗なあの金色の蝶は姿を消していた。
その代わりに、ユリアの髪には小さな蝶の髪飾りが着けられていた。
『みいい~?(どこお~?)』
さっきの子を呼んでも探してもどこにもいない……。
まさか、鳥か獣にでも食べられてしまったのか?
『……っ!』
上を見上げても枝や葉に邪魔されて空は見えない。今どこに居るのかも分からなかった。
ザワザワと風の音が周りの木々を揺らす。楽しい遊び場だと思っていたのに、
今は違うもののように見えてきた。
そのせいでなんだかとっても心細くなって、もう家に帰ろうとしたけれど、
小さくなった肉球付きの手を見て、現状をそこで思い出した。
今はこの小さな幼子の姿で、そもそもどうやってここへ来たのか、
帰り道すらも、もう分からない……。
「み……みいい~……」
ユリアはそうして再び一人ぼっちになった。
(お母さん……)
『クウン?』
『……み?』
そんな風にして、泣きじゃくってその場にしゃがみ込んでいたユリアの元へ、
声を聞きつけてやって来たのが、天白狼のリファだった。
そして、時はめぐり……今に至る。
※ ※ ※ ※
「みい……」
――ユリアは頭を誰かに撫でてもらっている感触がした。
優しくて、あったかくて、それがとても心地よくて。
だあれ?
ゆっくりと意識が覚醒していく。
「……みい?」
「――ああ、ユリア、良かった目が覚めたのか」
目が覚めると見慣れた天井と、大好きなご主人様の姿。
アデルバードが心配げに自分を抱き上げて見つめていた。
ふと違和感を感じて体を見下ろすと、なぜかユリアが着ていた服は脱げていて裸の状態。
そしてアデル様のマントの中に包まれていたのだった。
「みっ!?」
「ああ、眠りこけた時に服が破けてしまってな。俺のを着せていたんだが、
また縮ん……いやなんでもない。でも良かった。
具合が悪くなってしまったのかと思った」
眠っていただけのユリアには知らぬことだが
しばらくすると、ユリアは元の幼子の姿に戻っていた。
もしかしたら何かが作用したのか、一時的なものだったのかもしれない。
「おい、アデルバード……ユリアには」
ラミルスが何かを言いかけようとして、それをアデルバードが制止する。
「……ユリアに聞いても分からないだろう。満足に人型にもなれていなかったのだから」
「み?」
「いや、なんでもない。それより着替えなきゃいけないな。
確か予備用の着替えを、いくつか部屋の引き出しに用意してあったはずだが……」
破けたと聞いて、ユリアはショックを受けた。
育ち盛りで突然破けるなんて事はないから、きっとこれは太って破けたのではないか。
ユリアは恐る恐る自分のお腹をむにっと摘まんでみる……が、よく分からなかった。
だって元から子どもというのは寸胴なのだから。
(だ、大丈夫、許容範囲だと思う。うん。ぶーでーじゃない!)
とりあえず、念の為に明日からもっと動こうかなと、
保護者が聞いたらきっと卒倒しそうな事を決意していたユリア。
そのままアデル様に着替えを渡され、部屋の隅でいそいそと着替える。
「……」
そでを通しながら、ユリアは思い出していた。
夢の中で見た過去の出来事を。
(私は私が本当は誰か分かっている)
だからお友達を作ってあげたいと思っていた。
いつか自分は元の世界に帰るつもりだから。
そうなった時に、アデル様の協力者を作ってあげたかった。
――のだが。
「み?」
ものの数分で、やっぱりユリアの決意は消えた。
(えっと何しようとしていたんだっけな……あ、そうだ)
先日街中で見つけた赤紫色の髪の女の子に、今日は会いに行こうとしていたんだった。
どこかで見たような容姿だったなと思って、勧誘の為に抱き付いたら、
白い炎の柱がぶわっと彼女の体から出てきて、驚いて逃げられちゃったんだよね。
他にも冒険者のお兄さんにも勧誘したいから、また会いに行かないと。
(ん~? また会えるのかな)
……なんて、ユリアは思っていたのだが、まだユリアは知らない。
その出会った少女が実はこの物語の主人公だった挙句、
彼らの問題が暴走する前に勝手にさくっと解決していた事に。
「ユリア、着替えられたか? 今日は早めに帰るぞ」
「み? はーい」
「よし、おいで」
そして……ユリアがなった子猫獣人は、短期間で成体にまで成長し、
ユリアがここから巣立つどころか、保護者のアデルバードと別の関係になる事も。
結局、「私が居ないとアデル様が心配」となってこの世界に残る事も。
ただ、彼女が念願のお友だち100人計画を達成するには、
まだまだ時間がかかりそうだった。
~FIN~




