06 -真の戦場-
06 -真の戦場-
(キリがないわね……)
ニューデリー官庁街内、広い一本道が中央を貫くその場所で、ルーメは攻め入ってくるセブンクレスタの対処に追われていた。
結果的に言うと、北のメトロステーションにいたセブンクレスタ2機は囮だった。
一応は四肢を破壊して行動不能にしたのだが、その時には反乱軍の一斉攻撃が始まっていたのだ。
慌てて官庁街に戻った時には、既に数機が官庁街内部に侵入しており、こちら側のセブンクレスタと戦闘状態にあった。
私も加勢に入り、感触では簡単に押し返せると感じたのだが、数秒も戦っていると急に仲間の動きがおかしくなった。
ある機は前のめりに倒れ、ある機は痙攣し始め……
これを見てクラッキング攻撃を受けているのだと判断した私は即座に自機をオフラインモードに移行させ、難を逃れることができた。
このクリュントスが古い機体で良かった。もしこれがセブンクレスタだったらオフラインに移行できず、行動不能になっていたところだ。
それ以降は私一人で迫り来る敵を排除している状況だ。
このクリュントスはAGFを搭載している。
ルーメは重力盾と重力制御を上手く使いこなし、敵機を順次行動不能にしていた。
周囲にはバラバラになったセブンクレスタが散乱しており、地面に転がったコックピットからランナーが逃げる様子が確認できた。
彼らの操縦技術は低く、束になっても余裕で勝てる自信があった。
(素人同然じゃない……)
しかし、ルーメは油断することなく1機1機を丁寧に、コックピットの位置に気をつけながら破壊していく。
クリュントスのソニックランスの破壊力は凄まじい。もしこれがコックピットに触れでもしたら中のランナーはよくて重傷、悪ければ即死だ。
私は戦士だが、人殺しにはなりたくない。
(もっと敵が強ければ、私も思い切り戦えるんだけどね……)
ルーメは正面から銃を乱射して迫って来る敵をランスで横薙ぎにして地面に転ばせ、胸部装甲の上辺部をランスで地面ごと貫いて破壊する。
そして左からソード片手に襲いかかってきた2機目を重力盾でふっ飛ばし、仰向けに転ばせて股関節を踏み潰してランスで頭部を破壊する。
右からの射撃も重力盾で弾き返し、お返しにラウンドシールドを投げ飛ばして3機目の頭部パーツを破壊する。
背後からの4機目のタックルも重力盾で防ぎ、ランスで頸部を貫いて超音波振動を使用する。超振動によって胸部装甲から以上はバラバラに崩壊し、コックピットユニットがむき出しになる。
ルーメはコックピットをぐわしと掴むと遠くへ投げ捨てた。
……楽勝である。
機体が少々重いのが難点だが、この程度の相手ならば何時間でも対応できる。
次々と迫り来る敵を排除しつつ、ルーメはクラッキングについて考える。
外部からのクラッキングについては対応策が十分練られ、各機にデコイが取り付けられていたはずだ。しかし、デコイが起動した様子はない。ということは内部から……軍のシステム経由でクラックされた可能性が高い。
軍のシステムに潜れるのはスーパーコンピュータか量子コンピュータ並の出力が必要になる。それを反乱軍が用意できるとは思えない。
つまり別の大きな組織が彼らに協力していると考えてまず間違いない。
彼らに手を貸すことでメリットを得られる国、団体、組織……
(わからないわ……)
不幸なことに私は世界情勢や政治といった情報に疎い。
とにかく、今は目前の敵を倒すことだけに集中しよう。
ルーメは気合を入れ直し、ランスを中腰に構える。と、不意に敵の攻撃が止んだ。
(……?)
敵機は距離を詰めることなく銃をこちらに向けている。
私を簡単に倒せないと悟り、一旦引くことにしたようだ。
懸命な判断だが、私には困る判断だ。
「攻めるか、守るか……」
このまま敵機に攻め入って蹂躙するのも悪く無い。が、飽くまで私の任務はここの防衛だ。私がこの官庁街内にいる限り、敵は手出しができない。
本来ならここで本部に指示を仰ぐべきだろう。しかし、クラックされる危険を犯してまでオフラインモードを解除するわけにもいかない。
……ここはこの場に留まろう。
そう決めるとルーメはコンソールから一旦手を放し、狭いコックピット内部で伸びをする。肩や背骨がぽきぽきと鳴り、あくびも出てしまった。
「ふぅ……」
ツールボックスからチョコバーを取り出し、ひとかじりする。
甘くねっとりとした感触が口内に広がり、疲労が少し和らいだ気がした。
「あ、盾拾っとかないと……」
ルーメはチョコバーを齧りながら、片手でVFを操作し、敵の頭部にめり込んでいたラウンドシールドを引きぬく。
その瞬間、コックピットが静かに開き、中から両手を上げたランナーが出てきた。
別に捕らえるつもりもない。
「……行きなさい」
ルーメが外部スピーカーで告げると、ランナーは両手を上げたまま何処かへ走り去っていった。
(張り合いのない連中ね……)
……かと言って凄腕のランナーに出てこられても困るのだが、なんか、こう、弱い者いじめをしているみたいで少し気分が悪い。
まあ、あちらが動かない以上こちらも動かないでおこう。そのうち援軍が来るだろうし、そうなればこちらの勝ちは決まったようなものだ。
ルーメは警戒しつつも、束の間体を休めることにした。
――硬直状態が続いて20分
それは唐突に起こった。
「……エラー、量子通信が切断されました」
「何事!?」
システムエラーの警告音にルーメは驚き、5本目のチョコバーを捨てて状況確認をする。
ステータス画面は赤く染まり、特に重力制御に関する項目がエラーを履き続けていた。
「重力制御演算不能、重力制御機能をロックします」
「機能をロックって……それって……」
重力盾が使えなくなるということだ。フレーム自体の出力もどんどん低下していき、ノーマルフレーム並みまで低下してしまった。
ランスも片方のアームだけでは保持できなくなり、慌てて盾を捨てて両手で柄を保持し直す。
混乱しつつも、ルーメは原因究明を行う。
(通信切断ってことはジャミング……? いや、量子通信は性質的にジャミングの影響を受けない。……つまり、量子コンピュータ自体にトラブルが起きたってこと!?)
今まで快調に動いていたものがいきなり止まるとも思えない。これも敵による妨害工作と見ていいだろう。
「嘘でしょ……」
今の今までアドバンテージはこちらにあったのに、それが一気に逆転してしまった。
敵との機体性能は互角。数はあちらが上回っている。相手が2,3機ならまだ技量差で補えるが、20機30機ともなれば技量差は意味を為さない。
ルーメの脳内に一瞬だけ“死”という文字がよぎる。
「……」
初めて得た感覚に、ルーメは思わず鳥肌を立たせてしまう。
正気を失ってはダメだ。何か打開策を考えよう。
……しかし、敵は待ってはくれなかった。
デリーテクノロジカル大学構内
家が一棟は入りそうな巨大な空間にて
宏人と葉瑠は量子コンピュータの停止に成功していた。
「よし、これで重力制御はできなくなったはずだ。いくらルーメとは言え、あの数相手に官庁区を守り切るのは不可能だね」
量子コンピュータの筐体はかなり大きく、円筒状のケージに収められていた。
ケージには太細様々なカラフルなケーブルが接続され、そのケーブルは周囲にある様々な機器に接続されていた。
しかし、ケーブルの大半は今は抜かれ、異常値を示す赤いランプが緑色の数を凌駕していた。
この類のデリケートな機械は大人が集まっても作るのは難しいが、壊すのは子供一人でもできるくらい簡単だ。
仕事を済ませた葉瑠は宏人に進言する。
「終わったなら早く出ませんか? これ以上いると確実に風邪ひきますよ……」
室温は低く、吐く息が白くなるほど寒い。我慢できたのは最初の30秒位で、後はずっと体の震えが止まらない。
葉瑠の提案に宏人は頷いて肯定し、早々に室外に出た。
室外は常温だが温度差のせいか、かなり暖かく感じられた。
その後、二人は頑丈そうな金属扉を3つ抜け、ようやく学内の通路に出た。
通路には黒の制服に身を纏った警備員が4名ほどうつ伏せに倒れており、体をピクピク痙攣させていた。
「警備員の人、大丈夫なんですか?」
「大丈夫。スタンガンで気を失ってるだけだよ。起きても暫くは麻痺が残るだろうけれど……ま、問題無い無い」
「そうですか……」
……宏人さんの侵入の手際は鮮やかだった。
入り口の守衛には自分が七宮重工のエンジニアだと言って信用させ、量子コンピュータが収容されいる研究室を守っていた4名の警備員も、頭部や胸部などの急所を的確に狙って打撃を加えて行動不能にし、最後はスタンガンで気絶させてしまった。
VFで格闘する様子は何度も見たが、生身であそこまで華麗に立ち回れるとは思っていなかった。流石はランキング3位のランナーだ。
「見られるとまずいし、早く構内から出ようか」
「あ、はい」
その後葉瑠と宏人は不信を悟られぬようにゆっくり歩いて大学構内から外へ出た。
遠くに聞こえるデモの喧騒を耳にしつつ、葉瑠は呟く。
「本当にこれでルーメ教官を突破できるでしょうか……」
「量子コンピュータの演算支援が無ければAGFもただのノーマルフレームだからね。性能が同等なら、いくらルーメが優秀なランナーでも数には勝てないよ」
数に関してもそうだが、重力盾がなければ銃撃も防ぐことができない。一対一ならともかく、複数から集中砲火を受けて無事でいられるとは思えない。
「……さて、葉瑠ちゃん、お手伝いご苦労様だったね」
「はい?」
「もう僕達が何もしなくても反乱軍は官庁街を制圧、政権を奪取できると思う。だからお仕事はここで終わり。早くドルトムントに帰るといいよ」
唐突な終了宣言に、葉瑠は狼狽えてしまう。
「帰るって……宏人さんは?」
「僕はまだ別件で用事があるんだ。それを済ませたらそのままスラセラートに戻るから、ここでお別れだね」
「……」
その別件に私の力は必要ないらしい。付いて行きたい気持ちが無いわけではないが、邪魔になるのなら大人しくドルトムントに帰ったほうがいいだろう。
「ごめんね葉瑠ちゃん、空港まで送ってあげたかったんだけれど……そこまで時間を捻出できそうにないんだ」
「わかりました。私も子供じゃありません、飛行機くらい一人で乗れます」
「そうだね。……それじゃあまた、学園で会おう」
「はい、宏人さんも頑張って……」
葉瑠は言いかけて言葉を中断する。まだ宏人さんの活動が正しい行いであると私の中で整理がついていない。そんな中途半端な気持ちで頑張ってくださいとは言えない。
「いえ、怪我に気をつけてください……」
葉瑠は言い直し、軽く会釈をする。
宏人は笑顔で応じ、官庁街に向かって駆けていった。
背中が見えなくなるまで、葉瑠は大学正門前で佇んでいた。
「はぁ……はぁ……」
……重力制御装置がエラーを起こしてから何機の敵を貫いただろうか
5機までは覚えているが、それから先があまり記憶に無い。
「はぁ……はぁ……」
相変わらず周囲にはアサルトライフルを構えたセブンクレスタが群れており、その銃口の全てが私に向けられている。
銃口からは絶え間なく弾丸が発射され、その全てを回避しきれるわけもなく、確実に機体はダメージを蓄積させていた。
「はぁ……はぁ……」
敵の攻撃は容赦無い。
既に被弾数は100を超え、装甲の大半が耐久限界値を超えている。ダメージはフレームにまで達し、いつ機能停止してもおかしくない状態だ。
それでも私は動き続ける。
もはや手加減している余裕など無い。
「うあぁぁッ!!」
ルーメは一番近い敵からの銃撃をランスの側面で弾き、突進する。
……狙うのはコックピットだ。
これまでは四肢を破壊したり頭部を破壊して行動不能にしていたが、そんな余裕はない。一撃で確実に相手の動きを止めるには、ランナーを直接狙うしか無いのだ。
ランナーを狙わなければ、ランナーを潰さなければ……私が殺されてしまう。
ソニックランスの穂先は抵抗もなく敵機の胸部と腹部の間、装甲に守られたコックピットを貫き、背中から飛び出す。
その穂先は赤黒い液体によって染め上げられており、どろりとした細かな塊がべっとりと付着していた。
それは血であり、そして内臓だった。
……人を殺した。
顔も名前も知らない、それどころか男か女かすら分からない相手を殺してしまった。
殺人の感触はない。
手に伝わってくるのはコンソールの冷たく硬い感触だけだ。
それだけが救いだった。
「だあぁぁッ!!」
おおよそ乙女とは思えぬ怒声を上げ、ルーメは次の敵へ向かう。
相変わらず銃弾の雨は降り続き、装甲で弾けてオレンジの火花を散らせている。
痛みは感じない。
重厚な装甲は敵の攻撃を防ぎ
巨大な体躯は強大な力を発揮し
尖塔と見紛うほど大きく剛質な槍は目標を貫く
胸部に大穴を開けた敵機は糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。
真っ赤に染まったランスを引き抜き、ルーメは回避行動を続ける。
まだまだ敵の数は減る気配がない。それどころか増えているようにすら思える。
……全て殺さなければ、私は生き残れない。
そんな原始的な衝動がルーメというランナーを動かす。
もはやルーメは戦鬼と化していた。
ルーメは衝動のまま自機を走らせ、敵陣に切り込んでいく。
無謀にも思える突撃だが、相手の懐に入れば銃撃も止むだろうという判断から行った行動だった。
しかし、そんなルーメの考えは儚くも消え去る。
とうとう蓄積していたダメージが駆動系に支障をきたし始めたのだ。
「!!」
脚部が思うように動かなくなり、クリュントスのスピードが極端に低下する。
そんな状態でまともに回避行動が取れるわけもなく、銃弾は重厚な装甲を無慈悲に破壊していく。
更に最悪なことに、ルーメは脚を絡ませ、その場で転倒してしまったのだ。
巨大なランスは手から離れ、地面に深く突き刺さる。
「うぅ……」
行動不能になっても尚、敵の攻撃は容赦なかった。
絶え間なく続く銃弾は装甲を、腕を、脚を破壊し、頭部をも破壊する。
ヘッドカメラからの映像が切れ、目の前が真っ暗になった。
装甲を失い、着弾の衝撃はコックピットを激しく揺らす。
激しく揺れるコックピットの中、ルーメは視界を得るべくサブカメラを起動した。
サブカメラにはジリジリと歩み寄ってくる無数の敵機の姿が確認できた。銃撃は止むことがない。確実にこちらを殺すつもりだ。
逃げ場はない。
白旗を上げるチャンスすらない。
仮に降伏をしても、これだけ殺して無事で済まされるとは思えない。
(終わった……)
……ルーメは死を覚悟した。
諦めたルーメは体の力を抜き、コンソールから手を離す。そしてツールボックスからチョコバーを取り出した。
震える手で包装紙を破り、甘くて黒い塊を口の中に突っ込む。
が、甘さを感じる暇もなく吐き出してしまった。
そんなことをしている間に敵機はこちらに到達し、ボコボコになった胸部装甲を強引に引っぺがす。
そして、むき出しになったコックピットに銃口を押し付けた。
体温が一気に下がり、自然と涙が溢れる。
私はまだ、死にたくはない。
「いや……」
拒絶の言葉を漏らした次の瞬間、コックピットに衝撃が走った。
だがそれは銃撃のそれではなく、別の何かだった。
その証拠に、ルーメは真横からGを感じており、自分が移動させられていることに気付いた。
「……!?」
ルーメは状況を確認するべくステータスモニタを見る。モニタには“切断(DISCONNECTED)”の文字で埋め尽くされており、機体への接続が全て切断されていることを示していた。
そしてそれは、コックピットが抜き取られたことを意味していた。
(どういうこと……?)
敵は私を殺すのを止めたのだろうか。
しかし、それにしては数秒近くGを受け続けている。速度も相当な物になっているはずだ。
サブカメラは機能していない。外部の状況が全く把握できない。
理解できぬ状況に困惑していると、外から小さな爆発音が聞こえ、その後銃声が止んだ。
……どうやらクリュントスが完全に破壊されたようだ。
あのままクリュントスに乗っていれば私はコックピットごと銃弾に貫かれ、無数の弾頭に潰されミンチになっていたことだろう。
この状況、コックピットを撃たれる直前に何者かに助けられ、官庁街から離脱していると見て間違いない。
とりあえずの危機が去ったことを悟り、ルーメは胸を撫で下ろす。
安堵すると、またしても涙が溢れてきた。
「……」
ルーメは膝を抱え、動きが止まるまでじっとしていた。
(危機一髪とはこのことだね……)
間一髪の所でルーメを救出したのは宏人だった。
大学前で葉瑠と別れた宏人は呼び寄せていた白眉に乗り込み、官庁街へ急いだ。
到着すると同時にルーメが危機的状況に陥っている場面に遭遇し、慌ててコックピットを奪い取り、高速で離脱したというわけである。
なるべくなら姿を晒したくなかったが、貴重なランナーの命には代えられない。
市街地から離脱して郊外まで来ると、宏人は球状のコックピットユニットを抱えたまま姿勢を低くした。
場所は……農園だろうか、木々が等間隔に植えられており、周囲に人の影は見られない。
宏人はコックピットを開くことなく、通信機越しにルーメに話しかける。
「危ないところだったね、ルーメ」
少し遅れて戸惑いの混じった返事が返ってきた。
「……ひ、宏人? どうしてここに……」
当然の疑問である。
宏人は迷うことなく嘘をつく。
「僕もあの後インド軍に招聘されたんだ。少しタイミングが遅すぎたみたいだけどね」
「そんな話聞いてない……」
「証拠を見せてあげたいところだけれど、今となっては確かめようがないよ。なにせ、反乱軍は政権奪取に成功してしまったからね」
反乱軍が官庁街を占拠したのは始まりに過ぎない。が、これから地方までその影響は伝播し、やがて国全体が変革していくことだろう。
国民を味方にしている時点で反乱軍の勝ちは決まっているようなものだ。
「……これで報酬も何もないよ。骨折り損ってやつだね」
「報酬……私にはもうどうでもいいことね……」
「どういう意味だい?」
ルーメは一呼吸置き、はっきりと告げる。
「――私、ランナー辞めるわ」
「え?」
「私……大勢の人を殺した。敵のコックピットを……何度も貫いた……」
ルーメの声が震え始める。
「自分は強い女だと思ってた。いつかシンギさんに敵うくらい強い女になれるって信じてた。……でも、これ以上は無理よ……」
「無理って、そんな決め付けなくても」
「これから先もこんな憎しみまみれの戦場で戦うくらいなら、私はランナーを辞める……」
「……過酷な経験だったんだね」
人を殺すという行為は精神に大きな負荷をかける。
戦場を経験した兵士が発症するPTSDがその最たる例だ。人によっては日常生活を送ることが困難になるほど精神に異常をきたすこともある。
しかし、その症状もカウンセリングや薬でどうにかなる。
人は何事にも慣れる生物だ。ルーメも後数回戦場を経験すれば、何の疑問もなく敵を殺せるランナーになれるはずだ。
……宏人は少し冒険してみることにした。
「だからこそランナーを辞めてはいけないと、僕は思うよ」
「……宏人?」
「罪を償うんだよ。自分が納得できるまで、自分ができることをやって罪を償うんだよ」
「でも、どうやって……」
「そうだな……例えば、アンカラードの活動を手伝うっていうのはどうかな。世界の意思が統一されれば、こんな悲惨な戦闘は今後起きないと思うよ」
ルーメを仲間に引き入れることができれば、今後の活動が楽になる。
もし好反応が返ってくれば、僕がアンカラードの設立者だということを明かして……
「宏人、それ、冗談で言ってるのよね?」
「……あはは」
「あんな胡散臭い連中、信用出来ないわよ」
希望は見事に打ち砕かれた。まあ、ある程度予想はしていたが……
少し勿体無い気もするが、これ以上彼女を誘うのは止めておこう。
「本当に、ランナーを辞めるんだね」
「手に感触がのこってるのよ。肉を突き刺した時の、あの嫌な感覚が……あんなの、もう二度と御免よ」
「そうかい……」
もうルーメは立ち直れないだろう。
僕も彼女が強い女性だと信じて疑わなかった。が、今の彼女は死の恐怖に怯える普通の女性だ。凛とした強さも強者の雰囲気も感じられない。
宏人は気を取り直してルーメに話しかける。
「とにかくここにいても意味が無い。一旦スラセラートに戻ろうか」
白眉を見られないように彼女を送り届けるにはどうすればいいだろうか……。
考えている間に返ってきたのは否定の言葉だった。
「いいえ、スラセラートには戻らない。私、地元に帰るわ。もう二度とVFには乗らない。あなたとも……もう関わることもないでしょうね」
彼女の決意は固いようだった。
だが、これで輸送手段に悩む必要もなくなった。
「残念だよ……」
呟き、宏人はコックピットユニットを置く。そして、ルーメに見られぬように急いで空へ舞い上がる。
「……さよなら、ルーメ・アルトリウス」
その通信を最後に、宏人は通信機をオフにした。
雲を抜けた宏人は溜息をつく。
(アンカラード、そんなに胡散臭いかなあ……)
ネーミングがいけなかったんだろうか……
それから少しの間、宏人は本気で悩んでいた。




