10 -湖の国-
10 -湖の国-
誰もいない女子更衣室。
連携攻撃の訓練を終えた葉瑠は汗でぐっしょり濡れたトレーニングウェアを脱いでいた。
「つかれた……」
訓練が始まってから早2週間。内容は日に日に激しくなり、敵AIの難易度設定も順調に上昇している。
3日前からは敵も1機から2機に増え、より一層難しくなった。
しかし、葉瑠はアビゲイルと共に着実に課題をクリアしていた。
2週間も共同生活しながらペアを組んでいると、嫌でもアビゲイルさんの考えていることが理解できてしまう。
最近では連携攻撃する際にサインすら使っていない。
お互い、戦闘状況を的確に判断できるため、何を言わずとも最適な連携を自然に行えるのだ。
まさに以心伝心である。
「……」
この結果自体に文句はない。むしろ嬉しいくらいだ。
だが、不満がないわけでもなかった。
それは、自分自身の実力に関することだった。
連携攻撃は完璧だ。が、個人的な実力については疑問が残る。
(私、強くなってますよね……?)
この訓練で私の実力は向上しているのだろうか。
ランキング戦では連携力は意味を成さない。頼れるのは自分の操作技術のみだ。
その操作技術も最近伸び悩んでいる気がする。
エネオラ先輩との訓練は続けているが、先輩には一撃も当てられないし、長い時間持ちこたえられない。
先輩からのアドバイスも減ってきているし、あまり成長が実感できない。
それに、この間の訓練……アビゲイルさんとタッグを組んで望んだ対戦では圧倒的な実力差を見せつけられてしまった。
私は、エネオラ先輩が本気を出すまでもなくやられてしまうほど弱いランナーなのだ。
「……はあ」
葉瑠は何気なくロッカー扉内側の鏡を見る。
そこには眉尻の下がった自分の顔が映っていた。
……情けない顔だ。
こんな顔の持ち主が、エネオラ先輩やルーメ教官を倒せるほどのランナーになれるとは到底思えない。
このままだと一生かかっても宏人さんを振り向かせることなんてできない。
……ちょっと心が挫けそうだ。
泣きそうになりながら着替えていると、更衣室内に人が入ってきた。
扉が開いたことで廊下の喧騒が室内に飛び込んできて、葉瑠は体をビクリとさせてしまう。
「!!」
葉瑠は素早く制服を手に取り、下着姿の体を隠す。
が、ここが女子更衣室であること、しかも入ってきた人物がアビゲイルだということが分かり、胸をなでおろした。
そもそも恥ずかしがるほど立派なものは持っていない。
アビゲイルが入ると自動的に扉がロックされ、再び室内は静かになった。
「相変わらずこの更衣室は静かですね」
「うん、貸切状態でのんびりできるからいいけれど、少し寂しいかもね」
女子更衣室を利用する学生は殆どいない。
同学年の女子ランナーは入学当初は数名いたのだが、夏季休暇や年末年始の間に殆どが辞めてしまい、今は私と結賀とアビゲイルさんしかいない。
他の学年にはそれなりの数の女性ランナーがいるが、やはり数は少ない。
エンジニアコースは男女比率は1:1に近いのに、どうしてランナーはこうも少ないのか……
やはり、女はランナーには向いていないということなのだろうか。女の私は、強いランナーになれないのだろうか。
考えれば考える程気持ちが沈んでいく……
アビゲイルはいち早く葉瑠の異変に気付き、早歩きで接近してきた。
「大丈夫ですか、葉瑠」
……どうやら私は他人に心配されるような雰囲気を醸し出していたらしい。
葉瑠は暗い気持ちを振り払うように首を左右に振り、ずれたメガネの位置を直す。
「大丈夫。ちょっと落ち込んでただけだから」
いつまでもうじうじしていてはダメだ。
やる前から諦めるのは愚の骨頂だ。着実に前に進むためにも、久々にランキング戦にエントリーしてみよう。
葉瑠は両手でグーを作り、胸の前で上下させてアピールする。
「ほら、もう元気」
「それは良かったです」
葉瑠の言葉を真に受け、アビゲイルはすぐに話題を変えた。
「……では、よければ私の調子を見てくれませんでしょうか」
アビゲイルはそう言うとシャツの裾を掴み、がばっと捲り上げる。
腹部から胸部にかけて一気に露わになり、葉瑠は反射的に顔を逸らした。
「ちょっと!!」
葉瑠の反応を無視してアビゲイルは続ける。
「訓練後から痙攣が止まらないのです。多分、アクチュエータの同期シグナルのエラーかと思うのですが……」
「……」
彼女はガイノイドで、人間ではない。
裸を見られた所で恥ずかしくないし、こちらが恥ずかしがる理由もない。
葉瑠は咳払いし、改めてアビゲイルと向かい合う。
アビゲイルは服を捲った状態で微動だにしていなかった。
やはり肌は白く、ラインも綺麗だ。流石はガイノイド、無駄な肉がない。
葉瑠は恐る恐る腹部に触れる。と、左下辺り側面の人工筋肉がピクピクと収縮していた。
葉瑠は手のひらにひんやりとした感触を得つつ、解決案を上げてみる
「その部位だけ再起動できればいいのだけれど……仕様上無理だったよね」
「はい。リブートは全身同時に行う必要ああります。そして、その作業は私自身では行えません」
「だよね……」
こういう小さな問題は再起動すれば解決する可能性が高い。
更衣室には誰も来ないだろうし、さっさと再起動させてみよう。
もし直らなければ、部屋に戻ってから本格的に開腹して直せばいいだけの話だ。
「じゃあ取り敢えず再起動させるから、そこに寝て」
「よろしくお願いします」
葉瑠の指示に従い、アビゲイルは更衣室のど真ん中で仰向けになる。一応椅子はあるにはあるが、座らせるよりも寝かせたほうが安全だ。
続いて葉瑠はアビゲイルの頭上で正座し、頭部を腿の上に載せた。
いわゆる膝枕である。
葉瑠はアビゲイルの首を90度回転させ、黒髪をかき分け耳の裏を中指で探る。
すぐに皮膚の下のスイッチを探り当て、葉瑠は指を固定した。
「じゃあ、いくよ」
「はい」
アビゲイルの了承を得た所で、葉瑠はスイッチを押し込んだ。
その瞬間、アビゲイルの体から力が抜け、全身が弛緩した。
目も閉じられ、擬似呼吸も止まる。
……アビゲイルは一瞬にして死体になった。
いや、元から生きている物ではないが、普段動いている姿を見ているので、精巧な人形というよりも、やはり死体に見えてしまう。
力が抜けたせいか、頭部の重みによって腿が少し沈み込む。アビゲイルの重量は人間とほぼ同じだが、やはり頭部は特別重いようだ。
床に滑り落ちぬよう、葉瑠は腿と腿の間にアビゲイルの頭部を収める。
(これ、モデルになった人とかどこかにいるんでしょうね……)
約10秒、ぼんやり顔を眺めていると、次第にアビゲイルの体に力が戻り始めた。
その後瞼が開き、瞳孔が拡張縮小を繰り返す。
やがて両方の瞳がこちらに向けられ、はっきりとした声が口から発せられた。
「おはようございます」
「おはよう」
挨拶を返し、葉瑠は早速アビゲイルの腹部に手を触れる。
痙攣する気配はない。無事にエラーから復帰したようだ。
(……にしても、どうして痙攣なんて……)
瑞月さんが残したメモに痙攣のエラーなんて一言も書かれていなかった。
これはいよいよ瑞月さんに診てもらわないと、いつ故障してもおかしくない。
「どうやら直ったようです。お手数おかけしました」
復帰したアビゲイルは立ち上がろうとする。
しかし葉瑠は頭をホールドし、強引に仰向けに寝かせた。
「まって、他の部位も異常がないか確認しておくから」
今回は腹部だったから良かったものの、廊下を歩いている途中で足が痙攣し始めたら転倒する可能性もある。
葉瑠はアビゲイルの足元に回りこみ、つま先から順に触診することにした。
ふくらはぎ、ふともも、腰回り、胸部、腕部……と、アビゲイルに覆いかぶさりつつ移動し、順に調べていく。
どの箇所も異常はなく、正常だった。
葉瑠は最後の仕上げに指先を調べる。
指先まで一本一本丁寧に調べていると、アビゲイルが気まずそうに発言した。
「葉瑠、そろそろ止めたほうがいいのでは」
「だめだめ、隅々までじっくりとやらないと……」
指先は最も重要な部分だ。ここが上手く動かないとランナーとしては致命的だ。
アビゲイルは指をこちらに預けたまま、口だけで反論し続ける。
「いえ、この体勢が非常にまずいと言いますか、誤解を生んでしまうかもしれません」
「体勢……?」
確かに、マウントを取って指先を握りしめているこの状況は傍から見ると怪しい感じだ。
だが、この更衣室には誰も居ないのだし、そんな心配は皆無だ。
「大丈夫、誰も見てないから……」
葉瑠の言葉に対し、アビゲイルは小さく首を左右に振った。
「すみません葉瑠」
なぜ謝るのか、アビゲイルの言葉の意味を理解するのは難しくなかった。
(まさか……)
葉瑠は恐る恐る背後に振り返る。
……更衣室の入り口、そこに結賀が立ち尽くしていた。
目が合うと、結賀は苦笑いを浮かべ、踵を返す。
「邪魔して悪かったな……」
「まま、待って!!」
葉瑠は混乱しつつも結賀を呼び止め、急いで彼女に駆け寄る。
「誤解、誤解だから!!」
言葉を発している間、葉瑠の脳裏には一つの大きな疑惑が思い浮かんでいた。
――結賀はどのタイミングから見ていたのか。
私とアビゲイルさんが如何わしい仲だと疑われるのはまだ耐えられる。
だが、アビゲイルさんの秘密が露見することだけは避けなければならない。
結賀は背を向けたまま、頬を掻く。
「何が誤解だよ。お前、やっぱりアビゲイルとそういう関係だったんだな……そりゃあ連携もうまくいくわけだ」
「違う、違うから……」
「じゃあ、何してたんだよ」
結賀はアビゲイルを指さす。
アビゲイルは床に仰向けになった状態で服を捲られ上半身はほぼ裸状態だった。ついでに言うと、私も急いで服を着たせいで結構乱れている。
言い逃れはできそうになかった。
「それは……」
葉瑠は再び考えようとしたものの、無理だと悟り諦めた。
むしろ、そういう関係だと思わせておいたほうが、アンドロイドの件がバレずに済むのではないだろうか。
考えようによっては強力な隠れ蓑にできる気がする。
(……よし)
葉瑠は決心し、嘘をカミングアウトしようとした……が、その時、アビゲイルが一言発した。
「――目眩です」
アビゲイルは服を整え、ゆっくり立ち上がる。
「実は、着替え中に急に貧血を起こしてしまいまして、隣で着替えていた葉瑠を巻き込んで倒れてしまったのです」
「そ、そうそう!! さっきのは介抱してたの、介抱」
葉瑠はアビゲイルの機転の効いたセリフに乗り、結賀を言いくるめる。
だが、結賀は怪訝な表情を浮かべたままだった。
「介抱? 馬乗りでか?」
「……」
これ以上はもう無理だ。
やはり、カミングアウトしてしまおう。
葉瑠がまたしても諦めかけた時、アビゲイルは話題を切り替えた。
「……それよりも結賀、あなたは随分前に着替え終えたはずですが、どうして更衣室に戻ってきたのですか。忘れ物でもしましたか?」
「あ、そうだった。アビゲイル、お前に渡すものがあるんだよ」
結賀は思い出したように手のひらを叩き、ポケットからプリントを取り出す。
クシャクシャのプリントを開きつつ、結賀は用件を話し始める。
「これ、アルフレッドの野郎からだ」
「なぜ紙媒体で……メールで済ませれば早いと思うのですが」
「いいから見てみろって、遠征だぞ」
「遠征……?」
アビゲイルは結賀からプリントを受け取る。葉瑠はアビゲイルに身を寄せ、中身を見る。
題には遠征の案内と書かれ、行き先には『ヘルシンキ養成校』とあった。
葉瑠はこの養成校のことをよく知っていた。
「ヘルシンキ養成校って……あのヘルシンキ!?」
「な? すげーだろ」
……ヘルシンキ養成校はフィンランド首都ヘルシンキに位置し、ケンブリッジ養成校やここスラセラート学園と同じく、VFランナーを養成するための訓練校だ。
NATO加盟国の中で最も有名な養成校はケンブリッジ校だが、知名度においてはヘルシンキ校も引けをとらない。
ヘルシンキ校は少数精鋭で知られており、入学も難しければ、卒業も難しい。ここ出身のランナーは一目置かれる存在であり、その実力は折り紙つきだ。
つまり、在校生もまた粒ぞろいというわけである。
「しかも今回の遠征、あっちから申し込んできたらしいぜ。しかも名指しで」
「名指し?」
「ほら、ここに書いてるだろ」
葉瑠はプリントを改めて見る。行き先や日時の項目の下、対象訓練生の欄にはアビゲイル、スーニャ、リヴィオ、結賀の名前があった。
「どうやら、学園ランキング上位の訓練生が対象のようですね」
学園ランキングは常に公表しているので名前を知られていても不思議ではない。
だが、この時期に対戦を申し込んでくるのは不自然だった。
大抵は長期休暇中などに行うのだが……何か時期的な問題でもあったのだろうか。
というか、向こうから要請してきた上に対戦相手も指名するのなら、こっちに来てもらうのが筋ではないだろうか。
葉瑠がプリントを読み進めていると、結賀が急に手を掴んできた。
「葉瑠、お前も来いよ」
「私? プリントを見る限り、私は呼ばれてないみたいけど……」
「違う違う。見学だよ見学。オレが勝つ所、しっかりカメラで撮ってくれよな」
「なんだ、そういうこと……」
見学するのも悪くない。と言うか、アビゲイルさんが行くのなら、私も同伴する必要があるだろう。
アビゲイルは静かに目を閉じ、プリントを結賀に返却した。
「対外試合をすれば成長につながりますし、何よりいい刺激になります。是非とも参加したいです……が、私はパスです」
アビゲイルの返答に、結賀は目を丸くする。
「パス? 冗談だろ?」
「そうだよアビゲイルさん、どうして……あ」
葉瑠は今更ながら思い出す。アビゲイルが不調であるということを。
故障の危険があるアビゲイルはあまりこの場所を離れない方がいいし、その故障を直せる私も、当然ながらスラセラートにいた方がいい。
葉瑠は自分も見学に行けないことを悟り、自然と表情が暗くなった。
この反応を見て、結賀は不満気に問いかける。
「なんだ? もしかして葉瑠も不参加か?」
「うん、今回はちょっと……」
パスで、と言いかけると唐突に更衣室のドアが開いた。
「ちょっと待ち給え。先方からのせっかくの誘いを無下にするとはどういう了見だ」
ドアを開けて颯爽と室内に侵入してきたのはオールバックに仮面の変態、アルフレッド教官だった。
「!?」
葉瑠は咄嗟に結賀の影に隠れる。
「教官!! ここ女子更衣室ですけど!?」
「大丈夫だ。入ると同時に人工眼球をスリープモードに移行させた。何も見えていないのだから問題ない」
「大問題ですよ!!」
葉瑠の訴えにも関わらず、教官は問答無用で言葉を続ける。
「アビゲイル君、ランキング6位、訓練生内では1位の君にパスしてもらっては困る」
何も見えていないはずのアルフレッドは、アビゲイルを正確に指差す。
「強い訓練生がお望みでしたら、カヤ・クレメントがいると思いますが」
カヤちゃんはアビゲイルさんに次いで7位だ。
その彼女の名がどうしてプリントに書かれていないのか……
アルフレッドはその疑問に応えるように、カヤについて説明し始める。
「実はカヤ君にも要請が来ていたのだが、彼女はURの追跡に忙しいようだから泣く泣く諦めた。……君に来て貰えないとなると、ヘルシンキ養成校の期待を裏切ってしまうことになるのだが……」
「私の知ったことではありません」
きっぱり拒絶の意を表明するアビゲイルに、アルフレッドは困り果てたように仮面を手で押さえつける。
「どうして行きたくないのだ。実力に不安でもあるのか」
「――不安?」
この言葉に気になるところがあったのか、アビゲイルは棘のある口調でアルフレッドに言い返す。
「その言葉、まるで私が負ける可能性があるかのような印象を受けるのですが」
不服そうな物言いに対し、アルフレッドはニヤリと笑う。
「負ける可能性は十分にある。何故なら、戦闘能力も戦闘経験値も彼らのほうが上だからな。……どうだねアビゲイル君、君の実力を試すのにはいい機会だと思うのだが」
「私が養成校の訓練生ごときに負けるわけがありません」
「アビゲイルさん……?」
いつになく強気だ。ロボットだというのに、煽りには弱いらしい。
「よし、アビゲイル君は参加決定だな。葉瑠君も見学するといい」
葉瑠はアビゲイルを見る。
先ほどの不参加の言葉はどうしたのか、アビゲイルは行く気満々のようだった。
アビゲイルが行くのなら、当然私も同伴しないといけないわけで……
「はい、見学させてもらいます……」
葉瑠は仕方なく首を縦に振った。
「出発は5日後、各自準備を怠らぬように……以上だ」
話はこれで終わりのようで、アルフレッド教官は部屋から姿を消した。
(5日後ですか……)
せっかくの遠征なのだし、観光名所なども調べておこう。
若干ワクワクしている葉瑠に対し、結賀とアビゲイルはまだ見ぬランナー達に対し、既に闘志を燃やし始めていた。




