08 -遠い存在-
08 -遠い存在-
「……そこ、数値が違いますエネオラ先輩」
「言われなくてもわかってる……ここが……こうでしょ?」
「違います」
「あれえ、おかしいなあ……」
「おかしいのは先輩の頭です。よくこれで卒業できたものです。このままのペースですと合格圏に入るまで10年は掛かりそうですね」
「……うう」
夕方、静かな地下ラボにて
エネオラはアビゲイルから厳しい言葉を浴びせられていた。
作業台に座るエネオラの前には学習用の端末や参考書がズラリと並び、背後には腕を組んだアビゲイルが構えていた。
前後を苦手なものに挟まれてから早1時間、とうとうエネオラは弱音を吐いた。
「やだあ、もうやだ。葉瑠、やっぱり葉瑠が教えてよ……」
「私じゃ甘えちゃうからアビゲイルに頼む、って言ったのはエネオラ先輩ですよ」
作業台から離れた場所、パイプ椅子に腰掛けて読書をしていたのは葉瑠だった。
葉瑠の突き放した態度に参ってしまったのか、エネオラは作業台に突っ伏し、更に弱音を吐き続ける。
「そうだけどさあ……こんなに厳しいとは思ってなかったの」
「そんな甘い考えではいつまで経っても合格圏に到達できません。……さあ、喋っている暇があれば問題を解いてください」
アビゲイルは背後からエネオラの肩を掴み、強引に引き起こす。
「ちょっとまって……」
エネオラは相当参っているようで、思わず立ち上がり、アビゲイルと対峙する。
アビゲイルは腕を組み、無表情でエネオラを見つめる。
エネオラは目を泳がせた後、思いついたように提案した。
「休憩……そうだ、ちょっと休憩しよ? コーヒーとか飲めば集中力が上がって勉強に打ち込める……気がするし」
「コーヒー……」
アビゲイルはコーヒーという言葉に反応し、少し動きを鈍らせる。
その隙を突き、エネオラはアビゲイルの脇を通りぬけ、その場からダッシュで逃げ出した。
アビゲイルはワンテンポ遅れてエネオラを追う。
「逃げるつもりですか」
「違う違う、自販機で色々買ってくるだけだから。10分……いや、15分くらい待ってて!!」
「……わかりました」
アビゲイルは追うのを止め、作業台まで戻る。
すると、先程までいなかった人物が作業台付近に出現していた。
アビゲイルは挨拶代わりに彼女の名を呼ぶ。
「モモエ、まだラボにいたのですか」
「はい、明日の授業の準備を手伝わされていまして……そちらも色々と大変そうですね」
丁寧な口調で応じたのはエンジニアコース3年生の女学生『百枝樹里』だった。
桜の花を連想させるピンクの髪は見事に結い上げられており、油汚れまみれの作業服とかなりギャップがあった。
彼女はエンジニアコースのロジオン教官のお気に入りで、事あるごとに便利に使われている。
奴隷のごとく使われて可哀想に見えるが、本人はそれほど苦に感じていないようで、今も表情に疲労の色は見えなかった。
モモエは葉瑠の隣にパイプ椅子を広げ、音を立てることなく静かに座る。
葉瑠は本を閉じ、モモエの方にメガネを向ける。
「今日はどうしたの? 寄り道なんて珍しい」
「あのですね、先程ある情報を手に入れまして……その真偽を確かめようと思ったんですが、質問よろしいですか?」
「一体どんな情報ですか」
アビゲイルはモモエの話に興味を持ち、葉瑠の背後に移動する。
二人が揃った所で、満を持してモモエは話し出した。
「えーと……最近二人共いつも一緒にいますね」
「うん」
「そうですね」
葉瑠とアビゲイルは同じタイミングで頷く。
「それは……連携攻撃訓練で同じペアになったからですよね?」
「まあ、そうだと思う」
「間違いではありませんね」
またしても二人は同じタイミングで頷いた。
モモエは少しボリュームを下げ、歯切れ悪く告げる。
「普通の感覚なら、ペアになったから仲良くなった……と思うでしょう。ですが、一部では、その……良からぬ噂が立っているんです」
何か恥ずかしいことがあるのか、モモエは俯き指をいじり始める。
この反応の意味を理解できず、葉瑠は詳しく問い詰める。
「噂? 具体的には?」
モモエは葉瑠とアビゲイルの顔をちらりと見た後、途切れ途切れに答えた。
「あの、その……二人が恋人になった、とか……」
唐突に現れた恋人という単語に、葉瑠は思わず聞き返す。
「今なんて?」
この葉瑠の問いに応じたのはモモエではなくアビゲイルだった。
「……私と葉瑠が四六時中べったりしているので、皆さん我々が恋仲にあるのではないかと疑っているようです」
「そんなわけないでしょ……」
葉瑠は溜息をつき、呆れの表情を浮かべる。
こんな下らない噂、誰が流したのだろうか……。
アビゲイルさんと仲良くなったのは間違いではないが、それがどうして恋愛に発展するのか、全くもって理解できない。
そもそも女同士で恋愛……できないことはないが、私は勿論アビゲイルさんもそういう趣味はない。アビゲイルさんに至っては人間ですら無いのだから恋愛自体不可能だ。
「あれ、違ってたんですか……」
噂が事実でないことを知り、何故かモモエは残念そうにしていた。
葉瑠はモモエを咎めたかったが、自分たちにも原因があることを自覚していたため、強く言えなかった。
(まあ、そう思われても仕方ないですよね……)
――噂になっても仕方がないほど、葉瑠とアビゲイルは一緒に行動していた。
朝、部屋を出ると同時に並んで歩き、朝食も一緒、座学も一緒、昼食も一緒、訓練では休憩時間は必ず一緒にいて、夕食も当然のように一緒。
エネオラ先輩との訓練も一緒だし、この後、部屋に戻ってもアビゲイルと一緒だ。
改めて考えてみると冗談抜きでずっと一緒である。
(結賀よりも一緒にいるかも……)
葉瑠はふと結賀に思いを馳せる。
結賀と離れると寂しくなるかもしれないと思っていたが、あまり寂しさは感じない。
と言うか、現在結賀はリヴィオくんとべったりだ。連携攻撃の成功率を高めるために奔走しているようだし、私のことを気にかける余裕もないのだろう。
成功率も徐々に上がっているようだし、この様子だと仲直りするのも時間の問題だ。
……仲直りするのは良いことだ。
二人が仲直りできたあかつきには、私は元の部屋に戻り、結賀と今まで通りに接するつもりだ。
だが、正直リヴィオくんとは今まで通り接することができない気がする。
その要因は昨日聞いてしまったリヴィオくんの邪な発言にあった。
(男子って、みんなああなんでしょうか……)
葉瑠は昨日の事を思い出す。
リヴィオくんは私のランナースーツ姿を見て心が満たされると言った。
可愛いと言ってくれたのは素直に嬉しいが、その根底にあるのは間違いなく下心なわけで……
リヴィオくんは格好も態度も少し不良っぽいところがあるが、真っ直ぐな人だと思っていたので、受けたショックは結構大きい。
それに、私のような華奢でひ弱なメガネ女が、一男子に劣情を抱かせていたことにも驚いた。
今後は気をつけよう。
ランナースーツを着るときも、上から何か羽織ったりした方がいいかもしれない。
そんなことを考えつつパイプ椅子に座ったまま脚をぶらぶらさせていると、缶をじゃらじゃら鳴らしながらエネオラ先輩が戻ってきた。
「はいジュース買ってきたよー」
エネオラは葉瑠とアビゲイルに缶コーヒーを配り、作業台の上に腰掛ける。そして自分の缶コーヒーのプルタブに指をかけた。
ここでようやくモモエの存在に気づいたのか、エネオラは缶を開けながら声を掛ける。
「モモエ、準備はもう終わったの?」
「はい。今はお二人とあの噂についてお話してたところです」
「あー、あの噂ね」
エネオラ先輩も知っているようで、微笑していた。
この噂、学園に結構広まっているようだ。いちいち否定するのも面倒だし、実害があるわけでもないし、好きに言わせておいて問題ないだろう。
「……噂はともかく、ペアでのコンビネーション練習始まってから結構経つけれど、どう? 上手くいってる?」
葉瑠も遅れながらプルタブを開け、話に応じる。
「仮想敵相手なら難なく勝てるようになりましたけど、あの程度の敵じゃあ、上手くいって当然ですよ……」
「そんなことはないよ。このスラセラートじゃあ、単純に敵を倒すことよりも、仲間と連携することの方が難しいんだから」
「どういう意味です?」
エネオラはコーヒーを一口飲み、話を続ける。
「スラセラートに来るような訓練生は自分が一番強いと思っている上、個性が強いから、連携が上手くできない人が結構多いらしいよ」
「なるほど……確かにそれは言えてますね」
みんな個性が強すぎる。
協調性がまるで無い……とまでは言わないが、連携攻撃の訓練を鑑みるに、チームプレイが苦手なのは明らかだった。
そんなエネオラの意見に対し、アビゲイルは声高々に宣言する。
「その点は安心してくださいエネオラ先輩。私と葉瑠の連携は完璧に近いです。最高難易度をクリアする日も近いでしょう」
「ふーん……」
この自信は何処から来るのか……
(でも、あながち間違いじゃないんだよね……)
葉瑠自身も、アビゲイルとの連携は高い水準にあると自負していた。最高難易度は無理かもしれないが、学園内で最高のペアなのは間違いない。
葉瑠とアビゲイルの自信を感じ取ったのか、エネオラは意外な提案をした。
「そんなに自信があるなら……私で連携攻撃を試してみたら?」
「先輩で……?」
エネオラは偉そうな感じで腕を組み、鼻息荒く宣言する。
「そう。私が直々に試してあげる……あなた達が本当に最高難易度をクリアできるかどうかを、ね」
セリフを決めたエネオラだったが、すぐにモモエに真意を見ぬかれてしまう。
「そんなこと言って、勉強の続きをしたくないだけじゃ……」
「だまりなさいモモエ……」
エネオラはモモエにデコピンをかまし、ラボの中央へ歩きだす。
中央には整備中のVFがずらりと並んでいる。全て作業途中のようで、一つとして完璧な姿のものは無かった。
エネオラはその内の適当な1機に飛び乗り、コックピット内へ滑り込む。
「ほら、早く準備して」
エネオラに促され、葉瑠とアビゲイルもVFへ向かう。
……ラボにはシミュレーターは無いため、実際のコックピットを用いて仮想空間に接続し、そこで対戦を行う。
エネオラ先輩との訓練はずっとこれでやってきたし、設定するのに手間も掛からない。
だが、2対1で対戦するのは初めてだ。
コックピットに向かいつつ、アビゲイルは呟く。
「エネオラ先輩は本気で我々とやりあえると思っているんでしょうか。圧倒的に我々のほうが有利かと思うのですが」
「確かにそうだけど……自信が無いとあんな事言わないと思う」
「……何か、作戦があるのかもしれませんね」
一体どうなるのだろうか。
ドキドキしつつも、葉瑠はコックピット内に潜り込んだ。
シミュレーションが始まると、葉瑠の目前に青色が広がった。
限りなく広がる穏やかな海、同じく無限に広がる空には雲は無く、快晴だ。
その青の中、葉瑠は浮遊状態で待機していた。
(負けるわけないですよね……)
葉瑠は改めて自身の兵装を確認する。
操作している機体はAGF、装甲や補助動力装置はデフォルト配置のまま、兵装には硬化性透過流動体(CTL)の成形ユニットを装備していた。
CTL成形ユニットは不可視の刃を好きな形に好きなように成形できるユニットで、その噴出口は両手のひらに付いている。
CTLは極めて視認しにくい武器なのだが、加えて特殊装甲布をマントのように羽織ることで、手元の動きを隠し、武器の間合いもわかりづらいようにしてある。
これらは葉瑠にとって本気装備であり、訓練などで使用している兵装とは一線を画していた。
「お待たせしました」
挨拶とともに隣に出現したのは漆黒のVF……アビゲイル機だった。
アビゲイル機は装甲面積を最小限に抑え、葉瑠機と比べるとスリムな外観をしていた。
しかし軽装甲というわけではなく、腰から脚部にかけて特殊装甲布を幾重にも重ねて装備しており、それは袴を連想させた。
両手には黒塗りのブレードが握られている。ブレードにグリップはなく、手のひらにブレード保持用のパーツが付いていた。
黒塗りのブレードは他に4本ほどあり、腰部のブレードホルダーに固定されていた。
葉瑠は全ての兵装を把握すると、連携攻撃のパターンを頭の中で考え始める。
私のCTLは極めて応用性のある、フレキシブルな武器だ。
流動体を直接相手に当てて動きを止めることもできれば、アビゲイルさんのブレードに付着させてリーチを伸ばすこともできる。パターンは無限だ。
その中からエネオラ先輩に勝つためのパターンを選べばいいだけである。
「二人共早いなあ……私のほうが先に乗り込んでたのに……」
葉瑠とアビゲイルに比べて大きく遅れて出現したのはエネオラ機だった。
エネオラ先輩はセッティングに拘りはないようで、頭部からつま先まで完全なるデフォルト状態だった。
ただ、その手には特殊な形状のコンパクトな武器、独鈷杵が握られていた。
ヴァジュラは簡単に言ってしまえば両端が尖っているただの短い棒だ。
一見すると護身具にしか見えないが、エネオラ先輩はこれだけでランキング4位になったのだから驚きである。
普通の武器を使えばもっと強くなるんじゃないだろうか……
そんなことを考えている間に、エネオラ機はふわふわと飛んで距離を取り、軽く構えた。
「さ、ダメージ設定もエリア設定も済んだようだし、さっさと仕掛けてきなさいな」
手招きするエネオラ機を見て、葉瑠、アビゲイル共に獲物を構える。
「葉瑠、さっさと終わらせて彼女に勉強の続きをさせましょう」
「そうだね」
二人は同時に動き出し、エネオラ機へ近付いていく。
距離は200m、銃を持っていればとっくに牽制射撃している距離だが、両者とも近接武器しか持っていないので攻撃を受ける心配はない。
アビゲイルはオープンチャンネルを切り、葉瑠との専用回線を開く。
「では、『Fクロスファイア』で行きましょう」
「フェイントからの挟み撃ちでしょ? 恥ずかしいからやめようよそのネーミング……」
「……『Fクロスファイア』で問題無いですね?」
「わかったよ、もう……」
葉瑠は溜息をつくと操作コンソールに手をのせ、シート位置を調整する。
短く息を吸って覚悟を決めると、葉瑠は推力を最大まで上げ、フェイント攻撃を行うべくエネオラ機へ目掛けて飛び出した。
コックピットを介しての簡易シミュレーションなのでGの変化はないが、敵機に向かって突進するという行為はかなり緊張するものだ。
仮想空間に漂う均一密度の空気を切り裂き、葉瑠は200mを刹那の間に駆け抜ける。
小さく見えていたエネオラ機は一気に視界の半分以上を埋め尽くし、葉瑠は敵の攻撃圏内に侵入した。
駆け抜けた先、エネオラ機は既にカウンターの体勢に入っていた。
ヴァジュラを前に突き出している。こちらの初動を潰す気だろう。
それでも葉瑠は決めた通りフェイント攻撃を行うベく、右アームをマント内部に隠す。
そして、手の先に透明の刃を成形していると見せかけ、右手を横に薙いだ。
エネオラはそのフェイントに見事に引っかかり、ヴァジュラを刃の軌道に重ね、思い切り良く振りぬいた。
もし刃を出していたら一撃で破壊されていただろう。
ヴァジュラは空を切り、エネオラ機に大きな隙を生み出した。
(よし……)
葉瑠はエネオラ機の真横をすり抜け、反転する。
その時には既にアビゲイルが追い付いてきていた。
「葉瑠」
アビゲイルは静かな掛け声と共に両手のブレードを投擲する。
漆黒のブレードはエネオラ機に命中……すること無く素通りした。
だがこれは攻撃が外れたわけではない。武器を私に投げ渡しただけである。
葉瑠は回転するブレードを手のひらに展開していたCTLで、トリモチの要領で難なくキャッチし、固く握りしめる。
その後間髪入れずアビゲイルはそのまま正面から、葉瑠は背後から、エネオラ機に挟み撃ち攻撃を行った。
……4本の漆黒の刃がエネオラ機に襲いかかる。
しかし、エネオラ機は離脱するどころか回避する素振りも見せず、ヴァジュラを胸の前で構えた。
「……!!」
葉瑠はその動きを見て悪寒を覚えた。……が、打ち合わせた連携攻撃を途中で止めることなどできなかった。
まず到達したのはアビゲイルの左アームの刃、狙いはエネオラ機の脇腹、角度もタイミングも完璧だった。
漆黒の刃は黒い残像を青の空に描きながら、脇腹へ静かに滑りこんでいく。
しかし、その軌跡は命中の直前で途切れてしまった。
「え……」
葉瑠は自分の目を疑わずにはいられなかった。
エネオラ機のヴァジュラが刃の側面を真上から叩き、瞬時に粉々にしてしまったのだ。
驚いたのも束の間、ヴァジュラは常軌を逸した速度で移動し、アビゲイル機の右アームの刃も破壊してしまった。
ヴァジュラが移動したということは、当然エネオラ機も動いたはずなのだが……動きが全く見えなかった。
葉瑠は危険を感じつつも、背後からエネオラに襲いかかる。
葉瑠の攻撃は下方、死角からの斬り上げだった。背後、しかもこの位置からならヴァジュラによるカウンターもないはずだ。
……はずだったのだが、気付くと目前でヴァジュラが鈍く光っていた。
「……ッ!?」
葉瑠は思わず右の刃をヴァジュラに押し付ける。
当然のごとく刃は砕け散り、葉瑠はせめて左の刃だけでもエネオラ機にヒットさせるべく体を捻って突き出す。
しかし、ヴァジュラはそれ自体が生きているのではないかと思うほどの軌道でブレードに襲いかかり、弾き飛ばしてしまった。
遥か彼方へ飛んで行くブレードを見送る間もなく、葉瑠は瞬時に離脱する。
攻撃圏外に出る頃には、エネオラ機はヴァジュラを胸元で構え直し、悠然と浮遊していた。
「嘘でしょ……」
葉瑠がフェイント攻撃を仕掛けてから3秒と経っていない。
あっという間に4本ものブレードが砕かれた事実を、葉瑠は受け入れられなかった。
アビゲイルも葉瑠と同じように、エネオラ機から距離を取った状態で呆然としていた。
「アビゲイルさん!!」
まだ負けたわけではない。
Fクロスファイアの他にも連携技はいくらでもある。エネオラ先輩の反応速度が常軌を逸していると確認できたのだから、それに相応しい技を試せばいいだけである。
葉瑠の呼び声にアビゲイルは遅れて反応する。
「分かっています。まずは距離を取って……」
言葉の途中、エネオラ機が動いた。
次の瞬間、視界から消え去り、アビゲイルとの通信が途絶えた。
葉瑠は遅れながらエネオラ機の姿を見つける。
エネオラ機はアビゲイル機の背後に出現しており、その手には漆黒のブレードが握られていた。
何故アビゲイルは背後の敵に反応しないのか、葉瑠はすぐにその理由を理解した。
「あれ、首が……」
アビゲイル機の頭部パーツが既に切り落とされていたからだった。
頭部を失ったアビゲイル機は機能停止状態になり、エリア上から消え去る。
エネオラ機はブレードを放り捨て、再度ヴァジュラを握り直した。
いつもエネオラ先輩と訓練しているはずなのに、今の彼女はまるで別人のようだ。
アビゲイルさんがいるから本気を出しているのだろうか。前々から戦いのセンスは神がかり的だと感じていたが、もはや鬼神と呼ぶに相応しい。
――こんな人に勝てるわけがない。
「勘弁してよ……もう」
襲いかかってくるエネオラを前に、既に葉瑠は戦意を喪失していた。
「……負けた」
アビゲイルがやられてから数秒と経たない内に、葉瑠も敗北してしまった。
葉瑠はコックピットから飛び降り、作業台があるエリアに戻る。
既にアビゲイルとエネオラは椅子に座っており、コーヒーを飲んでくつろいでいた。
葉瑠もパイプ椅子に座り、疲労と無念が混ざった溜息を吐く。
「……先輩、さっきのあの動き……今まで本気で戦ってなかったんですね」
エネオラは耳に掛かった紫の髪をかき上げ、当然のごとく言い放つ。
「当たり前でしょ。私が本気出したら訓練にならないじゃない」
「はあ……」
訓練でエネオラ先輩に攻撃を命中させられるようになり、自分も少しは強くなってきたかなと思っていたのだが、先ほどのような常軌を逸した高速戦闘を目の当たりにすると、否が応でも自信を失う。
アビゲイルも葉瑠同様あっけなくやられたが、全く落ち込んでいる様子は無く、むしろエネオラ先輩を褒めていた。
「あの精細かつ俊敏な動き……シミュレーションとは言え、やはり貴女は一級のランナーに間違いない。エンジニアにしておくのはもったいないですね」
「いやいや、あれくらいできて普通だよ。ルーメとかシンギ教官なんてもっと凄いんだから」
シンギ教官の名を出して謙遜しつつも、エネオラ先輩は満更でもない様子だった。
悔しいが、エネオラ先輩は今の私達より一枚も二枚も上手だ。
連携攻撃を仕掛けてもこの有り様である。タイマンで勝てる日は来るのだろうか……。
葉瑠が現実の非情さに打ちひしがれている間、アビゲイルはエネオラに問いかける。
「あの機動性、単に反射神経が優れているというレベルでは説明できません。……やはり、貴女には戦闘がスローモーションに見えているのでしょうか」
真面目な口調で問われたにも関わらず、エネオラは小さく笑う。
「あはは……そんな超人じみた能力、持ってるわけ無いでしょ。漫画の読み過ぎじゃない?」
「……」
馬鹿にされたと思ったのか、アビゲイルは言葉を発すること無く静かにエネオラを見つめる。
アビゲイルの鋭い視線に耐えられなくなったのか、エネオラは苦笑いを浮かべ、取り繕うように言葉を発する。
「……あ、でも、戦闘中は特殊な状態になってるのは事実だよ。確か『知覚加速』だっけ?」
聞きなれない言葉に、葉瑠は思わず会話に割り込む。
「なんですかそれ」
「上手く説明できないけれど、その状態に移行すると体が勝手に反応するというか、最適な行動をとるというか、超スピードでババっと攻撃できるの、うん」
エネオラは椅子に座ったまま拳を素早く前に突き出し、満足気に頷いた。
全く説明になっていない……
理解が及ばず、葉瑠は首を傾げる。
アビゲイルには既知の話のようで、「いいですか葉瑠」と前置きし、説明し始めた。
「正確には、視覚や感触から得た情報に対し、ほぼ思考を介さずに最適解を導き、自動的に体が行動することを知覚加速と言います。言うなれば脊髄反射に近いかもしれません。息を吸って吐くように、バランスなど考えずに歩行できるように、当たり前のように高速戦闘を行えるわけです」
「そんなこと……可能なの?」
普通に考えればあり得ない話だ。
説明を聞いた限りではオカルトや迷信の類の匂いがする。
葉瑠から疑い深い視線を向けられつつも、アビゲイルは続ける。
「通常だと知覚した情報は脳に送られ、そこで思考し、判断を下し、最終的に行動に移されます。知覚加速の場合、この思考の過程が自動化・高速化されます。結果、常軌を逸したスピードでの戦闘が可能となるわけです」
アビゲイルはエネオラをちらりと見、更に続ける。
「無意識化で脳のリソースを大量に使用するため、疲労度はかなりあるらしいですが……何にせよ、私には無縁の話ですね」
「そんなことないと思うよ。アビゲイルは十分強いし、知覚加速もすぐにマスターできるって」
エネオラは励ましていたが、葉瑠はアビゲイルに完全同意だった。
(無理だよね……ロボットだし)
アビゲイルは脳を持っていないどころか思考プロセスも人間と大きく異なっている。
むしろ機械であるアビゲイルのほうが人間とは比べ物にならないくらいのスピードで戦闘を行えそうなものだが……何かしら技術的な問題でもあるのだろうか。
……とにかく、知覚加速の理屈は理解した。
が、問題はそれを実践できるかどうかだ。
葉瑠は早速エネオラに知覚加速の会得方法について質問する。
「それって、どうすればできるようになるんです?」
エネオラは顎に手をあてがい眉を顰める。が、すぐに破顔して肩をすくめた。
「ごめんわからない。私の場合は知らない間にできるようになってたし……自分なりに感覚を掴むしかないんじゃない?」
「そんなあ……」
せっかく話を聞いたのに習得できないなんて……何だか損をした気分だ。
葉瑠は肩を落とし、背もたれに体を預ける。メガネもずり落ち、気分まで沈み込む。
暗い空気に耐えられなかったのか、今の今まで黙っていたモモエが急に明るく振る舞位始めた。
「き、今日はこのへんで終わりにしませんか? 片付けは私がやっておきますから、ね?」
それは葉瑠に向けられた言葉だったのだが、いち早く反応したのはエネオラだった。
「ほんと? じゃ、遠慮なく帰らせてもらうね」
エネオラはそう言うとバッと立ち上がり、ラボから去っていく。
アビゲイルは彼女を追うように声を掛ける。
「あ、エネオラ先輩、まだ勉強の途中ですが……」
「続きは明日でお願い……あ、明日は葉瑠が教えてよ?」
出口付近からの言葉に、葉瑠は軽く手を上げて応じる。
エネオラはそれを了解のサインと理解したらしく、そのままラボから姿を消した。
あんな人がランキング4位の強者だなんて、未だに信じられない。
果たして私はあの人に追い付くことができるのだろうか……
「はあ……」
ため息しか出ない葉瑠だった。




