01 -新学年-
4 漆黒の双刃
1 -新学年-
朝
静まり返った道を、一人の少女が走っていた。
全身ジャージ姿、走るペースは早くない。ランニングだろうか、額は汗で濡れ、前髪が張り付いていた。
その前髪の下、メガネの奥の瞳は真っ直ぐ前に向けられている。
表情は真剣そのもので、低身長で華奢ながらもアスリートの雰囲気を漂わせていた。
足を動かす度に小さな吐息が口から漏れ、ジャージの裾から細い腰が見え隠れし、後ろに纏めた髪が波打つ。
腕にはランニングウォッチが巻かれ、液晶画面には走行距離が表示されていた。
その数値が5000に到達すると、少女は走るのを止め、歩き出す。
荒かった呼吸も次第に穏やかになり、そのまましばらく歩くと水平線から太陽が顔を覗かせ始めた。
陽の光は彼女を照らし、朝の闇の中で彼女を浮かび上がらせる。
少女は光を遮るように手で影を作り、目を細めて太陽を見る。
「日の出、ちょっと早くなったかなあ……」
そう呟いたのはスラセラート学園、ランナーコース訓練生の川上葉瑠だった。
スラセラートに入学してからちょうど1年。
この海上都市の雰囲気や気候にも随分慣れたように思う。赤道上とあって日照時間はほぼ一定で、日の出の時間も殆ど変化ない。規則正しい生活を送るには最適の場所だ。
気候も一定で、衣替えしなくて済むので経済的だ。
勿論、学園での生活にも慣れた。
エンジニアコースに入る予定だった私がランナーとしてやっていけるかどうか不安だったが、今はそんな不安はない。
日々のトレーニングは欠かさないし、強くなるための特訓にも力を入れている。
朝の5kmランニングもどんどんタイムが縮まっているし、疲労度も少なくなっている。
学園ランキングでも順調に順位を上げているし、毎日が充実している感じだ。
それに、つい最近にはランキングを制覇するという目標もできた。勝って勝って勝ちまくって、宏人さんに強さを証明するのだ。そうすれば宏人さんは私のことを好きになってくれるはずだ。
この不純な目標を胸に頑張り、この2ヶ月あまりで6回ほど戦い、順位を49位から35位にまで上げた。
2勝4敗……負けた回数の方が多いが、ランキング戦において挑戦者は負けてもデメリットが全く無いので問題ない。
この調子で行けば、半年後には宏人さんは私の物になるはずだ。恋人になればあんな事やこんな事も……
(ん、いけませんね……)
葉瑠は無意識の内に流れ出ていた涎を拭い、帰路につくことにした。
女子寮、自室に戻るとベッドの上で大の字に寝ている女性が視界に入った。
モデルのように長い四肢は四方八方に投げ出されてベッドからはみ出ており、下着も半分脱げかけて色々とはみ出ていた。
ブラウンのショートカットは寝癖で爆発しており、口はだらしなく開かれ、普段の精悍な面構えからは想像もできないほどマヌケな表情で寝息を立てている。
(寝相、ますますひどくなってますね……)
葉瑠は呆れつつも女性の手足をベッドの中に収め、枕を後頭部に押し入れる。
女性は「んん」と唸ったかと思うと、再び寝息を立て始めた。
……彼女の名前は橘結賀という。
結賀は私のルームメイトで、この学園内で最も信頼できる一番の親友でもある。
サバサバした性格の持ち主で、喧嘩っ早い上、腕っ節も強い。そのせいか、初対面で男の人だと間違えてしまった。
実際、男物の服を着ると線の細いイケメンに見えなくもない。
ただ、彼女自身あまり性別に関して頓着はないようで、男女構わず誰に対しても気さくに接している。
ガサツで勉強が苦手な彼女だが、VFランナーとしてはかなり優秀だ。
学園ランキングでは24位から13位まで順位を上げ、TOP10入りも目前だ。
(トップになるには、いつかは結賀を越えないと駄目なんですよね……)
今の時点では勝てる気がしない。が、まあ、何とかなるだろう。
葉瑠は結賀から離れ、ジャージを自分のベッドの上に脱ぎ捨てる。
そして、汗を流すべくシャワールームに入った。
10分掛けて汗を洗い流した後、葉瑠は脱衣所で新しい下着とクリーニングしたての制服に着替える。
部屋に戻ると結賀がベッドの上で寝ぼけ眼で座っていた。
葉瑠はバスタオルで髪を細かく叩きながら自分のベッドに腰掛ける。
「ごめん、シャワーの音うるさかった? まだ寝てても大丈夫だよ」
いつも時間ギリギリまで惰眠を貪っているのに、今日はどうしたのだろうか。早起きされると逆に心配になる。
結賀は「いや……」と応え、眠気を吹き飛ばすかの如く頭を左右に振る。
「さすがに今日は寝坊しちゃ駄目だと思ってな……」
よく見ると結賀の手には目覚まし時計が握られていた。
時刻は7:30、日付は4月1日。
その日付には見覚えがった。
「今日から2年生だね」
「おう、2年生になっちまったな……」
今日から新年度だ。
1年生は2年生に、2年生は3年生に、そして3年生は卒業だ。
宏人さんも卒業のはずだが、まだ何も聞いていない。
(忙しいんでしょうね……)
宏人さんはシンギ教官に連れられ、URの討伐に向かったと聞いている。
あれから全く連絡はないが、多分スラセラートに残留するだろう。
「はあ……」
進学できて喜んでいると思いきや、結賀は溜息をついていた。
「どうしたの、元気ないよ結賀」
葉瑠は結賀のベッドに移り、隣に腰掛ける。
「結局、リヴィオに勝てなかったと思ってな……」
結賀は頭を抱え、ベッドに仰向けに倒れた。
「2年までにはぶちのめすつもりだったんだが……やっぱつえーな」
「しょうがないよ。あっちもあっちで強くなってるみたいだし」
『リヴィオ・ミレグラスト』は私達と同じ学年、同じクラスに属する訓練生だ。
学園ランキングは9位。素手によるクロスレンジでの格闘戦が得意だ。
ちなみに、結賀が得意とするのは鎖による捕縛攻撃だ。相性的には結賀が有利そうなのだが、それだけ実力に差があるということなのだろう。
結賀もそれを十分理解してか、枕に顔を埋めて悔しげに唸っていた。
……が、数秒と経たない内に再び寝息が聞こえてきた。
(全く……)
やはり結賀に早起きは無理だったようだ。
それから葉瑠はいつもどおり、時間ギリギリまで結賀を寝かせておくことにした。




