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黄昏のヴァイキャリアス  作者: イツロウ
 3 二重の鎖
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 09 -人の絆-

 09 -人の絆-


 家を飛び出してから15分

 結賀は沿岸部と中洲を繋ぐ中途半端な長さの橋の上を歩いていた。

 橋の向こうの中洲には主に歓楽街があり、駅もある。深夜だというのに街の灯りは消える気配がない。昼間よりも明るいのではないかと思うほどだ。

 灯りは川に反射し、水面に鈍い光を生み出していた。

 そんな光の中、唯一光を反射していない場所があった。川の中腹、砂が堆積してできた細長い島……いわゆる砂州だ。

 朝方から昼間にかけて釣りをしている人がちらほら見られる場所だが、夜中とあって誰の姿もない。

 そもそも暗くて人がいるかどうかも定かではない。

 結賀は橋の上で立ち止まり、砂州を眺める。

(……懐かしいな)

 昔はよく学校をサボってあそこで時間を潰していたものだ。

 意味もなく石を投げたり、遠くの海を行き交う船を眺めたり……

 そう言えば、釣り人に混じって暇そうなサラリーマンや学生も結構いた気がする。決して景色がいい訳ではないが、何故か心が落ち着く場所だった。

 夜に来るとまた違った趣がある。だが、流石に砂州に降り立つ気はなかった。

 結賀は海へと続く砂州を眺めつつ、深い溜息をついた。

「はあ、何やってるんだオレは……」

 ……危うく葉瑠を殴ってしまうところだった。

 あんなことをするつもりはなかった。葉瑠が来ても冷静にいられると思っていた。

 だが、結局は無理だった。すぐにキレてしまう自分を殴ってやりたいくらいだ。

 それはそれとして、マウントを取った時の葉瑠の反応には正直ドキリとした。

 葉瑠のあの目……全てを諦め、悟ったような目。

 あんな目は今まで見たこともない。現実を拒絶した目、気力を失った目……まるで人形のように思えて不気味だった。

 葉瑠の過去を垣間見れた気がした。

 大罪人を父に持つ葉瑠のほうがよっぽど被害者なのだ。私の倍以上辛い人生を送ってきたに違いない。

 だからこそ、結賀は自分に怒りを覚えられずにいられなかった。

「頭悪すぎだろ……」

 葉瑠は良いやつだ。一見頼りなさそうに見えるが、芯が通っていて正直な人間だ。

 それに可愛い。

 私はそんな葉瑠を好きになった。

 親が誰であれ、生い立ちがどうであれ、そんなことは友情に関係のないことだ。

 頭ではそう理解していても、どうしても心が納得してくれなかった。

 心をコントロール出来ない自分の未熟さに腹が立つ。

「クソッ……」

 結賀は思わず悪態をつく。

 そして、橋の柵を蹴る。蹴った衝撃で装飾が施された金属柵は細かく振動し、独特な振動音を周囲に響かせた。

 その瞬間、橋の前方から「うおっ」と驚きの声が聞こえた。

 結賀は前方を見る。

 そこには派手な格好の若者の集団がいた。

 その集団の中の一人、金髪の男が欄干に背を向けた状態で仰け反っていた。

 どうやら欄干に背を預けていたようだ。私が蹴った振動に驚き、先程の情けない声をあげたのだろう。

 金髪はすぐに原因が分かったのか、こちらを指さし近づいてくる。

「おい、喧嘩売ってんのかテメー」

「……」

 こういう手合は無視するのが一番だ。

 結賀は目を合わすことなく踵を返し、その場から離れようとする。

 すると、金髪の男は更に声を荒らげた。

「無視かよ、おい!!」

 金髪は小走りでこちらに追いつき、肩を掴んできた。

 結賀はやむを得ず振り返る。近くで見ると何とも頭の弱そうな男だった。

 年齢的に高校生だろうか。見たところ体つきも普通だし、格闘の心得があるようにも見えない。

「さっきのわざとやったろ。てめー何年だ? あ?」

「……」

 少し酒臭い。

 結賀は呼吸を止め、金髪の背後にいる仲間を観察する。

 仲間は全員男で計4人。似たり寄ったりのヤンキーだった。そして、足元にはビール缶や瓶が転がっていた。

 目立たない場所で飲めばいいものを、人目につく往来で飲むなんて、度胸があるのか余程の馬鹿なのか……間違いなく後者だろう。

 全く怖くないし、やり合えば勝てる自信がある。

 だからと言って無闇に暴力沙汰を起こすつもりはなかった。

 結賀は彼らを追い払うべく適当にあしらう

「ごめんな。オレが悪かった。じゃ」

 軽い感じで謝ったが、彼らには気に食わなかったらしい。

 金髪はこちらの腕を強引に掴み、ぐいっと引っ張る。

「バカか、そんなんで許すかよ……こっち来い」

「はいはい……」

 相手は酔っぱらいの高校生、適当に殴れば逃げるだろう。今すぐにでも顎に一発決めてやりたいが、一応ここは道路の上だ。ふらりと車道に出て衝突事故でも起こされたら寝覚めが悪い。

 結賀はすぐに5人に囲まれ、彼らと共に橋を進み始める。

 渡り終えると川沿いの遊歩道に連行され、橋の下の暗がりに連れこまれた。

 視界の大半が落書きされたコンクリートで覆われている。堤防があるおかげで住宅地からは全く見えないし、なかなかいい場所だ。

 彼らにとっては慣れた場所なのだろう。それぞれ逃げ場を塞ぐように等間隔に立っていた。

 満を持して金髪が告げる。

「よし……取り敢えずサイフ出せ」

「……」

 ここならば思う存分殴ってやれそうだ。もしここで気絶させても、朝になれば誰か通るだろうし大丈夫だろう。

「サイフね……」

 まずは、サイフの中身を見せるふりをして至近距離からヘッドバットといこう。

 結賀はポケットからサイフを取り出す。……と、暗い空間に低い男の声が響いた。

「君たちは何をしているんだ……」

 声は川側から聞こえてきた。

 全員がそちらを向くと、そこにはロングコートに身を包んだ長身の男が立っていた。

 暗いのでよく分からないが、ただならぬ雰囲気を放っていることだけは理解できた。

 男はゆらりと歩み寄ってくる。結賀は勿論、ヤンキーも彼を見て固まっていた。

「秩序がないからこのような犯罪が起きる」

 目前まで来ると、ようやく結賀は男の顔を見ることができた。

 顔は面長で、頬は痩せこけ、不健康的な顔つきだ。その割に目は大きく、結構気味が悪かった。悪魔でもここまで不気味な顔つきはしていないだろう。

 男は一人で長々と語り出す。

「……いや、犯罪自体は無くならない。彼らが悪いわけではない。悪いのはこのような社会構造を作ってしまった先人、愚かな先人。責めるべきは個人ではなく社会システム。前時代的なシステムこそが悪。……如何にしてシステムを再構築するか、それが問題だ」

 ……意味がわからない。

 私に理解できないことがヤンキーどもに理解できるわけがなく、金髪の男はロングコートの男に食って掛かる。

「おい、ごちゃごちゃうるさ……ぐ」

 言葉の途中、ロングコートの男は細長い腕を素早く伸ばし、金髪の男の口を顎ごと覆い隠した。

 指も病的なほど細長く、それは金髪の男の頬や喉元に深く食い込んでいた。

 金髪の男は咄嗟に細長い腕を引き剥がそうとしたが、見た目に反してその腕はビクリとも動かない。

 数秒ほど掴むと、ロングコートの男は手を放した。

「君たちはまだ若い。更生の余地がある。簡単に再構築可能だ。近い将来、世界に完璧な秩序が形成される。楽しみに待っているといい」

 そこまで言うと、不気味に笑い出した。

 やばい。この男は何だかヤバイ人だ。

「何だこいつ、やべーよ……」

「イカれてる……」

「もう行こうぜ」

「ああ、そうだな……」

 ヤンキーは危険を敏感に感じ取ったのか、私のことなど丸っきり忘れてその場から離れていく。

(逃げよ……)

 結賀も彼らに習って離れようとしたが、不運にも呼び止められてしまった。

「大丈夫だったか、少年」

 ……雰囲気を見るに敵意はないみたいだ。

 と言うか、あれで私を助けてくれたつもりだったらしい。

 結賀はぶっきらぼうに応じる。

「お前こそ頭大丈夫かよ……うわっ、びしょ濡れじゃねーか。きもちわりーな」

 よく見ると体中水浸しだった。川から上がってきたのだから当然といえば当然である。

 ロングコートの男は不服そうに言い返す。

「助けてもらっておいてその言いよう、感心しないな」

「何だよ、まともに話せるじゃねーか」

 話が通じそうで安心した。

「ああいう手合は理解できないモノを前にするとどうしていいか分からず逃げ出してしまうものだ」

 男は高説を垂れながらコートの裾を持ち、絞る。すると大量の水が地面に落ち、小さな水たまりを作った。

「変人装って撃退って……虚しくねーのかよ、おっさん」

「誰も傷つかなかった。この結果は素晴らしいと思うがね」

「まーな……」

 ……どうしてこの時間に川で泳いでいたのか理由はわからないし、年齢も出身地も仕事も何もかも全く分からないが、このおっさんとは気が合いそうだ。……というか、初めて会った気がしない。

「とりあえず場所変えようぜ」

 このおっさんともう少し会話がしたい。

 こちらの考えを理解してくれたようで、男は遊歩道に向かって歩き出す。

「そうだな。こんな所にいたら不審者に間違われてしまう」

「どこにいても不審者にしか見えないけどな……」

 ただでさえ痩せこけた長身で目立つのに、それがロングコートを着込んでいれば嫌でも目につく。

 二人は橋の下から離れ、遊歩道のベンチに移動する。

 男はロングコートをばさっと広げ、ベンチの背に引っ掛ける。もともと耐水性の素材だったのか、既にコートは乾き始めていた。

 結賀はベンチに座り、ロングコートの男に問いかける。

「おっさん、ここらへんの人間じゃないよな。観光?」

「いや、仕事だ」

 男は前傾姿勢でベンチに浅く腰掛け、自らの膝に肘をつく。

 隣に座る男を眺めつつ、結賀は勝手に仕事を予想する。

「仕事……VF関係か」

「どうしてそう思う?」

「ここらへんで仕事っつたら船かVF……つーか、ランナーだろおっさん」

「……どうしてわかった?」

 直感で適当に言ったつもりが、当たりだったみたいだ。

 結賀は手を首の後で組み、ため息混じりに呟く。

「何故かそういうの分かっちまうんだよなあ……」

 初めて葉瑠に会った時もそうだった。

 葉瑠はエンジニアコースを受験するつもりだったのに、私は葉瑠がランナーコースを受けるものだと思い込んでいた。

 結局葉瑠はランナーになったので私の予想は的中していた。

「他のことはまるっきり気づけないのにな……」

 こういうのはよく当たるのに、どうして本質を見抜けなかったのだろうか。

 葉瑠が更木の娘だと、どうして見抜けなかったのだろうか。

「……何か悩み事でもあるのか」

 男に話す道義はないが、ついつい結賀は悩みを告白してしまう。

「騙されてたんだ。ずっと……」

「詐欺にでもあったのか?」

「いや」

「裏切られたのか?」

「いや」

「……もしかして、恋愛関係か?」

「ちげーよ」

 結賀は立ち上がり、力強く否定する。

 男は特に反応を示さず、相変わらず浅く腰掛けて前を見ていた。

「なら、何をどう騙されたんだ」

「それは……」

「他人には言えない話なのか」

「うっせーな。根掘り葉掘り聞くなよおっさん」

「……確かにその通りだな。赤の他人が足を踏み込む問題でもないな」

 男も立ち上がり、ベンチの背からロングコートを取る。

 乾いたコートを羽織りつつ、男は結賀に告げる。

「一つだけアドバイスをくれてやろう。相手の立場になってみることだ。人間関係は勿論、戦闘においてもこの考え方は役に立つぞ、少年」

(オレは男じゃねーよ……)

 心のなかで突っ込みを入れつつ、結賀は今更ながら葉瑠の気持ちを考える。

 葉瑠はずっと本名を隠していた。

 食堂でトマトサンドを食べている時も……

 私の下らないジョークを聞いて笑ってくれている時も……

 VFの操作訓練を行っている時も……

 ずっと悩んでいたに違いない。

 本名を暴露された時、葉瑠も同じくらいショックを受けたはずだ。

 あの葉瑠のことだ。今の私とは比べ物にならないくらい深刻に考えているに違いない。

 謝れば済む話だが、どう謝ればいいのだろうか。

 男が去った後も、結賀は一人ベンチに座り、その方法をずっと考えていた。



 結賀が部屋から出て行った後、遅れて葉瑠も家を出た。

 しかし、背中の痛みが引くまで20分、飛ばされた眼鏡を探すのに15分も掛かってしまい、家を出た時には追いかける手立てが何もなかった。

 セブンのアドバイスに従い海岸沿いの道を歩いているわけだが、一向に結賀が見つかる気配がない。

 家を出てはや30分、夜も深まってきたし、流石に眠くなってきた。

「そろそろ戻ったほうがいいでしょう」

「ごめん、もう少しだけ……」

 セブンからの忠告を無視し、葉瑠は歩き続ける。

 こういう場合、家で結賀の帰りを待っているのが賢いのだろう。だが、葉瑠は結賀の姿を探さずにはいられなかった。

 ……夜の海は暗く、そして黒かった。

 昼間は青かった海も、今は黒い液体の集まりにしか見えない。

 水中など見えるわけもない。何が潜んでいるのかわかったものではない。

「何を探しているのですか。彼女が海に飛び込んだと思っているのですか」

「違うよ……」

「ならば、しっかりと前を向いて歩くことです。夜道は危険です」

 葉瑠は言われた通り前を向く。

 セブンは私がどの方向を向いているのか、そんな細かいことまで見えているようだ。

「そうだセブンさん、監視衛星で結賀を探せないです?」

「探せますが、今は別件で使用中ですので無理です」

「そうですか……」

 葉瑠は足を止め、その場にしゃがみ込んだ。

「疲れましたか?」

「ちょっとだけ休憩します」

 気絶したこともあり、そこまで体調はよくない。今も頭がふわふわしている。

 暫くこうやってしゃがんでいれば回復するだろう。

 黙って休んでいると、波の音が耳に届きはじめた。

 その音は、夜のねっとりとした暑い空気を少しだけ爽やかにしてくれた。

 心地のいい音だ。ずっと聞いていられる。

 葉瑠は目を閉じ、音に集中する。

 規則的に繰り返される音は、疲れきった葉瑠の心と身体を癒やしていく。

「……零時を過ぎました。そろそろホテルに行きましょう」

「っ!?」

 葉瑠は涎を手で拭い、携帯端末を見る。

 ちょっと休んだつもりが、1時間近く眠っていたらしい。

 慌てて立ち上がる……と、いつの間にか正面に人が立っていた。

「!?」

 葉瑠は驚き、思わず後ずさる。しかし、すぐに知り合いだと分かり胸を撫で下ろす。

 真正面に立っていた女性……それはイリエ教官だった。

「イリエ教官、どうしてこんな所に……?」

「道端でうずくまっていたので気分でも悪いのかと思ったんですが、心地よさそうに寝息を立てていたので、こうやって見張ってあげていたんです」

「ありがとうございます……」

 頭を下げながら葉瑠は改めて考える。

 イリエ教官、深夜にこんな人通りの少ない場所で何をしていたのだろうか。……そもそも、何故彼女が日本にいるのだろうか。

「イリエ教官、いつ日本に……」

「観光です」

 イリエ教官は即答し、矢継ぎ早に質問する。

「そういう川上さんは?」

「結賀と一緒に帰省です……」

「友達同士で里帰り……いいですね、仲が良さそうで羨ましいですよ」

 イリエ教官は歩道のガードレールに腰掛ける。

 葉瑠も真似をしてガードレール近づいたが、高さがあるせいで座ることができなかった。

 葉瑠は立ったままイリエに応じる。

「仲良くなんて……ないです」

 言葉にすると途端に虚しさがこみ上げてきた。

 結賀は見つからないし、見つけたとしてもどう声を掛けていいか分からない。

 仲直りできる気もしない。

 そう思うと、自然と涙が溢れてきた。

「う……うぅ……」

「ちょっと、川上さん? 何で、急に泣いて……えー……」

 イリエはオロオロしながらも葉瑠を浅く抱き、恐る恐る頭を撫でる。

 それから葉瑠が落ち着くまで、イリエはその状態を維持し続けていた。

 


「――なるほど、喧嘩ですか」

 10分後、二人は近くにあったバス停のベンチに場所を移していた。

 木製のベンチは塗装が剥げ、脚もグラグラしている。だが、女子二人の体重に耐えるには十分過ぎる強度を保っていた。

「私、ずっと結賀に隠し事してまして、それがとうとうバレてしまって……」

 眼鏡の縁のお陰であまり目立たないが、葉瑠の目元は赤く腫れていた。

 すんすんと鼻をすする葉瑠に対し、イリエは優しく応じる。

「何か大事な物でも壊してしまってたんですか?」

「もっと根本的な秘密です。これを知っていたら、友達になるどころか、軽蔑されていたと思います」

「ものすごい秘密なんですね」

「はい……」

 葉瑠の言葉に耳を傾けつつ、イリエは彼女の秘密とやらについて考えていた。

 一応、訓練生の情報は一通り頭に入れてある。

 川上葉瑠の秘密と聞いて思い浮かぶのは、彼女の兄があの川上宏人ということ、VFエンジニアとしては優秀で、トリッキーな方法でアビゲイルに勝利したこと、ダイヤモンドヘッドでの乱入騒ぎの時に居合わせ、リヴィオ・ミレグラストのサポートを行い、ジェイクさんのVFを追い払ったこと……くらいなものだ。

 ランキングは下から数えたほうが早いが、意外と活躍しているランナーでもある。

 ……後は特に知らない。

 多分、秘密にしているというのは、VFとは関係のない個人的なことに違いない。

(何だかんだで多感な時期ですからね……)

 この年頃の少年少女は小さなことでも大袈裟に悩んだりする。

 イリエは葉瑠の悩みを解決できないかと思い、親身になって相談に乗ることにした。

「……私も、結構すごい秘密を抱えているので川上さんの気持ちはよくわかります」

「そうなんですか?」

「そうなんです。……私の場合は釈明の余地もないほどの秘密ですが、川上さんの場合はどうです?」

 イリエはベンチに座り直し、葉瑠の目を見る。

 目尻は下がり、口元はきつく結ばれ、救いを求めるようにこちらを見ていた。眼鏡のレンズ越しに映る瞳は涙で潤んでおり、街灯の光を集めてキラキラ光っていた。

 一回り年下の華奢な少女にこういう目で見られると、なんか、こう、胸に来るものがある。

(これは反則ですね……)

 こみ上げてくる衝動を抑えつつ、イリエは続ける。

「精一杯謝罪すれば許されるレベルの秘密なら、誠意を見せればいいじゃないですか。相手に分かってもらえるまで必死で説明すればいいんです」

「説明……」

「そうです。あなたに落ち度がないのなら、橘さんはきっと分かってくれますよ」

「そう、でしょうか……?」

「必ず分かってくれます。人と人の絆はよく糸に例えられますが、実際は鎖のように頑丈です。切りたくてもそう簡単に切れるものではありませんし、切れたとしても簡単に繋ぎ直せるものですよ」

「……」

 少し臭いセリフだっただろうか。

 そう思っていたのはイリエ本人だけだった。

「絆……」

 葉瑠は言葉に感銘を受けたようで、目を輝かせていた。

 先程までのげんなりした様子が嘘のようだ。

 葉瑠は強引にイリエの手を掴んで握手すると、すぐさま立ち上がった。

「私、結賀を探しに行きます。会って、説明します!!」

 やはり若者は立ち直りが早い。

 だが、教官として、こんな夜中に訓練生を出歩かせる訳にはいかない。

「その心意気は買いますが、時間が時間ですし明日にしたほうがいいですよ。今日はもうホテルに戻ったらどうですか」

「……はい。色々とありがとうございました」

 良い返事だ。

 葉瑠はペコリと会釈するとバス停から離れ、街の方角に歩き去っていった。

 やがて姿が見えなくなると、イリエはため息を付いた。

「ふう……」

 そして、周囲に人の気配がないことを改めて確認すると、囁いた。

「出てきていいですよジェイクさん」

「鎖、か……言い得て妙だな」

 道路を挟んで向こう側、暗闇から現れたのはロングコートを着込んだ長身の男……ジェイクだった。

 ジェイクはバス停の灯りに入らず、暗闇に身を置いたまま続ける。

「会話の内容から察するに、彼女以外にまだ一人、スラセラートの訓練生が近くにいるようだな」

「川上さんと橘さん……両名ともランナーコースの訓練生ですけど……って、来るのが遅いですよジェイクさん。今まで一体何していたんですか」

「慎重に移動していたんだ。ただでさえジリアメイルは巨体だからな。1機だけとは言え、痕跡を残さず海底を移動するのは骨が折れた」

「あれ、私のウィクレルは?」

「今回の計画には必要がない」

「必要ないって……一体どんな計画なんです? 早く聞かせてくれませんか」

「そう焦るな。あと、あまり大声を出すな」

「すみません……」

 ……ジェイクさんから暗号化メッセージが届いたのが2時間ほど前。

 セブンの監視網に引っかからないように携帯端末をホテルに置き、監視カメラなどに写らないようにここまで来た。

 待ち合わせ場所に川上葉瑠が現れた時は計画がバレたのではないかと心配したが、杞憂に終わってよかった。

「では、計画を口頭で伝えるぞ」

「あ、ちょっと待ってください。運良くデータを収集できたので渡しときます」

 イリエは手首のスナップだけでデータカードを暗闇に向けて放り投げる。

 暫くするとジェイクが感嘆の声を漏らした。

「これは……ファスナ・フォースの新兵装か。よく撮影できたな」

「色々ありまして……それより新兵装です。基本性能の向上に加え、射撃系装備も充実してます。あと、見てわかると思いますけど装甲が凄く厚くなってます」

「単機なら対処も難しくないが、複数で囲まれると辛そうだ」

 溜緒の実験場でのテストではケイラインに乗るソウマが勝利したが、かなりの時間耐えられていたように思う。明らかに防御性が2段階以上強化されている。あれならジリアメイルの特殊ライフルも防げそうだ。

 イリエは工房についても情報を伝える。

「工房も外観をざっと見ましたけれど、防衛設備は殆どありませんね。何機かVFがありますけど、どれも前時代のフレームを使った旧式のVFです」

「主の情報通りだな。問題なく計画を進められそうだ」

「その計画ですけど……いい加減そろそろ教えてくれませんか」

 流石に気になる。焦らされるのは好きではない。

 ジェイクはデータカードを投げ返し、計画の概要を告げた。

「一般人を人質を取り、全データの消去を工房に要求する」

「はい?」

 あまりにも非効率的な計画に、イリエは条件反射で文句をつける。

「何でそんな面倒なこと……建物ごと全部破壊すればいいじゃないですか」

「普通ならそう考える。だが、全てを破壊した所で、設計データを消去しなくては意味が無い」

「確かに、バックアップは必ず取ってると思いますけれど……」

「だろう。データの消去が確認でき次第、人質を解放し、避難させた上で改めて工房を破壊する」

「避難させている間に応援が来たらどうするんですか……」

 その間セブンや工房の職員が大人しくしているとは思えない。

 こちらにはジリアメイル一機しかいない。撃たれる前に撃ての精神で戦わなければ、あっという間に負けてしまう。

 だが、ジェイクさんは考えを変えてくれなかった。

「イリエ、お前も物騒なことを言うようになったな。……我々はテロリストかもしれないが、人殺しではないぞ?」

「この間は大義名分のためなら人を殺してもいいって言ったじゃないですか……」

「確かに言った。が、全てにおいて主からの指示が優先される。……今回の作戦では被害を出すなと主から命を受けている。分かっているな?」

「そういうことでしたか……」

 主からの命令なら仕方がない。

 もし制約がなければジェイクさんは私の予想を遥かに超える方法で工房を破壊していただろう。それこそ町ごと爆撃していたかもしれない。

「とにかく、明日の朝決行だ。準備を怠るなよ……」

 ジェイクの気配が消えかけ、イリエは慌てて呼び止める。

「ちょ、ちょっとジェイクさん、待ってください。計画の実行を先送りにしませんか」

「……何か理由でもあるのか」

「実は今工房にソウマが来ているんです」

 ソウマの名を出すと、ジェイクさんは渋い声で唸った。

「む、カシワギソウマ……無敗のランナーか」

「あと、他にも気になる女が……」

 ソウマも脅威だが、七宮重工の社長、稲住愛里もかなりヤバイ。

 詳しく説明できないが、絶対に関わってはならない種類の人間だ。

 愛里の危険性を伝えるべく言葉を選んでいると、ジェイクはきっぱりと言い放った。

「……決行だ」

「えー……」

「案ずるな。全て上手くいく。……また連絡する」

 そう言うと、あっという間にジェイクさんの気配が消えた。

 イリエは追いかけようとしたが、すぐに無駄だと悟りベンチに腰を下ろした。

 ……本当に大丈夫だろうか。

 不安しか感じられないイリエだった。

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