08 -溝-
08 -溝-
日が沈み、夜。
溜緒工房に隣接された事務所内、その会議室にて
ネイドルフを筆頭とした関係者が集まり、小さな会食会が行われていた。
参加者は合計で4名、もはや会食会というよりただの飲み会だ。
……その4名の中に葉瑠も含まれていた。
葉瑠は俯きがちに、紙コップに注がれたオレンジジュースをちびちび飲んでいた。
(私、どうしてここにいるんでしょうか……)
飲み会は会議室の長テーブルを食卓代わりに使って行われており、4名それぞれが斜めに向かい合う形で座っていた。
葉瑠はテーブルの左端に座り、右斜め前には見知らぬ男性、少し離れて隣にはネイドルフさん、一番離れた席には稲住社長さんが座っていた。
会が始まって30分。3人の会話は途切れることなく続いており、今は昼間に行われた新兵装のテストの結果について話し合っているようだった。
(テスト、私も見たかったです……)
テストは私が気を失っている間に行われたらしい。
今まで素手でしか運用されていなかったが、このグレードアップ兵装を身につけることで銃火器や近接武器も使えるようになるとのことだ。
テストは問題なく終了し、ようやく量産体制に入るようだ。
葉瑠は新兵装のテストの事を気にする一方で、それよりも前に発生した大事件について思いを巡らせていた。
(みなさん、私が更木の娘だって知ってるんですよね……?)
父の直属の上司だった稲住社長により、私の正体は明かされてしまった。
その時のショックで私は気を失い、この事務所の診療室に運び込まれた。
ベッドの上で目が覚めた時、ネイドルフさんの反応は予想に反して普通で、後からやってきた稲住社長も優しかった。
父はこの溜緒工房も破壊してしまったわけだし、ひどい言葉を浴びせられて追い出されるかと思っていたので、逆に困惑してしまったほどだ。
ただ、いくらベッドの上で待っていても結賀は来てくれなかった。
そんなこんなで暫く休養を取り、つい30分前に1階の診療室から2階のこの会議室に連れて来られたというわけである。
お腹が空いていたので夕食代わりにさきイカや柿の種など酒の肴を頂いたわけだが、それ以降はずっとジュースを飲んで縮こまっている。
大人の会話に混ざる勇気もないし、かと言ってこの場から離れても行く場所がない。
(あ、ジュース……)
紙コップが空になり、葉瑠は恐る恐るテーブル上のペットボトルに手を伸ばす。
その行動が目についたのか、向かいに座る男性が話しかけてきた。
「ジュースだね、取ってあげるよ」
男性は片手でペットボトルのふたを開け、こちらに手渡してくれた。
葉瑠は「どうもです」と受け取り、オレンジ色の液体を少しふやけた紙コップに注いでいく。
男性は私のことが気になったのか、稲住社長に問いかける。
「……ところでアイリ社長、この子は誰だい?」
「聞いていないの?」
「一応、スラセラート学園の訓練生で、結賀ちゃんと一緒に見学中に体調を崩して医務室に運ばれて、ついさっきまで寝ていたことは知っているけれど……」
「そこまで知っていれば十分じゃない。それとも何? 好きな食べ物とか男性のタイプが聞きたいのかしら?」
「そういうわけじゃないよ。あの結賀ちゃんと友達になってくれる娘がどんな子なのか気になってね……」
男性の質問を聞き、ネイドルフはビール缶をテーブルに置いた。
「おっと、すまなかった。先に紹介するつもりがすっかり忘れておったわ」
そう言ってネイドルフは葉瑠の隣に立ち、肩に手を置く。
「この子の名前は更木葉瑠……あの更木正志の一人娘だ」
「ええ!? この子が!?」
男性はガタッと立ち上がり、驚愕の表情を浮かべていた。
だが、そこに嫌悪の念は感じられない。純粋に驚いているだけのようだった。
「いや、確かにあの人に娘さんがいるとは知っていたけれど、まさかスラセラートの学生になってるなんて……」
「儂も冗談か何かかと思っておったんだが、セブンが本物だと教えてくれた。川上という偽名を使っているみたいだが、これはシンギの取り計らいらしい」
「なるほど、シンギにしては気が利いてるね」
男性はテーブル越しにこちらの顔をまじまじと見ていた。
いたたまれなくなり、葉瑠は俯く。
「あの、騙してすみませんでした……」
「いや、謝らなくていいよ。こちらこそ驚かせてごめんね。それより体調は大丈夫? ついさっき目が覚めたばかりなんだろう? ほら、このチョコをあげよう」
男性はテーブル中央の籠から個包装のチョコを鷲掴みし、半ば強引にこちらの手に押し付ける。
その際、手を握られてしまった。
「……」
ただでさえ男性に慣れていないのに、二枚目のイケメンに両手を包まれ、葉瑠はそのまま固まってしまった。
葉瑠がフリーズしている間も、男性は一方的にしゃべり続ける。
「いやあ、それにしても葉瑠ちゃんは大人しくて品があって可愛いね。その眼鏡も似合ってる。……とてもじゃないけれどVFランナーコースの訓練生とは思えないよ」
「あの……」
いつまで手を握っているつもりだろうか。
あまり不快ではないが、少し気まずい。
「貴方も名前くらい教えてあげたらどう? 彼女、困惑してるわよ」
「そうだね。ごめん」
稲住社長に注意され、男性は葉瑠から手を離す。
「僕は柏木綜真、日本代表の……」
名前を聞いた瞬間、葉瑠はソウマの手を握り返した。
「えええ!? あなたがあの……ソウマさん!?」
「いやあ、知ってくれてるなんて光栄だなあ」
先程までの気まずさはどこに行ったのか、葉瑠は興奮気味に言葉を続ける。
「シンギ教官が、それにアルフレッド教官もあなたの事を凄いランナーだと話していたので……というか、ランナーなら誰でも知っている名前ですよ……」
こんな人に可愛いと言われるなんて光栄だ。
これも、結賀が選んでくれた服のお陰だ。
(結賀……)
葉瑠はふと結賀のことを考える。
結賀は医務室に来てくれなかった。ネイドルフさんの話では、私が更木の娘だと分かってからずっと自室にこもっているらしい。
気持ちは理解できる。
友達が大罪人の娘と知れば、誰だって驚くし戸惑うはずだ。
できれば結賀とは友達を続けたいが、本人が拒絶するなら私にはどうすることもできない。
「でも、結賀ちゃんも成長したね。更木の娘と友だちになるなんて」
何気なくソウマが呟く。
その呟きに重々しく反応したのはネイドルフだった。
「そのことなんだが……結賀のやつ、この娘が更木の娘だと知らずに付き合っていたようでな……実家に連れてくるくらい仲が良いだけに、なかなか気持ちの整理がつかないんだろう」
「なるほど……だから結賀ちゃんは部屋にこもっているわけだ」
「ま、お腹が空けば出てくるわよ」
稲住社長の楽観的な考えに、ソウマさんは難色を示す。
「いいや、そう簡単には出てこないと思うよ。何せ、結賀ちゃんにとって更木正志は親の仇だからね……」
「仇……」
葉瑠はショッピングモールで見た結賀の表情を思い出す。
フードコートで更木正志のニュースを見た時、結賀はものすごい形相で怒りを露わにしていた。
今ならその理由が理解できる気がする。
だが、納得できない点があった。
「あれ? 結賀のご両親はご存命ですよね?」
ソウマさんは両親の仇と言ったが、現に父親のネイドルフさんはここにいる。もしかして母親が事件に巻き込まれたということだろうか。
葉瑠の言葉に、アイリは呆れたふうに溜息をついた。
「……貴女、結賀の苗字を言ってみて頂戴」
「橘ですよね?」
「次、この人のネームプレートを見て頂戴」
アイリに言われるがまま、葉瑠はネイドルフの名札を読み上げる。
「はい。えーと……ネイドルフ・ゼスト・溜緒……あ」
橘じゃない。
どうしてこのことに気づかなかったのだろう。
「違う苗字……ってことは」
葉瑠はネイドルフを見る。
葉瑠からの視線を受け、ネイドルフは頷く。
「儂は結賀の本当の親じゃない。あいつの両親は事故に巻き込まれて死んじまったんだ」
ネイドルフは窓の外の暗闇に視線を向ける。
「本来なら橘の親戚筋に預けるべきだったんだが、どうしてもここから離れたくないと聞かなくてな……。橘家から預かる形で、家族に迎え入れたというわけだ」
「そうだったんですか……」
ネイドルフの話を聞き、葉瑠は滅入ってしまった。
自分の父親が一人の少女に苦しい思いをさせたのだ。落ち込まずにいられるわけがない。
葉瑠の心情を汲んでか、ネイドルフは首を左右に振る。
「君が気に病むことはない。結賀ももう大人だ。気持ちの整理が付けば出て来るだろう。だから、その時は普通に接してやってくれ」
「でも、私は……」
「技師長の言う通り、貴女が気に病む必要なんてこれっぽっちもないわ」
葉瑠の言葉を遮り、アイリはスパッと言い放つ。
秘密にし続けることは難しいと分かっていた。近いうちに明かさねばならないと思っていた。
私の正体をバラしたのは彼女だが、どういう形であれ、早めに事実を知って貰えたのは良かったのかもしれない。
「更木か……」
ソウマは平皿に盛られているスルメを囓り、頬杖をつく。
「ニュースでも話題になったけど、URって何がしたいんだろうね」
ソウマの何気ない言葉に対し、葉瑠はダイヤモンドヘッドでの実体験を元に答えた。
「乱入して代替戦争を滅茶苦茶にしたいんじゃないですか?」
「……考えが浅いわね。もっと頭を使いなさい」
「すみません……」
葉瑠は反射的に謝ってしまった。やっぱりこの人は何だか恐い。
稲住社長は長い足を組み直し、こちらに対して言葉を続ける。
「貴女、前提条件として10年前の事件のことは知っているわよね?」
「はい。一応」
事件の首謀者の娘として、一連の流れは知っていて当然だ。
はいと答えたにも関わらず、稲住社長は当時の事件を詳しく語り出す。
「更木正志はセブンを用いて軍事施設や兵器類をすべて破壊して、一方的支配による世界平和を実現しようとしたわ。実際、途中までは上手くいっていたのよ。だけれど、シンギやそこの二枚目を始めとする優秀なランナーの活躍のお陰で更木は捕まって、最終的に脱獄に失敗して事故死しちゃったの。ここで更木の野望は潰えたのだけれど、その後セブンが代替戦争っていう案を出したおかげで各国と上手く折り合いがついて、結局は更木の思惑通りの世界になってしまったってわけ」
「そうなんですか……」
「犯した罪が消えるわけではないけれど、結果として紛争の数を劇的に減らし、戦死者をほぼゼロにしたのも事実。方法が間違っていなければ、今頃英雄として奉られていたかもしれないわね」
稲住社長はここで語調を強める。
「だから今回の報道、あれはデタラメだと思うわ」
「偽物ってことですか?」
「そう。もともと更木は平和な世界を目指して活動していたのだから、現状を破壊するような真似をするわけがないわ。……更木正志を名乗る理由は皆目健闘がつかないけれど、彼らの目的はセブンの破壊ね」
「破壊って……随分と物騒だね」
「ダイヤモンドヘッドでの戦闘の際、向こうのランナーから通信があったらしいのよ。で、そのランナーは“今の代替戦争は駄目だ。我々が戦争によって新たな秩序をもたらす”って言ってたらしいわ。月並みに表現するなら、武力による世界征服といったところかしら」
本当に物騒な話だ。
でも、10年前まで普通に紛争が頻発していたわけだし、セブンが破壊されたら当時の状況に戻るのは難しいことではないだろう。
「……最近の乱入騒ぎは本物の戦争がしたくてしたくて堪らない連中のしわざでしょうね。常に頭上から監視しているセブンは彼らにとって目の上のたんこぶ、邪魔者以外の何物でもないのだし」
稲住社長の説明には説得力があった。
が、そんな考えを否定するかのような言葉がその場に響いた。
「……私はそうは思いません」
「セブン、急に話しかけないで頂戴」
女性の合成音声で会話に混ざったのはセブンその人だった。
ハッキング、クラッキングはお手のものらしい。セブンは稲住社長の携帯端末のマイク越しに反論を展開させる。
「私を破壊するだけならば、直接人工衛星明神を破壊すればいいだけのことです。わざわざ代替戦争に乱入してくる必要性はないでしょう」
言われてみればたしかにその通りだ。
「でも、貴女の本体は衛星軌道上……高度3000kmの位置にあるのよ? しかも完璧に監視されてる状態でどうやって破壊するつもりよ」
「彼らも我々と同じAGFの技術を有しています。その上、反重力システムを武器に応用出来るだけの技術力も持っています。衛星軌道上まで移動するのは難しいことではないでしょう」
そもそもAGFのフレーム素体はその衛星で管理されている。その気になれば簡単に軌道上まで移動できるだろう。
ならどうしてそうしないのか。セブンはURの目的について別の可能性を示唆した。
「……彼らの目的は私を掌握することだと思います。世界中の情報網を支配下に置いている私を支配できれば、できないことは何もありません」
セブンは今でこそ監視者だが、武器として使えばこれ以上強い武器はない。悪意のある人間が使えば社会システムを崩壊するどころか、人類を滅亡させることだって難しいことではない……と思う。
「で、貴方を利用して何をするつもりだと?」
稲住社長は携帯端末をテーブルの上に置き、ソウマさんと同じく頬杖をつく。
セブンは淀みなく女性の合成音声を発し続ける。
「ここで問題になってくるのが更木正志の存在です。更木正志が生きていると仮定して、彼はどうすると思いますか」
答える暇も与えず、矢継ぎ早にセブンは告げる。
「彼は何もしません。私の平和実現プログラムを実行した時点で彼の目的は達せられました。今更代替戦争に乱入するような野暮な真似はしません」
「それ、私が言ったわ」
「間違いなく更木正志はニセモノです。ですが、どうして更木正志を騙っているのか理解できないのです」
「それも言ったのだけれど……」
稲住社長の再三の言葉を無視し、セブンは結論を述べる。
「私を利用するだけならば、更木を名乗る必要がありません。むしろ更木という名を出すことで各国の警戒レベルが上がり、余計目的達成が困難になるはずです。この意図さえわかれば、解決の糸口が掴めると思うのですが……」
ここまで話を大人しく聞いていた葉瑠だったが、どうしても聞きたいことがあり、思わずセブンに問いかけてしまった。
「あの、すみません。本当にニセモノなんですか?」
一応私も娘だ。親の生死はとても気になる。
もし生きているのなら色々と言いたいことがある。
この問いかけに応じたのは稲住社長だった。
「貴女、よく考えてみなさいよ。……もし生きていたとして愛娘の貴女に一つも連絡がないのはおかしいでしょう?」
「そう……でしょうか?」
大義のために殺人をしていた人だ。目的を達成するためなら娘に連絡しなくてもおかしくない。
思考の渦にはまりかけていると、ソウマさんがぱんと手を叩いた。
「深く考えても仕方がないさ」
そして、両手の人差し指を立てる。
「彼らは代替戦争の邪魔をしている。僕らは彼らを止める。それだけでいいじゃないか」
人差し指同士をクロスさせたソウマを見て、稲住社長は鼻で笑う。
「単純ね」
「シンプルと言ってほしいね」
小馬鹿にされてもソウマさんは相変わらずの笑顔を保っていた。この人の怒っている顔が想像できない。
話がまとまった所で葉瑠はふと隣を見る。隣に座っているネイドルフさんは船を漕ぎ始めていた。
これ以上長引くと帰るタイミングを失いそうだ。
「あの、そろそろお開きにしませんか?」
葉瑠はソウマとアイリに声を掛ける。
「何よ。まだまだこれからじゃない」
「そうだよ葉瑠ちゃん。学校のこと色々聞かせてほしいな」
二人の反論を受け流し、葉瑠はネイドルフを指さす。
「ネイドルフさん、寝ちゃってます」
「……」
中年の技術者が心地よさそうにうたた寝する様子は、何故か哀愁を感じさせた。
アイリは組んでいた脚を解き、ポニーテールを弄りながらゆっくりと立ち上がる。
「……帰るわ、セブン、タクシーを呼んで頂戴」
「わかりました。2台必要でしょうか?」
セブンの機転に対し、ソウマを首を左右に振る。
「いやいいよ。僕は技師長を家まで運ぶから」
「そう。じゃあ、悪いけれど先にお暇させてもらうわ。お疲れ様」
稲住社長は特に片付けるでもなく一人で会議室から出て行った。協調性のない人だ。
ソウマさんはネイドルフさんの隣に座り込み、脇の下に手を回して体を支えた。
一人で大丈夫かと心配したが、葉瑠の心配を他所にソウマはネイドルフの体をひょいと持ち上げてしまった。
流石はソウマさん、鍛え方が違う。
「じゃあ葉瑠ちゃん、僕は技師長を家まで送るから、ここの後片付けを頼んでいいかな?」
「はい、もちろんです」
「すぐに戻ってくるからね」
ソウマはそう告げると、ネイドルフを抱えて会議室から出て行った。
それからソウマが戻るまで、葉瑠は一人でテーブルの上を片付けていた。
会議室の片付けが終わり、ネイドルフの家につく頃には夜の10時を回っていた。
ネイドルフさんは居間のソファーに寝かされ、心地よさそうに寝息を立てていた。
「疲れが溜まってたのかな……」
寝顔を眺めながらポツリとコメントしたのはソウマだった。
「新兵装の仕上げ作業でここ最近は休む暇もなかっただろうし、暫く結賀ちゃんと休暇を楽しんでほしいよ」
「そうですね……」
結賀は私のせいで部屋にこもっている。
私が大事なことを秘密にしていたせいでこんなことになったわけだし、何とかしたい……が、今は解決策が全く思い浮かばない。
「それじゃあ、僕はホテルに戻るね」
ソウマは居間から出て玄関に向かう。
葉瑠も玄関に移動し、ソウマに話しかける。
「あの、私はどうすれば……」
今日の昼の時点では結賀の部屋に泊まる予定だったが、今の状況で部屋に入る勇気はない。居間で寝てもいいが、ネイドルフさんの許可もないのに勝手に寝るのは気が引ける。
迷っている葉瑠を見て、ソウマは適切なアドバイスを下す。
「今夜は別の場所に泊まったほうがいいだろうね。結賀ちゃんのためにも、葉瑠ちゃんのためにも」
「ですよね……」
話しながらもソウマは靴を履き、ドアに手をかける。
ドアを半分開けた所でソウマはとんでもない提案をした。
「あ、そうだ……何なら僕の部屋に泊まるかい?」
「え……」
葉瑠のぽかんとした顔見て満足したのか、ソウマは口元を押さえて笑う。
「冗談だよ……セブン、彼女のことを頼んでいいかな」
ソウマの呼びかけに応じるように、葉瑠の懐から……懐にある携帯端末から合成音声が響いた。
「もちろんです。早速最寄りの宿泊施設を検索しましょう」
葉瑠は携帯端末を取り出し、画面を見る。
セブンはこちらの端末を経由してアクセスしているようで、画面上には市内のホテル情報が表示され続けていた。
世界中の情報網を常時監視し、自在にハックできるというのは誇大表現ではないようだ。
「値段は気にしなくてもいいから、なるべく安全なところをお願いするよ」
「別に私はどこでも……」
「いいや、注意するに越したことはないよ。ねえ、セブンもそう思うだろう?」
そんなに私はひ弱そうに見えるのだろうか。
結賀やリヴィオくんにも「小さい」だの「もっと食べろ」だの言われている。これでもこの半年間で結構鍛えられたし、同年代の女子より体力もある自信がある。
セブンは思考する素振りも見せずソウマに同意した。
「確かにそうでしょう。先ほどの反応から判断するに彼女は強引に誘われると例え相手が見るからに怪しい男でも断れそうにありませんから」
誤解を招くような言い方に、ソウマは敏感に反応する。
「僕を怪しい男呼ばわりしないでほしいなあ……」
「女子高生をホテルに連れ込もうとしている時点で怪しい男です。あやうく警察にも通報するところでした」
「だからあれは冗談だって……って、ちょっと待って、警察“にも”ってことは、もしかして……」
「はい、すでに奥様には連絡済みです。犯罪の匂いがしましたので」
「そんな……」
ソウマはガクリと肩を落とす。
この場合ソウマさんに落ち度があるのは理解できるが、ここまで追い込むと何だか可哀想に思える。
私から説明すれば何とかなるだろうか。そんなことを思っていると、セブンが早々に発言を覆した。
「奥様に連絡したというのは嘘ですので安心してください。ですが、これであなたも彼女の気持ちが理解できたでしょう。今後は冗談でもそういう発言は控えましょう」
「……反省するよ」
まさか人工知能に無敗のランナーが説教される場面に出くわすとは思ってもいなかった。実にシュールである。
ソウマはとぼとぼと外に出ると、別れも告げないで夜の闇に消えていった。
「さて、それでは出発しましょう」
携帯端末の声に耳を傾けつつ、葉瑠はふと空を見上げる。
天上には無数の星が輝いていた。地上からの明かりや建物や山が邪魔で海上都市と比べると迫力に欠けるが、これはこれでいいものだ。
見上げながらぐるりと体を回すと、視界に先ほどまで自分がいた家が映った。
二階建ての木造建築住宅。屋根の瓦は月明かりを微妙に反射しており、そのシルエットをほんのりと浮かび上がらせていた。
(あれ……)
葉瑠は今になって二階部分の窓に明かりが点いていることに気づく。
あれは間違いなく結賀の部屋だ。
何も音がしなかったので眠っているのかと思っていたが、カーテンも空いたままだし、起きているみたいだ。
「……」
葉瑠は窓をじっと見る。すると、不意に窓際に人が立った。
……結賀だ。
結賀はカーテンに手をかけ、窓を覆い隠す。
その際、結賀の何気ない視線がこちらに向けられた。
――目が合った。
結賀は私の存在に気付くやいなや顔を逸し、カーテンを乱暴に閉めて窓から離れた。
一瞬しか姿を見られなかったが、葉瑠はその一瞬で結賀の気持ちがわかったような気がした。
結賀は悩んでいる。
私をきっぱり拒絶したわけではないのだ。
その事実を知れただけでも、葉瑠は嬉しかった。そして、こみ上げてくる感情を抑えることができなかった。
(結賀……!!)
葉瑠は家の中に戻り、乱暴に靴を脱いで階段を駆け上がる。
足音が響くのも気にしないで2階の廊下を駆け抜け、一番奥の部屋……結賀の部屋の前で止まった。
葉瑠は一旦深呼吸し、ドアをノックする。
「結賀、入るよ」
「……」
中から返事はない。
葉瑠はドアノブを回し、少し引く。
鍵は掛かっていなかった。
部屋の明かりが暗い廊下に一筋の線を作る。
細い線に視線を落としながら、葉瑠はそのままの体勢で考える。
……このまま部屋に入っていいのだろうか。
入ってからの行動も考えていなければ、結賀に掛けるべき言葉も考えていない。
考えようにも思考がまとまらない。全く言葉が思い浮かんでこない。
それでも、ここまで来て退くことはできなかった。
――私は結賀と別れたくない。
自分でも身勝手で我儘な願いだと思う。でも、この願いだけは譲れない。
葉瑠は徐々にドアを引いていく。
光の線が太くなり、室内の様子が視界に入ってくる。
だが、まだ結賀の姿は見えない。
……不安で不安で堪らない。
しかし、拒絶されても殴られても、私には結賀に全てを説明する義務がある。
自分の口からはっきりと秘密を告白しなければならない。
葉瑠は意を決し、ドアを一気に開いた。
室内に結賀の姿はなかった……が、二段ベッドの下の段で布団の塊が蠢いていた。
「……」
葉瑠は恐る恐るベッドに近づく。
接近を感じ取ったのか、布団の塊から結賀の声が発せられた。
「……何で黙ってたんだ」
結賀の鋭い声に、思わず葉瑠はベッドの手前で止まる。
ろくに返事もできずにいると、結賀は吐き捨てるように言葉を続けた。
「偽名まで使って、オレを騙してたんだな」
「騙すつもりは……」
……なかったと言えば嘘になる。
入学当初、私は宏人さんの助言に従って川上を名乗ることにした。あの時はそれが正しい選択に思えた。要らぬトラブルが減るなら、それでいいと満足していた。
でも、その結果がこれである。
「もし葉瑠がヤツの娘だって最初から知ってれば……知ってれば……」
最後まで告げず、結賀はため息を吐く。
「馬鹿みたいだな、オレ」
そして、ここでようやく布団から出てきた。
ベッド下段からのっそりと出てきた結賀は、床に視線を向けたまま苛立ちの口調で告げる。
「……出て行けよ」
このままだと何も話せないで終わってしまう。
こんな終わり方は嫌だ。せめて言い分を聞いて欲しい、そして謝らせて欲しい。
「結賀、私は……」
「早く出て行け、嘘付き野郎!!」
結賀は怒鳴り、こちらの胸ぐらを掴んできた。
掴まれた衝撃で体が揺れ、一瞬視界がぐらつく。
それでも葉瑠も負けじと声を張る。
「聞いてよ、結賀!!」
「うるせえ!!」
結賀の声が耳に届いた瞬間、葉瑠は浮遊感を覚えた。
不思議な感覚に驚いたのは一瞬だけで、自分が後方に押し飛ばされたのだと理解するまでそう時間は掛からなかった。
一回り体格の違う結賀に押されたこともあり、体重の軽い葉瑠はアクション映画でも滅多に見られないくらいの長距離を飛ばされていく。
部屋のほぼ中央から廊下に押し飛ばされ、葉瑠は暗い通路に背中から着地した。
受け身など取れるわけもなく、びたんという痛々しい音が二階に響く。
結賀は追い打ちを掛けるべく葉瑠の上に飛び乗り、腕を振り上げた。
マウントを取られれば普通の人間は防御するものだが、葉瑠は背中の痛みのせいでまともな思考ができず、ただ呆然と結賀を見ていた。
着地の衝撃で眼鏡はどこかに飛んでいき、視界もぼやけている。
……葉瑠は地べたからのこの光景に見覚えがあった。
小学生の頃、私は男子生徒に馬乗りになられ、何度も殴られた。
他の生徒は止めるどころか面白がって見ており、教師も見て見ぬふりで、保護者である伯父さんに至っては私の訴えを笑い飛ばしていた。
辛い過去だ。
でも、そんな過去も結賀の経験した悲しみに比べたらどうということはない。
理不尽に両親を殺された結賀に比べたら、私の受けたいじめなんて……
「……クソッ!!」
結賀は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、腕をゆっくりと下ろした。続いてその場で立ち上がると、階段を降りていく。
その後、玄関のドアが開閉する音がして、家の中は再び静けさを取り戻した。
「結賀……」
葉瑠は背中の痛みが治まるまで、廊下の天井の木目を眺めていた。




