06 -溜緒工房-
06 -溜緒工房-
広島空港に到着した葉瑠と結賀は、路線バスに40分揺られた後、目的地に向かって徒歩で移動していた。
歩道を含めて周辺はあまり整備されておらず、道路の舗装もひび割れていた。
こんな場所にあの溜緒工房が本当にあるのだろうか。
(そもそも、結賀の実家が溜緒工房って……本当なんでしょうか……)
この事実を知ったのはつい10分前のことだ。
溜緒工房の関係者だということは知っていたが、まさかオーナーの娘だとは思ってもいなかった。
もしこの話が本当ならば結賀は結構なお嬢様だ。
疑問に思いつつも葉瑠は結賀の後ろを付いていく。
結賀はこの道に慣れているようで、視線はまっすぐ進行方向に向けられていた。
元気よく歩く結賀に対し、葉瑠の足取りは重かった。
「暑い……」
葉瑠は水分を補給するべくペットボトルの飲みくちを咥える。
すると、生ぬるい液体が口の中に広がった。
つい先程購入した時はキンキンに冷えていたのに、今はもうただの水だ。
この水が温水になる前には目的地に辿り着きたいものだ。
水を飲むために顔を上げたせいか、不意に視界に海が飛び込んできた。
(これが……瀬戸内海ですか……)
――瀬戸内海。
中国地方と四国地方の間に位置するこの海は、温暖で穏やかな気候に恵まれている。
降雨量は少なく、日常的に渇水に悩まされている。だが、雨が少ないということは晴れの日が多いことを意味する。
波も穏やかでアクセスも悪くない瀬戸内海は、造船業を行うにはもってこいの場所なのだ。
ここからでも造船所のクレーンが無数に見える。
大量に物資が大陸間を行き交うこの時代において、運送コストの安い船の果たす役割は大きく、船の需要は留まるところを知らない。
そんな船を長年にわたって建造し続けているこの地域は、立派な工業地域と言えるだろう。
海を眺めながら歩道を歩いていると、やがて目的の建物が見えてきた。
結賀は振り返り、自慢気に目的地を指さす。
「見えるか葉瑠、あれが溜緒工房だ」
「あの建物が……」
結賀が指さした先には馬鹿でかい箱状の建物が鎮座していた。
VF関連の開発や製造を行っていると聞いたので近代的な建物をイメージしていたのだが、予想に反して古めかしい外観だった。
ところどころ壁の塗装が剥げていて、建物周囲にはよくわからないスクラップが山積みになっている。
凄いともボロいとも言えず、葉瑠は微妙な反応を示した。
「なかなか立派だね。いかにもって感じがする」
「だろ? ……あ、因みにこの辺り一帯全部工房の敷地だからな」
「へえ……」
一帯と言われ、葉瑠は視野を広げる。
溜緒工房の敷地は他の造船所と同じく、大きく海に突き出していた。
そして、海に付きだしているドックには見たこともないVFが立っていた。
そのVFは重厚な装甲に身を包んでいて、後頭部から太いホースが伸びていた。
フレーム形状からしてAGF系列ではないのは分かるが、それ以上のことはわからない。
「あのVFは?」
結賀は「あれは……」と語尾を伸ばし、誤魔化すように言葉を続ける。
「……まあとにかく先に家に行こうぜ。工房を見るのは後でいいだろ」
結賀は溜緒工房の敷地には入らず、右折する。
右側を見ると住宅街があった。どうやら結賀の実家はこの中にあるみたいだ。
葉瑠も右折し、結賀の後に続く。
住宅街に入るとすぐに結賀の家に辿りついた。
家は木造の2階建てで、庭には立派な木が何本か植えられていた。良き古き時代の日本家屋と言った感じだ。
結賀は門をくぐると庭を通り、玄関に到着する。
数秒ほど遅れて葉瑠が隣に並ぶと、ようやく結賀は玄関の扉を開いた。
「おーいジジイ、今帰ったぞ」
(ジジイ……?)
結賀の乱暴な声が屋内に響く。
そんな声に反応するようにスリッパを擦る音が聞こえ、廊下に人影が現れた。
「遅かったな結賀」
軽い迎えの言葉と共に現れたのは背の低い中年男だった。
背は低いが体はがっちりしていて、顔もいかつい。
おじいさんにしては若い。単に父親のことをジジイ呼ばわりしているだけだろう。
結賀は靴を脱ぎ捨てて家に上がる。
「空港で足止め食らって遅れたんだ。……それより冷たい物、部屋に持ってきてくれよ」
結賀はそのまま中年男をスルーし、階段を登り始める。
半年ぶりに返ってきたというのに、何だか素っ気ない反応だ。
「飲み物くらい自分で取らんか。儂は給仕じゃないぞ」
「いいだろ、こっちは長旅ですげー疲れてんの」
「家を出れば少しは大人になるかと思ったが……相変わらずだな」
「ジジイも相変わらずのハゲっぷりだな」
「親に向かってハゲ言うな」
会話の内容はともかく、2人はお互いに笑っていた。
この親にしてこの子ありだ。
「とにかく飲み物頼むぞ」
結賀は言葉を区切り、玄関にいる私を指さす。
「……オレは友達を部屋まで案内しなきゃならねーんだ」
「友達……?」
ここで初めて結賀のお父さんの視線がこちらに向けられた。
葉瑠は慌てて足を揃え、お辞儀する。
「どうも、お邪魔してます」
「おお、こちらこそ気付かんですまなかった」
お父さんは玄関まで来ると、改めて挨拶してくれた。
「儂は結賀の父の『ネイドルフ』だ。よろしく頼む」
(この人が溜緒工房のオーナーですか……)
ネイドルフ……外国の人のようだ。つまり結賀はハーフということになるのだろうか。いや、クォーターかもしれない。
(後で考えよう……)
葉瑠は再度頭を下げ、自己紹介を返す。
「私は結賀さんのクラスメイトの川上葉瑠です。少しの間ですがお世話になります」
「これはご丁寧にどうも……って、お世話になるってどういうことだ結賀」
ネイドルフさんは階段の中腹で佇む結賀を睨み上げる。
「1週間、ここに泊めるからよろしく」
「そういうことは先に言わんか……」
ネイドルフさんは踵を返し、家の奥へ戻っていく。
「取り敢えずジュースを部屋に持っていけばいいんだな?」
「おう、頼んだぞジジイ」
ネイドルフは背を向けたまま手を振って応じ、廊下から消えた。
「……さ、上に行くぞ葉瑠」
「あ、うん」
葉瑠は脱いだ靴を揃え、二階へと上がる。
二階にはドアが3つあり、全てが開いたままになっていた。
階段から一番近い部屋はダンボールで埋め尽くされて物置になっており、2部屋目はアンティーク調の大きな机が置かれている書斎で、一番遠い部屋は二人部屋になっていた。
二人部屋には二段ベッドが置かれ、学習机が2つ並べられていた。
「まあ適当に座れよ」
結賀は折りたたみ式のテーブルをカーペットの上に素早く展開し、胡座をかいて座る。
葉瑠は結賀と向かい合う形で正座し、部屋をぐるりと見渡す。
(私の部屋とは大違いですね……)
部屋には机やベッドの他にも本棚やタンス、メタルラックにクローゼットがあり、もっと言うとぬいぐるみやフィギュアや写真やポスターなど、モノで溢れていた。
ベッドと机しか無かった私の部屋とは天と地ほどの差がある。
何気なく葉瑠は床に転がっていた巨大な蛇のぬいぐるみを抱き上げる。ネームタグには“みずき”と平仮名で書かれていた。
「みずきって……妹さん? それともお姉さん?」
「姉貴、しかも10歳も年上だ」
結賀は本棚の側面、マグネットボードに貼られている写真を取り、テーブルの上に置く。
葉瑠はぬいぐるみを抱いたまま写真を覗きこむ。
写真にはセーラー服の女子高生と小さな結賀が写っていた。
二人がいるのは工場内、同じヘルメットを被り笑顔で頬ずりあっていた。
お姉さんは長い栗色の髪と紫の瞳が特徴的だった。美人かと言われると答えに困るが、可愛らしい人であることは間違いなかった。
それよりも注目すべきは幼少の結賀だ。
撮影したのは10歳手前くらいだろうか。今と違って髪は長く、どことなく上品さを漂わせている。
これがどういう経緯でやさぐれていったのか、気になるところだ。
結賀は指先で写真の中のお姉さんをつつく。
「実は姉貴、海上都市群で働いてるんだぜ?」
「へえすごい、どこで働いてるの?」
「……」
単純な質問にもかかわらず、結賀は首を左右に振った。
葉瑠は質問を変える。
「じゃあ、どんな仕事してるの?」
「さあ? VF関係の仕事なのは間違いないんだけどよ……」
「曖昧だなあ……」
今の今まで姉の話なんて出てこなかったし、実は仲が悪いのかも知れない。
これ以上お姉さんに関する話は避けたほうがいいかもしれない。
そう思った矢先、ネイドルフさんが話に混じってきた。
「知らないのも無理はない。あいつが関わっているのは所謂極秘プロジェクトだからな。例え妹でも連絡は取れんというわけだ」
ネイドルフさんはジュースと菓子が乗ったお盆を片手に部屋の中に侵入してくる。
しかし、結賀はそれをよしとしなかった。
「勝手に入ってくんなよジジイ。女子の部屋、おまけに乙女が二人いるんだぞ」
「二人? 一人しか見当たらんが」
ネイドルフは皮肉たっぷりに言い、お盆をテーブルの上に置く。
結賀はジュースを奪い取り、ネイドルフを手で追い払う。
「そういうのはいいから、さっさと出てけよ」
「そう急かすな。流石に儂もここに居座るつもりはない」
ネイドルフはお盆からジュースを取り、葉瑠の手前に置く。
「さあどうぞ」
「ありがとうございます……」
葉瑠はコップを両手で受け取り、胸元で構える。
ネイドルフはお盆を脇に抱え、小声で話しかけてきた。
「結賀は学園でもこんな感じなのか?」
「いえ……まあ、はい……」
親を前にして嘘は付けない。
苦労を察してくれたのか、ネイドルフは同情の目をこちらに向ける。
「ああ見えて根は良い奴だ。仲良くしてやってくれ」
「はい」
葉瑠の返事を聞いて安心したようで、ネイドルフは部屋から出て行った。
「極秘プロジェクトって言ってたけれど、お姉さんすごい人なんだね」
「……まぁな」
結賀は恥ずかしげに頬を掻く。姉の事を褒められて嬉しいみたいだ。
あのお父さんはともかく、お姉さんの事は好きらしい。
結賀は一気にジュースを飲み干し、すっくと立ち上がる。
「さて、一息付けたし早速行くか」
「どこに……?」
「溜緒工房の見学だ。ついてこいよ」
結賀は有無をいわさず部屋から出て行く。
「ちょっと、待ってよ……」
葉瑠も慌ててジュースを一気飲みし、数秒ほど遅れて結賀の後を追った。
家を出てから15分
葉瑠は結賀と共に溜緒工房内の作業場を歩いていた。
工房内は思ったよりも汚く、機械類も古いものが多い。
内部はいくつかのエリアに分かれていて、パーティション分けの壁がいたる場所に設置され、ある種の迷路のようになっていた。
パーティションの広さも様々で、狭い場所で作業台に向かって悩んでいる人もいれば、広い空間を活かして武器らしき物を組み立てている人もいた。
全てが珍しい。
忙しなく首を左右に動かしていると、前を進む結賀が不意に止まり、振り返った。
「ここまでが研究開発エリアで……」
結賀は語尾を伸ばしつつ、続いて前方を指さす。
「ここから向こうが工房の中心部、中央ラボラトリーだ」
葉瑠は結賀の指さした方向に目を向ける。
その先には広い空間が、円状の空間が広がっていた。
「わあ……」
中央部分は先程とは違って区分けされておらず、中心に大木の如く太い柱が立っていた。
柱はそれ自体が作業機械と一体化しており、大小様々なケーブルやVF固定用のアームが枝のように伸びていた。
枝の先には組立中らしきVFが固定され、それらは柱の周囲をぐるりと覆っていた。
「すごい、大掛かりな設備だね……」
「世界屈指のVF関連兵装の開発機関だからな……はいこれ」
中央の柱に圧倒されていると、いきなり結賀が何かを押し付けてきた。
葉瑠は視線を手元に落とす。そこには丸くて黄色い物体があった。
「ヘルメット?」
結賀も同じものを持っており、手際よく頭に装着する。
「別に物が落ちてくるわけじゃねーけど、変なところに出っ張りがあったりするからな。被っといたほうがいいぞ」
「うん、わかった」
スラセラートのラボではこういうのはあまり意識していなかったので、何だか新鮮だ。
ヘルメットを被った葉瑠は結賀と共に中央の柱に近付いていく。
その間、結賀は作業員の人から「久し振り」や「帰ってきてたのか」と声を掛けられていた。
「もしかしてみんな顔見知り?」
「小さい頃から出入りしてたからな。顔見知りっつーか腐れ縁だな」
腐れ縁と言いつつも、結賀は嬉しげだった。
暫く進むと葉瑠は気になるものを見つけた。
「あれは……? あれもVF?」
葉瑠は中央の柱に背中を固定されているVFを指さす。
それは先程路上からチラリと見えた、重厚な装甲に身を包んだVFだった。
両腕は分解され、後頭部から伸びていたホースも見当たらない。外で立っていたのとはまた違う個体だろう。
結賀は「ああ、あれか」と前置きし、説明する。
「あれは鬼代一だ。水陸両用のVFで、入港船の水先案内をしたり、タグボートみたいな仕事をしたり、海難事故や海上火災の時にも活躍できる、まあ、港の守人みたいなもんだ」
「へえ……」
水陸両用ということは、水の中でも活動できるらしい。足の裏にはジェットノズルらしきものが見える。あれを用いれば泳ぐことも難しくないだろう。
まあ、AGFの重力盾を使えば水中でも水に濡れること無く移動できるのだが……。
それはさておき、まさか日本にこんなVFがあったとは知らなかった。
教本にも載っていなかったし、完全に溜緒工房専用のワンオフ機に違いない。
興味津々で鬼代一を観察していると、横から注意が飛んできた。
「そこ、邪魔だからどいてくれないか」
声に反応し、葉瑠は右側を見る。いつの間にか大きなリフトカーが出現していた。
「ちょっと下がるぞ葉瑠」
結賀はこちらの腕を掴み、背後に下がる。
すぐにリフトカーは動き出し、運転手は「悪いな」と言って目の前を横断していった。
リフトカーを見送りながら結賀は呟く。
「なんか今日はみんな慌ただしいな。どうしたんだろ」
「……今日は七宮重工のお偉いさん方が視察にくる。その準備で忙しいというわけだ」
結賀の疑問に応じたのは結賀の父、ネイドルフだった。
どうやら後を追ってきたらしい。ネイドルフさんもヘルメットを装着していた。
葉瑠は振り返り、今日何度目かのお辞儀をする。
「あ、先程はジュースとお菓子ごちそうさまでした」
ネイドルフは手のひらをこちらに向け、お辞儀を制止する。
「そう畏まることはない。結賀ほどとは言わんが、もっとリラックスしたらどうだ」
「はい……」
リラックスしろと言われても簡単にできるものではない。
そんな会話を無視して、結賀はネイドルフに質問する。
「で、視察って何の視察だ?」
「この間注文を受けた新兵装の開発進捗状況を確かめにくるんだ」
新兵装と聞き、思わず葉瑠も質問を重ねる。
「新兵装って、もしかして武器ですか?」
ネイドルフは腕を組み、首を左右に振った。
「一応、我々にも守秘義務がある。そう簡単には教えられん」
「ですよね……」
当然の反応である。
そもそも、勝手に工房内を見学していいのかも疑問だ。
「オレも気になる。教えろよ、なあ」
葉瑠に続いて結賀もネイドルフに懇願する。
「……」
ネイドルフは数秒ほど悩んだ後、意外な答えを出した。
「……スラセラートの学生なら、教えても問題はない……か」
やはり娘からのお願いに対しては弱いらしい。
随分あっさりと意見を変えてしまったが、大丈夫だろうか。
そんな心配を他所にネイドルフは淡々と話し出す。
「今溜緒工房が総力を上げて製作しているのは……対UR用、ファスナ・フォースのグレードアップ兵装だ」
「……!!」
予想外の答えに、葉瑠と結賀は驚きを隠せなかった。
まさかこんな所でURの名を聞くとは思っていなかった。
「セブンが依頼主、溜緒工房が開発、そして生産は七宮重工の本社工場で行われる。この兵装が実装されればURに対して大きなアドバンテージを得ることができる。……一切妥協できない兵装だから、こうやって頻繁に視察に来ているというわけだ」
状況を理解した所で、二人は改めて感想を述べる。
「グレードアップ兵装って……なんかすごいことになってるな」
「前より事が大きくなってるね」
それだけURに対して危機感を持っているということだろう。
これが滞り無く実装されれば、シンギ教官の仕事も少しは楽になることだろう。
「儂もここまでセブンが本腰を入れてくるとは思っておらんかったな。……油断していたとはいえ、あのシンギが負けたのが大きな理由だろうな」
この話に葉瑠は納得できたが、結賀は根本的に納得できないことがあるようで、首を捻っていた。
「あれ、ちょっと待てよ……どうしてジジイがURのことを知ってるんだよ」
「奴らに関しては出現当初から知っておる」
セブンに兵装の制作を任されるくらいだ。セブンから情報を得ていても不思議ではない。
「当初って……」
「その話は後だ。家に帰っておれ」
ネイドルフさんは結賀の質問をぶった斬り、その場から離れる。
向かった先にはスーツに身を包んだ集団がいた。多分彼らが七宮重工からの視察団だろう。
ネイドルフの接近に気付いたのか、スーツの集団は一斉に頭を下げる。
全員が挨拶する中、中央にいた女性だけが腰に手を当てて微動だにしなかった。
レディーススーツに身を包んでいる彼女は結賀並に長身で、脚も長くスタイルは抜群だった。だが、髪は結賀と違って長くポニーテールに纏められ、もっと言うと大人の魅力というか、妖艶さが漂っていた。
顔立ちは整っているが、表情のせいか、冷酷という印象を受けた。
「ごきげんよう技師長」
高飛車な物言いにも関わらず、ネイドルフさんは丁寧に応じる。
「そちらこそお早い到着で」
「今回も徹底的にダメ出しをするから、そのつもりでいて頂戴」
「手強いですな……では、早速試作品を見ていただきましょうか」
「もう試作機ができたの? 知っていればシンギも同席させたのに、惜しいことをしたわ」
「どうせ無理でしょう。シンギは別件で忙しいと聞いておりますし……では稲住社長、こちらにどうぞ」
(社長……?)
社長ということは、あの人が七宮重工の社長ということだろうか。
でも、世界有数のVF企業のトップにしては若すぎる気がする。
多分、あだ名かなにかだろう。
ネイドルフさんは踵を返し、集団を案内し始める。
(わ、こっちに来た……)
どうやら試作品はこちらの後方にあるみたいだ。
近づいてくる集団を避けるべく、葉瑠は外側に向けて慌てて移動する。
結賀は出遅れてしまい、集団の横を遮ってしまった。
そんな動きが目に留まったのか、稲住社長が結賀に声を掛けた。。
「久しぶりね結賀。スラセラートでは上手くやってるのかしら」
随分と馴れ馴れしい感じだ。
親しげに話す稲住社長と打ってかわり、結賀は珍しく緊張していた。
「まあ、それなりに……」
結賀は短く答えるとそそくさとその場から逃げ去る。この行動だけで結賀と稲住社長の関係がよく理解できた。
結賀と位置が近かったせいか、稲住社長の矛先はこちらにも向けられた。
「あら、そちらの背中丸出しのメガネっ娘は?」
あの結賀が逃げるくらいだ。よほど癖のある人に違いない。
葉瑠は警戒しつつ稲住社長に挨拶する。
「ど、どうも初めまして。お邪魔してます」
「初めまして……じゃないわね、ちょっと待って頂戴……」
稲住社長は悩ましい表情を浮かべ、こちらの顔をジロジロと見る。
数秒後、稲住社長は何かを思い出したのか、指を鳴らしてそのままこちらを指さした。
「思い出したわ。……貴女、葉瑠ちゃんでしょう? 久し振りね、随分と大きくなったじゃない」
「はい?」
向こうは私のことを知っているようだが、私は彼女のことは知らない。
誰かと勘違いしているのではないだろうか。
結賀も意外に思ったのか、耳打ちしてくる。
「何だ葉瑠、知り合いだったのか」
「ううん、多分会ったことないと思う……あ」
葉瑠は今更ながら重大な事実に思い至る。
私の父、更木正志は七宮重工の法務部長で、社長秘書も兼任していた。
この人が本当に社長ならば、私の父のことをよく知っていることになる。
つまり、私も会った可能性が高いということだ。
(あ、これはヤバイかも……)
彼女は私が更木の娘だということを知っている。
それが露見することは何としても避けなければならない。
こうなったら先に自己紹介するよりほかない。
葉瑠は偽名の学生証を取り出すべくポケットを探る。が、手が震えてうまく動かない。
稲住社長は言葉を続ける。
「私はよく覚えているわよ。だって貴女……」
頭がクラクラしてきた。冷や汗も出始める。
これ以上は駄目だ。
これ以上喋ると全てばれてしまう。
(お願いだから……それ以上は……)
葉瑠の願いも虚しく、稲住社長の口からその言葉が発せられた。
「――更木正志の一人娘でしょう?」
とうとう言われてしまった。
死刑宣告に等しい言葉を耳にし、葉瑠の意識は一気に遠のいていく。
狭まっていく視界の中、葉瑠が最後に見たのはきょとんとした結賀の顔だった。




