02 -憧れの人-
02 -憧れの人-
メインフロートユニットを離れてから15分。
船側面の船外通路にて、葉瑠は冷房用のミストを浴びながら海を眺めていた。
(今日は本当に暑いですね……)
毎度毎度船での移動は面倒だ。
VFならひとっ飛びなのになあ、などと非現実的なことを考えていると、不意に結賀が話しかけてきた。
「来週からどうするつもりだ?」
結賀はレモンシャーベットだけでは物足りなかったのか、船内の自販機で買ったであろう炭酸ジュースを手に持っていた。
二つあるうちの一つを手渡され、葉瑠は礼を言う。
「ありがと……で、どうするって何を?」
「夏休みはどうするんだって話だ」
結賀はジュース缶のプルタブを開け、飲みくちを口に押し付ける。
「あー……もう夏休みかあ」
葉瑠も同じようにして缶を傾けるも、炭酸のせいで一口しか飲み込めなかった。
ゴクゴクと喉を鳴らしながら炭酸ジュースを飲む結賀を眺めつつ、葉瑠は夏休みについて考える。
スラセラート学園の夏季休暇は結構長い。
7月下旬から10月上旬まで、およそ2ヶ月半ほどの期間、学生は勉強や訓練や職務から解放される。
アルフレッド教官の話だと、学生の大半は里帰りして休暇を楽しむらしいが、ランナーコースの訓練生や教官はほとんど休むことはないらしい。
訓練生は強くなることに貪欲だ。
休む暇があれば訓練をして操作技術を磨くし、この休暇を利用して遠征試合をする訓練生も多いらしい。
因みに、教官はいつも通り代替戦争に出なければならないので、まとまった休暇は取れない。ただ、学園の仕事自体は減るので楽になるのは間違いないだろう。
やはり結賀も他の訓練生と同じように訓練に明け暮れるのだろうか。
葉瑠は質問を返す。
「結賀は……やっぱり訓練漬け?」
結賀は当然のごとく首を縦にふる。
「当たり前だろ。だけど、最初の一週間くらいは里帰りするつもりだ。葉瑠も一応実家には帰るんだろ?」
「私は……別にいいかな」
あんな場所に戻っても仕方がない。もう日本には帰る場所などないのだ。
「いいのか? ビデオチャットもしてないみたいだし、親心配してないのか?」
「こっちには宏人さんがいるから大丈夫だって思われてるんだと思う」
「あーなるほどな。兄貴がいるなら安心だよな」
「……そういうこと」
無論嘘である。
後で宏人さんに話を合わせてもらうようにお願いしておいたほうがいいだろう。
というか、宏人さんはこの夏季休暇はどうするつもりなのだろうか……。
「でも、休み中は暇だろ?」
炭酸ジュースを飲み干した結賀は缶を握りつぶし、そのままこちらを指さす。
「せっかくだし、オレの実家にこいよ」
「結賀の実家って……確か広島の?」
「おう。一週間くらい泊まってけよ」
(お泊り……)
友達の家に泊まりに行くなんて、初めての経験だ。
マンガやドラマではよく見るシチュエーションだし、長い間憧れていたのは事実だ。
葉瑠はその招待を受けたいと思う一方で、日本に帰ることに抵抗を抱いていた。
「んー、でも……」
日本では何が起こるかわからない。
パスポートや身分証のせいで私が更木の娘だということがばれる可能性だってある。
葉瑠は色々と考えていたが、そもそも葉瑠に拒否権はなかった。
「今日、埋め合わせするって言ったよな?」
「う……」
そうだった。結賀との約束を無視してモモエさんと会う約束をしてしまった件について、償うことになっているのだ。
ダブルブッキングの代償としては大げさな気もするが、断るわけにはいかない。
「……わかった」
葉瑠が了承すると、結賀は指を鳴らした。
「よし、楽しみにしてろよ葉瑠」
どうやら私を楽しませてくれる用意があるみたいだ。
だが、今の葉瑠は期待よりも不安のほうが大きかった。
(はあ……大丈夫でしょうか……)
葉瑠は何気なく外に視線を向ける。
すると、巨大な塔が目に入った。
海からにゅっと生えているその塔はスラセラート学園所有のバトルフロートユニットだ。
最上階の屋上にはバトルエリアが設置され、そこでは日夜ランキング戦が行われている。
結賀も塔の存在に気付いたようで、遠くの塔を眺める。
「お、やってるやってる。休みだってのに熱心だな」
「もしかして結賀、見えるの?」
「……見えないのか?」
ここからバトルフロートユニットまで結構な距離がある。
眼鏡の私が見えないのは当たり前だとしても、双眼鏡も何も使わず裸眼でVFを視認できるのは結構すごい。
葉瑠は誰が戦っているのか気になり、携帯端末で今日の組み合わせを調べる。
対戦表を下にスライドしていくと、予想外の人物の名前が現れた。
(宏人さん……と、アビゲイルさん!?)
宏人が試合をするだけでも驚きだったが、その相手がアビゲイルと知って葉瑠は動揺を隠せなかった。
どんな試合になるのか、興味がある。
「……結賀、ちょっとランキング戦見ていかない?」
葉瑠は自然と結賀に観戦を提案していた。
唐突な提案に結賀は面食らいつつも首を縦にふる。
「オレは別に構わねーけど……モモエの約束はどうすんだ?」
「……後で謝るから大丈夫」
「いや、大丈夫じゃねーだろ……」
1時間くらい遅れるかもしれないが、もともと正確な時間を決めていたわけでもないし、メールで連絡しておけば問題ないだろう。
試合開始までもう30分もない。
葉瑠は早々に小型輸送船の使用許可を申請することにした。
バトルフロートユニットに到着し、ハンガーの中に入るとリヴィオくんの姿が見えた。
リヴィオは既に観戦体勢に入っており、モニターの前に陣取っていた。
モニターは観戦目的というよりバトルエリアの状況確認のために設置されているので、そこまで大きくない。
ただ、バトルエリア上に設置された無数のカメラを使って観戦できるので、臨場感たっぷりの映像を見ることができる。
葉瑠は結賀を置いて駆け出し、リヴィオに声を掛ける。
「リヴィオくん、もう試合始まってる?」
葉瑠の声に反応し、リヴィオは振り返る。
「いや、まだ……っつーか今からだ」
「よかった、間に合った……」
葉瑠は壁に無造作に立てかけられているパイプ椅子を抱え、モニターの前、リヴィオの隣まで来ると慣れた手つきで展開させた。
そのまま座ろうとすると、少し離れた場所から声を掛けられた。
「何だ、お前らも来たのか……」
よく見ると、3mほど離れた場所、床の上にスーニャがあぐらをかいて座っていた。
どうやら機材の陰になっていたせいで入り口からは見えなかったみたいだ。
「うん、宏人さんが試合するのって珍しいからね」
「……あー、兄貴が試合に出るからわざわざ来たわけか」
遅れてやってきた結賀は葉瑠の背後に立ち、その肩に両手を載せて体重を預ける。
「で、相手は?」
結賀の質問にリヴィオが即答する。
「アビゲイルだ」
「あいつ、とうとうトップスリーに手を出したのか……」
アビゲイルさんは現在ランキング6位。対戦の資格は十分過ぎるほどある。
「半年で3位になったら伝説になるな、マジで」
「それは流石に無理」
「何でだよスーニャ、やってみなくちゃわかんねーだろ」
「4位より上は異次元の強さなんだ……実際に戦ったボクが言うんだから間違いない」
スーニャは自分の長い三つ編みを指で弄りながら続ける。
「大袈裟かもしれないけど、何をどうあがいても勝てるヴィジョンが見えないんだ。特にルーメなんて、試合にかこつけてボクに稽古するくらい実力差があるし……」
そこまで言ってスーニャはため息を付いた。
実力差を感じてもなお挑戦し続けるスーニャは偉い。
私も見習わないと駄目だなあ、と思っていると、試合の準備が整ったことを知らせるアナウンスがスピーカーから聞こえてきた。
「もうすぐだな」
背後から期待のこもった結賀の声を聞きつつ、葉瑠はモニターに映る2機の姿を確認する。
バトルエリア上には漆黒の機体と純白の機体が向かい合っていた。
どちらがどちらの機体に乗っているのか、葉瑠はすぐに判断できた。
(黒いほうがアビゲイルさん……ということは、宏人さんは白い方ですか……)
漆黒のVF、アビゲイルは両手に剥き出しのブレードを装備していた。グリップ部分はなく、手のひらにブレード保持用のパーツが付いている。
ブレードは他にもあり、腰のブレードホルダーに4本ほど携えていた。
腰から脚部にかけて特殊装甲布が取り付けられ、袴のように足を覆い隠していた。上半身の装甲は薄めで、防御よりも可動領域を優先させているようだった。
葉瑠は続いて宏人のVFを見る。
黒と白で対称的だったが、装備自体はかなり似通っていた。
宏人さんのVFは両手に刀を持っていて、アビゲイルさんと同じように袴のような特殊装甲布を装備していた。
唯一違う点があるとするなら、アビゲイル機はブレードを6本保持しているのに対して、宏人機は手に持っている2本だけしか所有していない点くらいなものだ。
結賀も装備が似ている点が気になったようで、こちらに体重をかけて前のめりになる。
「ん? 川上教官の兵装、アビゲイルにそっくりじゃねーか?」
「アイツはああいうスタイルなんだ」
スーニャがぽつりと呟く。
葉瑠は背中の結賀を押し返し、スーニャに問いかけた。
「どういうこと? スーニャちゃん」
「お前、あいつの妹なのになんにも知らないんだな……。そもそも、お前に“ちゃん”付けで呼ばれる覚えは……」
「いいから教えろよスーニャ」
「……仕方ないな。よく聞いとけよ」
リヴィオに急かされてスーニャは文句を中断し、先ほどの質問に答える。
「宏人は基本的に対戦相手と同じ兵装で戦うんだ」
「同じ兵装……」
「明らかに対戦相手を舐めてるだろ? ……でもこれは学園ランキング戦の時だけで、代替戦争だと相手や役割に応じて武器を変えてる。何でも使えるから依頼も多いらしい。代替戦争への参加回数はルーメと同じくらいかな。まあ、稼いでる額はルーメには全然及ばないみたいだけど」
スーニャは三つ編みを弄るのを止め、葉瑠に視線を向ける。
「相手と相性のいい武器で戦えるわけだから、宏人が本気で戦えば、1位をとれると思うよ、ボクは」
「何でも使えるって……やっぱりすごいなあ宏人さん」
流石はランキング3位だ。ただでさえ強くて格好良いのに、フェアプレイの精神も持ち合わせているなんて完璧過ぎる。
葉瑠が目をキラキラ輝かせていると、それを見てスーニャは若干引いていた。
「リヴィオ、こいつ様子がおかしくないか?」
「おいスーニャ、おかしいとか言うなよ」
リヴィオはスーニャを諌める。が、結賀はそうでもなかった。
「葉瑠は兄貴の事になるといつもこんな感じだ。極度のブラコンなんだろ」
「……なんか心配して損した」
スーニャはリヴィオと葉瑠を交互に見て、安堵の溜息を吐く。
何のことやら分からず結賀は首を傾げる。
「何が心配だって?」
「こ、こっちの話。……ほら、試合始まるぞ」
強引に話を中断し、スーニャはモニターに視線を向ける。
すると、タイミングよく試合開始を告げるブザーが建物中に響き渡った。
(いよいよですね……)
大きな音が止む頃には、全員がモニターに集中していた。
試合開始のブザーが鳴る少し前、屋上のバトルエリアでは2機のVFが互いに睨み合っていた。
「――全く、ふざけた人ですね貴方は」
アビゲイルは対戦相手の宏人に文句を言っていた。
わざわざ対戦相手と同じ武器を使うなんて、舐めているとしか思えない。
宏人は重々承知のようで、文句に対し律儀に応じる。
「同じ武器を使っているだけでふざけてなんていないさ。単に僕は公平な勝負がしたいだけなんだ」
通信機越しに喋りながら宏人は刀をヒラヒラと振る。
アビゲイルはブレードの切っ先を宏人に向け、苛立った口調で告げる。
「相手の武器に無理やり合わせる時点で公平ではないでしょう。私は貴方に本気で戦って欲しいのですが」
宏人は刀の動きを止めたかと思うと、今度は指先を使って器用に回し始める。
「本気で戦って欲しい……? そういうセリフは勝ってから言おうね」
(やはり舐められているみたいです……)
宏人というランナーは自分が完全に優位な立場にあると確信している。
……そこに付け入る隙がありそうだ。
やがて試合開始のブザーが鳴り響き、通信が切れた。
アビゲイルは目を閉じ、深呼吸し、心を落ちつける。
ここで冷静さを失っては元も子もない。落ち着いて相手の弱点を突いていこう。
アビゲイルは正面に立つ宏人機を改めて見る。
試合が始まったというのに、宏人機は一歩も動かない。それどころか動く気配も見せなかった。
こちらの攻撃を待っているに違いない。
「……望み通り、こちらから行きますか」
試合開始後、真っ先に動いたのはアビゲイルだった。
まずアビゲイルは両腕を左右に大きく開き、体の内側に向けて勢い良く振った。
振ると同時にアビゲイルは左右のブレードを投擲する。
手を離れたブレードは恐ろしいスピードで回転しながら宏人機の元へ飛んで行く。
我ながら素晴らしい不意打ちだとアビゲイルは思っていたが、宏人はその攻撃に動じる様子はなかった。
いよいよ命中するかと思われた次の瞬間、宏人機は音もなく刀を抜き、2本のブレードをひと振りで叩き落とした。
刃同士がぶつかり、甲高い音が周囲に響く。
叩き落とされたブレードは地面に深く突き刺さり、衝撃の余韻で震えていた。
(やはり、この程度は通用しませんか)
重力盾を使わず敢えて切り払ったのは余裕の現れだろう。
初撃を難なく防いだ宏人は刀を手の内で回転させ、流れるような動作で腰の鞘に収めた。
その無駄な動作の間、アビゲイルは腰のブレードホルダーから新たに2本のブレードを取り出し、改めて構える。
こちらが構えると、宏人は先程こちらが投擲した2本のブレードを床から引き抜いた。
そして、お返しと言わんばかりにサイドスローでブレードを投擲した。
予想外の反撃に驚いたアビゲイルだったが、焦ってはいなかった。
ブレードの速度はお世辞にも速いとは言えず、どうみてもこちらの攻撃よりも劣っていたからだ。
(……通用しませんよ)
直ぐ様アビゲイルは重力盾を展開し、1本目のブレードを左に弾き飛ばす。
軌道をそれたブレードは後方へ抜け、海の彼方に飛んでいった。
2本目も同じように重力盾で軌道を逸すこととしよう。
(適当な攻撃ですね。一体何を考えて……!?)
相手の意図を探るべくアビゲイルは敵機を見据える……が、いつの間にか宏人機は開始位置から消え去っていた。
投擲されたブレードに注意が行っていたせいで見失ったのだろうか。いや、そんなはずはない。
私が対戦中に敵機の位置を見失うなんてあり得ない話だ。
アビゲイルは慌てて宏人機の姿を探す。
探している間に先程宏人機が投げた2本目のブレードが到達した。
アビゲイルは1本目と同じように重力盾で防いだ……はずが、ブレードの軌道は全く逸れなかった。
(……どうして!?)
アビゲイルは慌てて自分のブレードを体の前で構え、2本目のブレードを上に弾き上げる。
と、続けざまに3本目がアビゲイル機の正面に現れた。
(3本目!?)
混乱しつつもアビゲイルは3本目を目で捉える。
3本目は投げられたものではなく、もっと言うとアビゲイルのブレードでもなかった。
……それは宏人機の刀だった。
消えたと思っていた宏人機は、いつの間にかアビゲイル機の正面に出現していた。
どうりで重力盾が発動しないわけである。
(あの一瞬でどうやってここまで……)
接近速度もそうだが、真正面から襲いかかってきたにも関わらず直前まで機影を補足できなかったのは私の理解を超えている。
アビゲイルはこの不可解な状況に戸惑っていた。
だが、現在宏人機が至近距離から斬撃を放とうとしているのは事実だ。
こちらが何も対応できないでいると、宏人機は刃を上に向け、がら空きの腹部目掛けて刀を突き出してきた。
「……!!」
アビゲイルは咄嗟に2本のブレードを交差させ、その突きを上から挟み込んだ。
刃同士が擦れ、金属同士が擦れ合う不快音が周囲に響く。
宏人機の刀は軌道をやや下方に逸れ、アビゲイル機に到達する前に停止した。
……だが、攻撃はそれだけでは終わらなかった。
宏人機は刀を突き出した状態で二本目の刀を鞘滑りさせつつ抜刀し、その勢いのまま弧を描くように真上から振り下ろした。
今度こそ頭部を狙われると思ったアビゲイルは、上方からの斬撃から逃れるべく若干仰け反る。
しかし、刃が向かったのは頭部ではなくブレードだった。
宏人機はブレードの交差部分に刃を振り下ろす。同時に、先程下方に逸らされた刀を上に持ち上げた。
結果、二本の刀は上下からこちらのブレードを挟み込み、呆気無く叩き割ってしまった。
交差していたブレードは綺麗に折れ、破片が周囲に飛び散る。
(こんなに簡単に……)
材質はさほど変わらないというのに、宏人機の刀は刃こぼれすらしていない。
ブレードの扱いに関しては私に分があると思っていたが、この結果から考えるに彼の技量は私を凌駕している。
負けを認めよう。しかし、試合を諦めるつもりは全くなかった。
金属片が宙を舞う中、アビゲイルは反撃に移るべくブレードを抜刀する。しかし、間髪入れず宏人機は刀を前に突き出し、抵抗すら感じさせること無くこちらの腹部に穴を開けた。
差し込まれた刀は装甲を貫通し、背中から抜ける。
「くっ……」
生身の人間ならこれで死亡確定だが、VFにとって腹部は重要器官ではない。
刺されながらもアビゲイルはブレードを握り直し、手首のスナップだけで宏人の腕を狙った。
高速の斬撃だったが、宏人はそれを予見していたかのように柄から手を放した。
結果、アビゲイルの斬撃は空を切った。
「……!?」
防ぐならまだしも、武器から手を離して回避するなんて聞いたこともない。
ブレードが通り過ぎると再び宏人は刀を握る。その動作は実にゆっくりだった。
……どこまで人を馬鹿にすれば気が済むのだろうか。
しかし、圧倒的に不利な状況にある今の私に文句を言える権利などなかった。
宏人機は刀の柄をしっかり握りしめると、右の刀を左に、左の刀を右に振りぬいた。
両の刃は容易くアビゲイル機の腹部を斬り裂き、上半身と下半身に両断してしまった。
腹部から内部構成部品が飛び出し、潤滑油やら人工バクテリア溶液などが周囲に飛び散る。
……これで勝負は決した。
かに思われたが、アビゲイルはまだ諦めていなかった。
最後の力を振り絞り、上半身だけでブレードの投擲体勢に入ったのだ。
(頭部を破壊できれば……!!)
頭部さえ壊せばこちらの勝ちだ。
しかし、そんな適当な攻撃が成功するわけもなく、ブレードを投げる前に腕を切り落とされてしまった。
宏人機は一息で両腕を切断すると、返す刀でアビゲイル機の首を刎ねた。
メインカメラからの映像が途絶え、アビゲイルは体を弛緩させる。
(完敗ですか……)
数メートルの自由落下の後、アビゲイル機は地面にたたきつけられる。
落下の衝撃で装甲も緩み、色々と小さな部品が周囲に飛び散った。
足も腕も頭も切り離され、漆黒のVFはスクラップと言っても過言ではないほどひどい有様になっていた。
徹底的に破壊され、アビゲイルは実力差に打ちひしがれていた。
勝てないにしても、攻撃の1つや2つは通るかと思っていたのに、この感じだと何度やっても当てられそうにない。
彼と同じ土俵に立つためにはどのくらい訓練を積まねばならないのだろうか。
……コックピットから救出されるまで、アビゲイルはそんなことを一人で考えていた。
試合後、ハンガー内はとても静かだった。
圧倒的な差を目の当たりにしてリヴィオもスーニャも、そして結賀も言葉を失っていた。
緊迫の対戦が見られるかと思ったのに、蓋を開けてみれば宏人による一方的な狩りだったのだから仕方がない。
アビゲイルさんが弱いわけではない。
宏人さんが強すぎるのだ。
集団の中で一人、葉瑠だけが純粋に宏人の勝利を喜んでいた。
「すごい……。宏人さんの圧勝だったね」
「……」
葉瑠の言葉に誰も応じない。全員が呆然とモニターを眺めていた。
試合後暫くすると宏人がVFと共にハンガーに降りてきた。
リフトが床に着くと、宏人は柵を乗り越える。
宏人にいち早く駆け寄ったのは葉瑠だった。
「宏人さんお疲れ様です」
「あれ、葉瑠ちゃんも応援に来てくれていたんだね」
宏人は疲労を感じさせない笑顔で葉瑠に応じる。
葉瑠は至近距離まで近づき、胸元で拳を作って真剣に告げる。
「はい、一生懸命応援しました。……でも、応援の必要がないくらい強かったです」
「いやあそんなことはないよ。それに、アビゲイルも結構強かったように思うよ。これなら入江さんといい勝負するんじゃないかな」
「イリエさんって……数学を教えてるあのイリエ教官のことですか」
確認するように話しかけてきたのはアビゲイルだった。
アビゲイルのVFはまだハンガーに降りてきていない。ランナーだけ先に下に降りてきたようだ。
労うでもなく、宏人はイリエについての話を続ける。
「そうそう。彼女がランキング5位なのも知っているよね?」
「もちろんです。彼女と私がいい勝負をできる理由をお聞かせ願いたいのですが」
「理由……理由かあ……」
宏人さんは首をひねり、考えこむ。
悩む姿ですら様になっているのだからやっぱり宏人さんは最高だ。
葉瑠がうっとりと眺めていると、宏人は不意に別の疑問を口にした。
「そう言えば、前々から思っていたんだけれど、あんな大人しい人が5位なんて意外だよね。そう思わないかい?」
実は葉瑠も前々から同じことを思っていた。
普段の入江教官はいつも何かの陰に隠れておどおどしていて、声も小さいし言葉の歯切れも悪い。おとなしい女性なのは間違いないが、彼女は美人なので「根暗」ではなく「内気」のイメージが強い。
宏人に質問を返され、アビゲイルはため息混じりに答える。
「……それを言うなら、宏人さんがアルフレッド教官より順位が下だという方が意外だと思うのですが。一度アルフレッド教官に挑戦されてはいかがです?」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
皮肉だとは気付かず、宏人は屈託のない笑顔をアビゲイルに向けた。
「……」
話にならないと感じたのか、アビゲイルはため息混じりに目を閉じ、早々にその場から立ち去ってしまった。
アビゲイルが去り、宏人は葉瑠に話しかける。
「……あ、ところで葉瑠ちゃんは夏季休暇はどうするつもりだい? お望みなら訓練に付き合ってあげてもいいと思ってるんだけれど」
「え、いいんですか!?」
嬉しい提案に葉瑠は飛び上がりそうになるも、結賀によって現実に引き戻された。
「ちょっと待った、オレとの約束忘れてないよな?」
「う……」
「何の話だい?」
宏人に問われ、結賀は何故か自慢気に答えた。
「夏季休暇の間、葉瑠と一緒に日本で過ごすことになってるんです」
「おー、それはいいね。行ってきなよ葉瑠ちゃん」
「そんなあ、宏人さん……」
宏人さんに訓練してもらえるなんて夢のような話だ。こんな絶好な機会を逃したくない。
葉瑠は何とか結賀の誘いを断れないか必死で考えたが、妙案が思いつく前に宏人に止めの一言を告げられてしまった。
「約束はきちんと守らないと駄目だよ」
「……はい」
夢が潰えて葉瑠がどんよりする中、宏人は他の訓練生にもおなじ質問をした。
「そう言えば、みんなはどんな感じかな?」
他の訓練生と言っても、その場にいるのはリヴィオとスーニャと結賀、そして私の4名だけだ。
私と結賀は日本に里帰りが決まっている。
残るはリヴィオくんとスーニャちゃんだけだ。
最初に応えたのはリヴィオくんだった。
「俺は一旦ドイツに戻します。親に色々と報告しなきゃ駄目なので」
「ドイツ……と言うとキルヒアイゼンかな」
「はい、親父がドルトムントの工場に勤めてるんです」
「13位ってことをしっかり報告してご両親を喜ばせてあげるといいよ」
宏人さんは笑顔でリヴィオくんの肩を叩く。
年上からのスキンシップに慣れていないのか、リヴィオは若干ぎこちなかった。
続いてスーニャも短く告げる。
「ボクは普通に訓練だな。休んでる暇なんてないぞ」
「駄目だよスーニャ。休みの後半には他校への遠征もあるし、休める時にしっかり休んでおいた方がいいよ」
「遠征……?」
聞き慣れない言葉だ。
宏人は葉瑠の表情を見て察したようで、補足説明する。
「年に1回、世界各地のランナー育成校と交流を深める意味を込めて、各校代表5名で勝ち抜き戦をやってるんだ」
「へえ、そうなんですか……」
なかなか興味深いイベントだ。
しかし、代表5名という部分に葉瑠は疑問を持った。
「5名ってことは、上位5名のことですよね。だったらスーニャちゃんは関係ないんじゃ……?」
現時点でスーニャは9位、上位5名には遠く及ばない。
だが、すぐに宏人が詳しく説明する。
「トーナメント戦に参加できるのは現役訓練生だけだから……僕とエネオラとアビゲイル、あとカヤとスーニャで5人だね」
「なるほど……」
そういう話なら納得だ。
葉瑠はその中に聞き慣れない名前を聞き、思わずつぶやく。
「エネオラ……?」
疑問感たっぷりのその言葉に、またしても宏人は即座に対応した。
「『エネオラ・L・スミス』……彼女はエンジニアコースの3年生だ」
「なるほど3年生ですか……って、エンジニアコース!?」
ランナーコースの訓練生じゃないのに4位なんて驚きだ。と言うか、エンジニアコースの学生がランキング戦に出られるなんて知らなかった。
「やっぱり驚いたみたいだね。彼女はエンジニアコースに所属しているけれど、VFの操作技術は一流なんだ」
宏人さんの話っぷりから推測するに、彼女はかなり特異な存在のようだ。
エネオラという人物についてもう少し知りたかったが、葉瑠はエンジニアというワードである約束を思い出していた。
(あ……モモエさんとの約束、忘れてた……)
少し遅れるどころか、大遅刻だ。
こんな場所で長話をしている場合ではない。
「ごめんなさい宏人さん、私、早く帰らなきゃ……」
「何か用事でもあるのかい? 気をつけて帰るんだよ」
「すみません。またお話聞かせてください」
本当は1秒でも長く宏人さんと話していたいが、これ以上モモエさんを待たせるのは失礼だ。
葉瑠は深くお辞儀をし、急いでその場を後にした。




