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黄昏のヴァイキャリアス  作者: イツロウ
 1 大罪人の娘
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 02 -運命の出会い-


 02 運命の出会い

 

 ――日本から飛行機を二度ほど乗り継ぎ、移動すること6時間。

 少女はインド洋を進む船の上にいた。

 その船は中型で、大海原を進むにしては少し小さい。

 ……だが、それでも問題はない。

 何故なら、この船は浮島同士を結ぶ定期便だったからだ。

「うわあ……」

 船の上から遠くの海を眺めつつ、彼女は自然とため息を漏らす。

 視界に広がるのは広大な海、そして海の上には無数の巨大なフロートユニットがそびえ立っていた。

 ……ここ『ダグラス海上都市群』は数百もの人工島が集積して形成されている小さな国家だ。

 国家と言っても本当の国ではない。実際は各国の代表者が運営委員を務め、政治を執り行っている。……とは言え、企業の力が圧倒的に強く、完成した当初から企業国家体質らしい。

 そのおかげか、当時から世界に類を見ないほど治安がよく、世界で5指に入る観光地としても有名だ。

「すごいですね……」

 浮島を眺めていると、一際大きなフロートユニットが見えてきた。

 カクテルグラスのような形をしているその浮島こそ、海上都市の中心に位置する中央フロートユニットだ。

 高さは1000m以上。

 海面に近い場所には商業施設が軒を並べ、シャフト部分には農業プラントがひしめき合い、上層部には様々な企業や行政機関の出先機関が、そして高級ホテルが競い合うように天に向かって伸びている。

 この位置からだとホテルは見えないが、ホテルから見える景色が最高であることは、想像するのは難しくなかった。

(こんな場所が現実にあるなんて……夢みたいです)

 6時間前に見た高層ビル群とは比べ物にならないくらい迫力がある。

 しかし、この圧倒的な景色にもじきに慣れるだろう。

 ……何故なら私はこれからここでずっと生活していくからだ。

(『スラセラート国際学園』……)

 少女は内ポケットに入れてある封筒の中身を思い浮かべる。

 スラセラート国際学園は海上都市に専用のフロートユニットをもつ巨大な学校だ。

 私は日本を離れるべく、相当な覚悟でこの学園に願書を送った。

 この学園は普通の学校とは違う、とても特殊な学校だ。

 とは言え、授業が特別難しいというわけではない。特殊なのはそこで学ぶ内容だ。

(競技用ロボットの専門学校なんて、日本じゃありえないですよね……)

 スラセラート学園は人型戦闘ロボット……『ヴァイキャリアス・フレーム』の操作テクニックを学ぶことができる学校なのだ。

 VF操縦者の育成の他にも色々と手を伸ばしており、学校を名乗っているもののその実は企業に近い。

 若い操縦者を集めたいがために学校を名乗っているという噂も聞くくらいだ。

 余程のVF好きじゃなければスラセラート学園を受ける者はいないだろう。

 数多ある学校の中からどうしてこの学園を選んだのか。

 その理由はたった一つ

 頼れる知り合いがスラセラート学園以外にいなかったからだ。

(『宏人(ひろと)』さん、元気にしてるでしょうか……)

 宏人さんは年上の男性、言うなればお兄ちゃん的存在の人だ。

 今から2年前、宏人さんはVFランナーになるため日本を離れ、スラセラート学園に入学した。

 それ以降音信不通で、一度も連絡を取れていない。

 そんな人を頼るなんて正気の沙汰ではない。しかし、彼女は彼がスラセラート学園でランナーを続けているという確信があった。

 それにこの世界で彼以外に頼れる人間はいない。

 連絡もしないで来てしまったけれど、多分大丈夫だろう。スラセラート学園に入学できればなんとでもなる。

(入学……できますよね?)

 今直面している問題があるとするなら、それは入学試験だった

 VF操縦者ランナー育成コースは競争率が高いし、そもそも私はあんな複雑なものを操縦できる気がしない。

 その代わり、VFに関する知識は相当詰め込んできた。

 私が狙うのはランナーコースではなく『VFエンジニアコース』だ。

 エンジニアコースはVFを整備したり修理したりする技術者を育成するコースだ。

 別に戦闘センスがいるわけでもないし、操縦の才能がいるわけでもない。

 必要なのは記憶力だけだ。

 教本さえ覚えてしまえば大抵のことはできるようになるし、実際一次選考テストは簡単だった。あのテストでは満点を取った自信がある。

 ……2年間掛けてVFに関する専門書を読み漁ったのだ。

 今日の実技試験も落ち着いてやれば合格間違いなしだ。

(よし……)

 もっと自信をつけておきたいし、できることはやっておこう。

 少女はテキストを読みなおすべく携帯端末をポケットから取り出そうとする。

 同時に肘に鈍い痛みが走った。

「いたっ……」 

 誰かとぶつかってしまったみたいだ。

 背後から不機嫌な声が聞こえてきた。

「痛てー……何だテメー」

 どうやら、ポケットに手を入れた時に肘を大きく背後に突き出してしまい、脇腹に肘鉄を食らわせてしまったようだ。

「す、すみません……」

 少女はすぐさま振り返り、頭を下げて謝る。

 しかし、相手の位置を確認しないで腰を折ったせいか、相手の胸元に思い切り頭をぶつけてしまった。

「おふっ……」

 少女の額は見事に相手のみぞおち辺りに命中し、相手は変な声を漏らした。

「ほ、本当にすみません……」

 少女は重ね重ね謝る。

 そして、恐る恐る顔を上げて相手を見た。

「なんだ、女かよ……」

 つまらなさそうに呟いたのは短髪の少年だった。

 少女は思わずその少年を見つめてしまう。何故なら、髪がとても特徴的だったからだ。

(綺麗……)

 これは白髪とか銀髪とか言うのだろうか。染めているにしては自然な感じだ。まゆも同じ色だということを考えると地毛なのだろう。

 歳は同じくらいだろうか。

 目は鋭く、苛立った表情を浮かべていた。

 少女は視線を合わせないように下に目を向ける。

 彼は普通のプリントTシャツを着ていて、ボトムスには七分丈のジーンズ、シューズは裸足にサンダルというラフな出で立ちだった。

 気温的には彼のような格好が望ましいのだろう。

 少し汗ばんできた私には彼のようなラフな格好は羨ましい。だからと言って、その服を着たいとは思わなかった。

 シャツには“KILL”だの“HELL”などの文字が大きくプリントされている。

 格好や言動からも好戦的な性格がにじみ出ていた。

 一体何をされるのだろうか……

 やっぱり怒声を浴びせられるのだろうか。それとも慰謝料を請求されるのだろうか。それとも暴力を振るわれてしまうのだろうか……

 黙ったままドキドキしていると、意外にも少年は握っていた拳を解き、気さくに話しかけてきた。

「お前、一人できたのか?」

 少年の視線はこちらの足元にある大きなトランクケースに向けられていた。

「はい」

 少女は短く答える。

 愛想笑いも忘れない。

 少年は少女の引き攣った笑顔をジロジロと見、呆れたようにため息を付いた。

「何だそれは。もしかして笑ってるつもりか?」

「つもりといいますか、……愛想笑いです」

 少女の正直過ぎる言葉に、少年は思わず吹き出す。

「ふっ……馬鹿だろお前」

「すみません……」

 少女は謝る以外に対応する術がなかった。

 だが、一連の発言のお陰で少年の表情はだいぶ和らいでいた。

 既に敵意は感じられない。

 難が去ったことに安堵していると、少年は興味深そうに話しかけてきた。

「お前もスラセラート学園の入学試験に?」

「はい、その通りです」

 相変わらず丁寧な口調で応じると、少年は肩をすくめた。

「堅苦しい喋り方すんなよ」

「すみません……」

「だから喋り方……まあいいか」

 少年はため息を付き、少女の隣まで移動する。

 そして、そのまま手すりを抱え込むようにしてもたれかかった。視線は海ではなく、少女に向けられていた。

 少年は少女をじっと見、ポツリと呟く。

「お前、エンジニアコースか……」

「そうです。でもどうして?」

 受験コースを言い当てられ、少女はたまらず聞き返す。

 少年はまたしても鼻で笑い、答える。

「到底ランナーには見えないからな。消去法だ」

「なるほど……」

 あまりにも簡単過ぎる理由だった。

 が、それでも少女は少年の考え方を否定できなかった。

 お世辞にも私はVFを操作するような運動的で活発な女子には見えない。

 顔の中央に陣取っている黒縁メガネ。セットされていないセミロングの髪。表情も沈んでいて動きもトロい。

 それに、この華奢な体はランナーとは程遠い体型だった。

 運動神経に恵まれればもっと活発で明るい女の子になっただろう。そうすれば少なくとも陰湿ないじめを受けることもなかったかもしれない。

(仮定の話をしても仕方がないですよね……)

 少女は下らない考えを頭の隅に追いやり、取り敢えず質問を返す。

「あなたもエンジニアコースを?」

 少女の唐突な質問に、少年は面食らった顔を浮かべる。

「……俺がエンジニアに見えるのか?」

 少女は先程少年から学んだ方法で受験コースを割り出すことにした。

「エンジニアコースじゃないということは、ランナーコースですね」

「お前……」

「消去法です」

 少年は何か言いたげにしていたが、少女のやりきった感たっぷりの表情を見てそれ以上何も言わなかった。

 その代わりに、こちらに右手を差し出してきた。

「……『リヴィオ・ミレグラスト』だ」

 自己紹介のつもりらしい。

 男子から、しかも外国人から握手を求められるなんて初めてだ。

 少女は手のひらをスカート裾で拭き、おどおどと手を差し伸べる。

「私は……『葉瑠(はる)』です」

 葉瑠……それが少女の名前だった。

 簡素だけれど響きがいい。自分でも結構気に入っている名前である。

 リヴィオは葉瑠の手をぐいっと掴み、上下に振る。

 乱暴な握手に思わず肩が抜けそうになるも、葉瑠は何とかその場で踏ん張った。

「ハル……日本人か。あんな東の果てからよくここまで一人で来たな」

 リヴィオは握手を止め、体を半回転させて手すりに背中を預ける。

 先ほどとは違ってずいぶんリラックスした様子だ。腕を大きく広げて腕を手すりの上に載せていた。

 葉瑠もリヴィオの動きを真似て体重を手すりに預ける。

 しかし、リヴィオほど豪快なポーズを取ることはできなかった。

 体勢が落ち着くと、葉瑠は先程の言葉に応じる。

「よくわかりましたね、日本人だって」

「小さい頃はな、探偵になるのが夢だったんだ」

「そうだったんですか……」

「真に受けんなよ。……バッグについてる渡航証明タグにJPNって書いてるだろ」

 リヴィオに指摘され、葉瑠は視線をトランクケースに落とす。

 彼の言う通り、トランクケースの持ち手にはタグがくっついていた。

 種を明かせば簡単なことだが、それでも葉瑠にとっては十分驚きの対象内だった。

「やっぱり名探偵じゃないですか」

 緊張が解かれたせいか、葉瑠は自然な笑顔を浮かべていた。

 愛想笑いとは天と地ほどの差がある、瑞々しい笑顔だった。

 リヴィオは咄嗟に葉瑠から視線を逸し、取り繕うように海の一点を指差した。

「お、見えてきたな……」

「何がですか?」

「見りゃ分かる」

 リヴィオに促され、葉瑠は首をひねって視線を海に向ける。

 遠くの海、いつの間にか広大なフロートユニットが出現していた。

 周縁部は滑走路と見紛うほど何もない演習場が広がり、中央部分には基地を連想させるシンプルな建築物群が密集して立ち並んでいた。

 この光景は、願書と一緒に送られてきたパンフレットの表紙写真と全く同じだった。

「あれがスラセラート学園……」

 今から2時間としない内に、私はあの場所で試験を受ける。

 これからの人生が掛かった、重大な試験を受ける。

 そう思うと、自然と鳥肌が立ってしまった。

 ぶるっと震える葉瑠を見て、リヴィオは小さく笑う。

「何だビビってんのか? 見た目通りの小心者だな」

 葉瑠は咄嗟に自分の体を抱え込み、震えを強引に止めた。

「そういうあなたは、緊張感が足りないと思うんですけれど……」

 言い返すと、リヴィオは何も言わずに肩をすくめるだけだった。

「――リヴィオくん、そろそろ降りる準備をしたほうがいいですよー」

 遠くから女性の声が聞こえてきた。

 どうやらリヴィオの知り合いらしい。リヴィオは声を張って返事する。

「今行くから待っててくれー」

 リヴィオは手すりから離れ、声がした方へ歩き始める。しかし数歩と歩かぬ内に踵を返し、葉瑠の正面に立った。

「それじゃそろそろ行くわ」

 そう言ってリヴィオは拳を突き出す。

「あ、はい」

 葉瑠はどうしていいか分からず、取り敢えずその拳の上に手をのせてみた。

 その対応にリヴィオは苦笑していた。

 ……どうやらこれは違ったらしい。

 恥ずかしさを隠すべく、葉瑠は重ねて言葉を送る。

「あの、試験頑張ってください」

「お前もな」

 その言葉を最後に、今度こそリヴィオは離れていってしまった。

 やがてその背中も見えなくなり、葉瑠は自然とため息を漏らす。

「はぁ……」

 緊張した。

 男の子とあんなに楽しく会話できるなんて、思ってもいなかった。

 まだ鼓動が落ち着かない。それどころか早くなる一方だ。

 試験前だというのに、余計緊張してしまっては駄目だ。

 葉瑠は邪念を振りほどくべく首を左右に振る。

 その時、船内の様子が変化していることに気がついた。

 周囲を見ると、みんな下船の準備を始めていた。各々がそれそれのタイミングで立ち上がり、乗降口に向かって歩いて行く。

(私も、行きましょうか……)

 葉瑠は重いトランクケースを持ち上げ、彼らの後に続くことにした。




 スラセラート学園入港ゲート

 定期船から降りた葉瑠は巨大なドックを前にして立ち竦んでいた。

(うわあ、何から何まで大きいですね……)

 フロートユニットの最南端に位置するドックは、構造体の内側に建造されている。

 広さは半端ではなく、タンカー船どころか戦艦でも入れそうなほど広大だ。

 ここは様々な物資を搬入する場所でもあるため、大きくならざるをえないのだろう。

(それにしても、こんなにいたんですね、受験生……)

 学園唯一の玄関口であるこの場所は、今は多くの若者の姿で溢れ返っていた。

 喧騒はドック内に響き、ドック内の作業音と不協和音を奏でている。

 その音だけでも不愉快だというのに、目の前で蟻の大群の如く蠢いている若者達を見て、葉瑠は気分が悪くなってきた。

 ……これら全て受験者だと思うと気が滅入る。

 入島審査ゲートの前には長蛇の列が出来上がっていて、先程から全く前に進まない。

 待つのには慣れているが、受験を前にして穏やかな気持でいられるわけがない。

 本当に合格できるのだろうか……

 そんな不安を掻き消すべく、葉瑠はゲートから目をそらし、ドック内を観察する。

 今も定期船の隣には、VF専用の輸送船が数隻停泊しており、荷揚げ作業が行われていた。

(あれは……VFですか)

 荷揚げ作業にもVFが用いられていた。

 VFを眺めながら葉瑠は本に書いてあった事を思い出す。

 ……VF、ヴァイキャリアスフレームは元々は建設工事用に開発されたパワードスーツの延長上にあるものだった。

 全長10mほどの人型ロボットは不安定な場所での作業をスムーズに行え、人と同じように動けるため操作方法の習得もかなり簡単だった。

 このVFはやがてスポーツの分野でも使われるようになる。

 その最たるものがVF同士の格闘技、VFBだった。

 VFBは人気を博し、その操縦者であるVFランナーはトップアイドルに引けをとらないほど有名となった。

 VFBチームはより強いVFを作るため切磋琢磨し、その結果VFを中心とするロボット産業は急激な発展を遂げた。

 あっという間にVFは地上で最も高い戦闘能力を有する陸上兵器となったのだ。

 VFを陸上兵器として世界に売りだしたのが今もVF産業のトップに君臨している日本企業、『七宮重工しちのみやじゅうこう』だ。

 七宮重工は安価で高性能なVFをありとあらゆる国や組織に売り、結果として紛争を拡大させた。

 VFランナーはやがて傭兵の代名詞となり、多くのVFランナーがVF同士の戦闘で命を落とした。

 だが、そんな混乱の時代を終わらせたのも七宮重工だった。

 七宮重工が開発した人工衛星『明神』。その明神に搭載されたAI『セブン』がある日突然世界中のあらゆる兵器にクラッキングを仕掛け、無力化してしまったのだ。

 未だにはっきりした理由は解明されていない。

 しかし、そのAIを悪用して世界経済を手中に収めようとしていた男がいたことだけははっきりしている。

 今から10年前、歴史上でも類を見ないほど凶悪な事件を起こした犯人の名前は……

「……なあ、大丈夫か?」

「ひゃ!?」

 いきなり背後から肩を叩かれ、葉瑠は変な悲鳴とともに跳び上がる。

 そのまま葉瑠は前に飛び出し、肩を叩いた人物を確認するべく振り返る。

「そんなに驚くことないだろ。ぼんやりしてたから声を掛けてやったっていうのに……」

 そう言って困り顔を浮かべていたのは、茶髪の美男子だった。

 身長は170前後だろうか。

 同じ人間とは思えない程スラっとした体型に、目鼻立ちのしっかりした顔。

 短くカットされたブラウンの髪はきめ細やく、耳元には赤く光るピアスがチラチラと見え隠れしていた。

 一体どこの国の人だろうか……

(あ、そうだ……)

 気になった葉瑠は、先程のリヴィオと同じ方法で出身国を確かめることにした。

 葉瑠は距離を保ちながら回りこむように移動し、彼の脇にあったスーツケースを側面から覗き込む。

 スーツケースにはタグが付いており、タグには見慣れたアルファベットが並んでいた。

(JPN……日本ですね)

 瞳の色もこげ茶色だし、どことなく雰囲気も日本人っぽい。

 葉瑠は同じ国の人と出会えたことよりも、リヴィオの技を実践できたことを嬉しく思っていた。

 向こうもこちらが同郷の人間だと気付いたらしい、表情が一気に明るくなる。

「お、日本人?」

「はい。そうです。お会いできて光栄です」

 海外で日本人と会うだけでこんなにも安堵感を得られるなんて思っていなかった。

 日本にいた時は周囲の人間が嫌いで嫌いで仕方がなかったのに、自分の心変わりの早さには呆れてしまう。

 更に質問が飛んでくる。

「もしかして、受験生?」

「そうですけれど」

「聞くまでもなかったか、あはは」

 自分の言ったことが可笑しかったのか、彼はこちらの肩をバシバシと叩きながら笑っていた。

 葉瑠も苦笑いを浮かべ、肩の痛みに耐えていた。

 ……何だか豪快な人だ。人懐っこい笑顔は見ていて実に爽快だ。

 葉瑠は改めてその人を観察する。

 服装は、トップスには丈の短い長袖のジャケットに、首回りが大きくカットされたシャツを着込んでおり、ボトムスにはスキニースラックスを履いていた。

 色は黒で統一され実に大人っぽい出で立ちだ。ファッション誌に載っていても不自然じゃないくらい格好良い。

 この受験生の集団の中で、彼以上にファッショナブルな男の人はいないだろう。

 周囲に目を向けてしまったせいか、葉瑠は今の状況を思い出してしまった。

(まだ進みそうにないですね……)

 長蛇の列が短くなる気配はない。

 たっぷり時間はあるし、それまで日本人同士、おしゃべりでもしていよう。

 葉瑠は取り留めのない話題をふる。

「……あの、ご出身は?」

「それより先に聞くことがあるんじゃないか?」

 出鼻をくじかれてしまった。

 赤いピアスの彼は葉瑠の言葉を遮った後、自らの顔を指さしていた。

 それだけで意図を察した葉瑠は質問を変える。

「あ、お名前は……?」

 待っていましたと言わんばかりに、彼は腰に手を当てて堂々と名乗る。

「オレは『たちばな結賀ゆうが』だ。よろしく」

 結賀……名前もかっこいい。

 “優雅な名前ですね”なんて言ったらどんな反応をされるだろうか……。

 下らない考えを頭の隅に追いやり、少し遅れて葉瑠も自己紹介する。

「私は……葉瑠です」

「ハルか、可愛い可愛い。見た目もまさしくハルって感じだ」

 全く意味がわからない……

 結賀はまたしてもこちらの肩を叩き、快活に笑っていた。

 どんどん自己紹介は進んでいく。

「オレの出身は広島……って言ったら分かるよな?」

「はい。分かります分かります」

 西日本、中国地方、瀬戸内海に面している県だ。

 広島県はVF産業に馴染みの深い場所でもある。葉瑠は何となく、その団体名を口にしてみる。

「もしかして『溜緒(たまりお)工房』の……?」

 溜緒の名称を出した途端、結賀は驚きの表情を浮かべた。

「おー、よくわかったな。探偵かよ」

「ふふ……」

 何気ない感想に、葉瑠は思わず吹き出してしまう

「どうした?」

「いえ、先程同じセリフを耳にしたもので……」

 そういえばリヴィオくんはどうなっただろうか。船を降りてから一度も見かけていない。

 もしかしたら話しかけてくれるかもと淡い期待を抱いていた自分が少し恥ずかしい。

 笑みが収まると、葉瑠は溜緒工房の名称を出した理由を答えた。

「あそこはVF生産と開発で有名ですし、もしかしたらと思って言ってみたんです。でも、まさか本当に関係者の方だとは思っていませんでした」

「なるほどなるほど……」

 結賀は神妙な面持ちで頷いていた。

 しかし、その答え自体に興味はなかったらしく、別の質問を投げかけてきた。

「葉瑠は……出身地はどこだ?」

「東京です」

「だよなあ。制服を着てる時点で、まさしく都会っ子って感じだよなあ」

 何だか馬鹿にされたようで気分が悪い。

 そもそも、分都推進計画のおかげで都会にカテゴライズされる市も結構増えている。それを一括りに都会っ子という言葉で片付けるのは些か強引に思える。

 葉瑠は内心むっとしながら、少し早口で言い返した。

「その理論ですと、日本の生徒の半分以上が都会っ子ということになってしまう気がするのですが……」

「そんなに? オレの周りは普通に私服だったぞ」

 そうですか、としか答えようがない。

 でも、正直に返事をして小馬鹿にしているように思われるとまずい。

 葉瑠は結賀の話の真偽を確かめるべく、携帯端末を取り出す。

「いまから制服着用義務の学校数を調べてみます」

「何もそこまでしなくていいだろ。単にイメージの問題だ、イメージの」

「……」

 適当すぎるにも程がある。

 どうやらこれが世間で言う取り留めのない会話のようだ。

「お、列が進み始めたな」

 唐突に結賀は前方に目を向けた。葉瑠も釣られてゲートの方を見る。

 先ほどまで厳重に閉められていたゲートが大きく開かれていた。多分、あまりの数の多さに審査を簡素化したみたいだ。

 ゲートを抜ける受験生は受験票を提示しただけで前へ通されていた。

(受験票……)

 私も早めに準備しておこう。

 葉瑠は、ずれ落ちそうになっていた眼鏡を押し上げ、その場にしゃがみ込む。そしてトランクケースの留め具を解放し、中から貴重品入れの巾着袋を取り出した。

 葉瑠は取り敢えず袋紐を手首に通し、トランクケースを閉じようとする。が、なかなかうまくできない。

「よいしょ……あれ……」

 もたついていると、何を言うでもなく結賀が手伝ってくれた。

 結賀は手際よくケースを閉め、片手だけで留め具を掛けてしまった。器用な人だ。

「ありがとうございます……」

「これ、結構重いだろ? ついでに持ってやるよ」

 こちらが返事をする前に、結賀はトランクケースを持ち上げてしまった。

 私でも両手で持たないと辛いのに、結賀は片手で軽々と持っている。反対の手には自分のスーツケースもあるというのに、全く堪えている様子はない。

 結賀はそのままゲートに向かって歩いて行く。

「ほら、もたついてないでさっさと行くぞ」

「あ、待ってください……」

 それからゲートを抜けるまで、葉瑠は結賀の後ろにぴったりくっついていた。



 ――20分後

 ようやくゲートを抜けた葉瑠と結賀は、ドック出口の広場でバスを待っていた。

 広場は日本で言う駅前のロータリーと雰囲気が似ている。周囲を海に囲まれているはずなのに、全くそんな感じがしない。不思議な気分だ。

 葉瑠は広場の中、屋根付きのベンチに腰掛けていた。……いや、腰掛けるというより、もたれ掛かっていた。

 背筋は丸まり、手足も弛緩している。表情も虚ろげで、ずり落ちた眼鏡の位置を直すのすら億劫に感じているようだった。

 これほど葉瑠を追い詰めているのは高い気温だった。

 時刻は正午近く、照りつける日差しは地面を焼き、容赦なく気温を上昇させていた。

 日陰の中にいるのに結構暑い。既にコートとセーターはトランクケースの中だ。さすがに制服は脱げないが、靴下を脱いで裸足になるくらいは大丈夫だろう。

(いや、駄目ですよね……)

 常に空調の行き届いた空間で暮らしていたせいか、こういう炎天下は苦手だ。

 そんな葉瑠と違って、結賀は涼しい顔をしていた。

 結賀はベンチの隣に立ち、腰に手を当てて遠くを見つめていた。

 ここからだと海がよく見える。結賀は一体何を見ているのだろうか……

 それはともかく、結賀はそうやって立っているだけで絵になっていた。

 どこかの旅行代理店のパンフレットに載っていても不思議じゃないくらい自然な感じだ。

 ただ同郷というだけでこんな格好いい人と一緒にいられるのは運がいい。

 受験前に運を使いきってしまった気分だ。

「まだ時間かかりそうだな……」

「そうですね……」

 ドック出口の広場は受験生で混雑していて、数が減る気配がない。

 バスが何台も入っては受験生を詰め込み広場から出て行っているが、この人数を輸送するにはまだ時間がかかりそうだ。歩いて行ったほうが早いかもしれない。

「そういえばここ、バスがあるんですね……」

 今更ながらの発言にもかかわらず、結賀は律儀に答える。

「バスって言ってもただのシャトルバスだ。普段は基本徒歩だから期待するなよ」

 どうして詳しく知っているのだろう。

 そんな疑問を口にする気力もない。

 参っている葉瑠を見かねたのか、結賀はあることを提案した。

「まだ時間あるし、どっかで腹ごしらえでもするか?」

「え……」

 突拍子もない提案に、葉瑠は自然と背筋を伸ばしてしまう。

 それを期待のサインと勘違いしたのか、結賀は勝手に話を進める。

「実はここらへんには詳しいんだ。よし、ここから一番近い食堂に行くぞ」

 結賀は決定事項のように告げ、葉瑠の腕を掴む。

「あっ……」

 咄嗟に振りほどこうとするも、体に力が入らない。

 ……初対面の男の人と食事をするだなんて、あり得ない。

 もしかしてこれがナンパというものだろうか。聞いていたのとはイメージが違う。

 でも、同じ日本人同士だし、せっかく仲良く会話していたのにここで断るのも失礼かもしれない。

 手を引かれ葉瑠はベンチから立ち上がる。

 しかし、急に立ったせいでよろめいてしまい、葉瑠は結賀に抱きかかえられてしまった。

 瞬間、爽やかな香りが鼻に届いた。

 これはシトラスの香りだろうか。全然汗臭くないし、そもそもよく見ると汗もかいていなかった。

 目の前にある首元あたりの肌を見ても、くすみ一つ無い。それどころか、私なんかよりきめ細かい肌質だ。

 頬に掛かるブラウンの髪も枝毛一つ無いし、爪も光沢が出ていて手入れが行き届いている。

 女の私なんかよりよっぽど身なりに気を使っているようだ。

 悔しいような、悲しいような……

 それでも、結賀の腕の中は居心地が良かった。

「おい大丈夫か? フラフラじゃないか」

 大丈夫です、と答えようとすると、付近から怒声が発せられた。

「大丈夫か!?」

 この男の声には聞き覚えがあった。

 葉瑠は視線を結賀から引き剥がし、振り返る。

 そこには銀髪の少年リヴィオが立っていた。

 てっきり先に行ってしまったものかと思っていたが、彼も出遅れたようだ。

「あ、リヴィオくん、お久しぶり……うわっ!?」

 挨拶中にも関わらず、リヴィオはこちらに詰め寄り、結賀から強引に私を引き剥がした。

「お前、いきなり抱きついてんじゃねーぞ」

 このセリフだけで葉瑠はリヴィオが勘違いしていることを理解した。

 葉瑠は誤解をとくべく説明しようとしたが、先に結賀が動いた。

 結賀は素早く接近してきたかと思うと、腕を突き出してリヴィオを押し飛ばす。

 その際、葉瑠はリヴィオの手から結賀の手に渡り、元通り腕の中に収まった。

「てめえ、オレの葉瑠に気安く触るなよ」

(俺のって……)

 すっかり所有物扱いされてしまったが、意外と気分は悪くない。

 押し飛ばされたリヴィオは銀髪をかきあげ、鋭い目で結賀を睨む。

「白昼堂々と抱き付きやがって……何するつもりだったんだ? あ?」

 リヴィオは既に戦闘態勢だ。

 拳を手のひらに叩きつけ、脚も肩幅に開いていた。

「やんのか? あ?」

 結賀は青筋を立ててガンを飛ばす。

 そして、葉瑠を後ろに下がらせた後、リヴィオに応じるように構えをとった。

 構えと言っても、格闘技のようなしっかりとした構えではない。体の側面を相手に向け、ただ睨んでいるだけだ。しかし、それでも十分過ぎる程威圧感があった。

 さっきまでモデルのような印象を受けていたのに、今はただの怖いヤンキーだ

 多分こっちが本当の姿なのだろう。とんだ不良である

 二人はバス停のベンチの前で睨み合い、ジリジリと距離を詰めていく。

 ……このままだと間違いなく取っ組み合いの喧嘩になってしまう。

 受験生だし、こんな場所で騒ぎを起こすと問題になる。最悪の場合、試験を受けられない可能性もある。

(わ、私が止めないと……)

 葉瑠は勇気を振り絞って前へ出て、二人の間に割って入った。

「結賀さん、この人は船で知り合った人で、リヴィオ・ミレグラストさんです」

 葉瑠はリヴィオを指さした後、今度は結賀を指さす。

「リヴィオくん、こちら先程知り合った橘結賀さんです」

 それぞれを紹介した後、先に構えを解いてくれたのは結賀さんだった。

「何だ知り合いだったのか。てっきり変態かと思ったぞ」

「変態はどっちだよ。知り合いだからって……だ、抱きついていい理由にはならねーぞ」

 言い返すも、リヴィオくんのセリフは歯切れが悪かった。

 彼は見た目の割には純情派らしい。

 何となくかわいいなと思いつつ、葉瑠は事情を説明する。

「さっきのは私が立ちくらみをして、結賀さんはそれを支えてくれただけです。別にやましいことは何もないんです」

「そうそう。オレ達気が合うもんな」

 結賀さんは三度私に抱きついてくる。

 背後から抱きつかれ、葉瑠は固まってしまう。

 こんなに短時間で男性にハグされたのは人生で初めてだ。というか、この状況は二人の男性が私を取り合っているように見えなくもない。

 何度か夢見たシチュエーションだが、実際遭遇してみると半端ない緊張感だ。

 尚も拳を構えたまま、リヴィオくんは納得できなそうに呟く。

「それにしたって、妙に仲が良くないか……」

「同郷同士、仲良くなって当然だろ」

(当然……なんでしょうか?)

 疑問が残るが、これ以上無駄話をしている余裕は無さそうだった。

 葉瑠は結賀のハグから抜け出し、ロータリーの向こう側を指差す。

「バスが来たみたいです。早く列に並んだほうがいいのでは?」

 バスの車列がやってきた。あれだけの台数があれば、私達も何とか乗り込めそうだ。

 車列を見るやいなや、結賀は葉瑠の腕を掴みバス乗り場へ移動していく。

「あ、ちょっと待てよ」

 ついてくるリヴィオに対し、結賀は乱暴に言い放つ。

「お前は次のバスな」

「は? テメーが次のバスに乗れよ」

「そんなに殴られたいのか?」

「言うじゃねーか。やってやるよ」

 またしても二人の周囲が険悪なムードに包まれる。

 本当に困った人たちだ。葉瑠は若干呆れながら、二人に注意する。

「あの、おふたりとも、他の人に迷惑ですから……」

 葉瑠の言葉が効いたのか、二人は睨み合ったまま互いに退き、事なきを得た。

 しかし、口喧嘩は収まらなかった。

「葉瑠は俺と一緒にランナーコースの試験会場まで行く。だから、これ以上付いてくるなよ白髪野郎」

「どうしてお前が勝手に……ん?」

 リヴィオは文句を途中で中断する。

 葉瑠も、結賀の言葉を聞いて自分の耳を疑ってしまう。

「なんだお前ら、きょとんとした顔して」

 葉瑠は一呼吸置き、結賀の勘違いを訂正する。

「結賀さん。私、ランナーコースじゃなくて、エンジニアコースを受験するんですけれど……」

 エンジニアコースとランナーコースの受験会場は違う場所にある。

 シャトルバスの行き先もそれぞれに対応しているため、どうあっても同乗できないのだ。

 この事実に対し、結賀は予想以上に狼狽えている様子だった。

「あれ、そうだったのか……てっきりランナーコースかと思ってたぞ」

「私、ランナーに見えますか?」

 自分でいうのも何だけれど、どこからどう見てもランナーには見えない。

 それでも納得できないらしい。結賀は眉間にしわを寄せてじっくりと私の顔を見ていた。

「おかしいな……勘違いだったか?」

 何がどう勘違いなのだろうか……。

 やがてエンジニアコースの会場行きのバスが乗り場に到着し、ドアが開く。

「それでは、お先に失礼します……」

 葉瑠は結賀から離れて荷物を抱え、バスに乗り込もうとする。

 その際、結賀から応援された。

「何はともあれ試験頑張れよ。もし合格したらオレ専属のエンジニアにしてやるからな」

「あはは……」

 結賀さんは受かる気まんまんだ。私もこのくらい気合を入れておかないと駄目かも知れない。

 車内に入りシートに腰を下ろすと、すぐにバスのドアが締まった。

 葉瑠をのせたバスはゆっくりと発車し、ドック前広場から離れていく。

 その後見えなくなるまで、葉瑠は窓ガラス越しに結賀とリヴィオの姿を眺めていた。

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