16 -秘密-
16 -秘密-
休日の昼下がり
葉瑠はメインフロートユニットの商業エリアを歩いていた。
(やっぱりいつ見ても大きいですね……)
大通りの伸びる先、正面に見えるのはフロート中心部にそびえ立つ中央タワーだ。
タワーの高さは3000m、ハニカム構造の太い柱は一直線に空に向けて伸びており、てっぺんは見えない。
「あぶねーぞ」
「あ、すみません……」
ぼんやり上を見ながら歩いていると、人とぶつかってしまった。
葉瑠は反射的に謝りつつ、大きくバランスを崩してしまう。
だが、隣を歩いていた少女がすぐに支えてくれた。
「大丈夫ですか」
「うん、ありがと」
葉瑠はズレ落ちたメガネの位置を戻し、隣を見る。
そこには漆黒の長い髪に真紅の瞳を持つ少女、アビゲイルの姿があった。
制服姿の葉瑠とは違い、アビゲイルは黒のカットソーの長袖シャツに、これまた黒のミニスカートを履いていた。
スカートの下には黒のタイツに黒いブーツと、徹底的に黒尽くめだった。
ただ、胸元にはシルバークロスのネックレスが光っており、いいアクセントになっていた。
相変わらずの無表情だが、そのおかげで無機物的な美しさが生まれている気がする。
このままどこかの美術館に飾っていても不自然ではないくらいだ。
そんな彼女を見つめつつ、葉瑠は改めて現状を見返る
(まさか、アビゲイルさんと二人でショッピングすることになるなんて……)
珍しいこともあるものだ。
今日は結賀とゲームセンターに出かける予定だったのだが、アルフレッド教官に隠れてランキング戦への参加申請をしていたことが露見し、今は理事長室でお叱りを受けている。
急に予定が空いたところにアビゲイルさんからお誘いがあり、特に断る理由も無かったのでこうしてデートしているわけである。
(結賀、大丈夫かなあ……)
つい先日、アルフレッド教官から改めてフィジカルトレーニングの続行を指示された葉瑠は、結賀やリヴィオとともに頑張ってメニューをこなしていた。
初めはきつくて辛くて退屈なフィジカルトレーニングも、今となっては完全に習慣と化している。
だが、二人にとっては苦痛以外の何物でもないらしい。
結賀はトレーニング中ずっと文句を言っているし、リヴィオくんも事あるごとに重い溜息を吐いている。
二人についてはともかく、アビゲイルさんについては話す機会もあまりないのでよく分からない。
ただ、彼女がとんでもなく強いランナーだということは確かな事実だった。
(アビゲイルさん、カヤちゃんに勝利して今や6位ですからね……)
リヴィオがスーニャに負けたあの日、アビゲイルはカヤとランキング戦で戦い、見事勝利を収めた。
試合は1時間にも及ぶ長丁場だったが、結局カヤが弾切れをおこして粘り勝ちしたようだ。
正直、ここまで強い人だとは思っていなかった。
そんなアビゲイルに勝利した自分は結構凄いのではないか、と一瞬思った葉瑠だったが、すぐにその考えを取り消した。
私のように卑劣な戦法で相手を負かしているわけでもなく、アビゲイルは6本のブレードを駆使して相手を倒している。
間違いなく正当な実力を有するランナーだ。
ぼんやりとアビゲイルを眺めていると、話し掛けられた。
「葉瑠、どうかしましたか。疲れましたか?」
「いや、別に……」
気を使わせてしまったみたいだ。
葉瑠は元気であることをアピールするため、両手を大きく振って歩く。
「それで、メインフロートユニットに来たのはいいけれど、これからどこに行くの?」
「行きつけのコーヒショップです。まずはそこでお話したいことがあるので」
「話……?」
外に連れ出してまで何を話したいのだろうか。全く想像できない。
それよりも葉瑠は“行きつけのコーヒショップ”という単語に興味津々だった。
「行きつけということは、それなりに通っているってこと?」
「外出許可が出る休日は必ず行っています。あそこに行かなければ死んでしまいます」
「そんな大げさな……」
死ぬほどコーヒーが好きなのだろう。黒色だし、ここまで徹底的なブラックマニアは見たことがない。
やがて葉瑠はアビゲイルに先導されて大通りから細道へ入っていく。
細道は華やかな大通りとは対称的で、とても静かだった。
陽の光は建物に遮られ、昼間だというのにとても暗い。心なしか空気もひんやりしている。
そんな空間をアビゲイルはずんずん進んでいく。
いつになったら到着するのか、問いかけようとするとアビゲイルは足を止めた。
「……ここです」
葉瑠は立ち止まり、横に顔を向ける。
そこには小さな店がひっそりと建っていた。
店は1階建てで、左右と後ろを雑居ビルに囲まれ、縦長い形をしていた。
看板はなく、アンティーク調のドアに“OPEN”と書かれた木札がぶら下がっているだけだった。
明らかに怪しい。が、周囲にはコーヒーの香ばしい匂いが漂っており、コーヒーショップであることは間違いないようだった。
アビゲイルはドアを開け、店内に入る。葉瑠もその後に続いた。
店内に入って先ず目に入ったのは、入り口正面の棚に飾られているボトルシップの群れだった。
「わあ……」
小さい船が透明なボトルの中に入っている。
船の種類も帆船から戦艦まで様々で、ボトルの形も細長い円柱から太い四角柱まで様々だった。統一感はなかったが、高さ2mはある棚を埋め尽くしており、壮観だった。
ボトルシップに視線を奪われつつ店内に入って行くと、コーヒーの香りが鼻を刺激した。
店内は外観通りこぢんまりしており、3人がけのカウンター席と4人がけのテーブル席が1つあるだけだった。
狭いながらもカウンターやテーブルは木造のアンティークで統一され、床は年季の入ったフローリングが、天上も20cm四方の木のタイルで敷き詰められ、曇りガラスの釣りランプが店内を仄かに照らしていた。
客はいない。コーヒーの香りだけが店内を支配していた。
「いらっしゃい」
カウンターの奥から声が聞こえたかと思うと、すぐにカウンターの奥から店員が現れた。
エプロンに頭と腕を通しながら現れた店員は若い女性で、栗色の髪とシンプルなカチューシャが特徴的だった。
「いつものをお願いします」
早速注文を告げると、アビゲイルはカウンターを通り過ぎてテーブル席へ向かう。
葉瑠はどうしていいか分からず、取り敢えずアビゲイルの後を追う。
しかし、通りすぎようとすると注文を聞かれてしまった。
「お連れの方は何を飲みます?」
「えーと……」
メニューもないのに決められるわけがない。
困っているとアビゲイルさんが助けてくれた。
「彼女にはアイスコーヒーを」
女性店員は「はい」と頷くと、早速トールグラスに氷を入れて準備し始める。
アビゲイルは一番奥側のテーブル席に座り、葉瑠は向かい合う形で席についた。
葉瑠は改めて店内をぐるりと見渡す。
「おしゃれな店だね」
「そうですね。……肝心のコーヒーの味は褒められたものではありませんが」
「あれ、行きつけのお店じゃなかったの?」
「はい、行きつけの店ですが……何か?」
「なんでもない……」
どうやらアビゲイルは美味しいコーヒーを飲むためにこの店に来ているわけではないらしい。
多分、店の雰囲気が気に入っているのだろう。
訪れてから1分と経っていないが、葉瑠もこの店を気に入っていた。
徹底的に演出された空間ではあるが、何故か懐かしさを感じさせられる。
目を瞑りノスタルジックな気分に浸っていると、不意にコーヒーの香りが強くなった。
気付くと、女性店員がテーブルの脇に立っていた。
「……あなたが誰かを連れてくるなんて珍しいわね」
彼女はテーブルに2つのグラスを置きつつ、アビゲイルに話しかける。
アビゲイルはソーサラーを持ち上げ、短く応じる。
「こんな仏頂面の私でも、行きつけの店を紹介したいと思えるくらい仲の良い女友達の一人くらいいます」
「それはどうも、今後もご贔屓に」
女性店員は微笑しつつお辞儀をし、カウンターへと戻っていく。
アビゲイルはソーサラーを肩の位置まで持ち上げると、コーヒーカップの持ち手に指を通し、口元へ持っていく。
葉瑠もアイスコーヒーのはいったトールグラスを両手で持ち上げる。
グラスには大きな氷が入っていて、グラスの内側にぶつかって小気味のいい音を響かせた。
上唇にひんやりとした氷の感触を得つつ、葉瑠は黒い液体を口内に流し込む。
コーヒーは十分に冷えており、葉瑠の喉を麗した。
だが、その冷たさよりも苦さのほうが勝っていた。
(苦いです……)
葉瑠は唇をきつく結び、グラスをコースターの上に戻す。
こんな苦いもの進んで飲める気がしない。
アビゲイルはまだコーヒーカップを口元に当てており、ゆっくりと味わっているようだった。
流石はアビゲイルさんだ。この歳でコーヒーを嗜めるなんてすごい。
コーヒーに興味は湧かなかったが、今までオシャレな店とは無縁だった葉瑠にはこの場所自体が魅力的に思えた。
数秒後、アビゲイルはようやくソーサラーをテーブルに置き、コーヒーカップをその上に重ねた。
「さて、本題に入りましょう」
「本題? ああ、私に話したいことがあるんだったっけ」
葉瑠は冷えたグラスの側面を両手で挟み込みつつ、言葉を待つ。
「この間、言うことを何でも聞くと約束しました。早速お願いがあるのですが……」
「その話、まだ有効だったんだ……」
ダイヤモンドヘッドでの乱入者騒ぎの際、一機でも敵を倒したら何でもいうことを聞いてあげるとリヴィオくんと約束したのだが、リヴィオくんが辞退したためアビゲイルさんにその権利が移ったのだ。
あれから一月半も経っているので忘れたものかと思っていたが、どうやら違ったらしい。
「常識の範囲内ならやってあげるよ」
約束は約束だ。
葉瑠がしぶしぶ了承すると、アビゲイルは早速要求を告げた。
「では、貴女の父親について……更木正志について教えてくれませんか」
「!!」
いきなり出た更木の名に驚き、葉瑠はトールグラスを倒しそうになる。
しかし、コースターがグリップ力を発揮してくれたおかげで事なきを得た。
葉瑠は重い溜息を吐き、小さな声で応じた。
「ほとんど覚えてないよ。でも、どうして今更そんなことを?」
葉瑠の当然の問いかけに対し、アビゲイルはとんでもない理由を話した。
「彼が……生きている可能性が出てきたからです」
「……え?」
今度は驚かなかった。……いや、あまりにも荒唐無稽過ぎて驚きを通り越して呆然としていた。
葉瑠の表情を見て、アビゲイルは説明を追加していく。
「嘘ではありません。ここ最近になって更木正志と思われる人物が各地で目撃されているのです」
「嘘でしょ。だって、あの時は死体が見つかったってニュース言ってて……」
「私もそう記憶しています。ですがその死体、損傷が激しくて本人確認に3日も時間を要しました。本当に本人だったのか怪しいものです」
「ちょっとまって……」
葉瑠はその話を確かめるべく携帯端末で当時の記事を検索する。
記事にはアビゲイルの言った通りの情報が記されており、デタラメでは無いようだった。
それでも葉瑠は否定し続ける。
「その目撃されてるって人が偽物の可能性もあるでしょ」
「真偽は重要ではありません。死体が本人ではない可能性が指摘されている状態で、更木正志という存在が認識されている事が問題なのです。本人ならばまだいいですが、更木の理念を受け継いだ模倣者や狂信的な信奉者となると厄介です」
どんどん話が大袈裟になってきた。
そもそもどうしてアビゲイルさんはこんなことを知っているのだろうか。
そして、この情報を元に何をするつもりなのだろうか。
「本物かどうか特定するためにも、貴女が知っている情報を教えて欲しいのです。どんな些細な事でも構いません」
「……」
私が更木の娘であることも知っていたし、VFの操作テクニックも常軌を逸している。
何か別の目的があってスラセラートに入学したのは間違いなかった。
「アビゲイルさん、あなたって一体……」
――何者なの? という言葉はアビゲイルの言葉によって遮られてしまう。
「余計な詮索はしないことです“更木”葉瑠。……思い出した時でいいので、教えてください」
「うん……」
これ以上詮索すると私の更木という姓をみんなにバラすつもりのようだ。
脅されてしまった以上、言うことを聞かないわけにはいかなかった。
話がついた所で、アビゲイルは再度コーヒーカップを持ち上げる。
「話は以上です。くれぐれもよろしくお願いします」
「わかった……」
葉瑠もトールグラスを口元に持っていく。
……自分の父親が生きているかもしれない。
普通は親が生きていると知れば嬉しいものだが、葉瑠の場合は親が親なので素直に喜べず、むしろ戸惑っていた。
そんなことを考えていたせいか、不思議と苦さは感じられなかった。
休日の夕刻
太陽と水平線が目と鼻の間ほどの距離になった頃
商業エリアの中腹に建つ百貨店内にて、一人の青年が弱音を吐いていた。
「そろそろ終わりにしないかいルーメ」
「なによ、もう疲れたの? 情けないね宏人は」
学園ランキング3位の青年、川上宏人の弱音に応じたのは、同じくランキング1位のルーメ・アルトリウスだった。
二人は百貨店内の地下1階、食品館にいた。
ルーメは洋菓子コーナーを歩いており、その後ろにはお菓子類が詰まった紙袋を両手に持つ宏人がいた。
紙袋の数は軽く10を超えていて、どこからどう見ても大荷物だった。
ルーメはショーケースの上に置かれていた試食品を摘み、幸せそうに笑みを浮かべる。
「あ、これも美味しい。……店員さん、これの24個入りくださいな」
男性店員は「少々お待ちください」と応じ、ショーケースから大きな箱を取り出し、包装していく。
また荷物が一つ増えることが確定した所で、宏人は再度退店を促した。
「……もう予約時間も近いし、そろそろ行かないかい?」
「心配症ね。少し遅れても大丈夫よ」
ルーメは店員さんから大きな紙袋を受け取り、宏人に押し付ける。
宏人は何とか頑張って指先に持ち紐を引っ掛け、紙袋の配置を調整しつつ会話を続ける。
「いや、この時期はジューンブライドの結構記念日カップルが多いから、少しでも送れると予約を取り消されてしまうんだ」
「大丈夫大丈夫。常連なんだから、少しの融通くらい利かせてくれるでしょ? 宏人も教官なんだから、もっとしっかり構えていないとダメよ」
ルーメの的はずれな言葉に宏人は肩をすくめる。
「全然関係ないと思うんだけれど……それに教官じゃなくて教官代理だよ……」
「どっちも同じようなものじゃない」
「ぜんぜん違うよ」
……宏人は教官代理の肩書はあるものの、実際は3年生の訓練生である。
ランキング3位の実力を持っているので今更訓練する必要もなく、ほとんど卒業扱いでせっせと働いているというわけだ。
大人びた性格や背格好も相まってか、教官と呼ばれても全く違和感はない。
あと、訓練生なので本来は男子寮で寝泊まりするべきなのだが、シンギの取り計らいのお陰で少し間取りの広い職員用の住居エリアに住んでいる。
ルーメとはお隣同士で、暇な日にはこうやって一緒に出かけたりする。と言うか、荷物持ちとして強引に外出に付き合わされている。
過去の辛い記憶が蘇り、宏人は口調を強める。
「大体、ルーメはそのルーズな性格を直した方がいい。仮にも教官なら訓練生たちの手本になるように日々生活態度に気をつけて……」
「はいはい、宏人は真面目な優等生ですねー」
ルーメは宏人の言葉を強引に中断させ、さらにぶっきらぼうに続ける。
「あーあ、いいなあ宏人は。シンギさんに贔屓されて」
「いきなり何の話……」
「去年、私とはほとんど対戦してくれなかったのに、宏人にはつきっきりで稽古つけてたじゃない。もしかしてシンギさん、そっちのけがあるんじゃないかしら……」
「滅多なこと言うもんじゃないよ」
確かにシンギ教官には長い時間訓練に付き合ってもらったが、他意はない。
ルーメは宏人に小言を言われたのがよほど気に食わなかったようで、ふてくされていた。
……同い年ならまだしも、2歳年上の女性に拗ねられると対処に困る。
こういう時は下手に出るに限る。
「ルーメのほうがよっぽど贔屓されていると思うんだけれど……」
「……」
「部屋に無断で入っても怒られないし、訓練も総時間で考えればルーメが一番じゃないか。稽古の時間が減ったのも、もう教えることは無いって判断したからかもしれないよ」
「そう、かな?」
「そうそう、ルーメはシンギ教官の一番弟子なんだから、もっとしっかりしないと」
「そうね、しっかりするわ」
ルーメはすぐに機嫌をなおした。こういう時の切り替えの早さは感心する。流石は学園ランキング1位のランナーだ。
……その後二人は食品館から出て大通りへと向かった。
大通りには各所に路面電車の停車駅があり、エレベーターシャフトから港までを一直線につないでいる。
二人は電車でエレベーターシャフトに向かい、そこからエレベーターで上層エリアに向かうつもりでいた。
「……ギリギリ間に合いそうだね」
電車の座席にて、宏人は腕時計を確認しながら呟いた。
車内は意外にも空いており、宏人は大荷物を気兼ねなく隣の席に置いていた。
ルーメはその紙袋の中を嬉しそうに確認していたが、淀みなく動いていた手が不意に止まった。
「あ……」
中のお菓子が潰れていたのだろうか。
しかし、ルーメの視線は前側の席に向けられていた。
「ねえ、あれってスラセラートの学生服よね?」
ルーメに促され、宏人も前を見る。
二列前の座席、女の子が二人並んで仲良く座っていた。
後頭部しか見えなかったが、宏人は窓側の席に座っている少女の名前を知っていた。
(葉瑠ちゃん……どうして商業エリアなんかに……)
最近彼女とは会っていないが、後頭部の形を見れば判別できるくらい付き合いは長い。
制服姿の葉瑠は隣に座る黒髪の女の子と静かに会話を交わしていた。
多分、隣の黒髪の女の子に誘われてメインフロートユニットまで出てきたのだろう。
そうでなければ、あの葉瑠ちゃんが人の多い場所にわざわざ出かけるわけがない。
女の子二人だけで心配ではあるが、声を掛ける必要もない。
そう判断した宏人は知らぬふりをした。
「確かに窓側の彼女は訓練生みたいだね。彼女がどうかしたかい?」
「いや、休日なのに制服を着ているなんて、真面目な娘だなあと思っただけよ」
その言葉を聞きつつ、宏人はルーメの服を見る。ルーメはジーンズに白Tシャツと、かなりラフな格好をしていた。
そんなルーメとは違い、宏人は無地の襟付きポロシャツにチノパンという堅めの服装をしていた。
どちらとも、それぞれの性格を表しているようだった。
どうしても葉瑠のことが気になるのか、ルーメは走行中にもかかわらず席を立った。
「ちょっと声を掛けるわ」
「……止めておいたほうがいいと思うよ」
宏人はルーメの手を掴み、阻止する。
ルーメが話しかければ当然自分のことも知られてしまうわけで、まだ葉瑠とは話したくない宏人にとっては不都合だった。
しかし、宏人が掴んだところでルーメが止まるわけがなかった。
「離してよ宏人」
「……宏人さん?」
宏人という名前が出た瞬間、前の席に座っていた葉瑠が勢い良く振り返った。
回転の勢いによってセミロングの髪がぶわっと広がり、隣の女の子の顔面を叩いた。
女の子は葉瑠の髪の毛を振り払いつつ振り返る。
葉瑠の隣に座っていたのはアビゲイルだった。
葉瑠は後部座席に宏人の姿を見つけて目を白黒させていたが、アビゲイルはスムーズに話しかけてきた。
「これは奇遇ですねルーメ教官に川上教官。今日はお二人でデートですか?」
「デート!?」
葉瑠の素っ頓狂な声を無視してルーメが応える。
「そんな大層なものじゃないわ。お菓子のストックが切れちゃったから、宏人にちょっと付き合ってもらってるだけよ」
「付き合ってる!?」
背後に身を乗り出す葉瑠に目もくれず、ルーメは質問を返す。
「そっちこそ今日はどうしたの。女の子同士で観光?」
「まあ、そのようなものです」
「いいわねえ……私も女友達とショッピングを楽しんでみたいわ」
ルーメは前方の二人を恨めしそうに見ていた。
熱い視線を向けられ、葉瑠は俯きがちにメガネを弄っていたが、アビゲイルは相変わらず無表情を貫いていた。
……ランナーの女性比率は低いが、ことスラセラートにおいては一概に言えない。
上位ランナーのうち半数以上は女性ランナーが占めているのだ。
1位のルーメを筆頭に、4位の『エネオラ』、5位の『入江香織』、6位の『アビゲイル』、7位の『カヤ』、9位の『スーニャ』と、ほぼ上位を独占している。
彼女たちは一応ルーメと肩を並べられる実力者なのだし友達になれそうなものだが、実のところ会話は殆ど無い。
まともに話せているのは四六時中突っかかってきているスーニャくらいなものだろう。
もちろん、見事6位の座を奪ったアビゲイルも、候補の一人であった。
宏人はなんとなくアビゲイルに興味が湧き二人に話し掛けてしまった。
「珍しい組み合わせだね。てっきり君と葉瑠ちゃんは仲が悪いものかと思っていたんだけれど……」
「川上教官、人の関係は思ったよりも簡単に変化するものです」
「そうだね」
簡単に変化する……。
“嫌い”から“好き”なることもあれば、その逆もまた然りである。
宏人は葉瑠に嫌われてしまったのではないかと一瞬考えた。
思い切り頬を引っ叩いてしまったのだし、嫌われてしまっても当然だ。
あれ以降全く会話もないし、会う機会もない。
まあ、昔と違って葉瑠ちゃんはもう独りではない。友達もできたようだし、僕がいなくても元気にやっていけるはずだ。
妹を見守る兄の如く優しい視線を向けていると、葉瑠が話しかけてきた。
「宏人さん、あの……」
眼は合わせてくれない。横顔をこちらに見せつつ葉瑠は眼鏡をしきりに弄る。
「なんだい葉瑠ちゃん」
「お二人は今からどこに行くんです?」
「上層エリアのユーベクスホテル、最上階のスカイラウンジレストランだ」
「ホテルって……」
「別に泊まろうってわけじゃない。レストランで食事するだけだよ」
「一緒に食事ですか……」
このディナーこそ、宏人がルーメの買い物に付き合った理由だった。
あそのこコース料理をご馳走してくれるのなら、半日の荷物持ちくらい安いものだ。
あそこの料理は冗談抜きで美味しい。シンギ教官に初めて連れてきてもらった時は美味しすぎて涙が出たくらいだ。
ルーメと一緒に食べるのは不本意だが、まだ僕は未成年なのでルーメがいなければ入店できないから仕方ない。
葉瑠は宏人の言葉を聞いて悩ましげな表情を浮かべていた。
そんな葉瑠を見て、アビゲイルが予想外のお願いをする。
「ルーメ教官に宏人教官、もしよろしければ夕食をご一緒してもよろしいですか」
「急な話だね……」
何故こんな要求をしたのか理解できなかったが、アビゲイルは至極真面目な顔をこちらに向けていた。
ルーメは特に考えることなく了承した。
「いいわよ」
「ルーメ、そんな簡単に……」
「賑やかでいいじゃない。宏人と二人きりで食べるより断然いいわ」
「そうかい……」
年長者のルーメが許した以上、宏人が反対できるわけがなかった。
その後4人は電車を降り、エレベーターシャフトへ向かった。
メインフロートユニットの上層エリア。その中央部には主に各国の行政関係や有名企業の出先機関が密集しており、そんな機関を囲むようにして背の高いホテルビルが競い合うように天に向かって伸びている。
海抜1000mを超えるホテルからの景色は最高で、ホテル内であれば低階であろうと高階であろうと素晴らしいオーシャンビューが約束されている。
だがやはり、最上階からの眺めが一番素晴らしい。
特にユーベクスホテルは最上階のスカイラウンジに力を入れていて、壁から天井にかけて全てガラス張りになっている。
そんな場所で食事ができるのだから、幸せなことこの上ない。
景色も絶景だが、レストランで出される料理も絶品だ。
コックはまだ若いらしいが、腕は確かで雑誌の特集にも載っていたりする。
今日はどんな料理が食べられるのか、期待に胸踊らせているとあっという間に目的地についてしまった。
ユーベクスホテルの最上階にて、エレベーターから真っ先に飛び出したのは葉瑠だった。
葉瑠はそのままガラス張りの壁まで駆けて行き、目をキラキラさせながら夜の海を眺め、感嘆の声をあげた。
「わあ、高い……」
心なしかトーンが高い。珍しく興奮気味みたいだ。
宏人とルーメ、そしてアビゲイルはゆっくり歩き、葉瑠の背後に立つ。
「もしかして、葉瑠ちゃんは上層エリアに来るのは初めて?」
宏人の問いに葉瑠は視線を外に向けたまま応じる。
「いえ、前に一度だけ友達とメインタワーの展望室に行きました。でも、こんな夜景を見るのは初めてで……」
「友達って、結賀のこと?」
「ルーメさん、結賀のことご存知なんですか?」
話し掛けられ、葉瑠はようやく振り返る。
「入学テストでシンギ教官に一撃入れようとして返り討ちされた娘よね」
ルーメは応えつつ、レストランのあるエリアに向けて歩き出した。
葉瑠は壁から離れ、ルーメの後を追う。
ルーメは指先を上に向け円を描くようにくるくる動かしていた。
「そう言えば、あの時あなたもシンギ教官からクリーンヒットを奪ったのに、リヴィオや結賀と比べてランキングはかなり下よね。どうしてなの?」
「アルフレッド教官の指示で、ランキング戦に参加できないんです。もっと言えばシミュレータ訓練も禁止されてて……」
「そうだったの……」
アルフレッドの話題になるとルーメは苦笑いを浮かべた。
あまり彼については話したくないみたいだ。
話しているとすぐにレストランの入り口に到達した。
4人はウェイトレスに案内され、レストラン内でも最も奥、窓際のテーブルに座る。
4人の視線は窓の外に見える夜景ではなく、プラネタリウムを連想させる高級感あふれる店内の内装でもなく、席から去っていくウェイトレスに向けられていた。
後ろ姿を凝視しつつ、アビゲイルは他の3人も感じているあろう言葉を告げる。
「……短いですね」
アビゲイルの的確なセリフに、3人共同意するように頷いた。
「あのタイトスカート、ヤバイわね」
「確かに煽情的だね。前に来た時はスラックスだったような気がするんだけれど……」
「恥ずかしくないのかな……」
ウェイトレスは白いシャツの上に黒のカマーベストを、そしてミニのタイトスカートを履いていた。
確かに短いが下品さを感じさせる短さではなく、かと言って劣情を抱かせない長さでもなかった。
おまけに、この高級レストラン内でも違和感を感じさせない、実に絶妙な短さだった。
サイズを間違えてしまったのか、それとも他に何か事情があるのだろうか……。
他のウェイトレスのタイトスカートも同じように短いし、これがこの店の規格のようだ。
「……済まない、料理を頼めるかな」
ウェイトレスの下半身を眺めていると、不意に店内に聞き覚えのある声が響いた。
葉瑠たちは声に反応して視線を店内へ向ける。4人の視線の先には手を挙げてウェイトレスを呼びつけているマスクの男がいた。
耳触りの良いテノールの声、仰々しい口調、そして目元を覆い隠している金属製のマスク。この3つの条件が揃っている変態はこの地上に一人しかいない。
「アルフレッド教官だ……」
マスク姿の男が一人で黙々と食事する様子は異常だった。
そもそも、よくあんなマスクを付けたまま入店できたものだ。
アルフレッドの呼びつけに応じ、ウェイトレスがやってくる。
そのウェイトレスにも見覚えがあった。
「あれは……リリメリアさんじゃないか?」
「ほんとだ」
宏人の言葉を受け、葉瑠は目を凝らす。
イエローの髪に陶器のような肌。女神のごとくオーラを発している彼女はリリメリアで間違いない。
彼女も他のウェイトレスと同様に、あの恥ずかしい制服を着ていた。
校医の彼女がどうしてこんな場所でウェイトレスをしているのだろう。
そんな疑問はさておき、彼女はアルフレッドを前にして明らかに不機嫌な表情を浮かべていた。
リリメリアはメニュー片手にアルフレッドに近づいていく。
「……ご注文は?」
やや高めの声で告げると、リリメリアはメニューをテーブルの上に放り投げた。
明らかに嫌がられているのに、アルフレッドは気にせず注文を告げた。
「君のスマイルを頂きたい」
「……お決まりになられたらまたお呼びください」
透き通るような声とは裏腹に、リリメリアはアルフレッドを睨んでいた。
冷たい視線を向けられても全く堪えていないようで、アルフレッドはまじまじとリリメリアの制服姿を眺めていた。
そんなアルフレッドを見て、4人はため息を付いた。
「あれは酷いですね」
「彼がリリメリアさんに好意を持っているのは知っていたけれど、あれじゃまるで質の悪いストーカーだね」
「マスクも相まって正真正銘の変態になってますね……」
全員がアルフレッドに呆れている中、ルーメだけがリリメリアについて疑問を抱いていた。
「リリメリアさん、こんな所で何やってるのかしら……」
副業として夜はウェイトレスの仕事をしているのかもしれない。でも、スラセラートの給料は結構な額だし、生活に困っているとは思えない。
趣味でこういうバイトをしているのだろうか……。
疑問は尽きないが、こういうのは本人に聞くのが一番いい。
ルーメは早速リリメリアに声を掛ける。
「あの、すみませーん」
声を掛けた瞬間、リリメリアがこちらを向いた。
そしてすぐさま視線を逸らした。……が、今更他人のふりをしても意味は無いと悟ったようで、重い足取りながらも近寄ってきた。
テーブル脇に立つと、リリメリアは小声で話しかけてきた。
「どうしてこんなところにあなた達がいるの……」
やはり恥ずかしいのか、リリメリアはタイトスカートの裾を軽く押さえていた。
「私達はただ単に食事しに来ただけ。リリメリアさんこそ、どうしてウェイトレスを?」
「姉がここの厨房で働いているのだけれど、人手が足りない時によくこうやって手伝わされているの」
さらりと理由を告げたリリメリアは、脇に挟んでいたメニューをくるりと回転させながら取り出す。
そして若干中腰になり、葉瑠に身を寄せてメニューを開いて見せる。
「お客様、本日はこちらのコース料理がおすすめですが、どうなさいますか?」
「えと、あの……」
リリメリアに急接近され、葉瑠は若干戸惑っていた。
決め兼ねていると、料理を待ちきれないルーメがスパッと決めてしまった。
「取り敢えずそのおすすめを全員分お願い」
「かしこまりました」
リリメリアさんはニコリと笑い、テーブルから離れていった。
宏人は小声でルーメに問いかける。
「お金は大丈夫かい?」
「大丈夫大丈夫。私を誰だと思ってるの? コース料理の一つや二つ余裕で……」
豪語するルーメだったが、不意に途中で固まってしまう。
そして、急に難しい表情を浮かべて指折り数え始めた。
指を4つほど内側に傾けた所で、ルーメは顔を顰めた。
その顔を見て宏人はため息をつく。
「やっぱり足りないんだね……あれだけお菓子を買い込めばそうなるよ」
そう言って宏人はレストランの入り口に目を向ける。
入り口には客の荷物を預かるコーナーがあったが、パーティションの隙間から大量の紙袋が溢れ出ていた。
「ごめん宏人、今回は立て替えといて」
「そんなお金持ってないよ」
「クレジットカードなり何なりあるでしょ」
「だから、僕は未成年だって言ってるだろう……」
宏人のマネーカードの残高はそれなりにあったが、フルコース4名分を支払えるほどの額は残っていなかった。
4人して困り果てていると、アルフレッドが話しかけてきた。
「私が立て替えようか?」
やはりこちらの存在に気付いていたようだ。
アルフレッドは既に席を立っており、歩み寄ってきていた。
どんどん近づいてくるマスクを見つつ、ルーメが応じる。
「いいの? じゃあお言葉に甘えてご馳走になるわね」
「私は“立て替えようか”と言ったのだが……」
テーブルに到達したアルフレッドは宏人の背後に立ち、背もたれ部分を掴む。
ルーメは隣を見上げ、言葉を返す。
「そんなけち臭い事言わずにさ、先輩なんだから後輩には奢ってあげないと」
「年齢はともかく、在籍期間で考えると君が一番先輩だろうに……」
そう言いつつも、アルフレッドは腕を組んでしばらく考える。
「よし、葉瑠君とアビゲイル君の代金は私が肩代わりしよう。これで文句ないだろう」
妥当な判断だ。
だが、ルーメは何としてでもタダ飯が食べたいらしい。
とうとう文句をたれ始める。
「二人も三人も一緒でしょ? 奢ってよー」
「駄目だ。仮にも教官代理なのだから、もっとしっかりしたまえ」
「ストーカーに言われたくないわね……」
当然の反論だ。
ルーメは他にも言いたいことがあったようで、さらに続ける。
「それに、そっちこそちゃんと教官の仕事しなさいよ」
「仕事はきちんとこなしている」
「いいえ。さっき葉瑠ちゃんから聞いたわよ。どうしてシミュレータマシンを使わせてあげないの?」
言葉の後、アルフレッドとルーメの視線が葉瑠に向けられた。
テーブル上に置かれていたナプキンで遊んでいた葉瑠は、視線を向けられて咄嗟に姿勢を正した。
「私が……どうかしましたか?」
「シミュレータマシンで訓練できないなんて、可哀想ね葉瑠ちゃん」
「私は別に……」
無用なトラブルは生みたくないと考えての発言だったが、何を思ったかアビゲイルが葉瑠の本音を代弁し始めた。
「葉瑠は一秒でも長くVFに乗って戦って、強くなりたいと言っていました。ランキング戦への出場も許可して欲しいようです」
「やっぱりそうよね。葉瑠ちゃんもこう言ってるんだし、許可してあげなさいよ」
ここまで言えば許可を出してもらえるはずだ……と思いきや、アルフレッドは頑なに拒む。
「いいや。強くなりたいのなら、尚更今の訓練を続けることだ」
納得出来ない。
きちんとした理由もないのに訓練に参加させてもらえないなんて、あり得ない話だ。
このアルフレッドの発言のせいで、葉瑠は積もりに積もっていた不満を漏らしてしまった。
「……不公平です」
葉瑠は俯いたままポツリと呟く。
全員の注目が集まっているのを感じつつ、葉瑠は続ける。
「アルフレッドさんがランキング2位の凄腕ランナーなのは認めてます。でも、指導については怪しいです。……こんなことなら別の人が教官になってくれたほうが良かったです」
「別の人って?」
ルーメに促され、葉瑠は告白する。
「本当は……宏人さんがよかったです」
葉瑠は顔を上げ、正面に座る宏人を見る。
宏人は苦笑いし、頬を掻いていた。
「あはは、参ったなあ」
「まあ、妹ならお兄さんに教えた貰いたいって思うのは当然ね」
ルーメは肯定してくれたが、アルフレッドは葉瑠の言葉が信じられなかったようで、ショックを受けている様子だった。
「葉瑠君、それは本心なのか……?」
「アルフレッド教官は単にフィジカルトレーニングするように命令していただけじゃないですか。宏人さんに教えてもらっていたら、もっと強くなっていたと思います」
「そう、か……」
みるみるうちにアルフレッドの勢いが弱まっていく。
……そんなにショックだったのだろうか。
見た目に反して意外とナイーブなのかもしれない。
比較の対象となった宏人はアルフレッドの有り様を見てフォローに入る。
「葉瑠ちゃんは大袈裟だなあ」
「私は本音を言っただけです。それに、宏人さんだってそう思ってるでしょ」
「それは……」
宏人は言葉に詰まってしまった。少なからず葉瑠の意見に賛成しているのは明らかだった。
宏人の反応で全てを悟ったアルフレッドは、沈んだ様子でテーブルから離れていく。
「ちょっと、アルフレッド……?」
ルーメが心配して声を掛けると、アルフレッドは振り返ることなく軽く手を上げて応じた。
「……葉瑠君、アビゲイル君、また明日会おう」
別れを告げると、アルフレッドはそのままレストランから去って行ってしまった。
追いかけたほうがいいのか考えていると、アルフレッドと入れ替わるようにリリメリアがやってきた。
「おまたせしました」
リリメリアは両手に前菜の皿を持っていた。
その皿を見てルーメは思い出したように呟く。
「あ、コース料理の代金……」
アルフレッドに奢ってもらうことをすっかり忘れていた。
今更追いかけるわけにもいかず、結局4人はリリメリアに代金を立て替えてもらうこととなった。




