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黄昏のヴァイキャリアス  作者: イツロウ
 1 大罪人の娘
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 01 -離郷-

 大罪人の娘


 01 -離郷-


 ――父の死から10年後、3月。

 日本のとある中学校にて、義務教育課程の卒業式が執り行われていた。

 卒業式と言っても、そんな大層なものではない。

 体育館の中には制服姿の学生は一人もいない。数も二十かそこらで年齢もバラバラだ。

 全員落ち着きがなく、殆どが携帯端末に目を落としていた。

「通信制課程終了、おめでとうございます。これまで様々な苦労があったかと思いますが、これからの生活では……」

 壇上に立っているのは教育委員会の委員長だ。

 祝辞を述べているようだが、誰もその話を聞いていなかった。

 話している本人もそれを分かってか、幾重にも折り畳まれた紙に目を落とし、淡々と定型文を話し続けている。

 そんな中、その定型文をまじめに話を聞いている卒業生がいた。

 その卒業生は最前列のパイプ椅子に姿勢正しく座り、黒縁の眼鏡越しに前を見ていた。

 制服姿の少女。

 セミロングの黒髪、前髪は眉にかかるかかからない程よい長さで、もみあげは眼鏡のツルを覆い隠すほど長く、襟元から胸元へ流れている。特に結んでいないため、首元も黒髪で覆われ肩甲骨の下辺りまでを完全に覆い隠していた。

 表情は暗い。

 唇は固く結ばれ、鳶色の瞳からも力が感じられない。

 普段から笑ったりしていないことがよく分かる顔だ。

 しかし、顔の造形のお陰で根暗というよりも淑やかというイメージが強かった。

 傷も曇りも全くない眼鏡のレンズは、彼女の几帳面さを証明しているように感じられた。

(長かったですね……)

 この10年間は本当に長かった。

 義務教育課程も終了したことだし、これでようやく自由になれる。

 父も母もとうの昔に死に、頼れる親戚もいない。だからこそ、一人で自由に生きられるというものだ。

「……以上で祝辞とさせていただきます」

 ようやく話が終わったようだ。

 話が終わるのを待ち構えていたのか、矢継ぎ早に司会進行役が次のプログラム内容を読み上げる。

「それでは卒業証書授与に移ります……」

 その後すぐに卒業生の名前が読み上げられ、最前列左端に座っていた生徒が立ち上がる。

 生徒はだらだらと壇上まで歩いて行き、学校長から卒業証明書を奪い取り、溜息混じりに元の席に戻る。

 殆どがそんな感じで、ひどい生徒になると名前を呼ばれても立ち上がろうともしなかった。

 すぐに少女も名を呼ばれた。

 体育館内に自分の氏名が響き渡る。

 その反響を耳にしつつ、少女ははっきりとした声で応じた。

「はい」

 少女は椅子からゆっくりと立ち上がり、壇上へ歩いて行く

 その間、講堂内にいる全員の視線がこちらに向けられているのがわかった。

 先ほどまで携帯端末を弄っていた少年少女は物珍しげに彼女を見、周囲にいた教師や係員の大人たちも彼女を凝視していた。

 少女は注目される理由をよく理解していた。

 そして、それがどうにもできないことだということも理解していた。

 学校長の前まで行くと、学校長は我を取り戻したように卒業証書を差し出してきた。

「お、おめでとう」

「……」

 少女は無言でそれを受け取り、一礼する。

 そのまま壇上で回れ右をすると、体育館内の様子が一望できた。

 全員の視線が私に突き刺さっている。好奇心と恐怖と怒りが程よくブレンドされた、そんな視線。

(……)

 この視線は少女にとって辛いものだった。

 この10年間いつもいつも浴びせられてきた視線だが、慣れないものは慣れない。

 このまま席に戻るのも気まずい。貰うものは貰ったことだし、帰ろう。

 そう決めると少女は顔を下に向けて壇上から降り、卒業証書を持ったまま、体育館横の出口から外へ出た。

 止める者もいなければ、追ってくるものもいない。

 外に出てしばらくすると再び体育館内から司会進行役の声が聞こえ始めた。

 その声を背中に聞きつつ、少女は一人で学校の外に出た。



 ……学校を出てから10分後

 少女は家に帰っていた。

 場所はリビングルーム。

 リビングには殆ど物が置いておらず、テレビとソファー以外目立ったものはない。

 寂しい空間の中、大きなコーナーソファーには齢50前後の男がいて、大画面のテレビを見ながら寛いでいた。

 身なりはきっちりしているが、手には酒瓶が握られており、だらしない雰囲気が漂っている。

 酒のせいか、室内には甘いアルコールのにおいが充満していた。

「もう終わったのか、卒業式」

「はい……」

 言葉とともに漏れた吐息は酒臭かった。

 そんな臭いに負けず、少女は卒業証書を差し出す。

 男は少女から卒業証書を片手で受け取りちらりと見る。

「立派なもんだ」

 その言葉には皮肉が含まれているような気がした。

 少女は卒業証書を受け取るべく再び手を伸ばす。しかし、男は証書を放り投げた。

 硬い紙質の証書はくるくると回転しながら部屋の隅に飛んでいき、白い壁紙にぶつかって床に落ちた。

 その様子が可笑しかったのか、男は鼻で笑い、冷たく告げる。

「これでもうお前を家においておく理由はなくなったな。1週間猶予をやるから、それまでに家から出るんだぞ」

「はい……」

「それだけか?」

 何が不満なのか、男はソファーからふらりと立ち上がり少女を上から睨む。

「9年も面倒みてやったのに、礼も言えないのかこのガキ……」

「すみませんでした」

「“ありがとうございました”だろうが!!」

 男は乱暴に言い、少女の顎を掴む。そして、強引に広角を上げてみせた。

 ごつごつとした指が少女の頬に深く沈み込む。

 多少の乱暴には慣れているのか、少女は特に抵抗することなく俯いていた。

 男は舌打ちし、少女から手を離す。

「ちっとは愛想笑いでもしてみたらどうだ。あ?」

「あなた以外にはしています」

「お前……!!」

 男は今度は頬ではなく、首を掴む。

「ぐっ……」

 細い首に男の指がめり込む。しかし、少女は抵抗しない。

 男が飽きるのをひたすら待っているようにも見えた。

「――速達でーす」

 急に外から声が聞こえてきた。

 この声に驚いたのか、男は少女から手を放した。

 開放された少女は首を押さえてひどく咳き込む。

 その状態のまま玄関に向かい、ドアを開けた。

 玄関には郵便配達員が立っていた。右手には封筒の束が、左手にはペンが握られていた。

「あの、メール便もあるので受取のサインをお願いします」

「……」

 少女は喉元を押さえたままペンを受け取り、伝票に苗字を書き込む。

 苗字を見た配達員はぎょっとした表情を見せたが、すぐにお辞儀をしてその顔を隠した。

「あ、ありがとうございましたー」

「ご苦労さまです」

 足早に去っていく配達員を眺めつつ、少女はドアを閉める。

 少女の背後には男が待ち構えていた。

 男が何かを言う前に、少女は質問する。

「殴らないんですか。今日は」

「……とっとと失せろ」

 もう飽きたようだ。

 男は少女の手から郵便物の束を強引に奪い取り、のそのそとリビングへ歩いて行った。

 男の姿が見えなくなると、少女は内ポケットに隠していたメール便を取り出す。

 それは少女宛の封筒だった

 表面には航空会社のロゴマークが印字され、厚みがある。

 少女はその封筒を持ったまま素早く階段を登って2階まで移動した。

 流れるような足運びで少女は自室に入り、ドアに鍵をかける。

 これで完全に男から離れられた。

 安心感からか、ここまで来てようやく少女はため息を付いた。

「ふう……」

 ドアにもたれかかったまま、少女は封筒を開封する。

 中には表面のものと同じロゴマークが刻印された航空チケットが入っていた。

 少女は興奮気味に息を吸い込み、チケットを胸に押し当てる。

 その際視線が上を向き、部屋の光景が目に飛び込んできた。

 6畳の部屋には何も置かれておらずフローリングの床は綺麗に磨かれている。

 机もベッドの本棚も何もない。ある物といえば、入り口近くに置かれているトランクケースくらいなものだった。

 少女はチケットを封筒に戻し、封筒を制服の内ポケットに大事に仕舞いこむ。

 続けてトランクケースを持ち上げ、部屋に背を向けた。

「……」

 ドアノブに手をかけたところで、少女は動きを止める。

 そして、再度室内に目を向けた。

 6畳の世界

 ここが少女にとって安息の地であり、生活の全てだった。

 今日、私はこの安息の地を捨て、旅立つ。

 もう二度とこの場所に戻ってくることはないだろう。

「……9年間、ありがとうございました」

 部屋に向けてそう言い、少女は部屋を後にした。

 


 電車の中は春の陽気に満ちていた。

 昼間とあって人は少ない。

 少女はトランクケースを股の間にはさみ、向かいの窓から外を見ていた。

 高層ビルが左から右に流れていく。都心部とあって、景色だけは賑やかだ。

 電車に乗ると毎回見られる景色だが、今回で見納めになるかと思うと感慨深いものがある。

 ぼんやりしたまま眺めていると、不意に窓が真っ黒に塗りつぶされた。

 どうやらトンネルにはいったようだ。

 明暗の差によって窓ガラスが一瞬で鏡代わりとなり、少女自身の姿を映す。

 窓に映っているのは地味で気弱そうな眼鏡姿の少女だった。

 これから一人で生きていくと決意した割には、ずいぶん頼りなさ気に見える。

 身に付けているのはおさがりのセーラー服。

 学生服とあって造りは頑丈で、生地も厚い。

 少し長めのプリーツスカートからは細くもなければ太くもない脚が伸びている。

 脚の半分はひざ下丈のハイソックスに包まれておて、シューズにはブラウンのローファーを履いていた。

 制服と同じくローファーもかなり年代物で、踵のゴムが少し擦り切れて丸くなっていた。

 制服の上には男物のコートを羽織っている。

 このコートはあの家から無断で拝借したものだ。

 高級品らしい。ずっしりと重く、3月の寒気を遮断してくれている。

 ……ちなみに、トランクケースも勝手に拝借したものだった。

 こんなブランド物を持っているのだから、昔はそれなりに良い職場で働いていたのだろう。

 しかし、あの人は私のせいであんな状態になってしまった。

 責任は感じている。しかし、助けるつもりはない。そもそも、元凶の私に助けられるわけがない。

 気持ちが沈みかけていると、窓の外が一気に明るくなった。

 トンネルを抜けると海が見えてきた。

 日は傾きかけており、オレンジ色が海の波に反射してキラキラと輝いていた。

 空港までもうすぐだ。

 日本の空気を吸っていられるのもあと1時間ちょっと。

 少女は内ポケットにある航空チケットを服の上から押さえ、少しの間想い出に浸ることにした。


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