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黄昏のヴァイキャリアス  作者: イツロウ
 1 大罪人の娘
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 09 -仮面の男-

 09 -仮面の男-


「ここ、どこでしょうか……」

 勢い良く講義室を飛び出した葉瑠は、早速道に迷っていた。

 通路の景色は単調で、案内板もないせいか、先程から同じ場所をグルグル回っている気がする。

 階段も上がったり下がったりしているのに、どうしてもこの迷路から抜けられない。

 ……そもそも宏人さんがどこにいるのかすら分からない。

(誰か人がいれば、道なり何なり聞けるんですけれど……)

 通路は閑散としていた。

 学園の通路というものは、学生がおしゃべりしながら行き来する場であり、こんなに静かな場所ではないはずだ。

 もしかして他の学年は授業中なのだろうか。

 だとしても静か過ぎる。

 なんだか別世界に迷い込んでしまったみたいだ……。

 しばらく歩き続けていると、通路の端に自動販売機を見つけた。隣にはベンチが設置されていて、簡易休憩室のようになっている。

(少し、休みましょうか……)

 葉瑠は足を止め、通路奥へと向かう。

 近づいていくと、その場所に人がいることに気がついた。

 その人影はベンチに腰掛け、何かを飲んでいるようだった。

 ……あの人に道を聞こう。

 葉瑠は歩行スピードを上げ、人影に近づいていく。

 後ろ姿から見るに、男の人……それも若い男の人のようだ。

 髪はオールバックで後方に撫で付けられ、背筋はピンと伸びていて姿勢正しい。

 どことなく気品が感じられる。

 多分礼儀正しくて親切な人に違いない。

 そう願いつつ葉瑠は歩を進めていく。

 ある程度近づくと、その男の人は私の足音に気付いたらしい。

 彼はカップをベンチの上に静かに置き、おもむろに振り返る。

 その瞬間、思わず葉瑠は足を止めてしまった。

(え……)

 彼の顔、額から鼻の頭にかけてマスクによって覆い隠されていたのだ。

 しかもそのマスク、そんじょそこらの安っぽいマスクではない。隅から隅まで金属製の重苦しそうパーツで構成されていた。

 なかなかエッジの効いた、デザイン性に優れたマスクだ。

(いえ、マスクのデザインはひとまず置いておいて……)

 いくらデザインが良くても、彼が普通じゃないのは明らかだ。

 驚いている葉瑠に対し、マスクの男は実に丁寧な口調で声をかける。

「おやおや、こんな時間にこの場所に人が来るなんて珍しい。もしかして迷子かな、お嬢さん?」

 テノールの効いた、艶のある声。どことなく上品さの感じられる話し方。

 ……最初に感じた礼儀正しいという部分は的中していたようだ。

 マスクの彼はオールバックの髪を側頭部に撫で付け、マスクの位置を調整する。

「それとも、私に用事かな?」

 別に彼に用があるわけではないが、せっかく遭遇できたのだし、当初の目的通り道を聞くことにしよう。

 葉瑠は歩みを再開し、マスクの彼に近寄っていく。

「すみません、実は人を探していまして……」

「なるほど、力になれるかもしれないな。名前は?」

 マスクの彼はベンチの端に寄り、開いたスペースをぽんぽんと叩く。

 ……座れということだろうか。

 葉瑠は彼の指示には従わず、立ったまま話を続ける。

「名前は……川上宏人さん、です」

「ああ、彼か」

「知ってるんですか?」

「もちろん知っているとも。何せ彼はランキング3位の有名人だからな。この時間帯なら彼は……食堂にいるだろう」

「食堂……」

 教えてくれて有難いのだが、生憎その食堂の場所がわからない。

 困っていると気持ちを察してくれたのか、マスクの男はベンチから立ち上がる。

 立ち上がり方も、どことなく気品が感じられる。

「乗りかかった船だ。食堂まで案内しよう」

 仰々しくお辞儀をし、彼は手のひらを上に向けてこちらに差し出してきた。

 それは、ダンスの誘いなどで男性側がする仕草と酷似していた。

 ドラマや映画ではよく見るが、現実に見たのは初めてかもしれない。

「ありがとう、ございます……」

 いくら相手が怪しいマスクの男でも、こういうことをされると嬉しいものだ。

 ドキドキしつつ、葉瑠は彼の手のひらに触れる。

「礼を言うのはまだ早いぞ、お嬢さん」

 マスクの男はこちらの手を優しく掴み、来た道を戻り始める。

 若干引っ張られながら、葉瑠は彼の後に続く。

(この人、ここの学生さんですよね……?)

 彼はマスク以外は至極まっとうな格好をしていた。

 スラセラート学園の制服を上下とも着用し、しかもその制服には皺一つない。

 ジロジロと見つつ歩いていると、彼は私の目の前で人差し指をピンと立てた。

「時にお嬢さん、1つ質問してもよろしいか」

 視線は進行方向に向けられたままだ。

 こちらから一方的に見ているのも失礼だし、私も前を向いておこう。

「はい、なんでしょうか?」

「君は、ランナーコースの新入生と見受けたが、合っているか?」

「はい、そうです」

「つまり、入学試験を受けたということで間違いないな?」

「間違いないですけれど……」

 仮面の男は小さく頷く。

「なるほど……君を新入生と見込んで頼み事があるのだが、聞いてもらってよろしいか」

 言葉の後、マスクがこちらに向けられた。

(頼み事……)

 内容にもよるが、せっかく案内してくれているのだし出来ることなら是非とも聞いてあげよう。

 葉瑠は肯定の意を示すべく、こくりと頷く。

 彼は「よろしい」と呟き、マスクの位置を調整する。

「……では、シンギ教官殿からヒットを奪った3名について、知っていることを教えてもらえないか」

 マスクの男の動きに影響され、葉瑠も何となく眼鏡のつるをいじる。

(ヒットを奪った3人……私と結賀とリヴィオくんのことですね)

 自分のことはともかく、他の二人について勝手に喋っていいのかと思い、葉瑠は事情を聞いてみることにした。

 いきなり理由を聞くと不審がられると判断し、葉瑠は慎重に探りを入れる。

「3人だと知ってるってことは……試験、見ていたんですか?」

 仮面の男はすぐに応じる。

「最初から最後までしっかりと、な。朝のティータイムの肴にちょうどいいと思って観戦させてもらったが、今年は優秀な新入生がいたものだ」

「優秀……」

 褒められているみたいだ。結構うれしい。

「是非とも彼らと話がしたいと思っている。時間があれば声を掛けておいてくれると有難いのだが」

「あ、はい。わかりました……」

 ……自分がその3人のうちの一人なのだが、結局言い出すことができなかった。

 まあ、話すにしても結賀とリヴィオくんに相談してからでも遅くないだろう。

 マスクの男は軽く会釈する。

「感謝する。……時に、君はなかなか礼儀正しいな。先輩として鼻が高い」

「こちらこそ、ありがとうございます……」

 先輩、ということは、彼もランナーコースの訓練生なのだろう。

 マスク以外は優しそうな先輩だし、早速知り合いになれてラッキーかもしれない。

 そのままマスクの先輩に続いてしばらく歩くと、すぐに目的地に到着した。

「さあ食堂に到着だ」

 マスク先輩は先行してドアを開けてくれた。

 空けた瞬間、食堂内の空気が葉瑠に襲いかかってきた。

(あ、いい匂い……)

 この匂いはカレーだ。……かと思ったが、他にも肉の香ばしい香りやフルーツ特有の甘い香りも漂ってくる。

 そんな複雑な香りに誘われ、葉瑠は食堂内に足を踏み入れる。

 食堂内は人で賑わっていた。

 内部はいくつかの背の低い壁でパーティション分けされ、テーブルの種類も細長いものから円いものまで、一人がけのカウンター席から複数人用のファミリー席まで多岐にわたっている。

 どの席も人で埋め尽くされていたが、その大半を占めていたのは作業着姿の学生だった。

 エンジニアコースの学生だろう。ランナーコースの学生よりも圧倒的に多いので、当然といえば当然かもしれない。

「新入生君、こちらだ」

 入り口でぼんやり立っていると、前方から声が飛んできた。

 マスクの先輩は円テーブルがあるエリアに体を向け、手招きしていた。

 葉瑠は「はい」と応え、先輩を追いかける。

 途中、マスクの先輩は何名かとすれ違ったが、誰も驚いている様子はなかった。

 それどころか「こんにちは」や「お疲れ様です」などと親しげに挨拶されていた。

 先輩も挨拶される度に「ご苦労」と言葉を返していた。

 普通は驚くか無視しそうなものだが、彼は学園内では有名人なのだろう。もしくは、彼のマスクが普通に思えるほど、彼以上に変な格好をした人がいるのかもしれない。

 円テーブルのエリアに足を踏み入れると、ようやく葉瑠は宏人の姿を確認できた。

(宏人さん……)

 私の憧れの人。

 ずっと前から凄い人だとは思っていたけれど、学園ランキングで3位と聞いてからもっと憧れが強くなった。

 宏人さんは円テーブルに一人腰掛け、コーヒーカップ片手に情報端末を弄っていた。

 葉瑠は少し離れた場所から宏人の姿を堪能する。

 比較的短めの髪は七三分けにセットされていて、清潔感がある。

 表情は穏やかで、目鼻立ちはスッキリしている。

 一言で表すなら爽やかなイケメンさん。

 制服やランナースーツやファッション服よりも、パリっとしたスーツが似合うような、そんな雰囲気を醸し出している人。

 “好青年“という言葉は彼のために生まれてきたのかもしれない……。

「ヒロト、君にお客さんだ」

 ある程度まで近づくと、マスクの先輩が宏人さんに声を掛けた。

 宏人さんは声に反応しこちらを見る。

 最初は不思議そうにしていたが、すぐににこやかな表情を浮かべ、続いてやさしい眼差しを向けてくれた。

「葉瑠ちゃん?」

 宏人さんは椅子から立ち上がる。

 葉瑠は小走りで宏人に駆け寄り、嬉々として報告する。

「宏人さん、私合格しました!!」

「おめでとう。よく頑張ったね」

 宏人さんは軽くハグし、背中をぽんぽんと叩く。

 日本にいた時は隣にいられるだけでも幸せだったのに、ハグされた上背中も撫でてくれるなんて、幸せで死んでしまいそうだ。

 香水も使っているのか、何だかいい香りもする。

(はあ……)

 顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。

 このままずっと抱かれていたい。

 しかし、至福の時間はそう長く続かなかった。

 宏人さんは急にハグを中断し、訝しげな様子で呟く。

「ねえ葉瑠ちゃん、ちょっと聞いてもいいかい?」

「……はい?」

 ぼんやりした頭で葉瑠は頷く。

 宏人さんはこちらの肩越しに一点を指さした。

「どうして葉瑠ちゃんがこの変態と一緒にいるんだい?」

 宏人さんが指差した先、そこには仮面の先輩が佇んでいた。

 仮面の先輩は腕を組み、不服そうに応じる。

「変態とは失礼な」

「君を変態と言わずして何を変態と言うんだい? それに、君という男を表現するのに、これほど適した言葉はないと思うけどね」

「納得できないな」

 どうやら二人は知り合いだったみたいだ。

 と言うか、仮面の先輩はこの時間帯に宏人さんが食堂にいることを知っているわけだし、知り合いどころか親しい関係なのかもしれない。

 宏人さんはどういう経緯で彼と知り合ったのか、少し興味が湧いてきた。

「立ち話も疲れるだろう。座るといい」

 仮面の先輩は椅子を引き、座るように促す。

 葉瑠は軽く頭を下げ、「すみません」と断りを入れながら椅子に座る。

 向かいには宏人さんが座り、仮面の先輩もジャケットの前ボタンを開け、隣の席に座った。

「ところでお嬢さん、彼とは親しい間柄と見受けたが……よければお名前を聞かせてもらってもよろしいか」

「え、あの……」

 葉瑠は言い淀んでしまう。

 更木の名前は流石に口に出せない。

 この沈黙を仮面の先輩は都合よく勘違いしてくれたようで、言葉を引っ込める。

「これは失礼した。私から名乗るのが礼儀だったな」

 仮面の先輩は咳払いし、背筋を伸ばす。

「私は『アルフレッド・クライレイ』この学園で教官補佐の任に就いている」

 仮面の眼の部分がキラリと光る。

「アルフレッドさん……」

 葉瑠はこの名前に聞き覚えがあった。が、詳しく思い出せない。

 何とか思い出そうと顎に手を当てていると、宏人さんが補足してくれた。

「彼、学園ランキングでは2位なんだ」

「あ!!」

 ようやく思い出した。

 つい先程シンギ教官から教えられた名前だ。

 3位の宏人さんに注意が行っていたせいで、アルフレッドさんのことを失念していたようだ。

 失礼だと思いつつ、葉瑠はアルフレッドの顔をジロジロと見る。

「2位ってことは、3位の宏人さんよりも強いってことですよね……」

 こんなふざけた格好の人が宏人さんよりも強いなんて納得できない。

 実際に対戦の様子を見ていないのでなんとも言えないが、悔しいのは事実だった。

「まあそうなるね。……と言うか、僕のランク知っててくれたんだね。嬉しいよ」

「3位を知っていて2位を知らないとは……」

 仮面の先輩……アルフレッドさんは仮面の端の方を押さえ、首を左右に振っていた。

 が、直ぐに気を取り直して質問を再開する。

「さて、名前をお聞かせ願おうか、お嬢さん」

「……」

 まだ名乗っていないことをすっかり忘れていた。

 いつもみたいに葉瑠という名前だけを教えようか。

 でもそれだと不自然だ。どちらにせよ学生名簿に載ってしまうので、名の露見は免れない。

 いっそ早いところ白状してしまおう。

 みんな私を軽蔑するかもしれないが、少なくとも宏人さんだけは味方でいてくれるはずだ。

 ……宏人さんさえいれば平気だ。

 葉瑠は覚悟を決めて名を告げようとする。

 しかし、先に私の名を告げたのは宏人さんだった。

「彼女は『川上葉瑠』……僕の妹だよ」

「な……」

 いきなり何を言っているのだろう。

 葉瑠は驚きのあまり声を上げそうになったが、宏人の顔を見て言葉を引っ込めた。

 ……宏人さんは軽くウインクし、アルフレッドさんに悟られぬように唇だけを動かしていた。

 葉瑠は唇の動きから言葉を推測する。

(「ま・か・せ・て」……まかせて?)

 とにかく黙っていたほうがいいかもしれない。

 アルフレッドさんはこちらの顔を見、続いて宏人さんに目を向ける。

「君に妹がいたとは、初耳だな」

「色々と複雑な事情があってね」

 複雑な事情……

 大抵のことはこの一言で片付けられるから便利だ。

 アルフレッドさんもこの“複雑な事情”の一言で口を噤んでしまった。

 沈黙が気まずかったのか、アルフレッドさんは話題を変える。

「……しかし、これであの件は納得だな」

「あの件というと?」

「入学試験の際、彼女がシンギ教官殿から計6ヒット奪った件だ。君の妹なら、それくらい容易いことだろう」

「知ってたんですか……」

「君が話したがらない様子だったのでな。こちらも控えようと思ったのだが……彼の妹となると話は別だ」

 この話で一番反応を示したのは宏人さんだった。

 宏人さんは「わー」と嬉しげに声を上げていた。

「すごいな葉瑠ちゃん。いくら教官がセブンクレスタに乗っていたとはいえ、ヒットを奪うなんて……」

 宏人さんは本気で驚いているようで、身を前に乗り出して目をランランと輝かせていた。

 こんなに興味を持ってもらえるなんて、初めてかもしれない。

 今後も頑張って強くなれば、宏人さんに認めてもらえるかもしれない。そうすれば……

(恋人……とか)

 ランナー同士のカップル。夢のある話だ。

 一人妄想に浸かっていると、アルフレッドさんが席を立った。

「さて、案内も終わったことだし、そろそろ私はお暇させてもらおうか」

 席を離れようとするアルフレッドさんを宏人さんは呼び止める。

「どこに行くんだい? せっかくだし君も一緒に昼食を……」

「知っているだろう? 私は人前で食事は取らない」

 アルフレッドさんは指先でマスクの眉間あたりをコツコツと叩いていた。

 一応口元は見えているので食べるぶんには問題無いと思うのだが……下手に質問するのは止めておこう。

「そうだったね。じゃあ、また放課後に」

 宏人さんは軽く手を上げて別れを告げる。

「ああ、放課後に」

 アルフレッドさんも指を揃えて軽く手を振り、離れていく。

 ここで葉瑠はアルフレッドに礼を言っていないことに気づき、慌てて席を立つ。

「あの、案内ありがとうございました」

「こちらもなかなか楽しかった。今後も気軽に話しかけてくれたまえよ、妹さん」

「あ、はい……」

 アルフレッドさんはジャケットの前ボタンを閉め、背を向ける。そして、食堂から出て行ってしまった。

「……」

 二人きりになると、宏人さんは空いた席を手のひらで叩き始めた。

 ……どうやらこっちに来いということらしい。

 葉瑠は指示されるまま宏人の隣に腰を下ろす。

 宏人さんはいきなりこちらの肩を抱き、至近距離で耳打ちしてきた。

「……さて、とりあえず苗字についてだけれど」

「……!!」

 耳に吐息がかかる。

 瞬時に鳥肌が立ち、自然と背筋が伸びてしまう。

 葉瑠は何とか理性を保ち、宏人に応じる。

「み、苗字といいますと、先ほどの妹の件ですか?」

「そうそう。流石に更木の名前を出すのはまずいだろう? だから、今後は『川上』を名乗って欲しいんだ。僕の妹ってことにしておけば色々と融通が効くし、変な虫もつかないと思うよ」

「でも、そんなこと……学園側が許してくれませんよ……」

 提案は嬉しい。でも、偽名で学園生活を送るのは難しいし、限界がある。

 宏人さんはその辺りも承知のようで、早々に解決策を口にする。

「……シンギさんに頼めば何とかなると思う」

 この言葉には説得力があった。

 なにせシンギ教官はエンジニアコース受験予定の私をランナーコースにねじ込んだ人だ。登録された氏名を変更するくらい簡単にやってのけるだろう。

 それでも了承しかねていると、宏人さんは耳打ちを止めて肩を掴んできた。

「職権乱用が許されないのは僕もわかってる。でも、こればかりは仕方がないことだと思うんだ。厄介事に巻き込まれる心配がなくなるなら、それに越したことはないだろう?」

 宏人さんは私のことを真剣に考えてくれている。

 その親切心を無下にできるわけがなかった。

「分かりました。お願いします……」

 宏人さんの顔が穏やかになり、笑みが溢れる。

「はあ、よかった。これでもう安心だね」

 相変わらずの爽やかな笑顔。これを見るだけで心が落ち着く。

「――何が安心だって?」

 唐突に背後から話しかけられ、葉瑠は咄嗟に振り返る。

 ……背後に立っていたのは結賀だった。

 結賀は料理が載ったトレイを円テーブルに上に乱暴に置き、断りもなく椅子に座る。

 またスカートが捲れる……かと思いきや、いつの間にか結賀はプリーツスカートからスラックスに着替えていた。

 まるっきり男子と同じ格好だ。いや、下手な男子より格好良いかもしれない。

 結賀は足を組み、宏人さんにガンを飛ばす。

「よお葉瑠。そいつが恩人って男か」

「うん、そうだけど……どうして食堂に?」

「腹が減ったからに決まってんだろ。ここ、訓練生ならタダで飲み食いできるらしいし、来ないわけにはいかないだろ?」

(タダなんだ……)

 結賀のトレイには大盛りの白米、そして大盛りのボロネーゼ、更に大盛りのフライドポテトと、炭水化物で埋め尽くされていた。

 これらが全部タダなんて、流石はスラセラートだ。

 結賀はフライドポテトを齧りつつ、宏人さんを値踏みするように睨みつける。

「テメー、葉瑠とはどんな関係なんだ?」

「えーと、葉瑠ちゃんは僕の妹だよ」

「……妹だあ?」

 結賀は事実確認するようにこちらを見る。

 葉瑠は何度も頷き宏人の言葉を肯定する。

 それでも結賀は疑いの目を宏人さんに向けていた。

「全っ然似てねーな」

 結賀の指摘に葉瑠と宏人はぎくりとしてしまう。

 外国人から見れば同じ日本人同士なので違和感はないだろうが、日本人から見ると似てないと思われても仕方がない。

 これ以上突っ込まれるとマズいと判断したのか、宏人さんは露骨に話題を変える。

「君こそ、葉瑠ちゃんとはどんな関係なんだい?」

「親友だ」

 そう宣言したあと、結賀はこちらを見て「なー」と同意を求める。

 葉瑠は「ねー」とノリよく応じた。

 ……その時、タイミングよく宏人さんの携帯端末が鳴り始めた。

 宏人さんは「ちょっとごめん」と断りを入れ、携帯端末の画面を見る。どうやらメッセージが届いたようだ。

 しばらく画面を見ていたかと思うと、宏人さんは急に席を立つ。

「ごめん葉瑠ちゃん、急な用事が入ったみたいなんだ」

「そう、ですか……」

 もう少し一緒にいたかった。少しでもスラセラートでの話を聞けるかと思ったのに、もうお別れなんて残念だ。

 しょんぼりしていると、宏人さんはこちらの頭を撫でてくれた。

「また明日、今度はゆっくり話そう」

「はい」

 二度と会えないわけではないのだ。ここは我慢しよう。

「じゃあね」

 宏人さんは軽く手を振り、円テーブルから離れていく。

 結構急ぎの用事なのか、宏人さんは早歩きで食堂から去っていった。

 残された葉瑠は、宏人が食堂を出るまで後ろ姿をじっと眺めていた。

 やがて食堂からいなくなると、葉瑠は肩の力を抜いてテーブルに突っ伏す。

「ふう……」

 自然と息が漏れる。

 やっぱり宏人さんは素敵だ。明日また会えると思うだけでやる気が出てくる。

 このまま乙女チックな気分に浸っていたかったが、目の前で口いっぱいに白米を頬張っている結賀がそれを許してくれなかった。

 雰囲気ぶち壊しである。

 結賀はこちらの視線に気づき、トレイを指さす。

「……食うか?」

 結賀に罪はあっても、フライドポテトに罪はない。

「うん、食べる」

 葉瑠は結賀のトレイに手を伸ばし、フライドポテトを頬張る。

(あ、美味しい……)

 ……その後トレイが空になるまで、二人はだらだらと食事を続けていた。

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