09 -秒針-
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修繕工事も終わり、学園が日常を取り戻してからはや1月
アルフレッド教官が帰国したり、エネオラ先輩も露国に行ってしまってから1ヶ月が過ぎようとしていた。
当時はやはり寂しかったが、慣れというのは恐ろしいもので、彼らがいない状況が普通になってきた。
訓練は全てシンギ教官が受け持ち、残された少数の訓練生は彼のスパルタに等しい指導を毎日のように受けている。
数が少なくなったことは学園にとってデメリットだが、訓練生からすればライバルが減るわけだし、教官から指導を受けられる時間も長くなるわけで、そういう意味ではメリットかもしれない。
夕刻、葉瑠たち2年生はメリットを享受し終え、学生寮へ向かう帰路についていた。
(今日も充実してたなあ……)
コンビネーションによる攻撃練習
今日はシンギ教官1人を相手に2年生が5人で……結賀とリヴィオとアハトとドナイト、そして私の5人で攻撃を仕掛けた。
場所は近海の海上、使用した機体は偽物の擬似AGFではなく、七宮重工が公開した設計図通りに造られた本物のAGFだった。
シンギ教官は明らかに手を抜いているのに、私達5名はまともにヒットを奪うことすらできなかった。最終的に5機とも撃墜され、海に沈められてしまった。
回収してくれたエンジニアコースの人達には毎度毎度頭が上がらない。
こうやってAGFを惜しげなく訓練で使えるのも、ここ最近急速に普及しているからだ。
各国も試験段階を終えて大量生産態勢に入ったらしい。だが、生産できるのは技術力を持った組織や大国だけで、後の小国はアンカラードを通じてAGFを購入している。
アンカラードは主に中国からAGFを買い上げており、それを格安で販売している。
AGFを手に入れたいがためにアンカラードに加入した国も少なくない。
……なんだかんだ行ってアンカラードも上手くやっているようだ。
訓練のことを思い返しながら歩いていると、隣の結賀がふと話しかけてきた。
「あれ、葉瑠、その時計止まってねーか」
「え?」
結賀に指摘され、葉瑠は左腕の機械式腕時計を見る。
秒針は動かず、時刻も昼あたりで停止していた。
「本当だ……」
この時計は宏人さんからプレゼントされた、いわば宝物だ。
それが壊れたと知り、葉瑠は一瞬で落ち込んだ。
「嘘でしょ……なんで……」
時計を取り外し、裏側のスケルトン部分を見る。ムーブメントは完全に停止しており、うんともすんとも言わない。
「それ、VF操縦してる時もつけてただろ。どっかに当たった拍子に壊れちまったんじゃねーか?」
「そうかも……」
自動巻き上げなので電池切れはあり得ない。傷らしきものも見当たらないが、原因としては結賀の指摘した通り外部からの衝撃以外に考えられない。
「修理、頼まないといけないね……」
葉瑠は動かない腕時計を腕に巻き直し、溜息をつく。
すると、結賀がこちらの背中をばんと叩いた。
「動かなくなった程度でいじけるなよ。ほら、明後日は休みだし、時計屋に付き合ってやるよ」
「ほんと?」
中央フロートユニット、特に上層エリアに一人で行くのは敷居が高い。が、結賀と一緒なら難なく高級宝飾店に入っても恥ずかしくない。
結賀は女の子だが、何も知らない人から見ればぱっと見は美男子だ。男装をしていれば完璧に男子に化けることもできる。
余談だが、葉瑠は結賀と頻繁に中央フロートユニットに出掛けているが、その度に優越感を感じていた。
美男子と一緒に歩いているというだけで、心地よい気分になるものだ。しかも、肩と肩がくっつくほど仲良くしているのだから、女子として勝ち組になった気がする。
全てはまやかし、寮に帰った後はすごく虚しくなるのが欠点だが、その欠点を補って余りあるほど、結賀とのデートは心地よい。
「ついでにオレもなんか買おうかなあ……」
「じゃあ、私が似合いそうなの選んであげるよ」
「お、それいいな」
先ほどの落ち込んだ感情はどこに行ったのか、葉瑠は寮に帰るまで結賀と楽しく会話していた。
――二日後、休日の朝
「……結賀、結賀ってば」
葉瑠はベッドの上で爆睡している結賀の肩を揺らしていた。
「今日はメインフロートユニットに行く約束だったでしょ」
結賀は下着姿、あられもない姿でベッドにうつ伏せになっており、葉瑠が体を揺らす度に呻いていた。
「……すまん葉瑠、昨日シンギ教官にしごかれまくって……動けねえ……面目ねえ……」
口調までおかしい。
結賀の体にはところどころに湿布が貼ってあった。
……これも全ては結賀自身が招いたことである。
昨日、結賀はVFでの対戦で全く歯がたたないことに苛立ち、生身のシンギ教官に向かって飛び蹴りを放ったのだ。
シンギ教官はそれを軽く避け、「よし、よく分かった」と言うと結賀をトレーニングルームに引き摺り込み、その後4時間ほど延々と格闘の指導という名の一方的な攻撃を行ったのだ。
殴打され、床に打ち付けられ、投げ飛ばされた結賀は訓練が終わると同時に医務室に連れて行かれ……その後のことは言わずもがなである。
一日も寝れば回復すると思ったが、予想以上にダメージを受けているみたいだ。
葉瑠は結賀の同行を諦めることにした。
「情けないなあ……もう、一人で行くからね」
「おう……悪いな」
結賀と出かけられないのは残念だが、来週まで待っていられない。一刻も早く腕時計を修理したいのだ。
葉瑠は結賀のベッドから離れ、バッグを肩にかけてドアへ向かう。
「じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい……」
結賀の声を背中に聞きつつ、葉瑠は部屋を後にした。
一方その頃、メインフロートユニットの商業エリアでは、リヴィオ達男子4人組が映画館の玄関にいた。
クローデル、アハト、ドナイトの3名は半券を片手に入場口に足先を向けていたが、唯一リヴィオだけが背を向けていた。
「おーい、リヴィオ、もう帰るのか?」
「映画なんて1回見りゃ十分だろ」
クローデルの問いかけにリヴィオはぶっきら棒に応じた。
クローデルはリヴィオを引き止めるべく力説する。
「最低で20回……4人で5回ずつ見ないとグッズコンプできないんだよ。半世紀前のVFリーグ当時のチームバッヂなんてレアグッズ、この先一生手に入らないぞ」
「いいよ、興味ねーから……」
リヴィオは飽き飽きしていた。
クローデルから映画に行こうと誘われた時はそこまで悪い気はしなかった。実際、内容もバトルシーンに力が入っていて見応えがあったし、それなりに楽しめた。
が、同じ内容の映像を5回も見なければならないとなると話は違ってくる。
(何がグッズコンプだよ……)
自分も趣味で珍しい柄のプリントTシャツなどを集めているので、グッズに対する執着心は理解できる。が、他人を巻き込んでまでコンプしたいとは思わない。
悪いが、後の15回は3人で5回ずつ観てもらうことにしよう。
リヴィオはクローデルの引き止めのセリフに屈せず、劇場の外に出る。
「適当にブラブラして帰る。あんまり散財すんなよ」
「おい、リヴィオ……仕方ないなあ……」
そんな言葉を背後に聞きつつ、リヴィオは劇場から大通りに出た。
大通りにでると途端に日光が降り注ぎ、喧騒が体の周囲を取り囲んだ。
相変わらずメインフロートユニットは年から年中賑やかだ。
観光客の数もさることながら、海上都市群で働いているであろう老若男女がエンターテインメントを求めてこの場所に集まってくる。
そもそも、海上都市でまともに遊べるのはリゾートフロートユニットかここくらいなものだ。ショッピングとなるとここ以外にまともな商業施設はない。
つまり、商業エリアが連日混みあうのは仕方のない事なのだ。
(暑いな……)
リヴィオは軽く溜息を付き、人混みの中を外周部向けて歩きだす。
この中央フロートユニットは中央に向かうに連れて傾斜が付いており、メインストリートの中央には路面電車が走っている。
上りは電車に乗らないとキツいが、下るのは歩きでもそれほど辛くはない。
「やっぱさっさと帰るか……」
暑いのは嫌いだ。部屋に戻って冷房の効いた部屋でのんびりしよう。
リヴィオは左を向き、早速下に向かって歩き出そうとした、が……
「ぐっ!?」
歩き出した途端、下からやってきた人とぶつかってしまった。
みぞおち辺りに相手の頭部が命中し、リヴィオは深くにも呻いてしまう。
左右確認せずに歩き出した自分も悪いが、こうも真正面から、しかも急所に衝突されるとイラッと来る。
「テメエ……」
リヴィオは喧嘩を売るつもりで衝突した人物に声をかける。
しかし、帰ってきたのは喧嘩口調の応酬ではなく、こちらの名を呼ぶ少女の声だった。
「いてて……あ、リヴィオくんだ」
ずれた眼鏡越しにこちらを見上げていたのは葉瑠だった。
体に接触された状態で上目遣いで見つめられ、リヴィオは狼狽えてしまう。
「よう……葉瑠」
何とか挨拶を返すことができた。
リヴィオは意識的に呼吸を整え、一歩下がる。
葉瑠から離れると、ようやく冷静にこの状況を考えることができた。
葉瑠は青を基調としたスラセラートの制服に身を包み、ショルダーバックというかポシェットを肩に掛けていた。
……買い物だろうか。
いつも結賀と出かけていることは知っているが、一人で出歩くなんて珍しい。
その疑問は言葉となって口から出てしまう。
「結賀は一緒じゃないのか」
もしくは、結賀以外の誰かと一緒にお出かけだろうか。
リヴィオは葉瑠の背後を見、同行者がいないことを確認して安堵する。
その動作でこちらが結賀と会いたいと勘違いしたのか、葉瑠は申し訳無さそうに告げる。
「……ごめんね、結賀と一緒じゃなくて。結賀と会いたかったの?」
「違うぞ、勘違いすんなよ」
リヴィオは短い銀髪を掻き上げ、話を仕切りなおす。
「……一人で散策か?」
「ううん、時計を修理してもらおうと思って、今上層エリアに向かってるところ」
そう言って葉瑠は左の手のひらを上に向け、こちらに差し出す。
細い手首にはメタルピンクのメカニカルウォッチが巻かれていた。が、針は動いていなかった。
「確かに、止まってんな」
リヴィオは葉瑠の手首を捕まえ、その腕時計をじろじろと見る。
「結構いい時計だな。どこで買ったんだ?」
「上層エリアの百貨店、で、実はこれ、宏人さんからのプレゼントなの」
「……へえ」
プレゼント。その発想はなかった。
葉瑠の気を惹くためにプレゼントの一つでもしておいたほうがいいかもしれない。それがきっかけで仲良くなれるかもしれないし、それが始まりで親密な付き合いに展開するかもしれない。
しかし、いきなりプレゼントを渡しても気持ち悪がられないだろうか。
そもそも、何をプレゼントすれば葉瑠は喜ぶのだろうか。
腕時計を眺めつつ考え込んでいると、葉瑠は腕を引っ込めた。
「リヴィオくんはここで何を?」
リヴィオは我に返り、自分が出てきた建物の看板を指差す。
「映画、見終わって帰るところだ」
「そうなんだ……」
こちらの答えを聞くと、とたんに葉瑠は悩ましげな表情を浮かべる。
何か葛藤中のようで、上層エリアへと続くエレベーターシャフトを見ては、こちらの顔を見て「うーん」と唸っていた。
が、十数秒もすると決心がついたようで、葉瑠は脈略もなく言い放った。
「暇なら一緒に上層エリアに行かない?」
「!!?」
この誘いはリヴィオにとって予想外だった。
驚きのあまり無言になったリヴィオを見て、葉瑠は慌てて矢継ぎ早に告げる。
「ほら、ああいう場所って、女子一人でいると浮くっていうか……ここで会ったのも何かの縁だと思ってさ……」
「要するに荷物持ちってことか」
期待していた答えと少しずれていたせいか、リヴィオは落胆してしまう。
その落胆っぷりを見て、葉瑠は発言を撤回する。
「ごめんね、無理なお願いだったよね。やっぱり私一人で……」
「……行ってやる」
「え?」
「付いてってやるって言ったんだ」
リヴィオに迷いはなかった。葉瑠と一緒に行動できるだけでも十分だ。それ以上を望むのは贅沢というものだ。
「わ、ありがと」
葉瑠は両手をぱちんと叩き合わせ、笑顔を浮かべる。
破壊力抜群のその笑顔に思わずリヴィオは顔をそむける。
……駄目だ、可愛すぎて直視できない。
決して葉瑠が絶世の美人というわけでも、アイドル並みに可愛い美少女というわけではない。
だが、好きな女子の笑顔というのは何物にも勝るものだ。
「……ほら、さっさと行くぞ」
結局リヴィオはまともに顔を合わすことなく、葉瑠とともに上層エリアへ向け歩き出した。
上層エリア、百貨店内。
ブランドショップが立ち並ぶフロアの一室、高級宝飾店内にて
葉瑠は店員から説明を受けていた。
「大変お待たせいたしました。簡単な検査をしましたところ、どうやら故障の原因は強い磁気の影響のようです。心当たりはおありですか?」
「はい……ラボとかVFのコックピットとか、大有りです……」
「そうですか。では、こちらで脱磁処理をしておきますので、今後はそういった場面では腕時計を外していただくようにお願いします」
「はい……」
「磁気抜きとクリーニングが終わりましたらお呼びいたしますので、それまで店内でごゆっくりなさってください」
「どうもです……」
原因が分かり、修理が簡単にできると知った葉瑠は安堵の息をついた。
内部部品の交換となると修理代が嵩むかと思っていたが、初歩的なトラブルなようで安心した。
葉瑠はカウンターを離れ、店内を見渡す。
大理石の床の上にはガラスのショーケースがずらりと並び、ケースの中には時計はもちろん、指輪、ネックレス、ブローチに至るまで、様々な装飾品が展示されていた。
客の入りもよく、男女のカップルが寄り添って指輪を指差していたり、派手なスーツに身を包んだ壮年の男性が腕時計を見つめていたりしていた。
……ここに来て気付いたことが一つある。
商業エリアの客層と違って、上層エリアは身なりがきちんとしている人の割合が高い。
施設の利用料金のランクが違うので仕方のない事だが、私にとっては肩身が狭いというか、場違いというか、少し居心地が悪い。
今日は制服で来て本当に良かった。下手に私服を着ていたら、笑われていた可能性も否めない。
(それにしてもリヴィオくん、流石だなあ……)
周囲の目を気にしてビクビクしている私とは違い、リヴィオくんは実に堂々としていた。
着ているものは変な柄のプリントTシャツにワインレッドのスラックスというラフな格好なのに、何故かこの場にマッチしていた。
やはりリヴィオくんはセレブだ。何を着ていても気品さが感じられる。弘法筆を選ばずとはこの事を言うのだろう。
葉瑠はカウンターから離れ、店内をうろついているリヴィオの元に近寄る。
「おまたせリヴィオくん」
「もう終わったのか。原因は分かったのか?」
リヴィオはショーケースから目を離し、こちらを見る。
宝石と見紛うリヴィオの蒼の瞳を見つつ、葉瑠は答える。
「強い磁気のせいで止まってたみたい。今磁気を抜いて、サービスでクリーニングもしてくれてる」
「そうか。よかったな」
「うん」
本当に修理出来て良かった。今後は気をつけよう。
葉瑠はリヴィオの隣に立ち、ショーケースの中を見る。
「リヴィオくん、何を見てたの?」
「値札だ。……意外と安いのもたくさんあるなと思ってな」
リヴィオがガラス面を突いた先、子供の小遣いでも買えそうなものが結構並んでいた。
車が2,3台買えそうな高値のついた時計や宝石もあるのに、こういう物も一緒に並べていいのだろうか……
葉瑠は横にスライドしながら安値のアクセサリを眺める。
と、不意にある物に目が止まった。
「このピアス……似合うかも」
葉瑠が見つけたのはルビーのピアスだった。
……ピアスと言えば結賀だ。
結賀は赤のピアスをつけているが、あれはメタリックレッドの金属製の物だ。
同じ赤ならルビーも似合うかもしれない。男っぽさは減るかもしれないが、女っぽさは間違いなく強調されるだろう。
葉瑠は改めて値札を見る。
……値段はVFフィギュアが2体買える程度だ。そんなに高くない。
一年くらい前にプレゼントされたこのオレンジフレームの眼鏡に比べれば安いものだ。
結賀のプレゼント用に買ってしまおうか……
そんなことを考えていると、背後から否定的なセリフが飛んできた。
「――止めておきなさい。貴女には似合わないわよ」
高圧的な女性な声。
葉瑠とリヴィオは同時に振り返る。
そこにはレディーススーツに身を包んだ、ポニーテールの女性が立っていた。
小動物なら睨んだだけで殺せそうなほど鋭い目、くっきりとした鼻筋、そして口元から覗く八重歯……シンギ教官に似たその顔に葉瑠は見覚えがあった。
「稲住社長!?」
稲住愛里、七宮重工の女社長さんだ。
名を呼ばれ、彼女は首を横に振る。
「もう社長じゃないし、七宮重工の社員でもなくなったわ。……仮にも日本人ならニュースくらい見ておいて頂戴」
「すみません……」
社長を辞めさせられたなんて、何があったのだろうか……
「まあそれはどうでもいいわ」
愛里は謝る葉瑠にぐっと近寄り、親指と中指の腹で葉瑠の耳たぶをぐにぐにと揉む。
「それにしてもピアスだなんて……葉瑠、貴女、少し見ない間に随分と大人になったじゃない」
「いや、これは結賀に似合うかなって思っただけでして……」
「ああ、そういうこと」
愛里は葉瑠の耳たぶから手を放すと、そのままこめかみに指先を差し込み、ミドルカットの黒髪をサラリと撫でた。
顔周りを触られているのに不思議と不快感はない。
稲住社長の指は冷たく、逆に心地よく感じられた。
葉瑠の髪を触った後、愛里は続いてリヴィオに目を向ける。
品定めするようにじろじろと眺め、愛里はようやくリヴィオに声をかける。
「……貴方が葉瑠をデートに誘ったのかしら」
「デ、デート!?」
素っ頓狂な声を上げるリヴィオに代わり、葉瑠が説明する。
「彼とは商業エリアでばったり会って、色々話したいこともあったので付いて来てもらっただけでして……」
「あら、そうなの」
「だよな……」
何故かリヴィオは残念そうに肩を落とした。
リヴィオにあまり興味はないらしい。愛里はすぐにそっぽを向き、葉瑠に向き直った。
「結賀にプレゼントを買いに来たということは……あの娘の誕生日が近いのかしら……」
「いえ、単に腕時計の修理に来ただけです。ちなみに稲住社長は……」
「ちょっと待って頂戴」
質問しようとすると、人差し指を前に突き出されて言葉を止められてしまった。
「私のことは愛里でいいわ。親しい人はみんなそう呼ぶの」
そう言ってニンマリと笑う。この人の笑顔には相変わらず慣れない。
「愛里さん……はどうしてここに?」
質問し直すと、愛里は向かいの店を指差した。
「仕事ついでにスーツを新調しに来たのだけれど、貴方達を見かけて声を掛けただけよ」
向かいの店は婦人服店だった。
彼女がどんな服を買うのか興味はあったが、それよりも今の言葉に気になる点があった。
「“仕事”って……ついさっき社長を辞めさせられたって言ってた気がするんですが……」
「そうよ」
愛里はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに饒舌に語り始める。
「私、新しい会社を立ち上げたのよ。量子コンピュータ専門の品質管理会社『榊』」
愛里は腕を組み、更に続ける。
「これからの時代は量子コンピュータの有無が勝敗の分け目になるわ。いかにして自国の量子コンピュータを敵から守るかが重要になる。……そこで私達の出番」
愛里は手のひらを叩き、得意げな表情を浮かべる。
「七宮重工は量子コンピュータの設計の手伝いまでしかできないけれど、私達にかかれば製造、管理、運用はもちろん、運搬やメンテナンス、そして警護までやってあげるわ。……どう? 技術力のある国はともかく、小国や途上国相手にならいい商売になるとは思わない?」
「……」
なるほど、いい商売かもしれない。
だが、いくらいい商売でもできるかどうかは別の話だ。
「そんなに手広くやって、人員は足りてるんですか?」
「既に七宮重工から目ぼしいエンジニアは引き抜き済みよ。後は警護用に優秀なランナーが欲しいところなんだけれど……葉瑠、あなたどう?」
急に指名され、葉瑠は慌てて首を小刻みに振る。
「いえいえそれはないですよ……他にいいランナーはたくさんいると思いますけど」
「いないからこうやって海上都市に出向いてまでランナーをスカウトしているの」
顎に手を当て、愛里は溜息をつく。
「スラセラートのOBやOGにはことごとく断られてしまって、学生でもいいかなと思ったのだけれど……困ったわ。私がVFに乗るわけにもいかないし……」
ここ最近、ランナーの需要は増すばかりだ。各国がAGFを搭載したVFを配備でき始めたのが大きな要因だろう。
優秀なランナーはどこにいても引っ張りだこなのだ。
社長が海外に出てまでランナーを探しているのだから、人材不足は世界レベルで起きていると考えていいかもしれない。
手伝ってあげたいのも山々だが、私では力不足に決まっている。
それでも事業自体には興味があり、葉瑠は話を続ける。
「募集を出せばそこそこ集まると思うのですが……そんなに急いでいるんですか」
葉瑠が問うと、愛里は頭を掻き始めた。
「そうなのよ。初仕事にして大きな仕事が入ってしまって……依頼主はサハ共和国なのだけれど……」
「!!」
サハ共和国と聞いて葉瑠の胸が高鳴る。
サハ共和国……露国から独立運動をしている真っ最中の国で、宏人さんが助力している国だ。当然、エネオラ先輩やロジオン教官とも関係の深い場所である。
サハが量子コンピュータを設置するとなると、戦いはAGF同士の戦闘になる可能性が極めて高い。
もしそうなれば、必ず死者が出る。エネオラ先輩が危険な目に遭うかもしれない。
そう思うと、自然と口が動いていた。
「その仕事、お手伝いさせてくれませんか」
「あら、気が変わった?」
「はい。私もそれなりに訓練を積んで強くなりました。その力を試してみたいと思いまして……」
嘘である。本当は現場に行きたいだけだ。
私が現場で頑張れば、何とか戦闘を回避させられるかもしれない。宏人さんにも会えるかもしれない。
「助かるわ。……それじゃ、早速スラセラートに話を付けに行きましょうか」
愛里はこちらがイエスと言うのを分かっていたのか、肩を抱いて店から出ようとする。
唐突な行動に戸惑う葉瑠だったが、リヴィオがそれを引き止めた。
「俺も……葉瑠が行くなら俺も手伝うぞ」
リヴィオは素早く道を塞ぎ、愛里に進言する。
しかし、愛里は小馬鹿にしたようにため息を付いた。
「貴方は別にいいわ」
冷たい言葉に、リヴィオは説明を求める。
「どうしてだ!? 俺のほうが技量的にも……」
「よく考えて頂戴。仮にも貴方はキルヒアイゼンの関係者よ。もし何かあったら責任が取れないし、キルヒアイゼンの面々が貴方を行かせることに賛成するとも思えないわ」
「くっ……」
リヴィオは自分の立場をわきまえてか、それ以上は反論しなかった。
と言うか、私には何かあっても責任が取れるということだろうか……
「もし私の仕事を請けたいのなら、まずはキルヒアイゼンを説得することね。キルヒアイゼンがOKを出せば、私も貴方を雇ってあげてもいいわよ。ま、無理でしょうけれど」
「……」
ぐうの音も出ないらしい。
リヴィオくんは俯いて道を開けた。
葉瑠は愛里と共に再び店外へ向けて歩き始める。
と、葉瑠は思い出したようにリヴィオに声を掛けた。
「あ、リヴィオくん!!」
「何だ?」
リヴィオは顔を上げ、期待のこもった表情で葉瑠の言葉を待つ。
「時計、修理が終わったら受け取っておいてね」
「……ああ、後で部屋に届けといてやるよ……」
「ありがと」
予想の言葉と違っていたのか、リヴィオは再び落胆の表情へ戻る。
リヴィオくんが一緒にサハ共和国に行こうとしてくれた、その気持は嬉しい。私を心配してくれているのはよく分かる。
が、愛里に断られて良かったと葉瑠は思っていた。
エネオラの身を案じて愛里の提案を受けたのに、もしリヴィオが戦闘に巻き込まれて怪我でもしたら、それこそ本末転倒だからだ。
リヴィオくんには友人もいれば家族もいる。彼らが悲しむような事態は避けなければならない。
「リヴィオくん、心配しなくても、私は大丈夫だからね……」
葉瑠は最後にそう告げ、店を後にする。
店を出ると愛里は葉瑠から手を退け、代わりにタブレット型の端末を手渡した。
「一応それ、契約書だから、一通り目を通しておいて頂戴ね」
「はい……」
それから学園に戻るまで、葉瑠は端末画面にに目を落としていた。
「――何の冗談だ? アイリ」
「冗談でもなんでもないわ。彼女、葉瑠を露国に連れて行くから許可をもらいに来たのよ」
学園に戻り、理事長室。
室内中央では早速シンギと愛里が言い合いを始めていた。
室内には他にセルカ理事長とリリメリアさんがいて、セルカ理事長は奥のデスクに、リリメリアさんは入口近くの応接テーブルに座っていた。
二人共愛里の話は寝耳に水だったようで、目をパチクリさせていた。
ちなみに、葉瑠は愛里の背後で縮こまっていた。
「……本来は許可なんていらないと思うんだけれど、一応話を通しておいたほうがいいと持ってわざわざ来てあげたのよ? 感謝して頂戴」
「何が感謝だ。訓練生をいきなり戦場に連れて行こうだなんて……そんな無茶苦茶な話、認められるわけがねーだろ」
シンギ教官は猛烈に反対していた。当然の反応だ。
いち訓練生としては教官が自分の身を心配してくれているこの状況は嬉しいのだが、どうしてもサハ共和国に行きたい立場としては複雑な心境だった。
シンギ教官はこちらに目を向ける。
「葉瑠、この話、お前から言い出したのは本当か?」
「はい、間違いないです」
「何か弱みを握られてるんじゃないだろうな?」
「いえ、全くそういうのはないです……」
「そうか……」
シンギ教官は困惑というより、不思議がっている様子だった。
私は自他ともに認めるおとなしい性格の持ち主だ。そんな少女が自分から戦場に行きたいと申し出るのは正直かなりの違和感がある。
シンギ教官の言うとおり、何か脅されているのではないかと考えるのは妥当だ。
私を説得できないと判断してか、シンギ教官は視線を愛里さんに向け直す。
「……お前、何か企んでるな?」
シンギの根拠もない指摘に、愛里は苦笑で応じる。
「フフ……さすがは私の弟。いい勘してるわ」
愛里はシンギの主張を認めた。その瞬間、シンギは愛里の胸ぐらを掴んだ。
「……テメエ、何考えてやがる」
「教えてあげるわけがないでしょう? ここでネタばらししちゃったら面白くないもの……フフ……」
愛里はこの状況を楽しんでいるようで、掴まれた状態にも関わらず笑みを浮かべていた。
……間違いなく悪巧みだ。
とてつもなく不安になった葉瑠だったが、これだけのことでサハ共和国へ行くのを止めるつもりはない。エネオラ先輩を守るためには、彼女からの依頼を受ける以外に方法はないのだ。
不真面目な態度が気に入らないのか、シンギは愛里を睨みつける。
「笑ってんじゃねーよ」
「フフ……必死になっちゃって、そんなに葉瑠のことが心配なのかしら。……でも安心していいわよ。ルーメの二の舞いにならないということだけは保証してあげるから」
「……!!」
シンギ教官は言葉を詰まらせる。
その隙に愛里さんはルーメ教官について話し続ける。
「貴方、ルーメの時もエネオラの時も何も言わずに送り出したのに、葉瑠に関しては必死ね。ルーメが作戦に失敗したこと、負い目に感じてるのかしら? もしあの時止めていれば、今も彼女はスラセラートで教官として……」
「黙れ、何かやらかす前にぶっ殺してやろうか……」
殺す、というワードが出た途端、愛里は笑うのをやめて真顔で応じる。
「それも面白そうね……」
「……」
葉瑠はその言葉に怖気を感じた。
この人は一体何を考えているのだろうか、全く理解できない。
もしかして私はとんでもない人から仕事を請けてしまったのだろうか……
一瞬会話が途切れ、愛里は葉瑠に顔を向ける。
「話を戻すけれど、本人が了承している以上、貴方達が何を言っても無駄よ。もし止めたければ、直接彼女を説得して頂戴」
シンギの視線も葉瑠へと移る。
しかし、シンギは何も言わずに首を左右に振った。
「葉瑠、マジでコイツに付いて行くんだな?」
「……はい」
私の決意に揺るぎはない。
葉瑠の返答に満足いったのか、愛里は話を次に進める。
「よし、そういうことだから。出発は明日。それまでに準備しておいて頂戴ね」
愛里はそう言うと軽く手を振り、理事長室を後にする。
葉瑠も遅れながら出口へ向かう。
そして、小さな声で「すみません」と告げると、愛里の後を追った。
……その後シンギは部屋の中央で暫く佇んでいた。




