201×年1月23日 ②
私は、その本の惨状を、十秒くらい見ていただろうか。我に返り、少年を見た。私はカウンターの椅子に座っていたから、小学生の身長と言えど、私が見上げる形になっていた。
少年は、一歩後ろに左足を下げた。私の顔が強ばっていたかも知れない。私が怒っていることを少年が感じとり、怖くなってしまったのかもしれない。
「この本、どうしたのかな? 」
私は、優しく聞くように心がけて、笑顔を精一杯作り、声を出した。
「僕じゃないです」
少年は言った。
もちろん、それは分かっていた。私は、分かっていたつもりで聞いたけど、口調が鋭くなっていたのかも知れない。
「そうだよね。それはお姉さんも分かっているよ。何処で見つけてくれたのかな? 」
「あっちの本棚。学校の図書館になかったから、借りにきたんだけど…… 」
本棚。それは至極まっとうな答えだった。図書は、分類され、整然と並べられている。少年が指さした方向は、当然、その本が置かれているべき本棚の方向だった。
「一緒にその本棚、行ってみようか」
そう言って、私はカウンターから立ち上がった。
「すみません。開架の見回り行ってきます。カウンターお願いします」
私は、後ろで事務作業をしていた同僚に一声掛けて、少年と本棚に向かった。
「ここにあった本」
少年は、本棚の中段を指さした。そこには、本一冊分の隙間があった。そこから、この少年が取り出したのだろう。
「この本、読むつもりだったの? 」
「うん。学校の読書感想文の宿題があるから」
少年も、私に慣れてきたようで、怖がっている感じがなくなっていた。
「そっか。偉いね。この破けちゃった本は、貸出出来ないから、こっちは? 」
私は、違う出版社から出版された物を、本棚から抜き取り、少年に渡した。
その少年が持っている本は、いろんな出版社から出版されており、日本語訳も複数の翻訳者が行ったものがある。この破かれた本以外のも、複数開架には並べられている。
破損がひどく、修繕できない本は、新しいのを再購入する申請手続きに回さなければならない。
少年は、私が渡した本を手に取り、その本を開いた。
私は次の瞬間、少年の目を、自分の手で覆い隠していた。咄嗟、だった。
そこには、都の条例で禁じられているような、青少年の健全な育成を阻害するような卑猥な代物があったわけではない。
先ほどの本と、同様の光景があった。
私が、その光景を見て思い出したのは、私が高校生の時に見た、9・11の映像だった。ワールド・トレードセンタービルに、二機目の飛行機が衝突した瞬間を、私は、生放送で、見た。
「映画じゃないの? 」
それが当時の私の最初の感想だった。インデペンデンス・ディーというハリウッド映画で、エイリアンがホワイトハウスを破壊力満点の光線で、ぶち壊す映像を見ていたので、似た類いの映画だと思った。
「ねぇ、どうしよう」と、翌日、高校の隣の席の男子が小声で相談してきた。「戦争が始まるんだよね。頭が悪くて、運動の出来る奴から出兵していくんだろ。選抜基準が野球だったら、俺で、サッカーだったらあいつだよ」と、サッカーで県の選抜選手だったクラスメートを指差していた。
一旦、その少年をカウンターまで連れて行き、私は一人、本棚に戻った。そして、他の本も手に取り、深呼吸をしてから、その本を開いた。同様の、壊された本がそこにはあった。
私は、すぐに上司に報告をしなきゃ、と思った。私は、カウンターまで走ったし、ゆっくりと本棚まで、ゆったりと歩いてくる上司に向かって、「早く、こっちです」と叫んだ。静かに本を読んでいた利用者の何人かが、驚いて顔を上げた。図書館は静粛に。
上司は、状況を把握すると、いろいろと電話をかけたりで忙しそうだった。私は、カウンターに待たせている少年と話した。私は、しゃがんで、視線を少年と同じ高さにした。
「ごめんね。いま、図書館にも、貸し出せる本がないみたいなの」
貸出予約があった、とか、そんな大人の嘘を付けば良かったと思い、言ってすぐに後悔した。そこに本はあるのだ。少年もそれを知っている。