其の七
家の風呂が壊れて修理もしないまま一週間が経った。七日前から通っている不思議な銭湯。風呂の修理はまだ頼んでいないので、今日も同じように行くことにする。どうせ、家から歩いて五分程だし。料金は徐々に安くなる可能性もあるし。もう、風呂の修理を頼むのも面倒臭いし。
利用料大人(中学生以上)四百円。小人(未修園児を除く)百五十円より。バスタオル・洗面器・入浴用玩具・石鹸・ボディソープ・シャンプー・リンス・コンディショナー・洗顔石鹸・フェイスソープ・脱色剤・脱毛剤・育毛剤・洗体タオル・頭髪用ブラシ・ドライヤー・くし・飲食物・注射器に入った気持ち良くなる液体等の持ち込み禁止。
『よっしゃ! 二十円値引き! てか、子供、百五十円よりってなってるよ。《より》って何だ? 何か特別料金でも徴収されるのか? レインコートマン昨日、お湯掛けられまくってたからな……。というよりも、《注射器に入った気持ち良くなる液体》って何だ? それって、かなりの違法物じゃないのか? 犯罪のニオイがする……』と思いつつ中へと入ろうとして気が付いた。
『あれ? この銭湯、一週間前からずっと通っているのに、いつ定休日なんだ?』
改めて案内表示を見てみると、定休日無し。年中無休。営業時間、十五時〜二十七時と書かれてあった。
身体に入れ墨のある方・頭髪を過剰に染めている方・浴槽内で排泄される方・背広、スーツ、ドレスを着用された方々・競争中に木陰で居眠りする方・視力5.0以上の方等のお客様には、当店のご利用を御控えさせていただく場合がございます。
『さてと、だ。ここは何故か、脅迫的に日課として行っておかないといけので、ここまでのことを適当に整理しておく。マトモじゃなくなったな……。昨日のアレは何だったんだ……。てか、休んでんじゃん!! 三時から十五時迄休んでんじゃん!! 年中無休、大嘘じゃん!! どうして、ウサギと亀のウサギはダメなんだ? サボるからか? この前、オッサン、サボってたんじゃなかったっけ!? 遠視はどうしてダメなんだ? スーツ類、やたらと詳しく分類されてるじゃん! 昨日、スーツ類軍団来たのかな?』
入口の自動ドアを開くと、目の前にもう一枚の自動ドアがある。
《ドアを開く前に、右横にあるボタンを押してください》
書かれている通りにボタンを押す。降ってきたのは白い霧だった。
『うわ!! 熱っ!! どうしてこんなに熱いんだ?』
急いで次の自動ドアを開く。
《出来立ての水蒸気、すなわちスチームでございます》
『馬鹿か!? 馬鹿なのか!? 火傷するだろ! わかるだろ、普通……』
前を見ると、また自動ドアがあり、《こうして、お風呂は楽しくなるのです》と書かれてある。
『馬鹿だろ! 火傷寸前で楽しくなるわけ……。ってなるか、あのオッサンなら……。でも、《そうして》が《こうして》に変わってる。意味不明だ……』
少し納得してしまった自分を恥ながら、僕は目の前の真っ白な自動ドアを開けた。
『…………』
絶句。それ以上も以下もない。ただただ絶句。
「忙しさの後に浮かぶImaginationが、全ての根源なのでゴザイマス。ダラダラ働いた後に、どれだけ脳裏に思考を浮かべても、何も浮かびはしないのでゴザイマス。だからといって、無意味にバタバタする気はないのでゴザイマスが、このBalanceが微妙に難しいのでゴザイマス」
『な、何を言っているんだ? 何の事を話しているんだ? いや、その前に誰に話しているんだ……?』
ドアを開けると、遠くを眺めたまま何やら呟いている雨合羽男。レインコートマンが立っていた。
「あら? お客様? いやぁねぇ、気が付かなくて……ゴメンなさぁい」
気が付いたかと思うと、オネエ言葉のレインコートマン。更に絶句。しかも気持ち悪い……。
「お客様どぉちゃったの〜? 脱衣室はあちらよ。それとも〜、アタシのエスコートが必要か・し・ら?」
『き、気色悪い』
不気味なレインコートマンを振り切って、脱衣所へと急いで逃げ込んだ。
『気持ち悪い。気色悪い。不気味。あぁ……吐き気がする……。どうしたんだ? あのオッサン。何かあったのか?』
気持ち悪いオッサンの事ばかり考えていても仕方ない。僕は気を取り直して、自動販売機を眺めてみることにした。石鹸・ボディソープ・フェイスソープ・シャンプー・コンデショナー・育毛剤・脱毛剤・洗身グッズ・フェイスタオル・バスタオル等、他にも浴用玩具や見たこともないアイテムまでが昨日と変わらず販売されている。
ボディタオル販売機の前で目が止まる。
『性転換タオル?』
何故か一見普通のタオルにしか見えないボディタオルが、《性転換タオル》として販売されている。料金は二百四十円。最近の僕の悪い癖は、気になった商品を迷うことなく購入してしまうことだった。
《商品名【もう! アタシばかりカマわないで!!】:効能【異性の気持ちがわかるようになります】注意点【しばらくは知人を避けて通りましょう】》
『どうして今日は、商品名までおかしいんだ……』
この説明書き通りに解釈するならば、僕は、ボディタオルで体を洗うことで女性の気持ちがわかる? ということになる。もしかしてレインコートマン、これ使ったのか?
『でもどうして、体を洗うと異性の気持ちがわかるんだ?』
浴室に出て出入口の方を眺めると、レインコートマンが入ってくる客一人一人に「あらぁ〜、いらっしゃい。ゆっくりとしていってねぇ」と気色の悪い声を出している。
ふと気が付いて脱衣所に戻り、ズボンのボケットの中から《お風呂で楽園》のカードを取り出すと、レインコートマンに渡しに行った。
「あらぁん。どぉしたのかしら?」
「《あら〜まソープ》出してください」
「《あら〜まソープ》出すの?」
「はい」
「あら? それ、《もう! アタシばかりカマわないで!!》じゃないの?」
「それが何か?」
「《あら〜まソープ》と《もう! アタシばかりカマわないで!!》 併用したらダメよぉう」
「どうしてですか!?」
「どうしてってぇ、言われてもぉ……。楽しくないじゃなぁい」
「それは客の自由ですよね?」
「そこまで言われると、どうしようもないわね。じゃぁあ、Card出してくれる?」
言われた通りに《お風呂で楽園》のカードをレインコートマンに手渡した。
「暗証番号を確認するわよ」
「19760824」
「次はぁ、名前のカ・ク・ニ・ン」
「馬場 坂」
「はい。《あら〜まソープ》よ。お風呂は楽しく入らなきゃダメよぉ〜」
脱衣所でズボンのポケットの中に《お風呂で楽園》のカードを入れてから再度浴室へ向かった。
《あら〜まソープ》を使うので、少し人気のない場所に移動。それにしても広い銭湯だ。シャンプーをしてから、《もう! アタシばかりカマわないで!!》に《あら〜まソープ》を染み込ませ体を洗う。
何も変わった気がしない。
「何か変わった?」
声にだしてみるが、やはり何かが変わったという感じがしない。
『あれ? 女性の気持ち、わかるんじゃなかったの? 何もわからないんだけど……』
当たり前な状態に違和感を感じながら辺りを見渡す。しかし、誰も僕を見ても何も思ってないようだ。
「何これ。どうなってるの?」
声に出して《もう! アタシばかりカマわないで!!》を眺めてみるが、それでも周囲は無反応。いや、無反応というよりも男どもが離れてゆく。
『もしかして本当に女に見えてるの?』
そういえば、いつの間にか僕の周囲には女性達で溢れている。
『これはこれで僕がヤバイでしょ』
そんな事を考えていると、突然黒いレインコートを着たガタイの良い男三人に羽交い締めにされ、レインコートマンの後ろの部屋に押し込まれた。
『いったい何……』
考える間もなく、僕の前にはホッソリと貧弱な男がオネエ座りで涙を流している。
『全く本当に何のつもり!』
その時だった。突然、ウェディングファンファーレが流れたと思うと、レインコートマンが、僕と貧弱な男の腕を組ませ浴室へと押し出した。
『へ? この感触……。コイツ、女?』
肘に当たる柔らかい感触を感じながら、そんな事を考えていると、「皆様、今日はMiracleに珍しい日なのでゴザイマス。《あら〜まソープ》と《もう! アタシばかりカマわないで!!》を使った男性と、《あら〜まソープ》と《これでも俺を見ないのか!!》を使った方が同時にご利用になられているのでゴザイマス」と、ウェディングマーチが流れる浴場で、レインコートマンが声高らかに叫んでいる。
『へ? ってことは……。今、僕が花嫁役で、こっちのヤツが花婿役ってこと? しかも、その性別は本当はそれぞれ逆?』
肘に当たる柔らかい感触。反対に彼女は、僕のゴツイ腕に腕を絡まされているのということになる。ふと横を見ると、裸の貧弱男が下を向いて真っ赤な顔をしている。
「やめてよ! こんなことしても、僕達は楽しくないよ!」
そう言って腕を離すと、ウェディングマーチが止まった。
「私……。ごめんなさい。こんなことになるとは思わずに」
彼? いや、本当は彼女なのだろうが謝ってくる。
「いや、僕もこんなことされるなんて思わなかった」
裸の男女が向き合って謝りあっている姿は、端から見れば、さも、滑稽なのだろうが、当の僕達ばお互いが裸である事すら忘れていた。
『馬鹿にしやがって!』
かなり腹立たしかったが、晒しものにされた事があまりにも恥ずかしくて、今日は湯舟に入らずに、そそくさと脱衣所へと向かった。彼女を見ると、彼女も同じような気持ちだったのだろう。彼女も脱衣所へと姿を消していった。しかし、あの姿を彼女と言っていいのだろうか。
ムカついたので、服を着てからレインコートマンに二千円札を差し出した。
「またでゴザイマスか? お客様。当施設は湿度が多いのでゴザイマス。ですから、紙幣でのお支払いは避けてほしいのでゴザイマス。しかも、二千円札なんて珍しい物を……。嫌がらせでゴザイマスね。わかりました。本日は痛み分けとするのでゴザイマス。ただし本日お買い求めになられた品物も、持ち出しは禁止でゴザイマスので、Cardを出すのでゴザイマス」
レインコートマンの言い方に腹はたったが、素直に《お風呂で楽園》のカードを差し出す。
「暗証番号を確認するのでゴザイマス」
「19760824!!」
「名前を確認するのでゴザイマス」
「馬場坂!」
「はい、確かに《あら〜まソープ》と《もう! アタシばかりカマわないで!!》お預かりしたのでゴザイマス。本日もご利用ありがとうゴザイマシタ。後ろの彼女とも、もう一度挨拶した方が良いのではゴザイマセンか?」
差し出されたカードを受け取り、後ろを振り返ると、真っ赤な顔をした貧弱男が立っていた。一先ず、自動ドアを通り外に出る。
「さっきは、突然手を離してしまってごめんなさい」
「いえ、私、どうする事もできなくて……。助かりました」
「また、この銭湯来ますか?」
「たぶん」
「でも、その時は知らない顔同士ですね」
「そうですね」
お互いに少し微笑みあうと、銭湯を後にした。彼女と帰り道が違う事が唯一の救いだった。
『ヤバイヤバイ。あの肘の感触が忘れられないよ……。もう! 僕のバカぁ!!』