其の十三
家の風呂が壊れて修理もしないまま十三日が経った。
『そろそろ修理しないといけないかな。明日にでも、電話してみるか』
と思いつつ、通い始めてそろそろ二週間になる不思議な銭湯に行くことにする。不思議な話、雫さんに逢いに行っているような気もするのだが。
利用料大人(中学生以上)四百円。小人(未修園児を除く)百五十円。バスタオル・洗面器・入浴用玩具・石鹸・ボディソープ・シャンプー・リンス・コンディショナー・洗顔石鹸・フェイスソープ・脱色剤・脱毛剤・育毛剤・洗体タオル・頭髪用ブラシ・ドライヤー・くし・飲食物・不思議なアイテム等の持ち込み禁止。また、ここはプールではございません。
『とうとう子供料金、百五十円一律になったよ。でも、不思議なアイテムって! 言うに事欠いて不思議なアイテムって! あんたが言うなよ! あんたが! プールと勘違い……。出来ないな、大体、水着はOKになったのか?』と思いつつ中に入る。
身体に入れ墨のある方・頭髪を過剰に染めている方・浴槽内で排泄される方・背広、タキシード、スーツ、ドレス・セレブ衣装を着用された方々・お尻が頭にある方・身体を鎌や刀や銃に変えられる方等のお客様には、当店のご利用を御控えさせていただく場合がございます。また、本日より館内の改装が終了いたしましたので、ご自由に入浴をお楽しみ下さい。
『さてと……だ。日課のまとめを始めようか。マトモじゃないのは当然だ。《お尻が頭にある方》って……。昔、そんなアニメあったような……。《身体を鎌や刀や銃に変えられる方》って、今日はアニメ三昧だな。セレブ衣装に関してはもう放っておこう。どうやら僕には理解出来ないものらしい……。改装終わったの? たった一日で? もう? 本当かよ!? 確か雫さんの話だと、サウナらしいけど。どう自由に楽しめと……』
入口の自動ドアを開くと、目の前にもう一枚の自動ドアがある。
《ドアを開く前に、右横にあるボタンを押してください》
ここは、いつものように書かれている通りにボタンを押す。降ってきたのは白い霧だった。
『熱っ! でも冷たっ!』
身の危険を感じ、すぐに次の扉を開く。
《ただいまのは、出来立ての水蒸気、すなわちスチームと、ドライアイスでございます》
『前と同じアイテムを同時に使うなよ! 熱いやら冷たいやらで、頭が変になったのかと思ったじゃないか……』
前を見ると、また自動ドアがあり、《お風呂の前に服を脱ぎましょう。もちろんパンツも脱ぎましょう》と書かれてある。
『当たり前だ! てか、服を着たまま風呂に入っている人見たことねぇよ!! って昨日、パンツはいて入ってた奴いたのかよ!』
毎度毎度の一人ツッコミも疲れてきたので、僕は目の前の真っ白な自動ドアを開けた。
「いらっしゃいませ〜! でゴザイマス。いらっしゃいませませ〜。で、ゴザイマス!」
『……』
「どうかしたので、ゴザイマショウカ?」
ハイテンションのレインコートマンに不気味さを覚えながら、声が出ないまま立ち尽くしていた。
「おやおや〜? 更衣室はあっちでゴザイマスよ〜! わっかりますでゴザイマスか〜!」
『つ、ついていけない……』
「あ! お客様! 忘れていたのでゴザイマス。今日より新装開店、サウナが出来たのでゴザイマス。そこでなのでゴザイマスが、サウナをご利用であれば、このマスクを買っていただきたいのでゴザイマス」
『新装開店って、昨日もやってたじゃん。しかも忘れるなよ大事な事を。てか、そのマスクって、どう見てもガスマスクなんですけど……』
「サウナ開店祝いとして、このマスク、通常三千五百円のところ、二千五百円で提供するのでゴザイマス」
『二千五百円!? 高いんじゃねぇか!? でも通常価格三千五百円って言ってたしな……』
と思いながら、千円札二枚と五百円玉を手渡す。
「ありがとうございますでゴザイマス。でも、お客様、もうお忘れでゴザイマスか? 当店はとてもとても、Very湿気が多いのでゴザイマス。ですので、紙幣でのお支払いは避けて欲しいのでゴザイマス。しか〜し、今日は特別の新装Happy dayなのでOKなのでゴザイマス。それでは、このマスクもお帰りの際には、預けてくださいでゴザイマス」
もう話をするのが億劫なので、マスクを受け取ると脱衣所へと向かった。
脱衣所に入ると、いろんな客が「暑い」だの「寒い」だのと叫んでいたが、それが何なのかはわからず、そのまま服を脱いで浴室へと向かう。
身体を洗い、改装中だった場所を確認する。どうやら、向かって右側が高温サウナ、左側が冷感サウナになっているようだ。
『このマスクいつ使うの?』
そう思いながら高温サウナのドアを開けると、その熱さで汗が噴き出す程の熱気が身体を包んだ。
『こ、これは……。ガスマスクをしないと肺が焼けてしまいそうだな』
マスクを着用し高温サウナに入る。普通のサウナと違い、足元に何やら水が流れている。温度は入った瞬間から汗が噴き出す程であったが、流れる水に足を入れると、少し暑さがマシになった気がした。
『それにしても暑すぎないか? このサウナ』
と、冷感サウナの方に目を向けると扉がある。
『もしかして繋がっているのか?』
扉を開けると浴室に出た。
『んな訳、ねぇか……』
とは思いつつも、冷感サウナに入ってみる。
『寒っ! てか痛っ!』
足元に湯が流れているものの、身体に突き刺さる冷温は、尋常ではなかった。温度計を見ると『マイナス三十度ぉ!?』すぐに表に出て、注意書きを読む。
《このサウナは高温サウナ、冷感サウナ共に、他施設のサウナよりも高温及び低温に設定されています。どちらのサウナでも、肺を壊される可能性がありますので、マスクの着用をお願い致します。また、高温サウナでは、流れる水に足を浸け、三〜五分程度発汗し、冷感サウナにて三十秒〜一分程冷却して下さい。これを三回程繰り返し、休憩していただく事をオススメします。また、体調がおかしいと思った時には、使用を中止して下さい》
注意書きを読み、気合いを入れ直した僕は、意を決してガスマスクを完全装着して高温サウナへと突入する。『熱ぃ!』入ったはなから噴き出す汗と息苦しさを我慢しながら五分経過するのをテレビを見ながら待つ。その後、冷感サウナへ。一分間『寒! いや痛ぇ……』と思いながら耐える。その後、またしても高温サウナへ。
『地獄サウナだな』
繰り返すうちに少しだけ考える余裕が生まれた。その後も『寒!』『熱!』を繰り返しヘトヘトになって浴室へと戻った。
と、気になる浴槽を発見する。調度、脱衣所をくり抜いたような部分に新たな浴槽が出来ていた。
《電気ジャグジー》
そう書かれているだけで、何の注意書きもない。しかし、僕の身体は『熱!』と『寒!』で疲れていたので、ひとまず脱衣所で休憩することにした。
『電気ジャグジーって何だ? 電気風呂ってのは知っている。ジャグジーってのは、あの気泡がブクブクしているやつだろ? って事は気泡でブクブクしている上に電気でビリビリするのか?』
雫さんの事も忘れ、好奇心から少しの休憩の後、電気ジャグジーへ入ってみた。
『こ、これは!』
思っていた通り、ビリビリとブクブクが同時にやってきて、一分ともたない内にリタイアした。その横に《水電気ジャグジー》なる風呂もあったのだが、今回はもうこりごりだと遠慮しておいた。
ほてった身体をしばらく堪能した後、着衣すると番台へと向かう。
「如何でゴザイマシタデショウカ? 楽しんでいただけたでゴザイマショウカ?」
レインコートマンが何やら楽しそうに話し掛けてきたが、疲れた僕はガスマスクと《お風呂で楽園》のカードを取り出し、レインコートマンに百円玉を四枚手渡した。
「あら? お客様、お疲れ様でゴザイマスか? まぁ、良いのでゴザイマス。それでは、暗証番号を確認するのでゴザイマス」
「……19760824」
「名前を確認するのでゴザイマス」
「……馬場……坂」
「それでは、サウナメット確かにお預かりしたのでゴザイマス。水分補給はこまめにした方が良いのでゴザイマスよ」
『あのガスマスク……サウナメットって言うのか……』
と思いながら、外に出ると雫さんが待っていた。
「今日は長かったんだね。サウナ、楽しかった?」
レインコートマンみたいな事を言う雫さんに戸惑いながら、「まあ」と曖昧な返事をしていた。
「それにしてもあのサウナ、やり過ぎだよね。パパ……コホン、何考えてるんだろ」
『今、パパって言った?』
少し戸惑いもあったが、「あのガスマスクには、ちょっと引いたけどね」と答えておく。
「だよね。マスクしないと入れないサウナなんて見たことないもん。窒息死しちゃうよね」
「そ、そうだね。ねぇ、雫さん? 明日あたりに僕の家のお風呂、修理してもらおうと思ってるんだけど……」
「ふ〜ん。そっか。じゃあ、もう会えないね」
「いや、そういう事じゃなくて、もし、もしだよ。僕の家のお風呂が直ったら、僕の家でお風呂入らない? ……い、いや、何を言っているんだ僕は……」
あわてふためく僕とは裏腹に、「それいいね。お金要らないし」とクスクスと笑った。
「え? えぇ!? い、いいの?」
「ええ、いいわよ」
雫さんはクスクス笑ったまま、大きく頷いた。
「よ、よしゃぁっ!! って、喜んでいいのかな?」
ガッツポーズの僕を尻目に、「喜んじゃいなよ」と笑っている。
「じゃ、じゃあ。も、もし、家の風呂が直ったら報告するね」
「うん。待ってるよ」
真っ赤な顔をしたまま、もう一度ガッツポーズをして、雫さんを見た。
「ふふ。変な坂君。じゃあ、今日は、そろそろ帰ろうかな」
「そうだね。湯冷めしてもいけないしね」
そう言って、お互いに大きく手を振って別れた。
『明日、風呂の修理頼もう! っと』




