其の十
ちょっと休憩?
休日に、昼間からごろごろと何もせずに過ごすなんて日常茶飯事のことだ。ただ普段と違うのは、風呂が壊れていること……。これは日常茶飯事の一つ。普段と違うのは、この真昼間から、僕がテレビにくぎづけになっているという事だった。
「はい! はじまりました。《我が町旅自慢》今日の自慢は、近隣の住民から賛否両論のこのお店。お店というよりも銭湯ですね…………」
意気揚々と、女子アナが大声を張り上げているこの《我が町旅自慢》というのは、僕の住む町でのみ放映されているローカルネットで、特に自慢することでもないような事を大袈裟に放送している情報番組だ。先日観た時は、電車で三駅ほど行った所にある、毎日見出し商品が変わる薬屋が放送されていた。店主がちょっと変な人で、服装が独創的だったのを覚えている。
「…………それでは、番頭さんにインタビューしてみましょう」
マイクを向けたその先には、黒のレインコートマッチョマン三人に騎馬を組まれ、その上でレインコートの上にタキシードを着込んだレインコートマンが、堂々と腕組みしながら映っていた。
「この施設は銭湯でゴザイマス。しかしただの銭湯ではゴザイマセン。《お風呂で楽園》なのでゴザイマス。お風呂は楽しく入るものなのでゴザイマス。そう思うでゴザイマショウ? お風呂は楽しく入るものでゴザイマスよね?」
笑っているように見えるが、レインコートマンのあの目は決して笑っていなかった。そしてマイクを向けた女子アナは、その風貌・口調・質問に対し、カメラマンに向かってかなりうろたえている。
「お、お風呂ですね。そ、そうですね。お風呂は……楽しく入るものです。そ、それではですね、番頭さんに館内を案内してもらいたいと思います……。で、いいですか?」
生放送なのだろうか。女子アナがカメラの脇に向かって何かを確認している。何度か頷いてからカメラに目線を戻す。
「それでは番頭さん、お願いします」
「嫌でゴザイマス」
「え?」
レインコートマンの一言に、一瞬にして女子アナの表情が凍り付く。
「当施設は楽しむお風呂なのでゴザイマス。まずは案内掲示板を読むのでゴザイマス。そうして中に入れば良いのでゴザイマス。Do you know? それでは私は中で待っているのでゴザイマス。案内したら楽しくないでゴザイマショウ?」
言いたいことだけ言って、そそくさと画面からレインコートマンがあの変なポーズで姿を消していった。
「は、はは、あはは。面白い番頭さんですね。そ、それでは案内標識の確認から順次始めて中に入ってみたいと思います。ええっとですねぇ……」
銭湯の外にある注意書きを無言でしばらく眺めた後、女子アナの動きが止まった。チラチラとカメラの脇を見て、「そ、それでは、よ、読んでみますね」と、かなら挙動不信だ。きっとカンペでも出ているのだろう。
「え〜とですねぇ。利用料大人(中学生以上)三百五十円。小人(未修園児を除く)百五十円より。バスタオル・洗面器・入浴用玩具・石鹸・ボディソープ・シャンプー・リンス・コンディショナー・洗顔石鹸・フェイスソープ・脱色剤・脱毛剤・育毛剤・洗体タオル・頭髪用ブラシ・ドライヤー・くし・飲食物・濡れると故障するような機械の持ち込み、水着を着用しての入浴は禁止しています。身体に入れ墨のある方・頭髪を過剰に染めている方・浴槽内で排泄される方・背広、タキシード、スーツ、ドレス・セレブ衣装を着用された方々・マイクを向けてくる方・施設内を撮影される方等のお客様には、当店のご利用を御控えさせていただく場合がございます。と書いてありますね……。お風呂で使うような物が全て持ち込み禁止ですね。全てが中に揃っているのでしょうか……。って、濡れると故障するような機械とかマイクとか撮影とかって、私達のことじゃありませんか!?」
『大人料金五十円も安くなってやがる』とテレビを観たまま軽くツッコミを入れる。
そのまま画面を眺めていると、女子アナの目は、すでにかなり泳いでいる。きっとカンペでも出ているのであろう。「でも……」とか「本当に?」とか、カメラの脇に向かって話し続けている。しばらくしてようやく腹を括ったのか、「それでは中に入ってみましょう!」と涸れた声を出すと、一枚目の自動ドアを開けた。
「な、何か書いてありますよ」
女子アナの実況も既にしどろもどろだ。カメラが書かれている文章を映し出す。
《ドアを開く前に、右横にあるボタンを押してください》
女子アナは更に不安な表情になり、カメラの脇を覗き込んでは、「本当に?」とか「嫌ですよ」とか「嘘でしょ」と、拒否の言葉をを繰り返すだけになった。それでも駄目押しされたらしく、実況を続ける。
「どういうことでしょうか? ボタンを押すように書いています。しかし私達は撮影という義務があります。という訳で、先に進みたいと思います」
口早に実況をすると次のドアへと進もうとする女子アナの後ろから、正確に言うとカメラの横から突然手が出てきたかと思うとおもむろにボタンを押した。
「きゃあ!!」
「冷た!!」
「何だよいったい!!」
ボタンを押したのはきっと、ディレクターかADなのであろうが、降ってきたのは、霧よりももう少しはっきりした白い粒だった。既に次のドアへ進もうとしていた女子アナが、次の自動ドアを即座に開ける。
「ま、また……何か書いてありますよ……」
《ただいまのは細かく砕いた氷でございます》
「こ、氷って……。何を考えているのでしょうか……」
完全に目が泳いでいる女子アナの実況を観ながら、『さあ、何を考えているんだろうね』と苦笑してしまった。
《そうしてお風呂が楽しくなるのです》
パニック状態の女子アナからカメラは次の自動ドアを映している。
「こんなことされて、どうして楽しくなるんですか!?」
女子アナは、既に半狂乱だ。しかしながらまた、カンペが出ているのであろう。涙目になりながら、「それでは次のドアを開きたいと思います」と言って、白い自動ドアを開けた。
「…………」
「…………」
「…………」
誰もが予想していなかった光景だったのであろう。女子アナを含め、その場にいるスタッフ全員が絶句しているようだ。
当然といえば当然だ。銭湯の常識といえば、入口を入ると番頭がいて、男湯と女湯に別れて更衣室に入る。そして、それぞれの浴室に繋がっているというのが定石だ。しかし、そこに映し出された空間は、脱衣所ではなく浴室横に番頭台があり、目の前には一面浴室が広がっているのだ。
「来るのが遅いのでゴザイマス。待ちくたびれたのでゴザイマス。がしかし、ここまでよく辿り着いたのでゴザイマス。楽しんでいただけたでゴザイマスか? 楽しかったでゴザイマスか? それでは、ここで当施設の説明を行うのでゴザイマス」
いつの間にやら番頭台に座っているレインコートマンが、落ち着いた口調で話しはじめた瞬間、カメラがレインコートマンを即座に捉える。ちらっと映った女子アナは、既にうろたえていた。
「当施設はご覧のように混浴なのでゴザイマス。元々は男女別々のSystemを採用しておりましたが、真ん中の壁を取り除き混浴へとさせていただいたのでゴザイマス。しかしながら、混浴であるが故に男性のお客様が不謹慎な行動・Actionをとられる場合があるのでゴザイマス。その際には、そのお客様には、即退場していただくSystemとなっているのでゴザイマス。ここまでは、理解できたでゴザイマショウか? Do you Understand? この施設では浴室・脱衣室に全ての物品が備え付けられているのでゴザイマス。ですので、浴室内・脱衣室でお困りになることはないのでゴザイマス。ご理解いただけたでゴザイマショウか?」
流暢に話すレインコートマンにカメラは一点凝視で捉えたまま、女子アナの実況が入ることはなかった。
「それでは脱衣所を案内するのでゴザイマス。本来ならば、水着を着用しての入浴は禁止させていただいているのでゴザイマスが、今回は撮影・放送という事なので、特別に許可させていただくのでゴザイマス。流石に、モザイクを生放送では入れられないでゴザイマショウ? では脱衣所へと行くのでゴザイマス」
それだけ言うと、レインコートマンは相手の反応を待たず、そそくさと番頭台の裏の部屋へと消えて行った。
「こちらが男性更衣室、こちらが女性更衣室となっているのでゴザイマス。当施設の最大の特徴は、他の施設にはない特殊Itemを販売しているという事でゴザイマス。あちらに見える巨大な自動販売機。そこで色々な入浴等に関するItemが販売されているのでゴザイマス。それに金を注ぎ込めばいいのでゴザイマス。Itemには【商品名】【効能】【注意点】が書かれており、購入前にもどのようなItemかの説明もされているので、目的に添ったItemに、金を出せば良いのでゴザイマス。それでは、後は実際に試してみれば良いのでゴザイマス。この画期的なSystemは、ここを利用されるお客様には好評なのでゴザイマス」
それだけ言うと、いつもの親指と小指を立て、頭の上に乗せた不思議なポーズで去って行った。
『よく言うよ……』とも思ったが、画面に向かってツッコミを入れている場合ではない。
「で、では……、じ、自動販売機を見てみたいと思います。石鹸・ボディソープ・フェイスソープ・シャンプー・コンデショナー・育毛剤・脱毛剤・洗身グッズ・フェイスタオル・バスタオル等、他にも浴用玩具や見たこともないような物まで販売されていますね。そ、それでは……、私、何か買った方がいいですか?」
女子アナがカメラの脇を確認すると、画面内で千円札が手渡されている。
『流石生放送。ぐだぐだだ』
千円札を握り締め女子アナは、自動販売機の前を歩きながら商品を吟味しているようだ。そして一つの自動販売機の前で動きを止めた。
「で、では、こ、こちらの……商品を買ってみたいと……思います」
映し出されたのはその他グッズの販売機。女子アナが指差す先には、長湯大好き入浴剤なるものが販売されている。料金は三百八十円。女子アナは迷いもなく千円札を投入すると、入浴剤のボタンを押した。
《商品名【冷凍浴】:効能【身体の芯まで温まることが可能です】注意点【あまりにも長湯になりすぎて、湯あたりしないように】》
「銭湯なのに入浴剤とはどういうことでしょうか……。かなり気になるところですので、こちらを使用してみたいと思います」
何か心境の変化があったのであろうか。女子アナの口調が元に戻っている。そしてその場で衣服を脱ぎ、予め着用していた水着姿になると、意気揚々と浴室へと歩いて行く。
「へぇ! すごいですねぇ! 石鹸・ボディソープ・シャンプー・リンス・コンディショナー・洗顔ソープにハンドソープ、洗髪ブラシ・洗身タオル等、一応のお風呂に必要な品物は勢揃いしているみたいです!」
先程の間に何があったのか、女子アナの実況は実に生き生きしたものへと変化し、カメラマンに向かって、品物を差し出しながら説明している。
「それでは、私も体を洗ってから入浴剤を使ってみたいと思います」
言葉通りにボディソープとシャンプー・コンディショナーを使用し全身を洗うと、先程購入した《冷凍浴》を取り出した。
「え〜と、ですね。【この入浴剤は浴槽内に溶かすのではなく、全身に塗ってご使用ください】と書いてありますね。では、体に塗ってみたいと思います」
封を切り、中から緑色のスライムのような液体を手にとると、全身にまんべんなく塗っていく。背中は流石に自分で塗れないらしく、ADか誰かに塗ってもらっている。
「それでは入ってみましょう!!」
意気揚々と湯舟に入る女子アナ。しかしその意気込みもそこまでだった。
「きゃあぁぁぁ!! つ、冷たい! さ、寒いです!!」
悲鳴をあげて湯舟から出ようとする女子アナをADらしき男が押さえ付けている。
「何がそんなに寒いのですか!? こんなに湯気が出てるではありませんか!?」
「そんな事言っても寒いものは寒いのよ! 冷たいの!! 退いて! そこを退いてよ!!」
「駄目ですよ! 湯舟に気持ち良さそうに入ってもらわないと、番組として成立しないじゃないですか!?」
湯舟から必死の形相で出ようとする女子アナと、それを懸命に押さえ込むADが放映されている。しかし、女子アナの形相は真剣そのものだ。
『また変なアイテム買ったんだな』と思ったが、ある意味情報番組なのにコメディー番組に見えた為、そのまま画面を眺め続ける。
「商品名《冷凍浴》別名《冷却入浴液》」
『きた! レインコートマンの商品解説』
突然現れた番頭に驚いて振り返るAD。これみよがしにと、湯舟からの脱出をしようとする女子アナ。声の主とは裏腹にカメラは阿鼻叫喚の図を捉え続けている。
「入浴剤と書かれているのでゴザイマスが、身体に塗るTypeの入浴剤でゴザイマス。その効果は、お湯が水に感じる程のMint効果。きっと彼女は今頃氷水の中にいるような気分でゴザイマショウ。しかし、身体は正直なのでゴザイマス。身体の芯まで温まる事ができるのでゴザイマス。寒さと冷たさを我慢すればの話しでゴザイマスが……。私はこの商品を《Ice&Cool》と呼んでいるのでゴザイマス。Do you know?」
レインコートマンの商品解説が終わる前には既に女子アナは湯舟から上がり、シャワーを体にかけ、「きゃあぁぁ!! つ、冷たい! 寒い! 寒いのよ! 凍え死んでしまうわ!!」と発狂している。
「効能時間は、一時間。時間が全てを解決してくれるのでゴザイマス。楽しんでいただけたでゴザイマショウか? お風呂は楽しく入るものなのでゴザイマス」
レインコートマンを睨み付ける女子アナが映し出されたが、レインコートマンは悪気もないように、いつもの嫌味なポーズで去って行った。
その後すぐに、《しばらくお待ちください》と書かれた紙がカメラの前に映し出されると、「あぁ、胸とお尻だけ温かいわ」と女子アナの声だけが聞こえている。きっと、水着を脱ぎ捨てシャワーを浴びているのであろう。
『撮影スタッフに男いたよな……』
きっと羞恥心どころの騒ぎではないのであろうが。
しばらく経って、衣類を着用し、毛布に包まった女子アナが映し出されると、ガタガタと震えたまま「お、お風呂は、た、楽しく、入りましょう……。今日の《我が町旅自慢》は……《お風呂で楽園》さんの紹介でした……。皆さんさようなら……」と女子アナの言葉を残して番組が終了した。
『今日は《冷凍浴》試してみようかな?』
悪い癖だ。興味があると、つい使いたくなってしまう。そして今日も風呂の修理を頼まず《お風呂で楽園》に向かう僕だった。
「さ、寒!! これ、本当に凍え死んでしまうわ!」
「お客様方……、馬鹿でゴザイマショウ……」
至る所から聞こえる悲鳴に、レインコートマンは肩を落として呟いていた。




