1-1 羽ばたけ“一弥”
世界中では人の死を間近で見るものは少ないだろう。
そして人が人の命を奪う瞬間を見てしまう者は極少数ではないだろうか。
それが平和と謳われる“日本”ではなおの事だろう。
しかし上記の言葉には多少、違う点が存在する。
人ではない“何か”が、人の命を食らう瞬間に立ち会ってしまったのだ。
人ではない“何か”とは言っても容姿はほとんど人間のそれなのだが、だらしなく開いた口から滴り落ちる血。
そこから見せる異様なほど鋭く大きな犬歯。睨みつけられると凡人はたちまち小便を漏らすであろう紅光りする瞳。
かく言う俺も目の前の非現実的な光景に若干、若干だが小便を漏らしてしまっていると言うのが事実だ。
そう、何の変哲もない凡人なのだから、仕方ないだろう?
自分の意見を正当化してしまうのだが、夏の夜中。部屋は暑く、涼みに外へ出て散歩をしていると、どうだろうか。
通りがかった公園で聞こえる怪奇的な音。太く硬いものが砕かれるような、噛み砕くような音がしたんだ。擬音にするなら“ボリボリ”が正しいだろうがもっと生々しく、気持ち悪い音。
まさか目の前のような光景が広がってるとは知らない平和ボケしている一般の高校三年生なら興味本位で見に行ってしまうだろう?
そうした結果がこれだ。
まさに怪物と言った様で、人では絶対になせない事をしている。
人の肢体を胴体から引きちぎり、それを愉快そのものの様に喰らっている。
右腕を食べ終えたら次は左腕へと進み、恐怖で足がすくみ尻を地面につけてる間に当等、胴体までも喰らい尽くしたそれが、こちらに気付き睨んでいる。
いや見つめていると言った方が正確だろう。この物凄い恐怖心はきっと、この状況にならなければ分からないほどものだろう。
どれくらい怖いかと説明すると、説明する言葉が見つからないほど怖いのだ。
だが、不思議と意識はハッキリとしていて、何故か冷静でいられる。
「いいものみつけた」
きっとこんな光景を頭が現実と認めようとしていないのだろうが、そんな現実逃避も目の前の“何か”が口を開いた途端、現実に引き戻される事となった。
無機質ながらもどことなく楽しそうで、恐怖を植えつける不気味な声に言葉。
嗚呼、これってやっぱり夢なんでしょうね、きっと。
再度、現実から目を背ける。が、夢だと否定しているのにもやはりどこかで現実だと受け入れ、本能が逃げろと告げている。
そんな矛盾の中、とりあえず夢だとしても逃げようとか、そんな考えが脳内に浮上してくる前に、貧弱な脚が腰を無理矢理起こし、その場から走り去っていた。
俺は風になっているんだ。このままどこまでも行ってやるぜ。と、どこかの青春漫画のような考えを持てればいいのだろうが、状況が状況。
恐怖に身を震わせながらも、疲労に身体が蝕まれても、それでも走り続ける。
その理由はすぐ後ろにある。いや、いるのだ。
地面を踏みしめる音の感覚が異様に早く、それから逃げるように走っているが凡人が超人には勝てるわけもなく、自分の以外の足音が段々と近付いてきてる。
待てよ?後ろから迫ってくるあれは人と認めていいのだろうか。人ならざるものではないか。
やはり超人は訂正し、化け物に凡人は勝てるわけもなく、その距離が縮まっている状況なわけだ。
少し前にバイクの免許が取れたてで、はしゃいで夜中にバイクのエンジンを吹かしていたら
「うるせえぞ、ごらぁ!」
と窓から文句を言われた事があるのだが、今はその時のエンジン音よりも後ろの足音のがうるさいと感じる。
神経が研ぎ澄まされそう感じるのだと言うなら自分に新しい可能性を見出せはするが、所詮錯覚だろう。
誰かの助けを期待出来る状況はないし、期待したところであんな化け物と対峙した助っ人はすぐ命を絶たれてお終いだろう。
どうやったら助かるのか、どうやったら逃げ切れるのかと今更ながら考え、考えに考え抜いた結果、近くの公園のベンチに座った。
来るなら来い、相手してやる。非現実に憧れを抱き、自分には特別な力が備わっていると、中学生に多い考えでベンチに座った訳ではない。
やべえ、本当に怖いけど、もう脚動かないよ。どうしようと物凄い現実的な考えだ。
疲労が限界を超えてまで鞭を打ち走った結果、ベンチに座った途端、脚は痙攣し、全く感覚がない状態だ。あれだな。いっそ死んでみますかね。
と言うか助かる方法なくね?うん、ないよね。自己完結。そう自己完結。諦めよう人生、諦めよう。
「あれ――?」
なかなか姿を現さない。あまり距離があったわけでもないのに、もう数分はベンチに腰掛けているような気がする。
なんでだろう。明らかに狙われていたのは確かで、死を感じたのは間違いない事実で。
夢落ち期待しても脚の震えは現在進行形で続いているためで、それはねえよと言える。
「もしかしなくても助かった感じ?」
そう思った瞬間、一気に気が緩み燃え尽きたボクサーのようにぐったりとうな垂れる。
押し寄せる疲労感は秒単位で増してきている気がしてならない。とか、なんとか考えてるうちに、もう目の前にいるんですけど。
何故か笑ってるけど、こっちは全然、いや全く笑えない。
「え?やめて近付いてこないで。口元から血が滴ってるから、さ。ね?一旦落ち着こ?」
などと口から出てはいるものの、落ち着くのはお前。そう俺が落ち着け。
助かる道はまだ何かあるはずだから、諦めずに考え抜こうか。
……もう脚動かないから諦めるしかないか。
嗚呼、真樹ちゃんとデートしてから死にたかったな。
よく見るとほんの少し茶色な髪。
普段、前髪で隠れている目は少し細めでおっとりしていて、何もない所で転ぶドジっぷりは凄い魅力的で。
色白なはだのせいか、すぐ頬を染める素直で愛らしい真樹ちゃん。
告白してなんと両想い。これから思い出を刻んでいくって言うときに災難だ。災難とか通り越して不幸だな。
幸せそうに寝ている人との扱いが不平等なんだが気のせいか?いや気のせいとは言わせねえよ?
既に怪物は間近にいて、腕を振り上げているこの状況。食人した人間だけが凶暴化し、強靭な肉体を得るのだろうか。
なんて仮説を立てながら目を瞑り死を待った。
が、それにしても遅い。
かれこれ二十秒は待っている気がするのだけれど、いつになっても衝撃と死神が訪れない。
周りは静まり返っていて音だけでは周囲の情報は掴めないし……。
仕方ない。視の瞬間を目に焼き付けておきたくないから目を瞑っていたがやむなしだ。
覚悟を決めたとこで、今にも瞳術を使うような勢いで目を見開いた。そして視界に入ったものは……――。
ん?あれ?ちょっと理解出来ないんだが、なんだこの状況は。
待て、落ち着け。まず目の前にはつい先程まで命を狙ってきた怪物となんやら変な格好をしてる奴がいて、怪物の首だけが宙に浮いていて、ん?あれ?首が、首が……?飛ぶ?
「人殺しィィィィィィィィィイ!」
思わず口から出たけど、人じゃないよな。うん。化け物だし別にいっか。
って、あれ?もう片方の変わった格好をした奴がこっちに来るんだけど、なんで?
まさか見られた以上殺すとか、か……?
「イヤァァァァァァァア!」
悲鳴をあげた瞬間、奴の顔が目の前に迫りそれに気付いた時には視界が暗くなった――。