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【ざまぁ版】通学路の女王様

掲載日:2026/11/01

本作は『通学路の女王様』の【ざまぁ版】です。


同じ出来事を、女王様に振り回される側の視点から描いています。


女王様本人の視点で描いた【女王版】もございます。

https://ncode.syosetu.com/n6848my/


どちらから読んでもお楽しみいただけます。

私には、毎朝の悩みがある。


息子の蒼太が通う小学校の裏手に、細い生活道路がある。


車が一台通るのがやっとの道幅で、ところどころに電柱が立っている。朝になると、黄色い帽子の子どもたちがランドセルを揺らして歩く通学路だ。


その道を、毎朝、白い大型SUVが走ってくる。


運転しているのは、七十歳近い女性だ。


私がその人に初めて会ったのは、パートに向かう途中だった。


軽自動車で裏道を抜けようとしたら、前方からあのSUVがやってきた。


すれ違える幅はない。


私は止まった。


SUVは止まらなかった。


ぎりぎりまで近づいてきて、ようやく止まった。


運転席の女性は、こちらを見て微笑んでいる。


下がる気は、まったくないらしい。


私の後ろには、すでに登校中の子どもたちが歩いていた。この先は通学路だ。下がれば子どもたちの列に突っ込みかねない。


私は手振りで伝えた。


そちらのすぐ後ろに角がある。少し下がってくれれば、すれ違える。


女性は動かなかった。


私も動けなかった。


三十秒。


子どもたちが私の車の横を、身体を細くして通り抜けていく。


私は諦めて、ため息をついた。


後ろを何度も確認しながら、ゆっくりバックした。


SUVが横を通り過ぎていく。


私は窓を開けて叫んだ。


「この先、通学路なんですよ! 子どもがいるんです!」


閉まった窓の向こうで、女性はにっこり笑った。


どうやら、お礼を言われたと思ったらしい。


◇


翌日の夕方、蒼太が帰ってくるなり言った。


「ママ、今日ね、女王様にプップーされた」


「女王様?」


「白いでっかい車のおばあちゃん。みんなそう呼んでる。道の真ん中をずーっと来るから」


聞けば、登校中の列の後ろからクラクションを二回鳴らされ、みんなで慌てて塀に張りついたのだという。


「そしたらね、女王様が手を振ってきた」


「……振り返したの?」


「ううん。こわかったから」


私は、その夜なかなか眠れなかった。


◇


あのSUVと鉢合わせた日のことは、私の車のドライブレコーダーにすべて残っていた。


翌週、私はそれを持って、角に立つ旗振りの源さんを訪ねた。


源さんは、毎朝あの角で黄色い旗を振ってくれているボランティアだ。


映像を見るなり、源さんは苦笑した。


「ああ、その人ね。この前、注意したんですよ」


源さんの話はこうだった。


「もう少しゆっくり走ってください」と頼んだら、「私、ちゃんと徐行していますわよ」と返された。


「徐行ってのはね、すぐ止まれる速さのことですよ。せいぜい十キロってとこだ。二十五キロで徐行だなんて言われたら、こっちは旗の振りようがない」


源さんは苦笑いした。


速すぎると言えば「二十五キロです」「制限速度は三十キロでしょう?」と返された。


別の道を使ってほしいと頼んだら、「三分も遠回りになるんですよ?」と言われた。


「三分くらいなら……」と言いかけたら、「三分ですよ?」と念を押された。


そして最後に、「時間は大切にしないといけませんわ。あなたも、そのお年ならお分かりでしょう?」と諭されたのだという。


「これ以上話しても無駄だと思ってね。天を仰ぐしかなかったですよ」


源さんは、そのときと同じように空を見上げた。


私は決めた。


悩むのは、もうやめよう。


◇


それから私は、記録を取り始めた。


あのSUVが通学路に入ってくる時刻。速度の感じ。クラクションを鳴らした回数。子どもたちが塀に張りついた場所。


源さんも、ほかの見守りの方々も手伝ってくれた。


ひと月分の記録を持って、私は小学校の教頭先生に相談した。


教頭先生は記録を読み、すぐに通学路の安全点検の議題に加えると約束してくれた。


次に、町内会長の大岩さんを訪ねた。


大岩さんは腕組みをして記録を眺め、低くうなった。


「回覧板で注意喚起しよう。それから、私が警察署へ行って、取締りをお願いしてくる」


回覧板の文面は、私が下書きした。


『通学路における危険運転について』


車種と、運転手の特徴を書いた。最後に、子どもたちが使っている呼び名も添えた。


『地域では、この運転手を「通学路の女王様」と呼んでいます』


ここまで書けば、本人も気づくはずだ。


そう思っていた。


◇


数日後、回覧板が私の家に戻ってきた。


ひとつの家の欄に、大きな丸がついていた。


その横の余白に、几帳面な字でこう書き添えられていた。


『危険運転は許せません。皆さん、譲り合いの精神を大切にしましょう』


私は、回覧板を持ったまま玄関で立ち尽くした。


あの家だった。


◇


その晩、私の家のインターホンが鳴った。


玄関先に、七十過ぎの男性が立っていた。


白髪を短く刈り込み、背筋はまっすぐなのに、どこか肩がすぼまって見える。


「夜分に申し訳ありません。回覧板の、あの、余白に書き込みをした者の夫です」


男性は深々と頭を下げた。


「家内がご迷惑をおかけしています」


話を聞くと、彼はもう何年も、妻の運転する車の助手席に乗っていないのだという。


「お前の運転は怖い、と何度も言いました。免許を返してほしいとも言いました。でも、あれは聞かんのです。四十年無事故無違反だ、ゴールド免許だ、と」


退職金で大きな車を買ったのも、小さな車よりは安全だろうと思ったからだそうだ。


「それが裏目に出ました。大きいから相手がよけてくれる。あれはそう覚えてしまった」


男性は、ポケットから折り畳んだ紙を出した。


「時間帯の通行規制を、警察にお願いする方法があると聞きました。署名が必要なら、私が発起人になります。いちばん上に、私の名前を書かせてください」


私は、しばらく言葉が出なかった。


「……奥さまに、知られてしまいますよ」


「構いません」


男性は、少しだけ笑った。


「家内は、自分のことだとは思わんでしょうから」


◇


数日後、スーパーで声をかけられた。


「あの、すみません」


振り返ると、四十代くらいの女性が立っていた。


「白いSUVの……運転手の娘です」


私は思わず、買い物かごを握り直した。


女性は深々と頭を下げた。


「母が、本当に申し訳ありません」


「いえ、あなたが謝ることでは……」


「父から聞きました。母が通学路でご迷惑をおかけしていると」


女性は顔を上げなかった。


「何度も言っているんです。あんな大きな車で狭い道を通らないでって。でも、母は聞かなくて」


「そうなんですか」


「この前なんて、『大丈夫よ。私、四十年以上も無事故無違反なんだから』って。事故が起きてからじゃ遅いのに……」


女性は小さくため息をついた。


「父も、もう母の車には乗りません。うちの子も、乗せられません」


それから、ようやく顔を上げた。


「署名のことも、父から聞きました。私にも手伝わせてください。うちの子は守れても、ほかの子たちが危ないままじゃ意味がありませんから」


私は、差し出された手を握った。


その背中を見送りながら、私は思った。


あの家にも、まともな人はいるんだ。


少なくとも、二人は。


◇


署名用紙を作り、町内会と学校の保護者に回し始めた。


用紙のいちばん上には、発起人としてご主人の名前。その下の署名集めの係には、娘さんの名前が並んだ。


その矢先の朝だった。


私はその日、見守り当番で横断歩道の角に立っていた。


蒼太たち、同じ班の子が三人、横断歩道の手前で手を上げて待っている。学校で習ったとおりの、きちんとした渡り方だ。


そこへ、あのSUVが来た。


止まらなかった。


プッ。


クラクションが鳴った。


子どもたちがびくりとして、歩道へ下がった。


SUVはそのまま横断歩道を通り過ぎた。


私が声を上げるより先に、角の陰から白バイが音もなく滑り出てきた。


SUVの後ろに、ぴたりとつく。


ウゥーッ。


サイレンが鳴った。


大岩さんが警察署へ足を運んでから、ちょうど二週間。この時間帯、この道に白バイが張っていたのは、偶然ではなかった。


『前の白いSUV、左に寄せて止まってください』


SUVは素直に止まった。


なぜか、少し誇らしげに。


窓が開き、聞き覚えのある声がした。


「どうなさいました?」


風に乗って、やりとりが切れ切れに聞こえてくる。


「ええ。ちゃんと避けてくれましたわ」


「横断歩行者等妨害等違反です。違反点数二点、反則金は九千円になります」


「九千円!?」


「私、四十年以上も無事故無違反なんですよ!」


「ゴールド免許なんです!」


「私の車、大きいんですよ!?」


「それも関係ありません」


子どもたちが、目を丸くして私の袖を引いた。


「あっ! 女王様だ!」


「女王様、捕まってる!」


「すげー! 白バイだ!」


最後のは蒼太だった。


SUVの窓から、女性が笑顔で手を振ってきた。


「大丈夫よ! ちょっとした誤解だから!」


白バイの隊員が、静かに言った。


「誤解ではありません」


それから少し間を置いて、隊員は付け加えた。


「道路交通法は、女王様にも適用されますので」


なぜか女性は、少し嬉しそうな顔をした。


私は、隣の子どもたちの頭を順番になでた。


「みんな、ちゃんと手を上げて待ってたね。えらかったよ」


◇


署名は、驚くほどの速さで集まった。


回覧板の一件と白バイの一件で、町内の誰もが事情を察していた。


ひとつの家の、ひとりを除いて。


戻ってきた署名用紙を確かめていると、ある一行で手が止まった。


いちばん丁寧な字で書かれた、見覚えのある名前。


用紙のちょうど真ん中あたりに、女王様本人の署名があった。


その晩、ご主人から電話があった。


「家内が、喜んで署名しました。危険な運転手を取り締まるためだと」


「……そうですか」


「私が発起人だと知って、見直したと言われました。結婚して四十五年、初めてです」


電話の向こうで、ご主人は笑っていた。


私も笑った。


申し訳ないけれど、笑うしかなかった。


◇


年が明けて、規制が始まった。


『車両通行止め 7:00~8:30』


通学路の入り口に、真新しい看板が立った。その前で、源さんが旗を持って立っている。


初日の朝、私は見守り当番で、入り口の横断歩道の脇にいた。


七時四十分。


大通りから、白い大型SUVが曲がってきた。


鼻先が入り口に少し入ったところで、SUVは止まった。


看板に気づいたらしい。


その目の前の横断歩道に、ちょうど蒼太たちの班がさしかかった。


子どもたちは手を上げ、SUVの前をゆっくり渡っていく。


SUVは動かなかった。


動けなかった、と言うべきだろう。


最後の一人が渡り終えるまで、SUVはじっと待っていた。


源さんが大通りの車の流れを確かめ、旗で後続の車を止めた。


それから、SUVに向かって旗を大きく振る。


「はい、奥さん、下がって! オーライ、オーライ!」


SUVが、ゆっくりとバックを始めた。


一度止まり、また少し下がる。


あの日の私と同じように、何度も後ろを確かめながら。


ようやく大通りまで戻ったところで、SUVが止まった。


閉まった窓の向こうで、女王様が何か言っていた。


たぶん、お礼ではないと思う。


SUVは一本向こうの広い道路へ走り去り、最初の信号で赤に捕まった。


源さんが、旗を肩にかついでこちらを見た。


親指を立てている。


私も、親指を立て返した。


「ねえ、あの車、もう来ないの?」


蒼太が、通学路の入り口を見ながら聞いた。


「うん。朝はもう通れないよ」


「じゃあ、もうプップーされない?」


「されないよ」


「よかった!」


蒼太は笑って、友達のところへ走っていった。


子どもたちが、塀に身を寄せることなく歩いていく。


その背中を見ながら、私はようやく息を吐いた。


毎朝、あの白い車が来ないかと気にしなくていい。


子どもたちが塀に張りつく姿を、もう見なくていい。


たったそれだけのことが、こんなにも嬉しかった。


◇


その日の夕方、スーパーでご主人と会った。


「今朝は、家内に怒られましてね。あの道が通れなくなった、と」


ご主人は、どこか晴れやかな顔をしていた。


「三分で済むなら安いもんだ、と言ったんです。譲り合いの精神が芽生えたんだな、とも。そうしたら、呆れた顔でため息をつかれましてね」


ご主人は軽く会釈をして、レジの列へ戻っていった。


私は、女王様のご主人と、署名活動を手伝ってくれた娘さんのことを思い浮かべた。


まったく、なんてことだろう。


あの家は、女王様以外はまともな人たちなんだけどなぁ。


(おしまい)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


同じ出来事を、女王様本人の視点で描いた【女王版】も公開しています。

https://ncode.syosetu.com/n6848my/


白バイも回覧板も署名も、女王様の頭の中ではまったく違う話になっています。よろしければ、読み比べてみてください。


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