【ざまぁ版】通学路の女王様
本作は『通学路の女王様』の【ざまぁ版】です。
同じ出来事を、女王様に振り回される側の視点から描いています。
女王様本人の視点で描いた【女王版】もございます。
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どちらから読んでもお楽しみいただけます。
私には、毎朝の悩みがある。
息子の蒼太が通う小学校の裏手に、細い生活道路がある。
車が一台通るのがやっとの道幅で、ところどころに電柱が立っている。朝になると、黄色い帽子の子どもたちがランドセルを揺らして歩く通学路だ。
その道を、毎朝、白い大型SUVが走ってくる。
運転しているのは、七十歳近い女性だ。
私がその人に初めて会ったのは、パートに向かう途中だった。
軽自動車で裏道を抜けようとしたら、前方からあのSUVがやってきた。
すれ違える幅はない。
私は止まった。
SUVは止まらなかった。
ぎりぎりまで近づいてきて、ようやく止まった。
運転席の女性は、こちらを見て微笑んでいる。
下がる気は、まったくないらしい。
私の後ろには、すでに登校中の子どもたちが歩いていた。この先は通学路だ。下がれば子どもたちの列に突っ込みかねない。
私は手振りで伝えた。
そちらのすぐ後ろに角がある。少し下がってくれれば、すれ違える。
女性は動かなかった。
私も動けなかった。
三十秒。
子どもたちが私の車の横を、身体を細くして通り抜けていく。
私は諦めて、ため息をついた。
後ろを何度も確認しながら、ゆっくりバックした。
SUVが横を通り過ぎていく。
私は窓を開けて叫んだ。
「この先、通学路なんですよ! 子どもがいるんです!」
閉まった窓の向こうで、女性はにっこり笑った。
どうやら、お礼を言われたと思ったらしい。
◇
翌日の夕方、蒼太が帰ってくるなり言った。
「ママ、今日ね、女王様にプップーされた」
「女王様?」
「白いでっかい車のおばあちゃん。みんなそう呼んでる。道の真ん中をずーっと来るから」
聞けば、登校中の列の後ろからクラクションを二回鳴らされ、みんなで慌てて塀に張りついたのだという。
「そしたらね、女王様が手を振ってきた」
「……振り返したの?」
「ううん。こわかったから」
私は、その夜なかなか眠れなかった。
◇
あのSUVと鉢合わせた日のことは、私の車のドライブレコーダーにすべて残っていた。
翌週、私はそれを持って、角に立つ旗振りの源さんを訪ねた。
源さんは、毎朝あの角で黄色い旗を振ってくれているボランティアだ。
映像を見るなり、源さんは苦笑した。
「ああ、その人ね。この前、注意したんですよ」
源さんの話はこうだった。
「もう少しゆっくり走ってください」と頼んだら、「私、ちゃんと徐行していますわよ」と返された。
「徐行ってのはね、すぐ止まれる速さのことですよ。せいぜい十キロってとこだ。二十五キロで徐行だなんて言われたら、こっちは旗の振りようがない」
源さんは苦笑いした。
速すぎると言えば「二十五キロです」「制限速度は三十キロでしょう?」と返された。
別の道を使ってほしいと頼んだら、「三分も遠回りになるんですよ?」と言われた。
「三分くらいなら……」と言いかけたら、「三分ですよ?」と念を押された。
そして最後に、「時間は大切にしないといけませんわ。あなたも、そのお年ならお分かりでしょう?」と諭されたのだという。
「これ以上話しても無駄だと思ってね。天を仰ぐしかなかったですよ」
源さんは、そのときと同じように空を見上げた。
私は決めた。
悩むのは、もうやめよう。
◇
それから私は、記録を取り始めた。
あのSUVが通学路に入ってくる時刻。速度の感じ。クラクションを鳴らした回数。子どもたちが塀に張りついた場所。
源さんも、ほかの見守りの方々も手伝ってくれた。
ひと月分の記録を持って、私は小学校の教頭先生に相談した。
教頭先生は記録を読み、すぐに通学路の安全点検の議題に加えると約束してくれた。
次に、町内会長の大岩さんを訪ねた。
大岩さんは腕組みをして記録を眺め、低くうなった。
「回覧板で注意喚起しよう。それから、私が警察署へ行って、取締りをお願いしてくる」
回覧板の文面は、私が下書きした。
『通学路における危険運転について』
車種と、運転手の特徴を書いた。最後に、子どもたちが使っている呼び名も添えた。
『地域では、この運転手を「通学路の女王様」と呼んでいます』
ここまで書けば、本人も気づくはずだ。
そう思っていた。
◇
数日後、回覧板が私の家に戻ってきた。
ひとつの家の欄に、大きな丸がついていた。
その横の余白に、几帳面な字でこう書き添えられていた。
『危険運転は許せません。皆さん、譲り合いの精神を大切にしましょう』
私は、回覧板を持ったまま玄関で立ち尽くした。
あの家だった。
◇
その晩、私の家のインターホンが鳴った。
玄関先に、七十過ぎの男性が立っていた。
白髪を短く刈り込み、背筋はまっすぐなのに、どこか肩がすぼまって見える。
「夜分に申し訳ありません。回覧板の、あの、余白に書き込みをした者の夫です」
男性は深々と頭を下げた。
「家内がご迷惑をおかけしています」
話を聞くと、彼はもう何年も、妻の運転する車の助手席に乗っていないのだという。
「お前の運転は怖い、と何度も言いました。免許を返してほしいとも言いました。でも、あれは聞かんのです。四十年無事故無違反だ、ゴールド免許だ、と」
退職金で大きな車を買ったのも、小さな車よりは安全だろうと思ったからだそうだ。
「それが裏目に出ました。大きいから相手がよけてくれる。あれはそう覚えてしまった」
男性は、ポケットから折り畳んだ紙を出した。
「時間帯の通行規制を、警察にお願いする方法があると聞きました。署名が必要なら、私が発起人になります。いちばん上に、私の名前を書かせてください」
私は、しばらく言葉が出なかった。
「……奥さまに、知られてしまいますよ」
「構いません」
男性は、少しだけ笑った。
「家内は、自分のことだとは思わんでしょうから」
◇
数日後、スーパーで声をかけられた。
「あの、すみません」
振り返ると、四十代くらいの女性が立っていた。
「白いSUVの……運転手の娘です」
私は思わず、買い物かごを握り直した。
女性は深々と頭を下げた。
「母が、本当に申し訳ありません」
「いえ、あなたが謝ることでは……」
「父から聞きました。母が通学路でご迷惑をおかけしていると」
女性は顔を上げなかった。
「何度も言っているんです。あんな大きな車で狭い道を通らないでって。でも、母は聞かなくて」
「そうなんですか」
「この前なんて、『大丈夫よ。私、四十年以上も無事故無違反なんだから』って。事故が起きてからじゃ遅いのに……」
女性は小さくため息をついた。
「父も、もう母の車には乗りません。うちの子も、乗せられません」
それから、ようやく顔を上げた。
「署名のことも、父から聞きました。私にも手伝わせてください。うちの子は守れても、ほかの子たちが危ないままじゃ意味がありませんから」
私は、差し出された手を握った。
その背中を見送りながら、私は思った。
あの家にも、まともな人はいるんだ。
少なくとも、二人は。
◇
署名用紙を作り、町内会と学校の保護者に回し始めた。
用紙のいちばん上には、発起人としてご主人の名前。その下の署名集めの係には、娘さんの名前が並んだ。
その矢先の朝だった。
私はその日、見守り当番で横断歩道の角に立っていた。
蒼太たち、同じ班の子が三人、横断歩道の手前で手を上げて待っている。学校で習ったとおりの、きちんとした渡り方だ。
そこへ、あのSUVが来た。
止まらなかった。
プッ。
クラクションが鳴った。
子どもたちがびくりとして、歩道へ下がった。
SUVはそのまま横断歩道を通り過ぎた。
私が声を上げるより先に、角の陰から白バイが音もなく滑り出てきた。
SUVの後ろに、ぴたりとつく。
ウゥーッ。
サイレンが鳴った。
大岩さんが警察署へ足を運んでから、ちょうど二週間。この時間帯、この道に白バイが張っていたのは、偶然ではなかった。
『前の白いSUV、左に寄せて止まってください』
SUVは素直に止まった。
なぜか、少し誇らしげに。
窓が開き、聞き覚えのある声がした。
「どうなさいました?」
風に乗って、やりとりが切れ切れに聞こえてくる。
「ええ。ちゃんと避けてくれましたわ」
「横断歩行者等妨害等違反です。違反点数二点、反則金は九千円になります」
「九千円!?」
「私、四十年以上も無事故無違反なんですよ!」
「ゴールド免許なんです!」
「私の車、大きいんですよ!?」
「それも関係ありません」
子どもたちが、目を丸くして私の袖を引いた。
「あっ! 女王様だ!」
「女王様、捕まってる!」
「すげー! 白バイだ!」
最後のは蒼太だった。
SUVの窓から、女性が笑顔で手を振ってきた。
「大丈夫よ! ちょっとした誤解だから!」
白バイの隊員が、静かに言った。
「誤解ではありません」
それから少し間を置いて、隊員は付け加えた。
「道路交通法は、女王様にも適用されますので」
なぜか女性は、少し嬉しそうな顔をした。
私は、隣の子どもたちの頭を順番になでた。
「みんな、ちゃんと手を上げて待ってたね。えらかったよ」
◇
署名は、驚くほどの速さで集まった。
回覧板の一件と白バイの一件で、町内の誰もが事情を察していた。
ひとつの家の、ひとりを除いて。
戻ってきた署名用紙を確かめていると、ある一行で手が止まった。
いちばん丁寧な字で書かれた、見覚えのある名前。
用紙のちょうど真ん中あたりに、女王様本人の署名があった。
その晩、ご主人から電話があった。
「家内が、喜んで署名しました。危険な運転手を取り締まるためだと」
「……そうですか」
「私が発起人だと知って、見直したと言われました。結婚して四十五年、初めてです」
電話の向こうで、ご主人は笑っていた。
私も笑った。
申し訳ないけれど、笑うしかなかった。
◇
年が明けて、規制が始まった。
『車両通行止め 7:00~8:30』
通学路の入り口に、真新しい看板が立った。その前で、源さんが旗を持って立っている。
初日の朝、私は見守り当番で、入り口の横断歩道の脇にいた。
七時四十分。
大通りから、白い大型SUVが曲がってきた。
鼻先が入り口に少し入ったところで、SUVは止まった。
看板に気づいたらしい。
その目の前の横断歩道に、ちょうど蒼太たちの班がさしかかった。
子どもたちは手を上げ、SUVの前をゆっくり渡っていく。
SUVは動かなかった。
動けなかった、と言うべきだろう。
最後の一人が渡り終えるまで、SUVはじっと待っていた。
源さんが大通りの車の流れを確かめ、旗で後続の車を止めた。
それから、SUVに向かって旗を大きく振る。
「はい、奥さん、下がって! オーライ、オーライ!」
SUVが、ゆっくりとバックを始めた。
一度止まり、また少し下がる。
あの日の私と同じように、何度も後ろを確かめながら。
ようやく大通りまで戻ったところで、SUVが止まった。
閉まった窓の向こうで、女王様が何か言っていた。
たぶん、お礼ではないと思う。
SUVは一本向こうの広い道路へ走り去り、最初の信号で赤に捕まった。
源さんが、旗を肩にかついでこちらを見た。
親指を立てている。
私も、親指を立て返した。
「ねえ、あの車、もう来ないの?」
蒼太が、通学路の入り口を見ながら聞いた。
「うん。朝はもう通れないよ」
「じゃあ、もうプップーされない?」
「されないよ」
「よかった!」
蒼太は笑って、友達のところへ走っていった。
子どもたちが、塀に身を寄せることなく歩いていく。
その背中を見ながら、私はようやく息を吐いた。
毎朝、あの白い車が来ないかと気にしなくていい。
子どもたちが塀に張りつく姿を、もう見なくていい。
たったそれだけのことが、こんなにも嬉しかった。
◇
その日の夕方、スーパーでご主人と会った。
「今朝は、家内に怒られましてね。あの道が通れなくなった、と」
ご主人は、どこか晴れやかな顔をしていた。
「三分で済むなら安いもんだ、と言ったんです。譲り合いの精神が芽生えたんだな、とも。そうしたら、呆れた顔でため息をつかれましてね」
ご主人は軽く会釈をして、レジの列へ戻っていった。
私は、女王様のご主人と、署名活動を手伝ってくれた娘さんのことを思い浮かべた。
まったく、なんてことだろう。
あの家は、女王様以外はまともな人たちなんだけどなぁ。
(おしまい)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
同じ出来事を、女王様本人の視点で描いた【女王版】も公開しています。
https://ncode.syosetu.com/n6848my/
白バイも回覧板も署名も、女王様の頭の中ではまったく違う話になっています。よろしければ、読み比べてみてください。
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