ばら撒かれた群れと、届け先を書き換える手
荷物でいちばん大事なのは、中身より先に届け先だ。
食料が井戸に届けば事故になる。
薬が火場へ届かなければ人が死ぬ。
危ないものほど、どこへ着くのかを間違えないこと。
逆に言えば、届く先さえ奪えば、厄介な荷はただの重りになる。
採石場の縁から見下ろした先で、黒い個体が糸束の先の小型青殻を一斉に村へばらまいた。
青い粒みたいに見えたそれは、空中でぶら下がったまま脚を開き、薄い膜に包まれたまま風を切っていく。数は二十や三十では利かない。あれが集会所や家々の屋根に落ちれば、片づける前に孵る。
「潰さないでください!」
エマが即座に叫んだ。
「抱え種です! 中で孵化液に浸かってる! 壊すとその場で殻が固まって、ばらけます!」
「最悪だな!」
「ええ、かなり!」
黒い個体は、青殻の巣主とは違う。
強さで押すんじゃない。運ぶための身体をしている。
脚は六本。
腹の後ろから何本もの糸束が伸び、その先に小型の青殻を吊している。
頭部中央の濁った紫核が、脈打つたびに糸の行き先を決めているのが分かった。
あいつは運ぶ側だ。
つまり、魔物版の荷物持ち。
「……嫌な共通点だな」
「今それ言います?」
「でも、勝ち方は見えた」
俺は目を細めて、紫核から伸びるいちばん太い糸を見た。
全部の抱え種が、そこから村へ向けて宛名をもらっている。
なら、一匹ずつ止める必要はない。
台帳ごと狂わせればいい。
「エマ! 村に落ちる印、名前つけられるか!」
「できます! 見えたまま言ってください!」
俺は走りながら叫ぶ。
「青殻。抱え種。村の中を目指してる。着地先は広い。家じゃない、もっと雑だ。人と熱の多い方へ寄ってる」
「つまり村内全域の着地印ですね」
「たぶんそれだ!」
エマは腰の灰札を一枚抜き、銀墨で一気に書いた。
青殻抱え種 村内着地印
「読みます!」
「頼む!」
「青殻抱え種、村内着地印!」
札が淡く光る。
俺は飛びかかるようにして、空中へ張られた太い紫の配糸に左手を触れた。
冷たい。
でも毒とは違う。
これは向きだ。宛名だ。どこへ落ちるかを決める、配達札そのもの。
「収納!」
頭の奥で、印の区画が開いた。
村内着地印が、配糸からずるりと抜ける。
次の瞬間、空中を滑っていた抱え種たちの軌道が一斉にぶれた。
まっすぐ村へ飛んでいたものが、力を失ったように高度を落とし、雪原や木の枝へばらばらと落ちていく。
「効いた!」
「でも止まってません!」
エマの言う通りだ。
落ちた抱え種たちは、雪の上でもぞりと動き始めている。宛名を失っただけで、熱を探して這うつもりだ。放っておけば結局は村へ向かう。
俺はすぐに収納を開き、昨日の残りの温石をまとめて取り出した。
布に包んだ石を十個、採石場の底へ投げ込む。穀物庫の残火から作った、ぬくもりだけが残る石だ。
「ダン! 聞こえるか!」
採石場の上手で警戒していた大男が振り向く。
「お、おう!」
「灰と雪を底へ! 温石の周りを囲え! 逃がすな!」
「分かった!」
ダンと猟師たちがすぐに動く。
こういう時、指示が一つで済む人間は助かる。
宛名を失った抱え種たちは、次々に採石場の底の温石へ向かい始めた。
青い脚で雪を掻き、まるで配達先を探し直す荷みたいに、ぞろぞろと一か所へ集まっていく。
「よし、まずは村から外した」
だが、黒い個体は止まらない。
濁った紫核が大きく脈打ち、残っていた糸束を今度は真上へ振り上げた。
二射目だ。
しかも今度は、ただばらまくだけじゃない。
糸束そのものが鞭みたいにしなり、俺たちをまとめて薙ぎ払おうとしてくる。
「レイン、右!」
エマの声に横へ飛ぶ。
紫の糸鞭が足元の岩を打ち、石を薄く削った。糸というより刃だ。張力が異常に高い。
「名前! あれの張り!」
「分かってます!」
彼女は今度は赤札を抜き、ためらいなく書いた。
紫核配糸 張力
「読みます!」
「紫核配糸、張力!」
俺はしなる糸鞭へ手を伸ばした。
今度は毒じゃない。勢いでもない。張っていること、そのもの。
ぴんと引かれた弦から、引き絞る力だけを奪う。
「収納!」
糸鞭が一気にだらりと落ちた。
「今です!」
エマが叫ぶ。
俺は奪った張力を、そのまま黒い個体の腹側、まだ解けていない抱え種の束へ叩き返した。
見えない力で後ろから一気に引かれたみたいに、糸束が黒い個体自身の身体へ食い込む。
吊されていた抱え種がばさばさと腹へ叩きつけられ、黒い個体が体勢を崩した。
「うおっ……!」
濁った紫核が一瞬、殻の隙間からむき出しになる。
そこだ。
「エマ! 宛名、返せるか!」
「何に!」
「あいつ自身に!」
一瞬だけ、彼女が目を見開いた。
でも次の瞬間にはもう理解していた。
「できます!」
エマは灰札を二枚重ね、さっき俺が奪った印へ銀墨で上書きする。
村内着地印
受取先 現核
「読んで!」
「村内着地印、受取先、現核!」
俺は札の光る文字を見たまま、露出した紫核へ左手を突き出した。
返せ。
頭の奥で抱え込んでいた宛名が、今度は黒い個体の紫核へ貼りつく。
その瞬間だった。
採石場の底へ向かっていた抱え種たちが、ぴたりと止まった。
次いで、全員が一斉に黒い個体の方を向く。
ぞわり、と鳥肌が立つ。
あれはもう、ただの群れじゃない。
宛名を書き換えられた荷物だ。
「……行った」
最初の一匹が、黒い個体へ飛びついた。
続いて二匹、三匹。
採石場の斜面を這い上がり、糸を伝い、殻の継ぎ目へ次々に潜り込む。
「ギィッ!」
黒い個体が初めて、はっきりと悲鳴を上げた。
抱え種は届け先へ根を張る。
なら、受取先を自分自身にされた運び手は、抱えていた荷に食われるしかない。
濁った紫核が激しく明滅する。
残っていた配糸が暴れ、数本が宙を薙いだ。
「伏せて!」
エマに腕を引かれ、俺は雪の上へ転がる。
頭上を通り過ぎた糸が、背後の樹を半分ほど切り落とした。
危ない。
でも、向こうはもう落ち着いて狙えていない。
抱え種が腹へ、胸へ、脚の付け根へ食いつき、紫核の近くへ群がっていく。
黒い個体は後ずさろうとしたが、採石場の縁が崩れて片脚を取られた。
「今のうちに、配布線を奪って!」
エマが叫ぶ。
彼女はもう次の灰札を書いていた。
紫核配布線
一括停止
「本当に仕事が早いな!」
「記録手なので!」
札を読み上げ、俺は露出した紫核へ手を伸ばした。
濁った紫は、青殻の核と違って嫌なぬめりがある。
生き物というより、無理やり削って刻んだ石みたいな感触だ。
しかも表面に、細い銀の文字が走っている。
自然物じゃない。
そう理解した瞬間、吐き気に似た違和感がこみ上げた。
でも今は見るな。
止める方が先だ。
「収納!」
紫核から、村じゅうへ伸びていた見えない配布線が、一気に抜ける。
空中でまだ揺れていた糸束が全部、力を失って垂れ下がった。
抱え種の残りも、その場で動きを止める。
黒い個体は二、三歩ふらついたあと、膝を折るみたいに崩れた。
腹の殻の継ぎ目から、濁った紫核が半分ほど飛び出す。
俺はすかさず祖父の隔離箱を開き、その核へ押し当てた。
「入れ!」
紫核が、吸い込まれるように黒い箱へ収まる。
蓋を閉じると同時に、箱の金具がかちりと噛み合った。
黒い個体の身体から、すっと力が抜けた。
糸束がだらりと落ち、六本脚のうち二本が痙攣して、やがて動かなくなる。
静かになった。
荒い息だけがやけに大きい。
採石場の底では、温石の周りへ集められた抱え種を、ダンたちが灰と雪で囲っている。まだ処理は必要だが、少なくとも村へは届いていない。
「……勝った、のか」
自分でも半信半疑で呟くと、エマが肩で息をしながら頷いた。
「今度は、本当に止まりました」
彼女はしゃがみ込み、黒い個体の抜け殻を観察する。
青殻の運び手。いや、育成型というべきか。腹の中はほとんど空で、抱え種を入れるための部屋ばかりだった。
「やっぱり戦う個体じゃない」
「運ぶための身体、か」
「ええ。しかも厄介なことに、かなり人工的です」
彼女の視線は、俺の持つ隔離箱に向いていた。
「見せてください」
箱を少しだけ傾ける。
中の紫核はまだ弱く脈打っている。表面の銀文字が、灯りもないのにぬらりと光った。
エマが顔をしかめる。
「……これ、祖父さんの銀墨に似ています」
「似てる、じゃなくて同じか?」
「完全には同じじゃありません。もっと雑で、削り方が乱暴です。でも、“名付けて縛る”発想は同系統です」
やっぱり、ただの変異じゃない。
俺は箱越しに紫核へ意識を向けた。
さっき奪った配布線は止まっている。
でも、全部じゃない。
細い糸が一本だけ、まだ残っていた。
すごく細い。
でも切れていない。
配達が終わっていない荷物みたいに、最後の届け先へ繋がったままだ。
「……まだ一本ある」
「何がです?」
「届け先だ。残りの配布線が一本だけ、生きてる」
エマの顔色が変わる。
「どこへ」
「待て、見る」
箱に手を当てたまま、糸の先を追う。
雪原。
柵。
村の外れ。
そこから南へ曲がり、集会所の方角へ。
嫌な汗が出た。
さらに意識を伸ばす。
木の床。
温石の熱。
子どもたちの気配。
その真下。
床板の隙間の暗がりに、もうひとつ、小さな包みがじっと潜んでいる。
「まずい」
思わず声が漏れた。
「どこです!」
「集会所だ」
「中に、入ったんですか」
「いや、もっと悪い」
その時、村の方から、子どもの甲高い悲鳴が朝の空気を裂いた。
俺とエマは同時に顔を上げる。
糸の先の景色が、頭の奥へ流れ込む。
薄暗い集会所。
温石を抱えた子どもたち。
その床板の継ぎ目が、内側から青く光っていた。
俺は隔離箱を抱え直し、走り出した。
「エマ! 最後の届け先が残ってる!」
「どこに!」
「集会所の床下だ!」




