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地下二層と、剥がすための名前

消したいものほど、最初にやるべきことは戦うことじゃない。


どこに付いているのかを知る。

何に似ているのかを確かめる。

剥がしたあと、どこへ捨てるのかを決める。


順番を間違えると、印も毒もだいたいもっと面倒な形で残る。


夜明け前、俺はほとんど眠れなかった。


寝台に横になっても、頭の奥で倉庫の気配がずっと鳴っている。食料や道具の棚は静かなままだが、黒札をつけた毒区画の奥、そのさらに下で、仮固定したはずの印がじりじりと熱を持っていた。


青殻印 仮固定


エマが書いた札の文字は、夜の間に三度ほど薄くなり、そのたびに俺は飛び起きた。書き直してもらったから朝まで保ったが、あれはあくまで応急処置だ。放っておけば、また巣主に位置を掴まれる。


村の空が白み始めた頃、戸を叩く音がした。


「起きてますか」


起きているに決まっている。

そう思いながら戸を開けると、エマは湯気の立つ木杯を二つ持って立っていた。薬湯らしい、青臭い匂いがする。


「寝てませんね」

「お前もだろ」

「私もです」


そう言って差し出された木杯を受け取る。苦い。かなり苦い。でも飲んだ瞬間、頭の奥の痛みが少しだけ引いた。


「村は」

「大きな混乱はありません。導杭に引かれた群れは、夜明け前にほぼ片づきました。村長が休ませるよう回っています」

「巣主は」

「採石場の底で反応あり、です。ただし弱い。上がってくる様子はまだありません」


まだ、か。


安心はできないが、時間はある。今使うべきはそこだ。


俺たちは集会所へ向かい、村長とダン、それに猟師の代表二人へ状況を説明した。村人全員に話すと混乱が広がるので、知るべき者だけに絞る。


「印を剥がしに行くってことか」


村長が腕を組んだまま言う。


「そうだ。放っておくと、また俺を追ってくる」

「その巣主を倒せば済む話ではないのか」


もっともな疑問だ。

だがエマが先に首を振った。


「仮に今の巣主を倒しても、印の性質次第では次の個体に引き継がれる可能性があります。少なくとも、正体を知らないまま力任せに切るのは危険です」

「危険、というのは」

「剥がした先が不明のまま切れば、印が別の人間や場所へ移るかもしれません」


村長の顔が険しくなる。


「それは困るな」

「だから地下二層を調べる。祖父の台帳に、その手掛かりがあるはずだ」


ダンが不安そうに口を開く。


「地下って、お前さんのじいさんの倉庫だろ。本当にそんなもんがあるのか」

「ある。しかも、ろくでもないものまである」

「説得力があるような、ないような返事だな……」


半分正しい。


俺は村の守りについて簡単に指示を残した。採石場へは近づかないこと。北斜面の導杭はそのまま維持。巣主が動いたらすぐに伝令を飛ばすこと。エマの薬箱の予備は集会所へ。必要な物資は俺が出して置いていく。


それから、もうひとつ。


「もし日が傾くまでに戻らなかったら、俺の祖父の家には誰も入るな」


ダンが眉をひそめる。


「助けに行かなくていいのか」

「よくない場所ほど、助けに行った方が被害が増える」

「身も蓋もないな」

「本当のことだ」


村長はしばらく黙っていたが、やがてゆっくり頷いた。


「分かった。戻れ」

「戻るさ」


言い切ったが、自信満々というわけではない。

ただ、戻る前提で動かないと準備そのものがぶれる。


祖父の家へ向かう途中、エマが隣で小さな革袋を叩いた。


「札は多めに持ちました。黒札十二、白札六、赤札六。銀墨も二本」

「そんなに使うか」

「あなたが想定より無茶をするので」

「信用がないな」

「ええ、かなり」


否定しないところが本当に容赦ない。


地下への階段を降りる時、昨日より空気が重く感じた。一層の扉の前で左手首の札を確かめる。仮固定した印はまだある。けれど、昨日までの毒とは違う、薄い棘みたいな感覚が混ざっていた。


「見たままを言ってください」


石板の前に立ったエマが言う。


「冷たい。毒っぽいが、それだけじゃない。糸みたいに細いのが、刺さるというより、引っ掛かってる感じだ」

「場所は」

「左手首の札の下。でも根はもっと内側だ。収納の奥に引っかかってる」

「生き物の反応は」

「ある。いや、反応というより、向こうから確かめられてる感じ」

「なるほど。最悪ですね」

「分かりやすくて助かる」


彼女は銀墨で石板へ書く。


青殻印 仮固定

冷性

糸状

追尾性あり

収納深部に鉤付き


その文字列を読み上げ、俺が左手を窪みへ置く。

かちり、と音がした。


一層の奥、鎖つき格子扉の前に立つと、今度は右側にもうひとつ石板があった。昨日は気づかなかった。いや、見えていなかったのかもしれない。


二層へ降りるなら、記録手は剥離先を先に決めろ。

決めずに切るな。散る。


「剥離先」


エマがその言葉を繰り返す。


「つまり、剥がした印の捨て場所ですね」

「そういうことだろうな」


格子扉の脇には、小さな箱が三つ並んでいた。白木の箱、黒鉄の箱、そして空の石鉢。祖父の書き置きが添えられている。


熱と冷えは白木へ。

毒と呪いは黒鉄へ。

印と縁は石鉢へ。

混ぜるな。絶対にだ。


「……印だけ扱いが違うな」

「毒でも熱でもなく、関係の向き先そのものだからでしょうね」

「関係の向き先、か」

「要するに、誰が誰を追うかです」


言葉にされると余計に気味が悪い。


石鉢の底には、灰色の砂が薄く敷かれていた。普通の砂には見えない。光を受けると、細かい粒が銀色にきらつく。


エマが台帳をめくる。


縁砂。

印や呪いの向き先を一時的に受ける。

受けたら蓋をしろ。長持ちはせん。


その横に、小さな石蓋が置いてあった。

つまり、剥がした印はここへ落とすのが正解らしい。


「準備は整ったな」

「いいえ、まだです」


エマはさらにページをめくり、指を止めた。


剥離は三段。

一、見つける。

二、名前を分ける。

三、引っ掛かりをほどいて落とす。

一気にやるな。引き千切ると収納手の方が裂ける。


「嫌な説明ですね」

「本当にな」


俺は左手首を見下ろした。

札の下の印は、ただ貼りついているわけじゃない。収納の奥へ細い鉤が入り込んでいる。乱暴に引けば、たしかにこっちまで傷む気がする。


「じゃあ、まずは見つけるところからか」

「ええ。あなたは感じたものを言ってください。私はそれを細かく分けて書きます」

「分かった」


二層の格子扉を開けると、空気が変わった。


一層はまだ倉庫らしかった。棚があり、札があり、分類と管理の気配があった。

だが二層は違う。


円形の部屋だった。

壁には細い溝が幾重にも走り、その中心に石の寝台みたいな台が置かれている。天井からは銀糸の束が何本も垂れ、床の溝へ繋がっていた。まるで倉庫というより、解体場か手術室だ。


「……じいさん、何やってたんだ本当に」

「少なくとも、片づけの規模ではありませんね」


部屋の中央の台へ座るよう、台帳に図が描かれていた。

俺が座ると、ひんやりした感触が背中に伝わる。左手を横の石枠へ置くと、銀糸がわずかに揺れた。


記録手は正面。

収納手は動くな。

暴れると余計に絡む。


「そんなに暴れない」

「普段なら信用しませんが、今は信じます」


エマは正面の石机へ立ち、筆と札を並べた。

深く息を吸い、いつもより低い声で言う。


「では、始めます。感じた順に、短く」


俺は目を閉じた。


左手首の札。

その下の冷たい棘。

さらに奥へ沈む糸。

向こう側から確かめてくる、細い視線みたいなもの。


「冷たい」

エマが書く。

「細い」

書く。

「刺さるというより、引っかかる」

書く。

「毒に似てるが、毒じゃない」

書く。

「向こうから見られてる感じ」

書く。

「収納の奥へ伸びてる」

書く。

「先端が二股になってる」

「二股?」

「今見えた。根元じゃない。途中で枝分かれしてる」

「どちらへ」

「ひとつは俺。もうひとつは……」


そこで言葉が詰まった。

もうひとつは、外だ。

採石場の方角。埋まった巣主へ繋がっている。

だが、それだけじゃない。さらにその奥、山の上、もっと大きな巣か何かへ細く続いている気配があった。


「山へ続いてる」

「巣主の先ですか」

「ああ。もっと上に、本体みたいなものがある」


エマの筆が止まる。

ほんの一瞬だけだが、その沈黙が重かった。


「……つまり巣主は親ではなく、端末に近い」

「そうかもしれない」

「最悪です」


今日何度目か分からない最悪だが、たぶん今度が一番本物だ。


彼女は黒札ではなく、灰色の細札を取り出した。一層では見ていない札だ。二層用なのだろう。


灰札。印と縁の分解用。

部分ごとに名をつけろ。

まとめるな。


エマは灰札に、一枚ずつ書き始めた。


青殻印 表層冷刺

青殻印 収納鉤

青殻印 外部追尾線

青殻印 山側延長


「四つに分けるのか」

「少なくとも今見えているのは四つです。混ぜたままでは動かせません」


書き終えた札を、彼女は銀糸の束へ結びつけた。

すると糸が、それぞれ違う色に淡く光る。白に近い青、濃い灰、かすかな緑、深い藍。見えていなかった差が、急にはっきりした。


「……見やすくなった」

「名札をつけたからです。たぶん、あなたの収納の中でも同じことが起きています」


本当にその通りだった。

ただの不快な塊だったものが、四本の別の線に分かれて見える。


表面に近い冷たい棘。

収納へ噛んでいる鉤。

巣主へ繋がる追尾線。

そして山へ続く、もっと細く深い延長。


「どれから切る」

「切るんじゃありません。ほどくんです」


エマは台帳の図を指した。


表層を先に剥がし、次に鉤を外せ。

追尾線は最後。

山へ続く線は一人で追うな。


「順番通りだな」

「ええ。逆にやると厄介そうです」


俺はまず、表層の冷たい棘へ意識を向けた。

毒ではない。ただ印の表面にまとわりついた感覚だけを、浅く剥がす。


「……いける」


爪で霜を削るみたいな感覚だった。

少しずつなら剥がれる。


「落とし先は石鉢です」

「分かってる」


俺が浅く収納すると、石鉢の灰砂の上へ、青白い霜みたいな粉がぱらりと落ちた。エマがすかさず灰札を一枚乗せる。


青殻印 表層冷刺


砂が、その文字ごとゆっくり青く染まる。

受けた。ちゃんと落ちたらしい。


「次、鉤です」

「これが嫌なやつなんだよな」


鉤は深い。

収納の奥の方へ、小さな返し付きの針みたいに食い込んでいる。力任せに引くと、たしかにこっちの区画ごと傷みそうだ。


「形を言ってください」

「細い針。返しが三つ」

「向きは」

「内向き」

「材質感は」

「糸じゃない。殻に近い。硬い」

「ではそれも分けます」


エマがさらに灰札を書く。


青殻印 内向き鉤

返し三

殻質


「細かいな」

「細かくしないと、あなたがまとめて引っ張るので」


見抜かれている。


俺は呼吸を整えた。

鉤そのものではなく、返しの角度だけを緩める。殻質の硬さを少し抜いて、針を針でなくす。そんな無茶なことができるのかと思ったが、名前がつくと不思議と狙う場所が見える。


返し一つ目。

収納。


石鉢に、小さな青い欠片が落ちた。


「いいです、そのまま」

「二つ目……」


二つ目を抜いた時、左手首に鋭い痛みが走った。

反射的に力が入りそうになるのを、石台の冷たさでなんとかこらえる。


「止まらないで。今力を入れると三つ目が深く入ります」

「さらっと怖いこと言うな」


でもその通りだ。

ここで乱暴にやると面倒になる。


三つ目を抜き、最後に殻質そのものを少しずつ削ぐ。

すると、鉤がようやく糸の形に戻った。


「今だ。外す」


するり、と。

本当に音がしそうなくらい綺麗に、収納の奥から鉤が抜けた。


同時に、頭の奥が少し軽くなる。

だがまだ終わりじゃない。


追尾線が残っている。

巣主と山へ繋がる、二本の線だ。


エマも同じことを分かっていたのだろう。石鉢に蓋を半分かぶせ、灰札の山を握り直した。


「次は外部追尾線です。でも山側はまだ触らない」

「巣主側だけ先に切るのか」

「ええ。近い方からです」


彼女は新しい札を書く。


青殻印 巣主追尾線

近距離

一時遮断


「一時、か」

「完全に切れる保証がないので。嘘は書けません」

「それでいい」


石台の銀糸が、巣主側の線だけ強く光る。

俺はそこへ意識を集中した。


これは糸に近い。

でもただの糸じゃない。

向こうがこっちを探るための、細い触角みたいなものだ。


その向きを、途中で折る。

あるいは、石鉢へ落とす。


ゆっくり引く。

ゆっくり。


すると、採石場の方からかすかな反発が返ってきた。

埋まっているはずの巣主が、向こう側で気づいたらしい。


「来るぞ」


俺が言うのとほぼ同時に、二層の天井石がびりっと震えた。

遠くで地鳴りがする。


エマが顔を上げる。


「上で何か動いた」

「巣主が暴れてる。線を辿ってるんだ」


つまり時間がない。


「急ぐぞ」

「急いで雑にやるとやり直しです」

「分かってる」


分かっていても焦る。

だがここで焦っては駄目だ。


俺は追尾線の“向き”だけを狙った。

線そのものではなく、こっちを向いている性質を抜く。

追う力の、向き先だけ。


収納。


石鉢の灰砂の上へ、青い細糸が落ちた。

ぴくぴくと小さく震えたあと、砂に触れて動きを止める。


「よし」

「まだです。山側が残ってる」


一番嫌なものが残った。


山側延長。


これは巣主と違い、ずっと細いのに、深く遠い。糸というより、線香の煙みたいに薄く伸びている。でも、その奥にある何かは強い。見ようとすると、逆にこちらを見返してくる。


「……これ、嫌だな」

「どんな感じです」

「細い。遠い。なのに、奥の方だけ太い」

「本体、ですね」

「たぶん」


エマは灰札を取ったが、すぐには書かなかった。

代わりに台帳をめくる。急いでいるのに、その動きは無駄がない。頼もしい反面、こっちは余計に緊張する。


やがて彼女が、ひとつの頁を見つける。


山巣持ちの印は、切るより隠せ。

切れば親が知る。

隠せば子だけ迷う。


「……そうきたか」

「完全解除じゃなく、遮蔽ですね」

「それでいいのか?」

「今の私たちには、その方が現実的です」


たしかにそうだ。

本体が山の上にいるなら、今ここで完全に喧嘩を売るのは悪手だ。


「どう隠す」

「続きを読みます」


彼女はさらに目で追い、すぐ読み上げた。


収納手の最外層に、別名の薄皮をかぶせろ。

村の匂いでも、獣の匂いでもいい。

ただし人を使うな。巻き添えになる。


「人を使うな、か」

「つまり別の対象で上書きする」

「村の匂いでも獣でもいいって、ざっくりしてるな」

「祖父さんらしいです」


俺は少し考え、すぐに答えた。


「熱石だ」

「何です?」

「昨夜作った温石。村じゅうに配っただろ。あれには火事の熱の名残がある」

「なるほど。印の外側に“熱源の流れ”を薄くかぶせれば、生き物への追尾が鈍るかもしれない」

「できるか」

「やります」


エマは灰札ではなく白札を一枚取り、そこへ書いた。


残火熱 薄皮

一時偽装


「本当に何でも札にするな」

「記録手なので」


彼女はその札を、山側延長を示す銀糸の上からそっと結んだ。

光の色が、藍から白っぽい揺らぎに変わる。


「今です。あなたの中に残っている熱の薄い部分だけを、その線の表面へ」

「やってみる」


穀物庫の火事。

温石に分けた残り。

人を焼かない程度の、弱い熱。


それを線の外側へ薄く塗るように流す。


収納ではなく、返す。

でも敵へじゃない。

自分の中の線へ、偽装としてかぶせる。


奇妙な感覚だった。

倉庫の中身を外へ出すのではなく、別の中身の表面へ塗るなんて、今まで考えたこともない。


だが、できた。


山へ伸びる藍の線が、ゆらりと白く霞む。

すると奥から刺さっていた視線のようなものが、一段遠のいた。


「……薄くなった」

「反応は?」

「見返してくる感じが減った。たぶん、こっちが熱源か何かに見えてる」


その時だった。


頭上で、どん、と重い音がした。

一層ではない。もっと上。たぶん地上だ。


「巣主だ」

「巣主追尾線は切ったはずです」

「だから余計に暴れてる。見失って手当たり次第かもしれん」


まずい。

村長たちに長く任せるには荷が重い。


「どこまで終わった」

「表層剥離、鉤解除、巣主側一時遮断、山側一時偽装。最低限は終わりました」

「じゃあ戻るか」

「その前に確認です」


エマは台帳の端を指差した。


剥がした印は放置するな。

石鉢に蓋。

記録手は最後に処置名を書く。


彼女は石鉢の灰砂へ蓋をかぶせ、表面に銀墨で書いた。


青殻印 剥離片

表層・鉤・近距離追尾

保留中


「保留中、か」

「完全解決じゃないので」

「正直でよろしい」

「ええ」


立ち上がろうとした瞬間、石台の下で小さな音がした。

引き出しがひとりでに少し開いたのだ。


中には、細い銀輪が二つ入っていた。

指輪ではない。手首につけるには小さく、指につけるには大きい、曖昧な輪だ。


祖父の書き置きが添えられている。


収納手と記録手、二人で二層に降りたなら持っていけ。

応急の共鳴輪だ。

相手が死にそうな時くらいしか役に立たんが、ないよりまし。


「……役に立つ場面が嫌すぎる」

「でも持っていきます」


エマは即答し、片方を俺へ渡した。

輪は冷たかったが、触れた瞬間に少しだけぬるくなる。


「どう使うんだ」

「書いてあります」


記録手が名を呼び、収納手が応じろ。

札が切れても一息だけ繋がる。


「一息だけ、ね」

「十分です」


俺たちは輪を持ち、急いで一層、そして地上へ戻った。


階段を上がるにつれ、地上の騒がしさが近づく。

戸を開けた途端、冬の冷気と、人の怒鳴り声が飛び込んできた。


「レイン!」


ニーナだった。

顔を真っ青にして駆けてくる。


「大変! 北の柵じゃないの! 採石場の方から、青いのが出てきた!」


「巣主か!?」

「ちがう! もっと小さいのがいっぱい! それに、埋まってた大きいやつ、殻を脱いでるみたいって!」


嫌な予感しかしない。

俺とエマは顔を見合わせ、同時に走り出した。


左手首の札を確かめる。


青殻印 仮固定

裏には、エマが書いた新しい文字。


青殻印 仮固定

外部近距離遮断

山側一時偽装


さっきまで刺さっていた視線は薄い。

でも消えたわけじゃない。


北の方角から、乾いた殻が割れるような音が、断続的に響いてくる。

ぱき、ぱき、と。


採石場の縁へ着いた時、俺は思わず足を止めた。


窪地の底で、昨夜埋めたはずの巨大な巣主が、青い殻を半分脱ぎ捨てていたからだ。


いや、巣主そのものじゃない。


脱いだ殻の中から現れていたのは、青より黒に近い、もっと細く長い別の個体だった。

脚は少ない。六本しかない。

その代わり、腹の後ろから何本もの糸束が伸び、窪地の周りへ散っている。

糸の先には、小型の青殻たちが鈴なりにぶら下がっていた。


エマが低く呟く。


「……育成型」


「何だそれ」

「巣主じゃない。運ぶ個体です。群れを運んで、増やして、印を広げる役」


最悪が更新された。


しかもその黒い個体の頭部中央には、俺たちが昨夜見た青い核より一回り大きい、濁った紫の核が埋まっている。


青じゃない。

紫。


「色が違う」

「ええ。青殻系統を操る、別種の核です」


黒い個体が、ゆっくりこちらを向く。

青殻印の視線とは違う。

もっと濁って、ぬるい感じの視線だった。


そして次の瞬間、そいつは糸束の先の小型青殻たちを、一斉に村の方へばらまいた。


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