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地下倉庫と、二人でつける仕分け札

危ないものほど、先に名前をつけた方がいい。


剣なら刃。

薬なら効能。

毒なら種類。


何か分かれば、扱い方も捨て方も決まる。

逆に名前のない災厄は、混ざる。漏れる。人を殺す。


祖父の地下倉庫は、たぶんそういう発想で作られていた。


「一刻だけ稼いでくれ」


青く脈打つ山肌を見上げたまま、俺は村長に言った。


「その間に、こっちで手を打つ。子どもと老人は集会所の真ん中へ。明かりは最小限。北柵の外には誰も出すな。働ける大人は二手に分けて、片方は矢と槍の確認、もう片方は用水路の周りの雪を踏み固めろ」


村長は一瞬だけ迷ったが、すぐに頷いた。


「任せる」


「ダン」


避難民の中で一番体格のいい男へ声をかけると、彼は背筋を伸ばした。


「お、おう」

「お前は人手の取りまとめ。荷車を動かせるやつを集めろ。俺が戻るまで、誰が何を持てるかだけでも把握しておいてくれ」

「分かった」


昨夜までは半信半疑だった顔が、今は少し違う。

まあ、それでいい。信頼は急に生まれなくても、指示が通るなら十分だ。


「エマ、来てくれ」

「もちろんです」


彼女は一度もためらわなかった。

その即答に、少しだけ救われる。


祖父の家へ向かう道は暗かったが、足は止まらない。

空気は冷え切っているのに、頭の中だけ妙に熱い。


「どうして私なんですか」


ランタンを持って隣を歩きながら、エマが聞いた。


「台帳に書いてあった。必ず二人で来いって」

「それだけで?」

「それだけで十分だろ。今のところ、一番字が読めて、一番冷静で、一番危ないものに詳しい」

「最後の条件、あまり嬉しくありませんね」

「俺はありがたい」


そう返すと、エマはほんの少し口元を緩めた。


祖父の家に着くと、俺は真っ先に倉庫前の作業机へ向かった。

台帳を開く。ぱらり、と紙が一枚落ちる。


収納手は物をしまえるが、たいてい探し物が下手だ。

机をどかせ。入口はその下だ。


「性格が悪いな、本当に」


俺は机そのものを収納し、床板を露わにした。

すると中央に、鉄の輪が埋まっている。引き上げると、鈍い音を立てて床板が持ち上がった。


下にあったのは、夢で見たのと同じ石の階段だった。


「……本当にあったんですね」

「あったな」


乾いた声で答えながら、俺は先に降りる。

石段は浅く長く、空気は驚くほど乾いていた。地下のはずなのに湿り気がない。途中で壁の灯り石が勝手に青白く灯り、階段の先を照らす。


やがて、分厚い鉄扉が見えた。


頭の奥で見たあの扉と、同じだった。


扉の正面には二つの窪みがある。

ひとつは手の形。

もうひとつは、小さな石板と筆置きだ。


その上に、祖父の字。


収納手は左手を置け。

記録手は名を書く。見たままを書け。見てないことは書くな。


「記録手」

「つまり、私ですね」


エマは壁際の棚から小瓶と筆を取り、石板の前に立った。

瓶の中の墨は普通の黒ではなく、銀色に光っている。


「何を書けばいいんでしょう」

「分からん」

「でしょうね」


彼女は小さく息を吐いてから、俺を見る。


「まず、あなたが感じているものを言ってください。さっきから、顔色が少し違います」

「……山の青いのと同じ気配が、まだ俺の中で鳴ってる」

「曖昧です。もっと具体的に」

「冷たい。刺すような感じで、粘つく。毒だ」

「種類は」

「青殻蜘蛛。昼に子どもから抜いた残りと、さっきの蜘蛛から引いた分が混ざってる、と思う」

「混ざってる、は一番困る言い方です」


呆れながらも、エマは筆を走らせた。


青殻蜘蛛毒 残滓

冷性

刺痛あり

粘性中

混合の可能性あり


書き終えた瞬間、石板が淡く光った。

エマがその文字列をそのまま声に出す。


「青殻蜘蛛毒残滓。冷性、刺痛あり、粘性中、混合の可能性あり」


俺は言われるまま左手を扉の窪みに置いた。


かちり、と何かが噛み合う。


次の瞬間、頭の奥でざわついていた毒の気配が、するりと一本の線にまとまった。

散らばっていたものへ、外から名前が与えられたような感覚。


「……今の、すごいな」

「何が起きました?」

「中が静かになった。さっきまで雑に沈んでたものが、一つの札で括られた感じだ」


エマはすぐに理解したらしい。


「だから二人必要なんですね。収納手だけでは、感じることはできても、外から正確に名付けられない」


扉が重く開いた。


中は、倉庫だった。

だが地上のそれとはまるで違う。


石造りの広い部屋。壁一面の棚。黒い箱、銀の蓋付き瓶、封蝋された筒、札のついた杭。中央には大きな作業台と、分厚い台帳が一冊。

さらに奥には、下へ続く鎖つきの格子扉が見えた。


そこには、白い札でこう書かれている。


二層以下はまだ早い。死にたくなければ一層で我慢しろ。


「……祖父さん、言い方がいちいち雑ですね」

「でも分かりやすい」


作業台の台帳を開く。

一頁目から、もう祖父らしさ全開だった。


収納手はだいたい無茶をする。

記録手は必ず止めろ。

止まらんなら殴れ。

一人でやると、熱と毒と勢いを同じ棚に放り込む阿呆が出る。


「俺はそこまでひどくないぞ」

「少なくとも、熱と衝撃は近い場所に入れていましたよね」

「……よく分かったな」

「顔に書いてあります」


反論できなかった。


エマが次の頁をめくる。


一層は選別と誘導だ。

名付ける、札をつける、漏れを止める、行き先を決める。

返すのはその後にしろ。


その横に、細い引き出しの図が描かれていた。

実際に作業台の横を開けると、中に木札が整然と並んでいる。黒い札、白い札、赤い札。どれも銀糸の紐つきだ。


「仕分け札……」


エマが一枚取り上げた。

札の表面には、墨を受けるための薄い膜が張ってある。


台帳の続きを読む。


黒札は毒と呪い。

白札は熱と冷え。

赤札は衝撃と勢い。

記録手が書き、収納手に結べ。

札がある間は混ざりにくい。


「結ぶ、って」

「たぶん手首でしょうね」


エマはさっきの銀墨で、黒札に同じ文字を書いた。


青殻蜘蛛毒 残滓


「手を」


俺が差し出すと、彼女は少しだけ慎重な動きで俺の左手首に札を結んだ。

指先が触れる。冷たいはずなのに、不思議とそれ以上に落ち着く。


結ばれた瞬間、頭の奥の階段の下で鳴っていたざわつきが、一段静かになった。


「……本当に止まるんだな」

「外から境界を作るんでしょう。あなたの中だけの感覚にすると曖昧になるから」

「便利だな、お前」

「今さらですか」


そこで彼女は、壁際の棚を見回し、小さく息を呑んだ。


札のついた箱には、祖父の手書きがそのまま残っている。


山火事の熱 小箱

春先の洪水の勢い 半樽

腐井戸の毒 廃棄待ち

雪崩の圧 触るな


「……災害倉庫どころじゃありませんね」

「あのじいさん、何して生きてきたんだ」

「少なくとも、ただの辺境の老人ではなかったでしょうね」


その時、作業台の隅にあった細長い木箱が目についた。

蓋には、青い札。


青殻系統 導杭

巣持ちの虫向け

四本まで


開けると、中には黒鉄の杭が四本入っていた。指ほどの太さで、先端に青い石が埋まっている。

台帳に対応する頁があった。


巣を持つ虫は、同じ毒の道を追う。

導杭を打ち、仕分け札で名を固定すれば、漏れた毒気を一方向へ流せる。

群れは賢くない。帰り道だけ作れば勝手に列になる。


「これだ」


俺が箱を持ち上げると、エマもすぐ頷いた。


「小さい群れなら曲げられるはずです」

「じゃあ、山の青いのを村の正面に集められる」

「ええ。ただし」


彼女は次の一文を指で叩いた。


母は別だ。毒だけでなく印を追う。


俺は眉をひそめた。


「印?」

「詳しくは書いていません。でも、群れの中心になる個体は、抜かれた毒そのものではなく、別の痕跡を追うと読めます」

「嫌な書き方だな」

「とても」


さらに台帳をめくると、小さな黒布と銀の輪が出てきた。

横に書き置きがある。


核や残滓を持ち運ぶなら、隔離布で包め。

むき出しで持つな。

収納手に染みる。


「……もう染みてる気がするんだが」

「でしょうね」


否定しないあたりがひどい。


俺たちは導杭四本、黒札の予備、隔離布、それから祖父の隔離箱を持って地上へ戻った。

村へ駆け戻る途中、エマが歩きながら黒札をもう一枚書いていた。


「何を書いてる」

「念のためです」

「念のため?」

「青殻系統 誘導用核片。あの青い結晶に使います」


さっき蜘蛛から取れた核だ。

あれを餌にするつもりらしい。


「思い切るな」

「あなたにだけ言われたくありません」


その返しも、もう慣れてきた。


村へ戻ると、準備はほぼ終わっていた。

用水路の周りは踏み固められ、荷車の配置も変わっている。ダンが大声で人を動かしていたのを見て、少し安心した。


「戻ったか!」

「間に合った。北の外れに人を寄せるな。導線を作る」


俺は導杭の位置をざっと指示した。

一本目は用水路の手前。

二本目は正面の狭い道の脇。

三本目は壊れた見張り小屋の前。

四本目は、村から少し離れた空き牛舎の裏。


その最後の地点に、隔離箱へ入れた青い核片を置く。


「そんな離れた場所でいいのか」とダンが聞く。

「いい。村まで来る前に、できるだけあっちへ流したい」

「それで、本当に曲がるのか」

「分からん。でも、帰り道が一本に見えれば、獣はだいたいそっちを選ぶ」


エマが導杭に白い息を吐きながら、一本ずつ黒札を結びつけていく。

書かれているのは同じ文字。


青殻蜘蛛毒脈


彼女が最後の一本へ札を結んだ瞬間、杭の先の青い石が淡く光った。

それが一本、また一本と線のように繋がっていく。


頭の奥でも、何かが整列する感覚があった。

さっきまで山に散っていた青いざわめきの一部が、確かにこちらの線へ引かれている。


「……来た」


見張り台の上で、猟師が声を上げる。


山肌の青い点が、ゆっくり形を変えた。

ばらけていた光の半分近くが、正面の導線へ沿うように流れ始める。


「曲がった……」

「本当に曲がったぞ」


周囲がざわめく。

ダンでさえ、呆然と空を見ていた。


俺は少しだけ肩の力を抜いた。

全部ではないが、効いている。少なくとも群れの大半は誘導できる。


「やっぱり、お前はすごいな」


村長が低く言った。

そういうのは照れるからやめてくれ、と返したかったが、その前にエマが鋭い声を出した。


「まだです」


彼女は手首の黒札を見ていた。

俺に結んだ札だ。


青殻蜘蛛毒 残滓


その札の文字が、じわりと青く光っている。


「おい、まさか」

「毒の残滓だけじゃありません」


エマの視線が、隔離箱の方へ向く。

箱の中の核片は静かだ。反応していない。


つまり、山の奥で強く脈打っている大きな青は、餌箱を見ていない。


「レイン」


呼ばれて、俺は彼女の顔を見た。


「巣主が追っているのは、箱でも、導杭でもない」

「……俺か」

「たぶん」


頭の奥で、あの暗い階段の下が重く鳴った。

仕分け札で静かになったはずの場所、そのさらに下。

まだ名前のついていない、もっと深い何かが、青い脈に応えるように震えている。


母は別だ。毒だけでなく印を追う。


祖父の字が、最悪の形で蘇る。


見張り台の上から、怯えた声が飛んだ。


「来るぞ! でかいのが一匹、速い!」


全員が北を振り向く。


暗い森の上を、青い線が走った。

木から木へではない。もっと高く、もっと遠く。巨体が、森の天井そのものを跳んでくる。


月明かりの下で、一瞬だけ全身が見えた。


用水路に落とした若い個体の、二倍。

いや、三倍はある。

腹の下に揺れる毒嚢は人ひとり分ほどもあり、脚の一本一本が槍みたいに長い。

その頭部の中心で、青い核が目みたいに光っていた。


導杭の線を無視して、そいつはまっすぐこちらへ向かってくる。


いや、違う。


まっすぐ、俺へ向かっていた。


「下がってください!」


エマの声と同時に、俺は隔離箱を投げ出し、黒札の結ばれた左手を強く握った。


まずい。


そう理解した時にはもう遅く、巨大な青殻の巣主は、村外れの見張り小屋を一跳びで越えていた。


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