封止庫七代行
災害が去った倉庫で最初にやることは、祝うことじゃない。
何が残って、何が減って、次に何を備えるかを書き直すことだ。
そうしないと、勝ったはずの昨日が、ただの偶然で終わる。
北山第四搬送坑を閉じた翌朝、村は久しぶりに、ちゃんとした朝の音で目を覚ました。
鍋の蓋が鳴る音。
水桶を運ぶ音。
雪を踏む足音。
遠くで子どもが笑う声。
焼け跡の匂いはまだ残っている。
避難民の寝床も、仮のままだ。
それでも、昨日までの張りつめた空気は明らかに薄れていた。
北山から、もう何も届かない。
それだけで、人はちゃんと息ができるようになるらしい。
村の外れでは、シグルドたちが出立の準備をしていた。
縛られたリゼットと灰外套の連中は荷馬車へ乗せられ、証拠の帳面と路札は別箱に分けて積まれている。北山の閉鎖と伯爵家の関与を示すには、どれも軽々しく失くせないものばかりだ。
「じゃあ行く」
シグルドは、本当にそれだけしか言わなかった。
「砦経由で王都へ回す。証拠は俺たちが持つ。村の名はなるべく出さない」
「助かる」
「必要になったら呼ぶ」
「帳面を忘れるなよ」
「お前は本当にそれだな」
そう言って、彼は少しだけ笑った。
フェリスは相変わらず不機嫌そうな顔で外套を直しながら、俺へ小さな革包みを放って寄越した。
「今度はちゃんとラベルつき。魔力回復剤と解毒補助、二本ずつ」
「珍しいな」
「借りを残すの嫌いなのよ」
「そういうことにしておく」
「そうして」
ミリアは最後に、深く頭を下げた。
「また会う時は、今度こそ最初からちゃんと見ます」
「おう」
「……それと」
彼女は少し迷って、それでも言った。
「村を守ってくれて、ありがとうございます」
「そっちも、昨日は助かった」
「はい」
荷馬車が動き出す。
三人の背が、雪の向こうへ少しずつ遠ざかっていく。
完全に元通りではない。
きれいな和解でもない。
でも、それでよかった。
必要なところで切れていなくて、必要なところで離れている。
今の俺たちには、そのくらいがちょうどいい。
「見送りは終わりましたか」
背後からエマの声がした。
振り向くと、いつもの薬袋に加えて、今日は分厚い帳面を二冊抱えている。
「終わった」
「では地下です」
「前置きがないな」
「今日やることが多いので」
さすがだ。
俺が一部完に浸る暇もくれない。
祖父の家へ戻る途中、村のあちこちで避難民と村人が一緒に片づけをしているのが見えた。焼けた柵の撤去、雪の踏み固め、屋根の補修、井戸端の整理。誰か一人が全部やるんじゃない。できる人間ができる仕事を持って動いている。
そういう光景は、嫌いじゃない。
祖父の家に入ると、土間の空気はひんやりしていた。
だが、その冷たさはもう“誰も住んでいない家”のものじゃない。道具の置き場所も、机の上の帳面も、昨日までより少しだけ人の気配がある。
「行きましょう」
エマに促され、俺たちは封止庫七の地下へ降りた。
一層は静かだった。
二層の解体台も、銀糸も、今は眠っている。
そして三層。
北山第四搬送坑を閉じたあとだからだろうか。
昨日までどこか外の気配を含んでいた石の空気が、今日はずっと落ち着いていた。
中央の石机には、北山へ伸びていた金線がもうない。
その代わり、地図の端に、小さく一行だけ灯っている。
北山第四搬送坑 閉鎖済
その文字を見た瞬間、ようやく本当に終わったのだと実感が落ちてきた。
「まずは帳面整理です」
エマが机の脇へ帳面を広げる。
「現地から持ち帰ったもの、封止庫七の既存台帳、北山閉鎖の記録。全部を合わせます」
「祝いの言葉も何もないな」
「閉鎖記録が祝いです」
「そういうもんか」
「そういうものです」
言い切られると、そんな気もしてくる。
俺は持ち帰った帳面を一冊ずつ机へ並べた。
現行権限簿。
搬送坑閉鎖手順。
継承個体処置手順。
差異記録。
路札束。
エマはそれを種類ごとに分け、銀墨ではなく普通の黒墨で整理札を書いていく。
北山第四搬送坑 閉鎖記録。
ローウェン伯爵家外郭研究棟 現行権限。
勇者隊随伴補給 偽装便。
継承反応個体 処置資料。
「これ、残すのか」
「残します。燃やしたい気持ちは分かりますが、証拠でもあり、次の備えでもあります」
「次、ね」
「ええ。終わっていませんから」
そう言って、彼女は石机の右端を指で叩いた。
そこには、昨日まで見えていなかった小さな窪みが二つあった。
ひとつは手を置く形。
もうひとつは、名を書く細い石板。
石板の上に文字が浮かび上がる。
封止庫七 管理欠員
継承反応確認済
暫定管理者登録を行うか
俺は思わず黙った。
「来ましたね」とエマ。
「やっぱり昨日の閉鎖で条件を満たしたみたいです」
「暫定管理者、か」
「代行ですね。今のところは」
妙な気分だった。
北山を止めたのは事実だ。
祖父の帳面も読んだ。
三層も開いた。
でも、“管理者”なんて言われると、まだ少し違和感がある。
俺が黙ったままでいると、エマが少しだけ声を和らげた。
「嫌ですか」
「嫌じゃない」
本音だった。
「ただ、重いな」
「でしょうね」
「でも、誰かがやらないと駄目なんだろ」
「ええ」
「なら、やるしかないか」
石板に向かう。
筆を取る前に、石机の引き出しがひとりでに少し開いた。
中に、一枚の紙が入っていた。
祖父の字だ。
レインへ。
ここまで来たなら、たぶん一坑くらいは止めた後だろう。
よくやった。
そこで思わず、喉が詰まった。
紙は短かった。
でも、続きはもっと短いのに、妙に重かった。
収納は荷物を詰める穴じゃない。
足りん場所へ届け、届いてはいかん場所で止めるための倉庫だ。
お前はもう荷物持ちではない。
封止庫七の倉庫番だ。
誇れ。
しばらく、紙から目を離せなかった。
祖父らしいと思った。
相変わらずぶっきらぼうで、誉め方も雑で、でも一番言ってほしかった言葉だけはちゃんとそこにある。
「……性格が悪い」
思わず呟く。
「でも、いいこと書くでしょう」
エマが静かに言った。
「そうだな」
俺は深く息を吐き、石板へ名を書いた。
レイン・クラウス
次いで、手を窪みへ置く。
石机の奥で、かちり、と軽い音がした。
一拍置いて、文字が変わる。
封止庫七
暫定管理者 レイン・クラウス
記録補佐 エマ・ハルトマン
「……記録補佐?」
「勝手に入ってますね」
「嫌か」
「むしろ助かります」
それも、彼女らしい。
机の中央が淡く光った。
北山第四搬送坑の閉鎖済の文字が沈み、その代わり、もっと大きな地図がゆっくり浮かび上がる。
北山だけじゃない。
西。
南西。
王都方向。
いくつもの細い線が、眠っているみたいに暗く横たわっている。
そのうちいくつかだけが、弱く明滅した。
第五搬送坑。
第八搬送坑。
王都西方迷宮前補給所。
王都中央補給院旧路。
ローウェン伯爵家外郭研究棟。
「……多いな」
「ええ」
エマも地図を見上げたまま、小さく息を吐く。
「北山第四は、本当に一部ですね」
「知ってたけど、見えると嫌になる」
「同感です」
さらにその地図の下、今まで何もなかったはずの石床に、薄い継ぎ目が光った。
四層。
扉が開いたわけじゃない。
でも、確かにそこにあると分かる。
もっと深い、もっと古い何かをしまっている場所が。
継ぎ目の向こうから、ほんのかすかに、低い音がした。
がこん。
まだ開かない。
でも、“お前がここまで来たのは分かった”とでも言うみたいな音だった。
エマがその音を聞いて、すぐに言う。
「開けませんよ」
「分かってる」
「本当に?」
「本当だ」
少しだけ笑ってしまう。
本気で釘を刺されている。
「今行っても、たぶん死ぬ」
「率直だな」
「事実です」
「それもそうだ」
俺は地図を見た。
第五。
第八。
王都。
伯爵家。
いくらでも行き先はある。
でも、今すぐじゃない。
「準備してからだな」
「ええ」
「村の立て直し、封止庫七の整理、北山の記録まとめ、避難民の受け入れ」
「在庫の再計算も必要です」
「そこを先に言うのが本当にお前らしい」
「大事なので」
そのやり取りのまま、俺たちはしばらく三層で帳面整理を続けた。
北山第四搬送坑閉鎖。
持ち出し証拠一覧。
隔離箱内権限核片、一。
封止庫七現有在庫。
熱区画。
毒区画。
衝撃区画。
印区画。
村用支出。
避難民向け貸出。
一行ずつ書いていくうちに、昨日まで命がけだったものが、少しずつ“管理できるもの”へ変わっていく感じがした。
怖くなくなるわけじゃない。
でも、ただの災厄ではなくなる。
帳面の持つ力って、たぶんこういうことだ。
昼近くになって地上へ戻ると、村は朝よりもっと忙しくなっていた。
集会所の前では避難民の女たちが鍋を回し、ダンたちは焼けた柵の立て直しに取りかかっている。ニーナは年下の子どもたちを引き連れて、雪かきの先頭に立っていた。年齢のわりに偉そうで、ちょっと笑える。
俺に気づくと、彼女はすぐに駆けてくる。
「お兄ちゃん! 地下、どうだった!?」
「帳面が増えた」
「むずかしい話だ!」
「だろうな」
俺は懐から真鍮の鈴を取り出した。
北山へ持っていった、ニーナの鈴だ。
「借りてたやつ、返す」
「ちゃんと返した!」
彼女は受け取って、少しだけ誇らしそうに胸を張った。
「約束したしな」
「うん」
それから彼女は鈴を見て、少し考えて、俺の後ろの祖父の家を見た。
その視線の意味が分からずにいると、彼女はにっと笑う。
「じゃあ、これ、倉庫の戸につけよう」
「戸に?」
「お兄ちゃんが帰ってきたら鳴るでしょ。そしたら、倉庫番が戻ったって分かる!」
言うなり、彼女は家の戸口へ駆けていき、古い釘へ鈴を結びつけた。
風が吹くと、ちりん、と小さく鳴る。
妙に似合っていた。
「どう?」
「……悪くない」
「でしょ!」
ニーナは満足そうに笑い、また雪かきの列へ戻っていく。
その背を見ながら、俺は少しだけ口元を緩めた。
夕方になる頃には、村にちゃんとした夕餉の匂いが戻っていた。
まだ豪勢ではない。
でも温かい汁とパンと、焼いた芋がある。
それだけで十分だ。
祖父の家の土間では、エマがもう次の帳面を開いていた。
「村用在庫、確認します」
「今やるのか」
「今やるんです」
「鬼か」
「記録補佐なので」
彼女は真顔で言って、黒墨の筆を取る。
「乾燥肉、残り十四袋。穀物袋、九。毛布、村保有分三十二、貸出分二十七。温石、現在使用中十二、予備八」
「待て、予備は六じゃなかったか」
「さっきニーナさんが二つ返してきました」
「……本当に見てるな」
「記録補佐なので」
二回言われた。
俺は苦笑しながら、収納から今日必要な分だけ食器と鍋を出す。
それを見て、エマが紙の上へさらさらと追記する。
食器補充。
鍋大、二。
木椀、八。
なんだか、北山で命がけだったのが嘘みたいだ。
でも、たぶんこういう時間のために、昨日の命がけがある。
窓の外では、村人と避難民が一緒に食事の支度をしている。
子どもたちが鈴を鳴らして笑っている。
倉庫の戸口の小さな音が、風のたびに鳴る。
ちりん。
ちりん。
その音を聞きながら、俺は鍋の湯気の向こうにある帳面へ目をやった。
封止庫七。
暫定管理者 レイン・クラウス。
まだ少し、くすぐったい。
でももう、逃げたいとは思わなかった。
追放された荷物持ちだった。
役立たずだと言われた。
外れスキルだと笑われた。
それでも今、俺は村の倉庫番で、封止庫七の代行だ。
地味だ。
面倒だ。
責任も重い。
でも、悪くない。
その夜、寝台へ横になる前に、床下の方からもう一度だけ低い音がした。
がこん。
四層だ。
開かない。
急かしてくるわけでもない。
ただ静かに、下で待っている。
北山第四は閉じた。
でも、第五も、第八も、王都も、まだ眠っている。
ローウェン伯爵家も終わっていない。
行くなら、次だ。
今度は備えて、数えて、届け先を見てから行く。
俺は目を閉じる。
倉庫の中では、熱も、毒も、衝撃も、それぞれの棚で静かに眠っていた。
昨日までの混乱が嘘みたいに、ちゃんと分かれて、ちゃんと名前を持っている。
その一番奥。
まだ開かない四層の手前で、静かな闇がひとつ、確かに息をしていた。
追放された荷物持ちは、辺境の倉庫番になった。
けれどその倉庫は、まだ王国の裏側へつながっている。
第一章 封止庫七と北山第四搬送坑編 完
第一章完結です。またどこかで再開します。




