追放された俺、祖父の倉庫で自分のスキルの異常さを知る
村の火は、夜半までかかってようやく完全に消えた。
俺はその間、村人たちと一緒に焼け残りを運び出し、怪我人に布を出し、水桶を出し、毛布を出し続けた。
【収納】に入っていた物資は、こういう時のために積み上げてきたようなものだ。
保存食。
止血用の布。
解毒薬。
折れかけの木材を固定するための釘と縄。
野営で使っていた鍋まで役に立った。
「兄ちゃん、次はこっち!」
「レイン殿、井戸の近くに樽を!」
「毛布が足りん、あと三枚!」
呼ばれるたびに、俺は必要な物を取り出す。
そのたびに、村人たちの目が変わっていくのが分かった。
さっきまでは「得体の知れない旅人」だった。
でも今は違う。
必要な時に必要な物を出せる人間。
それだけで、ひどくまっとうに扱われる。
たぶん、俺がずっと欲しかったのは、こういうことだった。
誰かに持ち上げられたいわけじゃない。
派手に称賛されたいわけでもない。
ただ、「いて助かった」と思われたかった。
その夜、村長の家で簡単な食事をもらい、ようやく人心地ついた頃には、俺はもう指一本動かすのも億劫なくらい疲れていた。
「今日はここで休め」と言ってくれたが、俺は首を振った。
「祖父の家が残ってるなら、そこに行くよ」
「こんな夜にか?」
「見ておきたいんだ」
村長は少し考えたあと、深くうなずいた。
「……そうか。なら、案内をつけよう。ニーナ、お前が行け」
「うん!」
昼間、牙猪から助けた少女が元気よく手を挙げた。
年は十歳くらいだろうか。麦色の髪を二つに結んでいて、俺を見るたび目をきらきらさせる。
「お兄ちゃん、こっち!」
「お、おう」
勢いに押されるまま、俺はニーナに連れられて村はずれへ向かった。
夜の冷気は容赦なく頬を刺したが、空には雲がなく、星がよく見えた。
焼け跡の匂いさえなければ、静かな冬の村だった。
やがて、少し傾いた木柵の向こうに、小さな家が現れる。
家というより、倉庫が本体で、その脇に人が住める部屋がくっついているような造りだった。
いかにも祖父らしい。
「……変わってないな」
思わず漏れた声に、ニーナが首をかしげる。
「前に来たことあるの?」
「小さい頃に何度か。祖父に『物の置き方を覚えろ』って、よく叱られた」
「変なの」
「今なら分かる。たぶん、あの人は正しかった」
そう言って門を押すと、ぎい、と懐かしい音がした。
扉は思ったより素直に開いた。
中は埃っぽかったが、雨漏りはしていない。
竈も寝台も、そのまま残っている。
そして家の奥――倉庫の扉を見た瞬間、俺は足を止めた。
太い木の扉に、見覚えのない金属板が打ちつけられていたからだ。
そこには祖父の字で、こう彫られていた。
『クラウス家の者へ。倉庫を使うなら、まず台帳を読め』
「……台帳?」
ニーナがランタンを掲げる。
「机の上、じゃない?」
見ると、倉庫前の作業机に、分厚い革表紙の本が置いてあった。
埃をかぶってはいるが、不思議と傷んでいない。
俺は慎重に表紙を開いた。
一ページ目。
そこには祖父の癖のある文字で、でかでかとこう書いてあった。
『収納持ちは、物をしまう前に“何をしまっているのか”を考えろ』
俺は思わず眉をひそめた。
「何を、って……物だろ」
次のページをめくる。
『違う。荷物をしまうのではない。“状態”を含めてしまっている』
その一文を見た途端、昼間の光景が脳裏をよぎった。
燃える木片に触れた時、掌から熱が消えた感覚。
牙猪の突進を受け止めた時、激突そのものが抜け落ちたような違和感。
まさか。
急いで続きを読む。
『収納は、対象の位置と形だけを保存するスキルではない。温度、運動、圧力、毒性、湿度、魔力付着――条件次第で、それらも保持する』
『下手に扱えば死ぬ。だが理解すれば、倉庫は世界で最も堅実な武器になる』
「……冗談だろ」
乾いた声が漏れた。
だが、冗談で済まないことは、もう自分で証明してしまっている。
ニーナが不安そうに俺を見上げた。
「難しいこと書いてある?」
「いや……難しいというか、物騒だ」
「ぶっそう?」
「祖父はたぶん、普通の倉庫番じゃなかった」
その時だった。
背後でこつ、と杖の音がした。
振り向くと、村長の横に、若い女が一人立っていた。
濃い茶色の髪を後ろで束ね、厚手の外套の下に薬草の匂いをまとっている。
年は俺と同じくらいか、少し下。切れ長の目が、妙に冷静だった。
「当然です」
彼女は机の上の台帳を見て言った。
「ガルド・クラウスは、昔この辺境一帯で“災害倉庫”って呼ばれてましたから」
「……は?」
「知らないのも無理はありません。本人が嫌って、ほとんど記録を残さなかったので。私はエマ。この村で薬師をしています」
彼女は軽く会釈した。
村長が苦笑する。
「昼は怪我人の手当てで手が離せなくてな。今ようやく来られた」
薬師のエマは台帳のページを指でなぞった。
「熱や毒を一時的にしまえる収納持ちが、百年に一人いるかどうか。ガルドさんは、その稀少な系統だったらしいです」
「らしい、ってことは確定じゃないのか?」
「ええ。本人が喋らなかったので。ただ、この村は昔、雪崩と疫病で二度救われています」
「……収納で?」
「雪崩の衝撃を逃がした。汚染された井戸水を丸ごと隔離した。そう伝わっています」
話の規模が急におかしくなった。
いや、待て。
盛っている可能性もある。
昔話なんてだいたいそうだ。
そう思ったのに、机の上の台帳が、その希望を容赦なく折ってくる。
『毒をしまう時は器を分けろ。食料と同区画に入れるな、阿呆』
祖父の直筆だった。
「……本当なんだな」
「本当でしょうね」
エマは淡々と言った。
「それで、試しますか?」
「試す?」
「自分のスキルを」
彼女はそう言うと、小さなガラス瓶を取り出した。
中には青黒い液体が少し入っている。
「鎮静用に薄めた眠り草の抽出液です。毒というほど強くはないですが、普通に飲めば半日寝ます」
「そんな危ない物をいきなり出すな」
「だから“薄めた”と言いました」
エマは全く悪びれない。
「あなたが本当に状態まで収納できるなら、瓶そのものではなく、中身だけを隔離できるはずです」
「できなかったら?」
「床が少し汚れます」
「おい」
村長が咳払いした。
「エマ、お前は昔から説明が雑だ」
「要点は合ってます」
そう返してから、彼女は初めて少しだけ表情を和らげた。
「……でも、無理はしないでください。昼間かなり魔力を使ったはずなので」
そこでようやく、彼女がただの実験好きではないことに気づく。
怪我人を診ていた薬師だ。無茶をさせる気なら、そんな顔はしない。
俺は瓶を受け取った。
掌に冷たい感触が伝わる。
意識を向ける。
瓶。ガラス。液体。
いや、違う。
台帳の言葉を思い出す。
何をしまっているのかを考えろ。
中身だけ。
液体だけ。
その性質だけ。
【収納】
かち、と頭の奥で小さな音がした。
次の瞬間、瓶の中の青黒い液体が、すっと消えた。
「……おお」
思わず声が出る。
空になった瓶を傾けても、一滴も落ちてこない。
ニーナが飛び跳ねた。
「すごい! 今、消えた!」
エマは驚きこそしたが、すぐ冷静に手を差し出した。
「では、戻してください。できれば別の器に」
俺は机の上に置かれていた木椀へ意識を向ける。
戻せるか。
さっきのオーガの時は、ほとんど勢いだった。
今回は少量で、正確に。
――戻せ。
ふっ、と空気が揺れ、木椀の中に青黒い液体が現れた。
匂いを嗅いだエマが、小さく息をつく。
「間違いありません。成分の変質もほぼない」
「ほぼ?」
「精密な検査器具がないので断定はしません。でも、少なくとも薬効は残っているでしょう」
村長が腕を組み、深々とうなった。
「これは……とんでもないな」
「ええ。運搬手段として見ても異常です。しかも彼の場合、容量もかなり大きい」
エマの視線が、倉庫の奥を見透かすみたいに俺へ向く。
「村を救ったのは偶然じゃありません。あなたの【収納】は、もう“荷物持ち”の範疇に収まっていない」
その言葉に、妙な苦みが胸に広がる。
昼間なら、少しは素直に喜べたかもしれない。
でも、つい数日前まで、同じスキルを“外れ”と切り捨てられていたのだ。
「……だったら、なんで王都じゃ誰も気づかなかったんだろうな」
自分でも驚くくらい、低い声が出た。
エマは少し黙ってから、はっきり言った。
「見ていなかったからです」
短い言葉だった。
だが、十分すぎる答えだった。
「補給、保存、管理、配置。そういう仕事は、上手くいっている時ほど軽く見られます。戦う人の方が目立ちますから」
「耳が痛いですねえ」と村長が苦笑する。
「でも、村では違います。食べ物が尽きれば終わりですし、薬が間に合わなければ終わりです。何を、どこに、どれだけ、どうやって残すか。そこを軽く見る人間は、冬を越せません」
エマは淡々としているのに、言葉には妙な重みがあった。
辺境で生きる人間の実感なのだろう。
「だから私は、あなたのスキルを正しく知っておきたい。村のためにも、あなた自身のためにも」
俺は少しだけ笑った。
「薬師っていうより、研究者だな」
「よく言われます」
否定しないあたり、本当にそうなのだろう。
その時、台帳の間から、薄い紙が一枚はらりと落ちた。
拾い上げて見る。
祖父の字だった。
『レインへ。お前がこれを読んでいるなら、たぶん一度は誰かに見下された後だろう』
「……っ」
息が止まった。
ページではなく、手紙だ。
俺宛てだ。
慌てて続きを読む。
『収納は便利だが、地味だ。派手な連中ほど、しまっておいた予備のありがたみを理解せん』
『だが気にするな。倉庫を笑うやつは、必ず補給で泣く』
思わず噴き出した。
なんだその遺言。
性格が悪い。
でも、あまりにも祖父らしくて、笑いながら少しだけ目が熱くなった。
その下には、さらに小さく追記があった。
『それと、倉庫の地下はまだ開けるな。今のお前では危ない』
「……地下?」
「地下なんてあったのか?」
俺が顔を上げると、村長とエマが同時に首を振った。
「聞いたことはあります」とエマ。
「でも入口は見つかっていません。ガルドさんが誰にも見せなかったので」
倉庫の地下。
危ない。
その単語だけで、嫌な予感しかしない。
祖父のことだ。
まともな物を置いているはずがない。
だが同時に、確信もあった。
そこにはたぶん、このスキルの本当の使い方が眠っている。
「……今は開けるな、か」
「開けない方がいいです」
エマが即答した。
「今のあなたは、大きな力を偶然使えただけの状態です。制御を知らない。昼間オーガを倒せたのは事実ですが、村の中で同じ規模のものを誤射したらどうなるか、想像はつきますよね?」
つく。
つきすぎる。
俺は昼の“返せ”を思い出した。
あれは本当に、ほとんど賭けだった。
外していれば、家屋ごと吹き飛ばしていたかもしれない。
「……まずは練習が必要だな」
「ええ。小さいものから、区画を分けて、性質ごとに整理していくべきです」
「区画?」
「祖父の台帳にも書いてあるでしょう。“器を分けろ”と。収納の中にも、入れ方の癖があるはずです。食料、道具、薬品、熱、衝撃……全部を同じ感覚で放り込んでいたら、そのうち事故になります」
言われてみれば、俺の【収納】の中には、なんとなく棚のような感覚があった。
意識すると、取り出しやすい位置とそうでない位置がある。
あれは単なるイメージじゃなかったのかもしれない。
「明日から手伝います」
エマが言った。
「村の復旧もありますし、あなたのスキル検証も必要です。ついでに祖父の台帳も読み解きましょう」
「ついでの比重が大きくないか?」
「気のせいです」
真顔だった。
ニーナが俺の袖を引っ張る。
「お兄ちゃん、明日もいる?」
「ああ、そのつもりだけど」
「やった!」
彼女は満面の笑みを浮かべた。
その無邪気さに、妙に胸が軽くなる。
追放されて、行き場をなくして、たまたまたどり着いた村。
でも、ここにはもう、俺を必要としてくれる人たちがいる。
それだけで十分なはずなのに。
――倉庫を笑うやつは、必ず補給で泣く。
祖父の文字を見ていたら、どうにも嫌な想像が頭をよぎった。
たぶん今ごろ、あいつらは困っている。
解毒薬の場所も、保存食の残数も、予備装備の手入れ状況も、まともに把握していないはずだからだ。
まあ、知ったことじゃない。
そう思う。思うのだが。
少しだけ、ほんの少しだけ、胸がすっとしたのも事実だった。
「レインさん?」
エマの声で我に返る。
「……いや、なんでもない」
手紙を丁寧に畳み、台帳に挟む。
そして俺は、倉庫の扉に手を置いた。
祖父の残した家。
祖父の残した台帳。
祖父の残した、普通じゃない【収納】の使い方。
追放されたと思っていた。
でももしかしたら、俺はここから始まるのかもしれない。
その時、村の外れから、慌ただしい足音が近づいてきた。
「村長! 大変だ!」
若い猟師が息を切らして飛び込んでくる。
「どうした」
「街道の見張りから伝令だ! 明日の昼までに、王都の方角から避難民の荷馬車が来る! 山向こうの集落が魔物に襲われたらしい!」
空気が変わった。
避難民。
しかも荷馬車付き。
この村自体が被害を受けた直後に、それを受け入れる余裕があるかといえば――ない。
村長の顔が険しくなる。
「人数は」
「まだ不明だ。ただ、食料も毛布も足りてないらしい!」
ニーナの笑顔が消えた。
エマがすぐに計算を始めるような目になる。
焼けた穀物庫。怪我人。冬。避難民。
最悪の組み合わせだ。
だが俺は、逆に頭が妙に冷えた。
足りないなら、回す。
運ぶ手間があるなら、省く。
崩れそうなら、支える。
不足と混乱を整理するのは、ずっとやってきたことだ。
しかも今の俺には、“ただの荷物持ち”ではない【収納】がある。
「村長」
俺は一歩前に出た。
「受け入れよう」
村長が目を見開く。
「しかし――」
「足りない分は、俺がなんとかする。物資も、場所も、たぶん時間も」
言い切ったあとで、自分でも少し驚いた。
でも不思議と、できない気はしなかった。
祖父の台帳がある。
村の人手がある。
それに何より、今の俺はひとりじゃない。
エマがじっとこちらを見たあと、小さくうなずく。
「……分かりました。では今夜のうちに、受け入れの計画を立てましょう」
「おう」
「ただし」
「ん?」
「無茶は私が止めます」
「厳しいな」
「薬師なので」
そこで初めて、少しだけ笑い合った。
外では冷たい夜風が吹いている。
けれど倉庫の中には、不思議と熱があった。
荷物だけじゃない。
炎も、衝撃も、毒も。
そしてきっと、この村の危機そのものだって。
全部しまって、整理して、必要な場所へ返してやる。
そう思った時だった。
頭の奥で、【収納】の感覚が微かに震えた。
まるで、倉庫のさらに下。
深い深い場所で、何かが目を覚ますみたいに。
俺は気づいていなかった。
祖父が「まだ開けるな」と書き残した地下に、
このスキルの本当の名前へ繋がる秘密が眠っていることを。
そして翌日、その一端を、俺は嫌でも思い知ることになる。




