継承個体を荷にするな
継承持ちが一番危ないのは、力が足りない時じゃない。
箱として使われるうちは、まだましだ。
本当にまずいのは、道として使われる時だ。
そういう荷は自分で歩いて、しかも他人の災厄まで運んでしまう。
大型の黒い運び手が跳んだ。
八本の脚が床を砕き、腹の後ろで束ねられた搬送索が、濁った紫の光を引きずる。頭部中央の紫核が開き、その奥から細い線が一本、まっすぐ俺の左手へ向いた。
ただの攻撃じゃない。
線が触れた瞬間、頭の奥の倉庫がぶれた。
食料の棚。
熱の区画。
衝撃。
毒。
印。
全部が一つの口へ寄せられるみたいに、奥でざわりと揺れる。
「レインさん、触らせないで!」
エマの声が鋭く飛ぶ。
「それ、受領じゃない! 路指定です!」
「路指定!?」
「左手が届け先じゃない! あなたの収納を、坑道の仮路にする気です!」
ぞっとした。
つまり、この線が噛み込めば終わりだ。
俺の中の棚や区画が、ただの倉庫じゃなく、こいつらの搬送網の横道になる。
熱も毒も、印も。
最悪、封止庫七の奥まで、向こうの在庫扱いになる。
「エマ!」
「分けます!」
彼女は一歩も下がらず、灰札と白札を二枚、ほとんど同時に書いた。
継承反応 路指定
左手起点 仮接続
「もっと要る!」と俺が叫ぶ。
「移し先だ!」
エマの目が一瞬だけ見開かれ、すぐに理解へ変わる。
その速さが本当にありがたい。
「何に移すんです!」
「路として認識される物なら何でもいい!」
その時、脳裏をよぎったのは祖父の点検板と、懐の小さな鈴だった。
道で寝るな、の鈴。
でも、あれはそれだけじゃない。
昔、祖父が荷札の束を仕分ける時にも鳴らしていた。
便と便を分ける音。
箱と中身を切り離す音。
名前の境目を知らせる音だ。
「これだ」
俺は懐から真鍮の鈴を引き抜き、もう片手で点検板を取り出した。
祖父の板は、まだ返送照合中の名を帯びている。坑道側から見ても、ただの木板じゃない。仮の点検路として認識される札持ちの板だ。
「エマ、点検板!」
「はい!」
彼女の筆がさらに走る。
点検板一式 仮路
継承路指定 移し先
「読む!」
「頼む!」
大型個体がさらに踏み込む。
紫の線が、俺の左手へ噛みつく寸前まで来る。
その一瞬で、俺は鈴を鳴らした。
ちりん、と乾いた音が坑道に響く。
音が境目になる。
俺と板。
本体と仮路。
今だけ、きっぱり分ける。
「点検板一式、仮路。継承路指定、移し先!」
読み上げると同時に、俺は左手へ向いた紫の線を掴み、無理やり点検板へ押しつけた。
頭の奥で、何かがずれた。
さっきまで俺の左手へ食い込もうとしていた“路指定”が、点検板の方へすべる。
完全ではない。
だが十分だ。
「行け!」
俺は点検板を、さっき潰しかけた搬送口の支柱めがけて全力で投げた。
板は回転しながら飛び、槽の横の鉄足場へ叩きつけられる。
その瞬間、大型個体の紫核がぎらりと光った。
食いついた。
大型個体は、俺じゃなく点検板を追った。
八本脚が床をえぐり、搬送口の残骸ごと鉄足場へ突っ込む。
轟音。
鉄骨が歪み、上段の補助管がまとめて折れ、紫の灯りが一斉に明滅した。大型個体は点検板に噛みついたまま、崩れた足場の中へ半身を突っ込んで暴れる。
「よし!」
「一時的です!」
エマが叫ぶ。
その通りだ。倒したわけじゃない。偽の路に食わせただけだ。
でも、その“一時的”で十分だった。
「レイン!」
シグルドの声が飛ぶ。
さっきまでリゼットへ向いていた剣が、今は大型個体の脚を狙っている。
「次は何だ!」
「そいつは後だ! 母核改を逃がすな!」
シグルドが一瞬だけ眉を寄せる。
だが、もう疑わない。
「フェリス! 左の管! ミリア、床の糸を焼け!」
「言われなくても!」
「はい!」
三人が散る。
その動きが、悔しいくらいに噛み合っていた。
俺は知っている。
シグルドは重いものを断つのが得意だ。
フェリスは細い線の制御が上手い。
ミリアは目立たない残滓の浄化を怠らない。
見ていなかったのは向こうだけじゃない。
俺の方も、ずっと補給の目線でしか見ていなかった。
でも、今はそれでいい。
役割が見えているなら、使い方は分かる。
「母核改の槽に集中しろ!」と俺は怒鳴る。
「大型個体は偽の路に食いついてる! 今なら本体を止められる!」
だが、その時にはもう、リゼットが次の手を打っていた。
彼女は崩れた足場にも、大型個体の暴走にも目をくれない。
回収便第四式の裏手へ回り込み、床の隠し板を蹴り開ける。そこから現れた細い操作盤へ、短い指揮杖を叩きつけた。
「母核改、緊急搬送第二式へ移行」
低い声だった。
無駄がなく、冷たく、そして腹が立つほど落ち着いている。
槽の液面が変わる。
さっきまで内側へ沈みかけていた母核改が、今度は底から細い糸で吊られるみたいに持ち上がり始めた。紫黒い液が渦を巻き、中央の核の周囲で薄い殻が剥ける。大きなひと塊が動くのではない。中の“核の部分”だけを抜き出して運ぶつもりだ。
「……抜芯か」
思わず呟く。
補給品でもやる。
箱ごと運べない時、中身だけを別便へ移して逃がす。
嫌なほど理解できる手口だった。
「レインさん!」
エマが俺の隣へ滑り込む。
すでに札を二枚持っていた。
「主搬送じゃなくて第二便です! 箱じゃなく、核芯だけを別路に載せる気です!」
「行き先は見えるか?」
「まだ細いです。でも、上じゃない。坑道の横穴です」
リゼットがこちらを見た。
口元だけ、薄く笑っている。
「よく分かるのね。やっぱりあなた、倉庫番にしておくには惜しかったわ」
「人を荷みたいに扱うのをやめろ」
「兵站はそういうものでしょう?」
その言い方に、胃の奥がひどく冷える。
だが、言い返している暇はない。
母核改の槽の横で、細い第二搬送口が開き始めたからだ。今度は大きな口じゃない。針穴みたいに狭い、芯だけを抜くための路だ。
大型個体を倒しても意味がない。
あれは時間稼ぎだ。
本命は、いま目の前で逃げようとしている。
「シグルド!」
俺が呼ぶと、彼は大型個体の脚一本を斬り飛ばしながら振り向いた。
「何だ!」
「リゼットより先に槽だ! 母核改を逃がしたら全部無駄になる!」
「分かった!」
そこに迷いはなかった。
「フェリス! 第二口の周り、凍らせられるか!」
「細すぎて狙いづらい!」
「周りでいい! 口そのものは俺が止める!」
「ほんっと指示が細かい!」
文句を言いながらも、フェリスの氷線が槽の周囲へ走る。
紫の液が一部だけ固まり、渦の勢いが鈍る。
ミリアは床へ広がる青糸へ聖光を落とし、槽の脚元に這っていた定着印を焼いていく。
大型個体が暴れるたびに散る細糸を、彼女が一つずつ消してくれるおかげで、母核改の緊急路が余計な宛名を拾わずに済んでいた。
「レインさん、今です!」
エマが灰札を差し出す。
第二搬送口 核芯専用
現行受け先 未確定
「未確定?」
「今のうちなら、向こうがまだ受取台座を絞り切れてない! 決まり切る前に触れれば、逃がさないで済みます!」
いい。
それなら止められる。
決まり切った荷は厄介だ。
でも、まだ受取先が揺れている荷なら、割り込める。
俺は深く息を吸った。
大型個体の咆哮。
シグルドの剣戟。
フェリスの罵声。
ミリアの祈り。
リゼットの指揮。
全部がうるさい。
なのに、頭の中は妙に冷えていた。
荷崩れの片づけは後だ。
今は便を止める。
「エマ」
「はい」
「次は、逃げる荷を止める」
「ええ」
彼女が頷く。
その一拍で、完全に腹が決まった。
俺は母核改の第二搬送口へ左手を向けた。




