受領印を押すな
受け取る前に中身を確かめろ、は基本だ。
けれど本当に危ない荷は、それすら待たない。
名前を書いた瞬間に、届いたことになる。
だから怪しい箱の前で最初に守るべきは、剣でも魔法でもない。
受領印を押さないことだ。
「レイン?」
シグルドの声が、北山第四搬送坑のざわめきを切り裂いた。
下の搬送場で、勇者パーティの三人が一斉にこちらを見る。
シグルドは腕を組んだまま固まり、フェリスは目を見開き、ミリアは信じられないものを見るように口元を押さえた。
だが、驚いている暇はない。
「受領するな!」
俺は保守棚の小窓から身を乗り出し、できるだけ大きな声で怒鳴った。
「その補給便に印を押すな! 中身は補給じゃない!」
坑道じゅうの視線が、今度は俺へ向いた。
下で灰色の外套を翻したリゼットが、ほんの一瞬だけ眉を動かす。
だが次の瞬間にはもう、いつもの冷たい声に戻っていた。
「勇者様、耳を貸さないでください。その男は封止庫七から危険物を持ち出した侵入者です。受領だけ先に」
彼女の横にいた係員が、銀色の薄板――受領板をシグルドへ差し出す。
まずい。
その板を見た瞬間、隣で帳面を押さえていたエマが鋭く言った。
「レインさん、だめです。現地立会欄がシグルド隊になってる。ここで受領が通ると、三層の棚卸差異が現場承認で潰されます!」
つまり、俺たちが三層で作った保留が消える。
搬送路が再開する。
母核改も回収便も、全部また動き始める。
そして背後では、記録検分室の扉ががん、と大きく鳴った。
臨時封の札がもう長くもたない。
「降りるぞ」
「はい!」
俺は収納から祖父の点検板を引き抜き、保守棚の脇を走る細い点検レールへ鈎を引っかけた。
「乗れ!」
「先に!」
エマが飛び乗る。
俺も続いて板へ体を預け、縄で腰を軽く固定した。
次の瞬間、板がレールを噛み、俺たちは一気に下方へ滑り出した。
後ろで扉が破れる音。
振り向けば、灰外套の男たちが記録検分室へなだれ込んでくるのが見える。
「レインさん、後ろ!」
「分かってる!」
俺は滑りながら、棚の継ぎ目へ手を伸ばした。
保守用の掛け梯子を留めている金具、その固定だけを収納する。
がしゃん、と派手な音を立てて掛け梯子が落ちた。
追ってきた男たちが足を止め、怒号が響く。
その間に、俺は帳面から引き抜いた頁を二枚、下へ放った。
「ミリア! 読め!」
一枚はミリアの足元へ滑り、もう一枚はシグルドの胸へ当たって落ちる。
板はそのまま湾曲したレールを走り、搬送場の脇へ急降下した。
風はないはずなのに、景色だけが流れていく。
紫黒い液槽。
青殻の抜け殻。
檻につながれた六脚の運び手。
全部が、嫌になるほど近い。
最後の曲がり角で俺は板の勢いを少しだけ収納し、着地の衝撃を殺した。
点検板が床へ滑り込み、俺とエマはそのまま受領場の真横へ飛び降りる。
係員が驚いて受領板を引こうとした。
遅い。
俺はその手首へ触れ、銀の板を丸ごと収納した。
「なっ……!?」
係員の手が空を掴む。
シグルドが一歩下がり、剣の柄へ手をかけた。
フェリスは反射的に魔力を練ろうとし、ミリアは落ちた紙を拾い上げていた。
「お前……何してやがる、レイン!」
「あとで説明する!」
俺は即答した。
「その前に、その箱の受領印を押すな!」
リゼットが一歩前へ出る。
相変わらず綺麗な顔で、声だけが冷たい。
「勇者様、見ての通りです。封止庫の鍵持ちは不安定になりやすい。危険物を持ち出し、施設の帳票まで盗んでいます」
「帳票、だと?」
シグルドの声が低くなる。
その横で、ミリアが拾った紙を読み上げた。
「勇者隊随伴補給、第三便……槽材一式、母核補助液、封止札未記入……」
彼女の顔が青ざめる。
「これ、補給物資の書き方じゃありません」
フェリスが紙を覗き込み、眉をひそめた。
「は? なにそれ……」
リゼットは涼しい顔を崩さない。
「専門用語です。坑道維持の薬材と容器。あなた方の便に便乗しているだけですよ」
「じゃあ、こっちも読め」
俺はシグルドの足元へ落ちたもう一枚を顎で示した。
彼が拾い上げる。
一行目を読んだ瞬間、その顔が固まった。
継承反応対象 R・クラウス
勇者隊随伴中に微反応確認
スポンサー経由、隊より分離誘導
封止庫七接近後、回収予定
「……分離誘導?」
シグルドが紙から目を離さず、低く繰り返す。
フェリスが横から覗き込む。
「ちょ、これ……なによ、それ」
「捏造です」
リゼットが即答した。
「施設内文書を盗んだ者の紙切れなど、いくらでも細工できます。勇者様、その男は自分が追放された腹いせに」
「追放したのはそっちの都合だろうが」
思わず声が荒くなる。
「俺を勇者隊から外した翌日から、こう書いてたってことだ!」
シグルドがようやく顔を上げる。
その視線が俺へ向く。
怒っている。
戸惑っている。
そして、その奥に、ほんの少しだけ理解しきれないものが混ざっていた。
だが、今はそれでも足りる。
「信じる必要はない」と俺は言った。
「だから簡単に確かめろ。受領する前に中身を見ろ。その箱、封止札が入ってない」
シグルドの目が、勇者隊随伴補給第三便と書かれた木箱へ向く。
箱の縁には確かに、封止札の跡だけがあった。
普通の補給便なら、伯爵家の封蝋か納品札が必ず付く。三年、俺が毎回確認していたから間違いない。
「……本当に札がない」
ミリアが呟く。
フェリスが顔をしかめる。
「リゼットさん、これどういうこと?」
リゼットは一瞬だけ黙った。
その一拍が、遅かった。
シグルドが剣を抜く。
「受領はあとだ」
短く言って、木箱の縄を一閃で断ち切った。
「待っ――」
リゼットの制止より先に、蓋が跳ねた。
木箱の上段には乾パン袋と塩漬け肉が並んでいた。
だがそれは、ただの目くらましだった。
その下に詰まっていたのは、紫黒い液の入った厚いガラス筒と、銀線でぐるぐる巻きにされた黒漆の小箱だった。小箱の表面には、見覚えのある受取文様が走っている。
受取箱だ。
しかも着地用じゃない。
人の近くで開くための、もっと小型で凶悪なやつ。
「下がれ!」
叫ぶのと同時に、揺れで一本のガラス筒にひびが入った。
ぱき、と乾いた音。
次いで、ひびの隙間から青白い細糸が噴き出す。
まっすぐミリアの胸元へ伸びた。
「っ!」
俺は踏み込み、その糸へ左手を叩きつける。
受取前の刺し込み。
宛名のない定着糸。
それだけを狙う。
「収納!」
青白い糸が、俺の掌の前で消えた。
だが全部じゃない。
細い一本がフェリスの袖へ掠め、布に青い筋を残す。
「きゃっ!?」
フェリスが悲鳴を上げて後ずさる。
エマが即座に灰札を投げた。
「袖を脱いで! 早く!」
フェリスは反射的に外套を脱ぎ捨てる。
床へ落ちた袖口から、青い糸がぴくぴくと動いた。ミリアが青ざめた顔で聖印を握りしめる。
もう、言い逃れはできない。
シグルドの視線が、木箱の中身とリゼットを往復した。
その顔から、さっきまでの苛立ちがごっそり消えている。
代わりにあるのは、戦う前の冷たい目だった。
リゼットはとうとう表情を消した。
「……回収班」
静かな声だった。
「勇者隊も含めて拘束しなさい。見られた」
フェリスが目を剥く。
「は!? 私たちも!?」
ミリアが一歩退き、シグルドの後ろへ入る。
「待ってください、どういうことですか!」
「説明している時間はありません」
坑道のあちこちで金具が鳴った。
さっきまで帳票差異で止まっていたはずの現場が、今度は露骨に武力へ切り替わる。
灰外套の男たちが武器を抜き、檻につながれていた六脚の運び手が一斉に頭を上げる。
さらに奥、青殻母核改の槽が、低い鐘みたいな音を鳴らした。
ぼん、と。
紫黒い液面が持ち上がる。
「まずい!」
エマが叫ぶ。
「母核改が緊急搬送に入ります! 帳票停止を現場回収へ切り替えた!」
つまり、帳面で止めた分を、力尽くで通すつもりだ。
下の床に転がった外套の袖から、まだ青糸が細く伸びる。
檻の六脚が鎖を引き鳴らす。
回収班がこちらを囲みに動く。
シグルドが、ゆっくりと剣を構えた。
今度は俺へ向けてじゃない。
リゼットと、その向こうから来る灰外套たちへ向けてだ。
「……レイン」
呼ばれて顔を向ける。
シグルドの目には怒りがある。
問いもある。
たぶん殴りたい気持ちもあるだろう。
でも今は、それを全部飲み込んでいた。
「後で全部聞く」
低く、短い声だった。
「今は、何を斬ればいい」
その瞬間、母核改の槽の上で、太い搬送管がひとりでに開いた。




