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帳面を奪えば、向こうから止まる

倉庫を止めるのに、一番手っ取り早いのは壁を壊すことじゃない。


何が、どこへ、誰の許可で動いているのか。

その三つを書き換えれば、中にいる人間の方が勝手に止まる。


だから本当に厄介な相手ほど、先に奪うべきは武器じゃなく帳面だ。


「上じゃない。下だ」


保守棚の暗がりを走りながら、俺はそう言った。


下ではすでに怒鳴り声が上がっている。

灰色の外套を着た男たちが梯子へ殺到し、こっちの棚を目指していた。回収便第四式の蓋が開いていた以上、捕まれば箱詰めだ。笑えない。


「出口へ向かわないんですか」


並走するエマが息を切らしながら問う。


「帳面は真ん中にある。倉庫はたいていそうだ」

「……納得しました」


保守棚は細い。

足場板一枚分の幅しかなく、手すりも片側だけ。下を見れば、紫黒い液槽や荷箱や檻が何段も重なっている。高所恐怖症なら三歩で終わる造りだ。


後ろで金具の鳴る音がした。

振り返ると、男の一人が補助梯子を引き上げ、こちらの棚へ渡そうとしている。


「近いな」

「止めます」


エマは走りながら赤札を一枚引き抜き、銀墨で殴るように書いた。


保守梯子 張力


「それ、いけるか」

「いけます!」


札をこちらへ投げてくる。

俺は受け取りざま、梯子の上端へ意識を合わせた。


梯子そのものじゃない。

張っている力だけ。

支えている張力だけ。


「収納」


ぴんと張っていた補助梯子が、いきなりだらりと垂れた。


「うおっ!?」


男たちがまとめて体勢を崩す。

梯子は壁を打って大きく揺れ、そのまま下へ滑り落ちた。何人かが悲鳴を上げ、足場にしがみつく。


「助かった」

「礼は後で」


前方の保守棚が左へ折れていた。

そこだけ石壁に小さな鉄扉が埋まっている。目立たないが、補助路の先にある以上、関係者用の部屋だ。倉庫や坑道なら、こういう位置に検分室や差異記録棚が置かれることが多い。


扉の脇の真鍮板を拭うと、文字が出た。


北山第四搬送坑 記録検分室


「当たりだ」

「さすがです」


褒められたのかは微妙だが、今は入れる方が先だ。


錠前は古い石板式だった。

三層で使った返送荷札を差し込める溝がある。そこへ薄い金属板を入れると、かちりと鳴った。だが扉はまだ開かない。


石板に文字が浮かぶ。


用途を記せ。


「短く、正確に」


エマが即座に銀墨を構える。

俺は見るままを言った。


「返送荷札照合。現地差異検分。搬入停止優先」


彼女が書き、読み上げる。

扉が内側へ滑った。


中は狭い部屋だった。

だが、欲しいものは全部あった。


壁一面の薄い抽斗。

中央の机。

机上には出庫帳、路札台帳、差異記録簿が三冊、開きかけのまま積まれている。紙もインクも新しい。つまり、今も使っている。


「帳面は三冊いるんですか」

「止めたい時はな」


俺は迷わず手を伸ばす。


「何がどこへ出るかは出庫帳。どの道を通すかは路札台帳。途中で何を誤魔化してるかは差異記録簿」

「……本当に倉庫番ですね」

「今さらか」


言いながらページをめくる。


出庫帳には、予想通りろくでもない品名が並んでいた。

青殻抱え種。

紫核補助材。

定着糸。

熱追尾札。

名だけ見てもまともじゃない。


その中に、一行だけ妙に見慣れた書式が混ざっていた。


勇者隊随伴補給 第三便


胃の奥が冷たくなる。


行き先欄は、王都西方迷宮前補給所。

表向きは普通の補給便だ。

だが品目の細目欄には、小さく別記がある。


槽材一式

母核補助液

封止札未記入


「……偽装か」

「ええ。勇者隊向け補給に混ぜれば、誰も疑いません」


その声は、俺の隣からだった。


エマではない。


反射的に振り向く。

部屋の奥の伝声筒が、ひとりでに音を立てていた。石壁の内側に埋め込まれた細い筒だ。そこから、あの女の声がよく通る。


「やっぱり来たのね、ガルドの孫」


ローウェン伯爵家の契約監督官。

何度も帳票を持って、勇者パーティの補給契約を更新していた女だ。


坑道の下で見た時と同じ灰色の外套。

細い声。

冷たい言い方。


「リゼット……」


思わず名が漏れた。

昔、納品印の下に書かれていた署名で覚えている。


伝声筒の向こうで、女は小さく笑った気がした。


「覚えていてくれて光栄だわ、レイン・クラウス。荷物持ちのくせに字をよく見ていたのね」

「その荷物持ちに、帳面を読まれて困ってるみたいだな」

「少しだけね。でも、そこで見たものを持ち出せると思わない方がいい」


下の坑道で、金属靴の音がさらに増える。

回収班がこっちへ向かっているらしい。


エマは一瞬も手を止めない。

差異記録簿をめくり、必要な頁へ指を滑らせる。


「レインさん、こっち」


差し出された頁を見て、喉が詰まった。


継承反応対象 R・クラウス

勇者隊随伴中に微反応確認

スポンサー経由、隊より分離誘導

封止庫七接近後、回収予定


「……は?」


活字じゃない。

手書きの追記だ。

署名欄には、リゼットの名がある。


追放は偶然じゃなかった。


伯爵家は、俺がクラウス家の継承反応を持っていると知っていた。

だから勇者パーティから外し、封止庫七の近くへ流した。


腹の底から、熱いものがこみ上げる。


「ふざけるな」

「ふざけてなんかいないわ」


伝声筒の向こうで、リゼットはあくまで淡々と言った。


「兵站は、適材を適所へ置くものよ。あなたは勇者の横で荷物を持つより、封止庫七を開ける方が役に立った。それだけ」

「人を荷物みたいに言うな」

「荷物は黙らないと面倒ね」


エマがそっと俺の袖を掴んだ。


「怒るのは後です。先に止めます」

「……ああ」


そうだ。

ぶん殴りたいのは山々だが、今はここの路を止める方が先だ。


記録検分室の机の脇には、坑道全体へ検分札を流すための細い差し口が並んでいた。三層の石机ほど大きくはないが、仕組みは同じらしい。


エマが札束を広げる。

その動きに迷いがない。


「何を止めます?」

「全部は無理だ。まず母核改。次に回収便。最後に出庫全体」

「了解」


銀墨が走る。


青殻母核改 差異発生

回収便第四式 帳票照合待ち

第四搬送坑 全出庫 棚卸差異


「強いな」

「嘘は書いてません」


確かにそうだ。

差異は発生している。照合待ちもその通りだ。棚卸差異だって、俺たちが三層でつけた。


エマが一枚目を差し口へ入れる。

俺は左手を添え、その札に名を通す。


「青殻母核改、差異発生」


坑道の下で、鐘が鳴った。

戦闘用の警鐘じゃない。もっと乾いた、検分用の呼鈴みたいな音だ。


二枚目。


「回収便第四式、帳票照合待ち」


今度は回収箱の蓋が、途中まで開いたまま止まる。

下の男たちがざわついた。


三枚目。


「第四搬送坑、全出庫、棚卸差異」


大きな鐘が一度だけ鳴り、坑道全体の魔導灯が黄色へ変わった。


その瞬間、下の作業場が目に見えて止まった。


木箱を運んでいた男が立ち止まる。

檻を押していた台車がその場で固定される。

紫黒い槽の上を走っていた細い搬送線が、ぴたりと消灯する。


倉庫の人間は、火事より先に帳票不一致で止まる。


その真理を、こいつらも裏切れないらしい。


伝声筒の向こうで、リゼットの声色が初めて少しだけ変わった。


「……へえ。そこまで分かるの」

「帳面を読めばな」

「だから嫌いなのよ、倉庫番は」


彼女は一拍置いて、今度は低く命じた。


「回収班。検分札は無視しなさい。人間の方を確保して」


「無理ですね」とエマが即答する。

「帳票無視を現場でやると、後から全部その人の責任になります」


つまり、現場はすぐに動けない。

たとえ上が無視しろと言っても、全員が即座に従うわけじゃない。そこを読んで止めるのが、帳面の強さだ。


下の足音が一瞬鈍った。

怒号が飛ぶが、動きは揃わない。


俺はその隙に路札台帳をめくる。

必要なのは北山全体じゃない。母核改の槽と、坑道の主線、その二つに繋がる路札だ。


「こっちだ」


一番厚い頁の間から、銀色の細札が数枚出てきた。

刻印には、はっきりと行き先が書かれている。


母核改供給線

第四坑主搬送路

回収便第四式補助路


「この三枚を奪えば?」

「少なくとも、今すぐは流れません」


エマが頷いた時だった。


記録検分室の外で、靴音が止まる。

次いで、金具の回る音。


「扉、開けられる」

「でしょうね。向こうも荷札持ちです」


エマは即座に白札を二枚抜いた。


記録検分室 臨時封

点検継続中


「稼げるか?」

「一息か二息です」

「十分だ」


札を扉へ叩きつける。

俺は扉の継ぎ目へ手を当て、閉まっている勢いそのものを少しだけ戻した。


がん、と外から何かがぶつかった。

でも扉は開かない。


「今のうちに見ろ!」


俺は差異記録簿をさらにめくる。

手が少し震えていたが、止めない。


別の頁に、もっと嫌な記載があった。


勇者隊随伴補給 第三便

発刻 正午

現地立会 シグルド隊


「……来る」


ちょうどその時だった。

坑道の下から、よく通る苛立った声が響いた。


「おい、まだ積み込み終わってねえのか!」


知っている声だ。


勇者シグルド。


続いて、甲高い女の声。


「最悪。こんな山の中で待たせるとかありえないんだけど」


フェリス。


さらに少し遅れて、怯えたような、でも聞き覚えのある声。


「で、でも、検分中なら仕方ないんじゃ……」


ミリアだ。


思わず、記録室の小窓へ寄る。

下の搬送場の入口に、見慣れた三人の姿があった。


シグルドは苛立った顔で腕を組み、フェリスは鼻をつまむようにして坑道を見回し、ミリアは落ち着かなさそうに周囲を見ている。


三年間、一緒に迷宮を歩いた連中。

俺を雑用係として切り捨てた連中。

その足元で、青殻の抜け殻と紫の槽が蠢いているとも知らずに。


「……最悪のタイミングですね」

「ああ」


でも、同時に分かったことがある。


こいつらは知らない。

少なくとも、あの顔はそうだ。

フェリスは文句を言っているが、紫核も母核改も見えていない。シグルドはただ補給の遅れに苛ついている。ミリアは明らかに場違いだと思っている顔だ。


つまり、勇者隊は表向きの隠れ蓑だ。

使われている側かもしれない。


その時、下からリゼットが静かな声で言った。


「ちょうどいいわね。勇者様、少しお待ちください。封止庫七から来た点検害虫を片づければ、すぐに出庫を再開します」


シグルドが不機嫌そうに顔をしかめる。


「は? 害虫?」

「記録棚に紛れ込んだネズミみたいなものです」


扉の外で、再び重い衝撃音。

臨時封の札が、びり、と嫌な音を立てる。


エマが息を呑んだ。


「もう一息です」

「なら、その一息で持てるだけ持つ」


俺は出庫帳、路札台帳、差異記録簿から必要な頁を一気に引き抜き、収納した。

銀の路札三枚も一緒にしまう。


それだけじゃない。

机の引き出しの奥にあった、もう一つの紙束が目に入った。

表題は、継承個体処置手順。


迷わずそれも掴む。


扉が、がん、と大きく鳴る。


「レインさん!」

「ああ、出るぞ!」


保守棚の奥へ続く補助路が見える。

下へ、そしてさらに母核改の槽の裏手へ伸びる細い道だ。


帳面は奪った。

路札も取った。

なら次は、搬送そのものを止める。


だが、その前に。


俺はもう一度だけ下を見た。


搬送場の入口で、シグルドが何気なく上を見上げる。

暗がり越しに、ほんの一瞬だけ目が合った。


向こうの顔が止まる。


俺だと、気づいた。


「……レイン?」


その呟きが、坑道のざわめきの中でも、やけにはっきり聞こえた。


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