役立たずと呼ばれた倉庫番
「レイン、お前は今日でパーティを抜けろ」
二十八階層の攻略を終えて地上へ戻った直後、勇者シグルドはなんでもないことのようにそう言った。
夕暮れのギルド裏庭。
まだ血の匂いも汗も乾いていない。
それなのに、俺の三年間は、あまりにもあっさり切り捨てられた。
「……急だな」
「急でもないだろ。前から話してただろうが。スポンサーの伯爵家が補給用の荷馬車を増やしてくれる。雑用係を一人抱える意味がない」
雑用係。
そう言われて、少しだけ笑いそうになった。
たしかに俺は前衛じゃない。
魔法だって、火球一つまともに撃てない。
俺のスキルは【収納】。触れた物を異空間へしまい、必要な時に取り出すだけの、地味で目立たないスキルだ。
けれど、道中の保存食も、予備武器も、解毒薬も、ロープも、野営道具も、誰が管理してきたと思っている。
二十八階層で毒ムカデに囲まれた時、予備の解毒薬を一秒で取り出したのは誰だった。
二十階層で橋が落ちた時、即席の足場材と杭を出したのは誰だった。
夜営の交代表、食料の残数、矢の消費本数、ポーションの使用記録。
そういう“見えない仕事”を、全部やってきたのは俺だ。
けれど、そういうものは、うまく回っている時ほど評価されない。
「俺が抜けたら、補給管理はどうする」
そう言うと、後衛魔導士のフェリスが肩をすくめた。
「ノート見れば誰でもできるでしょ。レインってすぐ大げさに言うわよね」
聖女ミリアは気まずそうに目を伏せたが、止めはしなかった。
止めないなら、同じことだ。
シグルドが銀貨の袋を一つ放って寄越す。
「退職金だ。良かったな。しばらくは食えるぞ」
袋は軽かった。
笑えるくらい軽かった。
俺はそれを拾い、腰の小袋へ放り込んだ。
「分かった。抜ける」
シグルドが鼻で笑う。
「物分かりが良くて助かる。まあ、お前の【収納】なんて街の倉庫番でもできるしな」
その言葉に、今度こそ少しだけ笑った。
街の倉庫番に失礼だろう。
あの人たちは少なくとも、物の価値を知っている。
俺は背を向けた。
呼び止める声は、結局ひとつもなかった。
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その夜、俺は王都へ戻らず、南へ伸びる街道を一人で歩いていた。
行き先は決めてある。
辺境のフロスト村。亡くなった祖父が残した小さな家がある場所だ。
昔は嫌いだった。
冬は長いし、風は冷たいし、王都みたいに華やかじゃない。
けれど今の俺には、誰にも必要とされない王都より、よほど居場所がありそうに思えた。
歩きながら、無意識に【収納】を開く。
頭の奥に、見慣れた薄暗い倉庫の感覚が広がる。
木箱、樽、保存食、布、薬草、ロープ、釘、鍋、毛布、替えの靴、折れた剣、壊れた盾。
これまで「いつか使うかもしれない」と放り込んできた物たちが、静かに眠っていた。
誰も褒めてはくれなかったが、俺はこの倉庫を育てるのが少し好きだった。
なくて困る物ほど、役に立つ時は突然やってくる。
だから備える。
それだけのことだ。
二日後、フロスト村が見える丘に着いた時、俺は足を止めた。
村の上に、黒い煙が上がっていたからだ。
「……は?」
次の瞬間、子供の泣き声が風に乗って届いた。
俺は走った。
村の入口には、倒れた柵と、ひっくり返った荷車が散らばっていた。
畑の向こうから、牙猪が二頭、土煙を上げて突っ込んでくる。
奥では穀物庫が燃えていた。
村人たちは水桶を運び、叫び、逃げ惑っている。
「山から魔物が下りてきたんだ!」
顔を煤だらけにした少年が叫んだ。
「猟師のみんなが止めてるけど、オーガまでいて……!」
最悪だ。
この規模の襲撃で、穀物庫まで燃えたら、村は冬を越せない。
俺は反射的に燃える倉庫へ駆け込んだ。
「お、おい兄ちゃん、危ない!」
止める声を無視して、入口近くの麦袋へ手を触れる。
【収納】
麦袋が一つ、二つ、三つ――音もなく消えた。
近くにいた女たちが目を見開く。
「し、しまった……!?」
「後で返す! だから今は運ぶ手間を省く!」
俺は叫びながら、次々に袋を収納した。
熱風が頬を叩く。
梁が焼けて軋む音がした。
まずい、崩れる。
その時、燃え落ちた木片が肩口へ落ちてきた。
反射的に手で払おうとして――俺は、奇妙な感覚に息を呑んだ。
熱くない。
いや、正確には、一瞬だけ熱を感じて、その次の瞬間、掌の奥へ滑り込むように消えた。
俺の手の上で、炎が消えていた。
「……今のは」
理解が追いつかない。
だが考えている暇はない。
試しに、燃え盛る壁へ手をかざす。
しまえ。
そう強く念じた瞬間、頭の奥で、かちりと鍵が閉まるような感覚が鳴った。
壁を舐めていた炎が、ざっ、と消えた。
煙だけが残る。
「え……?」
自分の方が驚いていた。
【収納】が、火を、しまった?
もう一度。
今度は天井に燃え移った炎へ向けて意識する。
消えた。
熱そのものが削り取られるように、炎が一角だけ空白になる。
「兄ちゃん、あんた何した!?」
「知らない! でもたぶん、まだできる!」
俺は夢中で火を収納し続けた。
燃える穀物庫の熱が、次々と倉庫の奥へ吸い込まれていく。
汗が吹き出す。頭がくらくらする。
だが、燃える量は目に見えて減っていった。
やがて、完全には無理でも、延焼は止まった。
その瞬間だった。
「逃げろォ!」
村の中央から怒鳴り声。
振り向くと、柵を突き破って一頭の牙猪が一直線に突っ込んでくる。
その先には、足をもつれさせて尻餅をついた小さな女の子がいた。
考えるより先に、体が動いた。
俺は飛び出し、少女を突き飛ばす。
代わりに自分の前へ転がり込んできた荷車を、両手で押し出した。
牙猪がぶつかる。
――はずだった。
激突の寸前、俺は荷車に手をつき、無我夢中で念じていた。
しまえ。
次の瞬間、轟音だけが遅れて空気を震わせた。
牙猪の突進が、何かに足を取られたみたいに失速し、その巨体が前のめりに地面へ突っ込む。
土が爆ぜ、牙猪は鼻面から大地にめり込んだ。
俺も後ろへ転がったが、吹き飛ばされはしなかった。
「……今の、まさか」
衝撃まで収納したのか?
熱だけじゃない。
勢いも。
目に見えない力そのものも、俺の【収納】は受け取れるのか。
理解した瞬間、喉が鳴った。
背筋が震える。
怖さと、確信と、そして少しの高揚で。
その時、村外れから地響きが響いた。
来た。
二メートルを超える巨体。
灰色の皮膚。
丸太のような棍棒を引きずる、一体のオーガ。
猟師たちの矢が刺さっているのに、まるで止まらない。
村人たちの顔から血の気が引いた。
「終わりだ……」
誰かがそう呟いた。
違う、と俺は思った。
まだ終わっていない。
俺の中には、さっきしまった炎がある。
牙猪の突進もある。
穀物庫を襲った熱。
荷車へ叩きつけられるはずだった衝撃。
取り出せるのかどうかは分からない。
でも、しまえるなら、返せるはずだ。
【収納】は倉庫だ。
倉庫に入れた物は、出せる。
オーガが吠え、棍棒を振り上げた。
俺は片手を前へ突き出す。
「――返せ」
その言葉と同時に、倉庫の扉が内側から一気に開いた気がした。
見えない何かが奔流になって解き放たれる。
灼けるような熱。
押し潰すような衝撃。
形を持たない災厄の塊。
それが一直線にオーガへ叩きつけられた。
空気が爆ぜた。
炎は見えなかった。
けれど、雪混じりの空気が一瞬で揺らぎ、オーガの巨体が冗談みたいに吹き飛ぶ。
棍棒ごと宙を舞い、村外れの石垣へ激突した。
地面に落ちた時には、もう動かなかった。
沈黙。
本当に、村じゅうが息を止めたみたいに静かになった。
やがて、さっき助けた女の子が、震える声で言った。
「……お兄ちゃん、すごい」
それを合図にしたみたいに、ざわめきが戻る。
「オーガを一撃で……」
「魔法使いか?」
「いや、でも火も消したぞ」
「誰だ、あの兄ちゃん……」
俺は荒い息をつきながら、その場に膝をついた。
魔力を使いすぎた時みたいに、頭が痛い。
だが、不思議と嫌な感覚じゃなかった。
白髪の村長らしき老人が、杖をつきながら近づいてくる。
「助かった……本当に、助かった。名を聞いてもいいか」
「レイン。レイン・クラウス」
老人の目が見開かれた。
「クラウス……まさか、昔この村にいたガルドの孫か」
「知ってるのか」
「当然だ。あの頑固者の倉庫小屋は、まだ村はずれに残っとる」
そう言って、老人は深く頭を下げた。
「レイン殿。今日からあの家は、いや、この村は、あんたを歓迎する」
殿なんて呼ばれて、思わず苦笑する。
「やめてくれ。俺は大したもんじゃない。ただの……」
ただの、何だ。
勇者パーティを追放された雑用係。
役立たずと笑われた荷物持ち。
それを口にしかけて、やめた。
代わりに、助けた少女の頭を撫でる。
すると、近くで見ていたおばあさんが、しわだらけの顔で笑った。
「荷物持ちが村を救うもんかい。今日からあんたは、この村の恩人だよ」
その言葉が、妙に胸へ沁みた。
王都では、一度も言われなかった言葉だった。
冷たい風が吹く。
焼け焦げた匂いの中で、俺は自分の掌を見る。
この手は、荷物だけをしまう手じゃなかった。
炎も、衝撃も、きっと他の何かも。
災厄そのものを抱え込み、必要な場所で使える手だった。
勇者の剣みたいに目立たなくても。
大魔法みたいに派手じゃなくても。
誰かを救える力は、確かにここにあった。
勇者パーティを追い出されたその日。
俺はようやく知った。
俺の【収納】は、役立たずなんかじゃない。
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――なお、その頃。
俺を「代わりが利く」と笑った勇者パーティは、予備の解毒薬の保管場所で盛大にもめていた。
二十八階層の毒霧地帯を前にして。
そんなことを、この時の俺はまだ知らない。




