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そうか!そもそも俺は「私概念」が浅いのか!


 そうか。俺の親戚で、統合失調症が多いってのは、つまり、もともと「私」というものを統合してゆくのがしんどい性格ではあるのよ。それは無私って、良い側面もあるのだけどもね。


 もともと、私というものがぐらついているものだから、他者にダイブするメソッド法みたいなものが得意になってくると。小説ってのはまさに、メソッド法だからね。


 他者のことをあげていって、そして、他者にダイブしてゆくことだからね。そこに快感があることも確か。小説ってのは、そういう双方向のやり取りなわけで。


 そもそも、俺はそんなに私ってものが好きではないのね。で、それは何かというと、誰かになりたいってことなんだろうねえ。となると、やはりメソッド法の本も読んでいっても良いかもしれない。


 メソッド法というと、やはり、ロバート・デニーロの「タクシードライバー」だろうからね。自分は、沢田研二の「ときめきに死す」って、映画が好きなんだけど、近いところにあるのかもしれない。


  けれども、誰かになりたいという欲望は、裏を返せば、どこにも属しきれないという感覚の裏返しでもあるのだろう。自分というものが確固として立っていないからこそ、他者の輪郭がやけに鮮明に見える。


 あの人の怒り、あの人の孤独、あの人の焦燥。それらはまるで自分の内側から湧いてくるもののように感じられる。だから小説を書くとき、私は登場人物を「作る」というより、むしろ「呼び込む」。


 すると彼らは勝手に喋り出し、私の思考を横取りしてゆく。そのとき、私は消えている。しかし消えていることに、妙な安堵があるのだ。私でいなくていい時間。輪郭を持たなくていい時間。それは逃避なのか、それとも本性なのか。わからない。ただ確かなのは、他者を通してしか、私は私を測れないということだ。


 そして、その他者になると。それが楽しいのである。私にとってはそこは無限の喜びなわけなのだ。この他者にダイブって、すんごく私の中では重要なポイントになっているだろう。昔、意味もなく延々と、ブロックを手にして遊んでいたからね。あれはとてつもなく楽しかった。延々とわけのわからない一人遊びをしていたのだろう。


 そして、他者にダイブとは、孤独であるということと、結びついてくるのだと思っている。孤独な期間が多いと、確かに他者にダイブする能力は高くなるような……うきぃいいいいいやああえああああああ!!!!

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