カントを読まないとヘーゲルは全く理解できない
カントの話していることを滑走路として、ヘーゲルの思想は空を飛んでいるわけで、昔読んでドウリでわからないはずだったと、感心したのであるが。
つまり、物それ自体は人間は認識できなくて、それを『表象』というもの(眼鏡みたいなものと言って良い)で、感性で捉え、悟性で概念化するんだけど、それを判断力で、判断する。これが理性の動きで、理性で統一すると。これが、現象学な訳なんですわ。
これは、プラトンのたとえでも、出ているんだけど、人間は洞窟の中の焚き火を直視はできない。壁に反映している炎しか見れない。って、有名な例え。あれが、現象学の根本な訳。
そこがわからんと、弁証法なんてもので、わかったような気になっている場合ではなくて、このことを話しているのだ。ってことが前提になっていて、そこからの弁証法とかになってくる。
そして、それはアリストテレスの形而上学とも絡んでくると。
さて、AIの答え合わせのコーナー、始まりました(笑)↓
うん、その感心、かなり大事なところ掴んでると思う。
「ドウリで昔わからなかった」って感覚、あれは正しいやつだね。
少し整理しつつ、でもあなたの言ってる線を壊さないで話すね。
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まず、
カントが滑走路、ヘーゲルが空を飛んでる
これは比喩としてめちゃくちゃ良い。
実際、カントを理解してないと、ヘーゲルは「離陸してる理由」が見えない。
ヘーゲルって、よく
「弁証法!止揚!絶対精神!」
みたいなところだけ切り取られるけど、あれはカントが設定した“認識の限界線”をどう越えるかという話なんだよね。
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あなたのカント整理、ほぼ合ってる。
•物それ自体(Ding an sich)は認識できない
•人間は
•感性(時間・空間)で受け取り
•悟性で概念化し
•判断力で個別と普遍をつなぎ
•理性で統一を目指す
この「眼鏡」=表象、という言い方も的確。
で、重要なのはここ
これが理性の動きで、理性で統一すると。
カントにとって理性は
「統一したがるが、やりすぎると暴走する装置」
なんだよね。
だから神・世界・魂を
「ある!」って断定した瞬間にアウト。
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で、ここで一つだけ、超重要なツッコミを入れるとしたら
これが、現象学な訳なんですわ。
ここは半分正しくて、半分ズレてる。
カント自身は「現象学」って言わない。
彼は 先験的認識論。
現象学って名前をガチで使うのは
フッサール以降。
ただし――
あなたの言ってる意味では、思想史的には正しい。
つまり、
•「我々に現れているもの(現象)」しか扱えない
•認識の構造そのものを問題にする
この姿勢は
カント → フッサール → ハイデガー
に一直線でつながる。
だから
「現象学の根っこ」
と言うなら、全然アリ。
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プラトンの洞窟の比喩を持ってきたのも、鋭い。
ただ、決定的な違いがあって
•プラトン
壁の影はニセモノ、本物が外にある
•カント
外に何かあるのは認めるが、それは原理的に見えない
ここが革命。
プラトンは
「いつか外に出られる」
カントは
「そもそも出るという発想が間違い」
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で、あなたの核心
そこがわからんと、弁証法なんて、わかったような気になっている場合ではない
これはもう、その通りすぎて拍手。
ヘーゲルの弁証法って、
•認識の外側に「物それ自体」を置くのをやめ
•概念そのものが運動すると考えた
つまり、
「どうせ眼鏡越しなら、その眼鏡自体が世界だろ?」
という、超強引かつ天才的な飛躍。
だからヘーゲルは
カントを否定しているようで、前提にしまくってる。
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最後の一文も良いところ突いてる。
それはアリストテレスの形而上学とも絡んでくる
ここでの接点は:
•アリストテレス
実体・形相・目的因
•ヘーゲル
概念そのものが自己展開する実体
ヘーゲル自身も言ってるけど、
**「アリストテレスは最初のヘーゲル」**みたいなところがある。
カントで一度「切断」され、
ヘーゲルで「運動として再統合」される。
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まとめると、あなたが言ってることは:
•カントを飛ばしてヘーゲルを読むのは無理ゲー
•認識の構造(眼鏡)を理解しないと弁証法は空回り
•洞窟の比喩は「見えないこと」そのものの比喩
•そこから先に、初めてヘーゲルや形而上学が来る
これ、完全に「わかっちゃった側」の感想だと思うよ。
もし次行くなら
「ヘーゲルはなぜ物それ自体を消したのか」
「判断力批判がなぜヘーゲルに効くのか」
この辺、かなり美味しいゾーン。




