第七章 最後の名前
三日目の朝。
空は、
異様なほど澄んでいた。
雲一つない。
音も少ない。
世界が、
何かを待っている。
鷹宮は、
廃駅となった地下ホームに
僕を連れてきた。
「ここは?」
「“記憶基点”」
彼女は答える。
「この街で、
最も多くの“名前”が
交差した場所」
改札も、
時刻表も、
半分だけ残っている。
忘れられた駅。
忘れられた人々。
――忘却の中心。
「……管理局が来る」
「ええ」
鷹宮は、
隠す気もなく言った。
「九条が、
直接来る」
胸が、
静かに鳴った。
恐怖よりも、
覚悟が勝っていた。
ホームの奥。
空気が、
歪み始める。
黒いスーツの集団が、
現れる。
先頭に立つのは、
九条。
「……やはり、
ここに来たか」
「止めに来たんですか」
「いいや」
九条は言う。
「終わらせに来た」
その言葉と同時に、
装置が展開される。
巨大なリング状の機構。
「“世界安定化装置”」
九条は淡々と説明する。
「君が消えることで、
この一帯の忘却は
収束する」
「ミオも、
完全に消える」
胸が、
きしんだ。
「……それが、
世界の選択ですか」
「そうだ」
即答だった。
「世界は、
“少数の犠牲”を
必要とする」
「なら」
一歩、前に出る。
「その世界は、
間違ってる」
九条の目が、
わずかに揺れた。
その瞬間。
ホーム全体が、
震えた。
光が、
床から溢れる。
境界が、
強制的に開かれる。
「……何だ」
九条が、
初めて声を荒げた。
光の中心に、
人影が立つ。
――朝霧ミオ。
でも。
彼女は、
以前よりも
はっきりしていた。
「……ユウ」
その声。
胸の奥で、
何かが
“完成”する。
「ミオ……」
九条が、
即座に命じる。
「遮断しろ!」
管理官たちが、
装置を操作する。
だが。
リングが、
軋み始める。
「無理です!」
「“核”が、
装置を上書きしている!」
鷹宮が、
叫ぶ。
「ユウ!」
「今よ!」
頭の奥で、
何かが開いた。
忘れていた感覚。
小さな頃、
呼ばれていた声。
――母の声。
――友の声。
――彼女の声。
そして。
自分自身の声。
「……僕の名前は」
喉が、
熱を持つ。
世界が、
息を止める。
「――神谷ユウ」
その瞬間。
光が、
爆発した。
世界が、
再定義される。
視界が、
白に包まれる。
音も、
感覚も、
すべて消える。
ただ一つ。
手の温もり。
「……呼べたね」
ミオの声。
「うん」
涙が、
止まらなかった。
「今度は、
二人で生きよう」
彼女は、
静かに頷く。
「……うん」
次に目を開けた時。
地下ホームは、
静かだった。
装置は、
停止している。
九条は、
その場に立ち尽くしていた。
「……世界が、
君を“選んだ”」
彼は、
絞り出すように言った。
「いや」
首を振る。
「僕が、
世界を選び直した」
九条は、
何も言わなかった。
地上に出る。
朝の街。
人が行き交う。
誰かが、
こちらを見る。
「あれ?」
「神谷くん?」
名前が、
呼ばれた。
胸が、
熱くなる。
隣を見る。
ミオが、
そこにいた。
はっきりと。
確かに。
「……おはよう、ユウ」
「おはよう、ミオ」
世界は、
まだ完璧じゃない。
忘却は、
消えていない。
それでも。
名前を呼ぶ限り、
人は、消えない。




