第四章 世界に選ばれなかった者たち
存在保留領域から戻った瞬間、
肺に空気が一気に流れ込んだ。
息が、痛い。
視界が揺れ、
世界の色が濃くなりすぎて、
吐き気がした。
「……帰還を確認」
耳元で、
冷たい声がした。
管理官たちが、
半円を描くように立っている。
「神谷ユウ」
前に出てきたのは、
局の上級監察官――九条。
感情を削ぎ落としたような目。
「あなたは、
明確な規約違反を犯した」
「……分かってます」
「分かっていて、
やったのか」
「はい」
即答だった。
九条は、
わずかに眉を動かした。
「存在保留領域への侵入は、
最重度違反だ」
「あなたの能力は、
世界の安定を破壊する」
周囲の管理官が、
一斉に警戒姿勢を取る。
まるで、
僕が“災害”であるかのように。
「彼女は、
まだ生きている」
僕は言った。
「なら、
助ける権利がある」
「……生きていない」
九条は、
淡々と訂正する。
「朝霧ミオは、
“世界に登録されていない存在”だ」
「登録?」
「この世界は、
“記憶の総量”で
存在を管理している」
九条は、
壁のスクリーンを操作する。
そこに映し出されたのは、
無数の光点。
「人は、
他者に記憶されることで、
この光の一部になる」
「記憶が一定量を下回れば、
存在は世界から切り離される」
「それが、
忘却だ」
胸が、重くなる。
「……じゃあ、
忘れられた人たちは」
「世界にとって、
“不要”だった存在だ」
その言葉が、
鋭く刺さった。
「効率の問題だ」
九条は続ける。
「すべてを
救うことはできない」
「選別が必要なんだ」
「そんなの……」
言葉が、詰まる。
「人を、
数字で切り捨てるなんて」
「感情論だ」
九条は、
一切の揺らぎもなく言った。
「感情は、
世界を壊す」
「あなたのような
“呼名干渉型”は、
特に危険だ」
「だから」
一歩、近づく。
「ここで、
処理する」
管理官の手に、
拘束具が展開される。
「待って」
声がした。
鷹宮だった。
「彼は、
世界を壊そうとしてるんじゃない」
「救おうとしてるだけ」
九条は、
彼女を一瞥する。
「だからこそ、
危険だ」
「救済は、
世界にとって毒になる」
その瞬間、
胸の奥が、
熱を持った。
「……だったら」
僕は、
前を向いた。
「この世界は、
間違ってる」
静まり返る。
管理官たちの視線が、
一斉に集まる。
「忘れられたからって、
いなかったことにされるなんて」
「そんな世界、
守る価値があるんですか」
九条は、
少しだけ、目を細めた。
「君は、
何も分かっていない」
「分かってなくていい」
拳を、
強く握る。
「僕は、
覚えてる」
「朝霧ミオを」
「それだけで、
十分だ」
次の瞬間。
警報が鳴り響いた。
赤い光。
「――侵入者確認」
「存在保留領域、
異常拡張!」
壁が、
歪む。
忘却体が、
現実世界に
滲み出してきた。
「……くっ」
管理官たちが、
迎撃体勢を取る。
九条が、
短く命じる。
「神谷ユウを
確保しろ」
「いや!」
鷹宮が、
僕の腕を掴む。
「走って!」
一瞬、
躊躇った。
でも。
「ミオが、
向こうで待ってる」
その一言で、
足が動いた。
廊下を走る。
背後で、
銃声のような音。
世界が、
完全に敵になった。
非常階段。
鷹宮が、
息を切らしながら言う。
「……もう、
戻れないわ」
「分かってます」
「管理局は、
あなたを
“世界崩壊因子”として
追う」
「それでも」
立ち止まり、
振り向く。
「彼女を、
取り戻す」
鷹宮は、
一瞬だけ、
目を閉じた。
「……なら」
彼女は、
静かに言った。
「私も、
世界に逆らう」
その言葉は、
何より心強かった。
夜の街に、
二人で飛び出す。
見上げた空は、
何も変わらない。
でも。
この世界は、
もう“安全”じゃない。
僕は、
逃亡者になった。
世界に選ばれなかった者として。
そして同時に――
世界を変える可能性を持つ者として。




