三輪 転校
僕は頭が空っぽになっていた。なぜなら僕が聞きたくなかった言葉を聞いてしまったからだろう。その言葉を、自分の好きな人から聞いてしまった。だから何も考えられなくなってしまった。
「転校って、遠いの?」と僕は声を絞り出しながら花野さんに尋ねた。冷静なふりをしているが、全く余裕がない。
「大阪へ行くことになったの」と彼女は告げた。東京から大阪に引っ越すということは、かなりの遠距離である。
「そう、なんだ」と言葉に詰まる僕。突然の告白に僕は奈落の底に落とされたかのような気持ちになった。
「只野君には伝えないとって思ったの。最近すごく仲良くしてくれていたから、それで……」と彼女は申し訳なさそうに返事をした。僕はどうしたらよいかわからなかった。
「もう会えないのかな?」と僕は考えなしに言葉を出してしまった。本心である。
「このままだと会えなくなっちゃう」と花野さんは返した。僕は冷静さを欠いていた。
「いつ引っ越すの?」と尋ねる僕。それに対し彼女は「1週間後」と答えた。あまりにも急である。
「……そうか、じゃあ、わがまま言っていいかな?」と僕は花野さんに質問する。「何?」と花野さんは尋ねてきた。
「今日から毎日、ここでお話したい。ダメかな?」と僕は返した。彼女は何か言おうとしていたが、僕の言葉を聞いて「もちろん。ありがとう」と返した。お互い冷静さを欠いていて、お互いにその時できる最大限を考えた結果だと僕は思った。
家に帰った僕。とりあえず引っ越すまで会う約束はできた。しかし、引っ越すという事実は変わらない。僕は悩んでいた。これを解決できる一手を模索していた。
自分の通帳を携帯で見た。2千円とあった。僕は貯金が下手だった。僕は冷静でない頭で考えた解決策を実行することにした。
1週間後、花野さんと会える最後の日になった。珍しく花野さんは遅れてきた。最近は貧血でたまに学校を休んでいるそうだ。今日は貧血だったが、最後の日なので来てくれたみたいだ。
僕と花野さんはいつもの場所で話していた。しかし、お互いに気まずい空気が流れているのを感じる。これで最後なんだ。花野さんはそう思っているだろう。僕は別の理由で気まずいのだが。僕は覚悟を決め、解決策となる一手を打つことにした。
「花野さん。僕からも話があるんだ」と僕は告げる。覚悟を決めて。花野さんは不思議そうにこちらを見つめ、「どうしたの?」と返事をした。
「僕は花野さんと出会えて幸せだと思う。それまでの僕は人生に彩がなかったんだ。だから、彩をくれた花野さんにはとても感謝している」と感謝の意を告げる。花野さんも「うん」と相槌を打ってくれている。
「だから、その、将来絶対幸せにするので僕と結婚してください!」と指輪のケースを開け、結婚指輪を花野さんに見せた。そう。僕の解決策は結婚だ。
この指輪は派遣労働をしてお金を貯めて3万2千円で買ったペアリングだ。なんとかこの日に間に合った。
さすがに花野さんは動揺していた。え?って顔をしている。そして「結婚なの?お付き合いじゃなくて?」と笑いながら僕に尋ねた。
「誰にも花野さんを渡したくない。だから、結婚したいと考えています」と正直に答えた。やけくそである。
「……ありがとう。気持ちはうれしい」と返事をする花野さん。失敗を悟る僕。さすがに結婚はまずかっただろうか。そもそもお付き合いもまずかったかも。などと思っていると。花野さんは、「結婚は保留にしていい?その代わり、お付き合いなら私もしたいです。お付き合いじゃダメかな?」と花野さんは恥ずかしそうに尋ねてきた。顔が真っ赤で可愛かった。
僕は彼女を窓越しに抱きしめた。自然と体が動いていた。
「全然嬉しいです。これからよろしくお願いします」と僕は返す。それを聞いて、彼女も僕を抱きしめてくれた。
ペアリング、要らなかったのかもと思いながら、一人1万6千円したペアリングを二人で見つめあいながら笑っていた。
翌日、いつもの場所に行く僕。しかし彼女は現れない。でも、彼女から携帯にメッセージが来た。【今大阪にいる!愉快な街だ!】と書いてあった。僕は無事に引っ越し先に着いたことを喜んだ。彼女が来ない学校で、今まで通り会話をしていた。
大阪への往復運賃を調べる。新幹線で3万円を超えていた。ペアリングが買える値段である。そのことを彼女に伝えると、【無理しないで笑】と返ってきた。そして、【来月、おばあちゃんの家に帰るから東京に行くの。そのときに人志君と会いたい】と返信があった。来月に会えることを喜びながら、求人広告を見る。僕はアルバイトをすることにした。
アルバイト初日。僕は居酒屋で働くことにした。理由は単純で、ここ以外全部落ちたからだ。
「只野くんだっけ?よろしく。店長の花垣三色菫だ。今日は基本的なことを教えるから、のんびり覚えてけよ」と若い綺麗な女性の店長が僕に言った。そして「よろしくお願いします!」と元気よく返し、メモを用意した。
「お、メモ取るんだ君。最近の若いのはメモとらんから珍しいね」と褒めてくれた。授業でノートを取るように、バイトでもメモを取るものだと思っていた。
「店長も若いじゃないですか」と思ったことを口にした。
「君はいいやつだな。まあ、私は君と違ってお酒も飲める年齢でね。迂闊に若いなんて言えないのさ」と返す店長。大人の貫禄を感じた。
「まあ、始める前に聞きたいんだけど、バイト始める理由聞いてもいい?」と店長が言う。僕は「大阪へ引っ越した彼女に会うためです」と真剣に返した。それを聞いた店長が「お前偉いな!彼女さんが羨ましいぞ!なら、いっぱい稼いでけよ!」と言いながら僕に仕事を教えてきた。店長の本音が混ざった一言に人の良さを感じながら、その日の仕事を覚えていった。
「お疲れさん。今日は散々だったな」と店長がコーヒーを渡してきた。
「ありがとうございます」といって受けとり、コーヒーを飲んだ。そう、今日は散々だった。メモを取ったものの、すぐにこなせるわけもなく、たくさん失敗してしまった。仕舞いにはクレームが来てしまう始末である。このコーヒーのように苦い1日だった。ちなみに店長が渡してきたコーヒーはカフェオレである。僕は苦いのが苦手だった。
「まあ、最初からうまくいく奴はいないさ。やる気があるのは知ってるから、ゆっくり学べ」と言いながらコーヒーを飲み干した。店長のコーヒーはブラックである。
「ありがとうございます。では、お疲れ様です」と深々と頭を下げて解散する。携帯を確認すると、3件メッセージが届いていた。
1件は母からである。ご飯食べるの?と書いてある。
もう1件は優斗だ。インターハイで3位だったらしい。その報告である。
最後の1件は桜からだ。【荷解きも終わって、一日中人志くんのことを考えてた。今何してる?】と連絡が来ていた。バイトのことはサプライズのつもりなので【僕も桜のことを考えてたよ】と返した。
桜と出会ってから僕は少し変わったかもしれない。派遣労働もそうだが、バイトなんて一切やるつもりはなかった。恋は人を変えるんだなと思いながら、カレンダーを見る。見事に今日から7連勤である。
「張り切りすぎたかな……」なんて思いながら店長のくれたコーヒーを飲みながら帰路に着く。相変わらず苦かった。
1ヶ月後、お給料が出た。8万2千円。夏休みというのを利用し、バイトをしまくった。桜に2回は会いに行けると思いながら、携帯を見ると、桜から連絡があった。【今東京にいる!いつもの場所で会わない?】とあった。
僕はすぐに【そうしよう!】と返し、準備をする。1ヶ月ぶりに桜と会える。楽しみだ。
9月に入り、暑さも少し落ち着いてきた。優斗は主将になったらしい。「来年はインターハイ優勝する!」と意気込んでいた。今日は日曜日で、学校には部活をしている生徒と先生しかいなかった。僕は毎日学校に来ているので日常だ。理由は2つある。
1つ目は教室で連絡をとっているからだ。いつもの場所で、バイトまで時間を潰していた。
2つ目は花壇を整備しているからだ。桜が見ていた花壇を誰が見るのかと問題になった。桜と先生達と相談し、僕が面倒を見ることにした。学校へ行く理由になるので丁度よかった。
花壇の世話は終わった。意外と大きいので毎日大変だ。桜は毎日世話をしていたので、すごいなと純粋に思った。
心地よい風が吹いている。その風に乗せるように「人志君!」という声が聞こえた。振り返ると、そこにはおめかしをした桜が立っていた。あまりに可愛かった。前に比べて垢抜けていた。どれくらいかというと、可愛すぎて周囲の男子の目を奪うほどには。
「可愛すぎるからこっちきて!みんなが見てる」と正直に告げた。桜は周囲を見渡し、笑いながら「ほんとだ!そっち行くね!」と返した。
1ヶ月ぶりに会った僕らは日が暮れるまで話した。大阪での生活や、将来の夢まで話した。花屋さんをやりたいらしい。本当に花が好きなんだなと思った。花屋さんに進むための大学を選んでるとのこと。
「桜とお花屋さんを営むのは幸せだろうな」と本音を漏らす。桜は顔を赤くしながら「うるさい」と返した。多分照れ隠しである。
「本音なのに……」と返すが、「バカ」と返される。本音なんだけどな……。
「僕も大学は花屋の経営ができるところに行くよ。経営学部なのか、花について学ぶのかは悩みどころだね」と返した。「本気なんだ?」と言われた。「本気だよ。プロポーズまでしたんだから、一緒にやりたいじゃん」と返した。桜はまた顔を赤くしながら「あれは保留!まだお付き合い!」と返した。めっちゃ可愛い。
「そういえば、僕バイト始めたんだ。このお金で桜に会える」とバイトのことを明かした。桜はとても驚いていたが、妙に納得したかのように「だから夜返事遅かったんだ!」と返した。その通り。続けて「無理しないでって言ったのに……でも、嬉しい!ありがとう!好きだよ!」と桜から好きをいただいた。
そこにサッカーボールが転がってきた。それをとりに来た人がこちらを見て驚く。優斗だ。
「え、人志と……すいません。名前がわからず。とりあえず、何事?」と言われた。どういう組み合わせ?と思っていそうな顔をしていた。
まあ、話してなかった僕も悪いということで「お付き合いさせてもらってます」と返した。
優斗は驚きを隠せず、さらに桜が「お付き合いしてます。花野桜です。よろしくお願いします」と追撃をかます。
優斗は色々言いたそうだったが、泣きながら笑顔で「お前が報われてよかったよ!おめでとう!」と言いながら去っていった。優斗はいつも彼女が欲しいと嘆いているので、少しダメージを受けたのだろう。その様子を見て2人で笑ってしまった。
時間とはあっという間に過ぎるんだなと思いながら、2人は帰路に着く。話し尽くした僕らは何を話そうか迷っていた。そんなことを考えていると、手を握られた。突然の出来事に驚いたが、なぜ思いつかなかったんだと反省していた。
「緊張するね」と桜は漏らす。自分から繋いだくせにずるいと思う。僕は言葉が出なくて、悩んだ挙句、首を縦に振った。
そうしているうちに駅へついた。桜は電車へ乗ることに。ここでお別れだ。寂しいなと思ってたら「寂しいな」と聞こえた。桜も同じ気持ちなのだ。
僕は桜を抱きしめた。大人数に見られたが、不思議と人目は気にならなかった。
「今度会いに行くから、それまで我慢できる?」と確認をとる。桜は嬉しそうに「うん」と頷き、僕を抱きしめてくれた。幸せな時間だった。
そうして僕は彼女を見送った。お互いまた会おうね!と言い合いながら手を振った。
桜とやりとりをしていたが、ある日1日返事がなかった。いつもは数分単位でメッセージのラリーが続くのに、妙だなと思った。
次の日も連絡がなく、バイト終わりの僕は流石に心配になった。僕はメッセージではなく電話をかけた。電話はすぐに切られてしまった。切られたと言うことは無事だろうと思い、帰路に着く。数分後、僕の携帯に振動が走る。僕は即座に携帯を見る。桜から電話がかかってきていた。
「もしもし?」と僕は電話に出た。何やら電話の向こうで泣き声が聞こえた。
「人志くん。私……」と言いづらそうに言葉を紡ぐ。そして、衝撃の一言を放つ。「私、余命1ヶ月なんだって」
僕は携帯を地面に落とした。画面が割れ、雨に濡れ、携帯が故障した。