4話
静かな《Janus》。
店内には音楽は流れていない。
氷がグラスに当たる冷たい音だけが静かに響き、
遠くからは夜風が店の隙間をくぐり抜けている。
カウンターの向こう、シズクはゆっくりと棚のグラスを手に取り、丁寧に磨いている。
その動作は無駄がなく、熟練の技を感じさせた。
そんなとき——
カラン——。
控えめながらも店内に響く扉の鈴の音。
扉が静かに開き、少女の声が少し張った、ぎこちない挨拶と共に響く。
「お、おはようございます……!」
シズクは手を止め、肩越しにゆっくり振り返った。
新しい風を運ぶ少女がそこに立っていた。
「いらっしゃいませ。今日からですね」
少女は目を輝かせて答えた。
「はいっ……よろしくお願いします!
掃除でも皿洗いでも、なんでもやりますのでっ!」
シズクは微笑み、力を抜くように言った。
「そんなに気負わなくて大丈夫ですよ。
ここは、何も急がない店ですから」
棚から小さな黒いエプロンを取り出し、手渡す。
「まずは、それをつけてください。
今日は、グラス磨きからお願いしましょうか」
少女は少し戸惑いながらもエプロンを受け取り、ぎこちなく結ぶ。
店内を見回し、木の香り、灯り、並ぶボトルに目を向けた。
「……本当に、夢みたいな場所ですね」
シズクは笑いながら答える。
「現実ですよ。夢ならもっと明るくて賑やかでしょう」
少女がくすりと笑った。
「それもそうですね」
再び、店の扉の鈴が静かに鳴った。
新たな客が入ってくる。
シズクは柔らかな声で迎える。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
少女は緊張しながらカウンター内側に立ち、初めての仕事を始めた。
不器用な手つきでグラスを拭くが、その真剣な眼差しは揺るがなかった。
シズクはその姿を見守りながら心の中で思う。
――この店に、新しい風が確かに吹き始めた。