【 第9話 】 揺れる本音と沈む予感
「ありがたい話だね」「本当に助かるね」
贈与の知らせを受けた家族たちの反応は、どれも一様だった。
感謝の気持ちは本物だ。けれど、雪子にはその奥に潜む沈黙が見えていた。
雪子の娘たちも、姉の娘たちも、本音では不安を抱えている――。
それは雪子自身と同じものだった。
秋男は、まず暦年贈与の形で支援すると言っていた。
しかし、その内容はまだはっきりと形になっておらず、実際にお金を受け取った子どもは一人もいない。
それなのに、すでに「ありがとう」を何度も口にしてきた。
感謝の先にあるのは、希望か、それとも予感か。
雪子は、言葉に出せない不安を飲み込むようにして、家族のグループLINEを見つめていた。
数日前に届いた秋男からのメールには、こう書かれていた。
「このような支援の形、どう思いますか?」
その文面だけを見れば、まるで相談をしているように見える。
だが、読んだ瞬間から雪子は違和感を覚えていた。
意見を求めているようでいて、実際にはもうすべて決まっている――そんな印象だった。
雪子は、皆が安心できる形として「平等に分けるのがよいのでは」と返信した。
子どもたちそれぞれに背景はあるが、基準があいまいなまま支援の優先度をつければ、不満の火種になるかもしれないと思ったからだ。
だが、秋男から返ってきたのは即座の否定だった。
「そのつもりはありません」
大学院進学や留学など、明確な目的をもっている子どもに重点的に支援したい。
それが秋男の意向だった。
“どう思うか”と問われたからこそ、皆が納得できる形をと願って答えたのに――
それは、最初から選択肢には入っていなかったのだ。
秋男の頭の中には、すでに支援の「設計図」ができあがっていた。
「どう思いますか?」は、形式的な枕詞だったのだろう。
雪子は、答えること自体が見当違いだったような虚しさを感じていた。
もう一つ、秋男のメールの中に気になる一文があった。
「贈与契約書を交わしておくのがよいでしょう」
その文面は、秋男の真剣さを示しているようにも見えた。
曖昧な善意や口約束ではなく、法的な形に残す――その姿勢に、雪子は一瞬安心しかけた。
だが、それ以降「契約書」に関する話は何も出てこなかった。
誰が書くのか。どんな内容なのか。どの子どもに、いくら、いつ。
それが明記された契約書は、いまだにどこにも存在していない。
グループ内でも、契約書があったほうがいいという意見は少なくなかった。
だが、それを秋男に直接伝えることは、皆がためらっていた。
「そんなに疑うのか」
「信じていないのか」
そう思われたらどうしよう――。
言葉にした瞬間、せっかくの話が崩れてしまうかもしれない。
そんな不安が、誰の心にも潜んでいた。
契約書という言葉にすがりたくなるほど、この話はまだ、形になっていなかった。
秋男は善意から始めている。
それは間違いない。雪子も、感謝の気持ちを持っている。
けれど、彼が描く「支援の設計図」は、どこか現場の実情から浮いていた。
皆が不安に思っている「暦年贈与」の弱点、そして、受け取り側の生活の事情。
そうした声は、秋男には届いていないのか、あるいは、届いてもあえて流しているのか。
そして今、「皆平等に」という言葉すら、歓迎されないものとなっていた。
秋男が思い描いているのは、いわばプロジェクトのような支援。
それは一見柔軟に見えて、実は受け取る側を選別し、制約のある枠組みに押し込める側面もあった。
雪子はふと、自分がいったいどんな役割を担っているのかを考える。
ただの伝達者?橋渡し役?それとも、家族内の「調整役」?
いずれにしても、彼女の心の中には、じわじわと重さが増していた。
贈与は感謝されるもの――でも、その裏に、確かに静かな亀裂が走っている。
【あとがき】
「どう思いますか?」という問いかけに、素直に答えたつもりが、すでに答えは決まっていた――
そんなズレに、雪子は静かに気づき始めます。
感謝の気持ちは本物なのに、どこか釈然としない。
贈与という行為の奥にある力関係や、声にしづらい本音。
今回は、そんな揺れる心情に焦点を当ててみました。
読んでくださって、ありがとうございます。
また次の話でも、お付き合いいただけたら嬉しいです。