【 第11話 】 静かな部屋、動き出す表
朝9時、羽田に到着した文乃たちからLINEが届いた。
「無事、着きました!」というメッセージに、
空港ロビーで撮った写真が添えられている。
装太がキャリーケースを押して、こちらに軽く手を上げている。
その後ろには弟もいて、何かを指さしながら笑っていた。
雪子はスマホを見つめ、静かに微笑んだ。
装太の表情には、緊張と期待が入り混じっている。
その顔を見ただけで、彼が今どんな思いでその場所に立っているのか、じんわりと伝わってきた。
(いよいよなんだな)
文乃と孫たちが東京に出かけ、家の中はすっかり静かになった。
雪子は掃除機を取り出し、無言でスイッチを入れる。
音だけが響く部屋で、思考が動き出していた。
(秋男さん……一括はないって、前のメールではっきり言ってたわよね)
あのときは、短いけれど明確な断りだった。
それでも、どうしても残ってしまうのは、現実とのギャップだった。
(贈与税の申告って、受け取る側なのよね)
装太は現在高校3年生。来年には大学進学が決まっている。
秋男からは、「大学に関してはその都度実費を支給するのか、4年分まとめるかはまた相談」と言われたまま。
でもその「相談」の機会が、なかなか来ない。
一方、小学生の子どもたちは、まだ高校入学まで何年もある。
時間があるように見えるが、全員に平等な支援を実現するには、どこかで整理が必要だと感じていた。
掃除機を止めて、雪子は軽く息を吐いた。
パソコンを立ち上げ、ブラウザでスプレッドシートを開いた。
「贈与シミュレーション」と仮題をつけ、新しい表を作りはじめる。
項目は──
名前、学年、高校・大学の入学年、贈与可能年数、非課税枠累計、想定税率、備考。
装太については、大学入学が2026年。
秋男の考えでは、大学費用の支援は非課税枠とは別で検討されるようだったが、
実際にその時どうなるのかはわからない。
小学生たちは、あと8〜10年かけて非課税枠をフル活用できる。
けれど、その期間ずっと秋男が支援を続けられるかは未知数だ。
(こうして並べてみると、“制度通り”でも“公平”にはならないのね)
机上の公平と、実生活の不均衡。
数字にしてみると、それが目に見えてしまう。
ふと、以前のメールを思い出す。
秋男の文章には、一度だけ「契約書にしてもよい」という一文があった。
それ以来、契約の話は一切出ていない。
それでも、雪子の中では、その一文が今も残っていた。
(やっぱり……言葉よりも、“形”がほしいのよね)
表を整えてひと区切りついたところで、
雪子はスマホを手に取り、子どもたちのグループLINEを開いた。
「ねえ、ちょっと試しに贈与の整理表をつくってみたの。
いろいろ複雑だけど、見えると話しやすくなると思って。
何か気づいたことあれば教えてね」
スプレッドシートのリンクとともに、静かに送信ボタンを押す。
ほどなく、返信が飛び込んできた。
「え、税金ってこんなにかかるの?こっちが申告するの?」
「110万円で分けられるならそれが一番ラクだね」
「でも、進学直前の人と、小学生で10年後って、全然ちがうね…」
「一括でくれるなら早い方が得じゃん。でも税金が重いのか」
「表にしてくれてありがとう、わかりやすい!」
文字がポンポンと飛び交い、にぎやかなやりとりに、雪子は肩の力が少し抜けるのを感じた。
(よかった……重くならずに受け取ってもらえて)
誰も責めたり押しつけたりせず、
けれど「自分ごと」として考えてくれている。
それだけでも、表を作った意味があった気がした。
スマホを置いて、しばらく静かに考える。
(この表……秋男さんにも送ってみようかしら)
すぐには決められない。
けれど、前よりはその一歩が近づいてきた。
見えない不安を“形”にすること。
それが、雪子なりの第一歩なのかもしれなかった。
部屋の静けさの中、雪子はそっと画面を閉じた。
【あとがき】
今回は、雪子が贈与にまつわる現実的な問題と向き合う回でした。
「ありがたい話」だけでは進めない。
分割?一括?税金は?受け取るタイミングは?
そんなことを、誰もはっきり言ってくれないからこそ、
雪子は“表”というかたちで、見えない不安を整理しようとします。
そして、表を家族にシェアすることで初めて、
「わからないけど一緒に考える」という空気が生まれました。
ひとりで抱えがちな雪子が、少しずつ周囲と“共有”に踏み出す。
そんな回になったと思います。




