不死身の騎士と死霊術師(後編)
「ラック……?」
――ゴボッと、死霊術師の老婆オーディが血混じりの声を漏らした。
その左胸には、老剣士パールに折られた俺の聖剣の切っ先部分が突き刺さっている。
俺はその一撃が彼女の命に届いたことを理解し、勝利を確信した。
冥土の土産だ。
種明かしでもしておいてやろう。
「悪いな。俺は手元から離れた聖剣を動かせたりするんだわ。今みてぇにな」
それを聞いたオーディは、いっそう激しく血混じりの咳を吐いた。
「私、死ぬのね……」
だが、そう呟く彼女は、意外にも晴れやかな笑顔を見せた。まるで、憑き物が落ちたかのように。
「何笑って――」
「嬉しいわ。この後、どうやって死のうかと思っていたから」
俺の言葉はオーディの差し込んだ科白によって遮られた。
「なんだと……?」
俺は彼女のその科白を訝しむ。
絶体絶命のこの状況で、なぜ笑っていられるのか。
……まさか……
俺の脳裏に一つの嫌な想像が浮かび上がる。
「――もう仕込みは終わってるもの。あなたに殺されるなら、本望よ」
致命的にまずい予感がして、俺はその場から逃げ出そうとする。
しかし、相変わらずゾンビ共は俺をがっつりと拘束し続けており、何の抵抗もできない。
死霊術師の顔が迫って来る。
――やめろ!
俺はそう声を出そうとして、しかし金縛りにあったように口元を震わせることしかできなかった。
やがて、俺と死霊術師の間の距離が、ゼロになる。
生と死の間での接吻。
その口づけは、濃厚な死の予感を振り撒きながら、燃え滾るような生を実感させる、鉄火場のような熱いキスだった。
――これは、何かの儀式のプロセスなのか……?
魔法の知識のない俺には想像もつかない。
ともかく俺は、オーディが口移した彼女の熱い血をごくりと飲み込んでしまった。
「……ゥゥォォオオオッ……!」
その血が食道を伝って胃に下りるや否や、まるで体の芯にカッと火が灯ったかのようで、俺は全身が沸騰するような錯覚を覚えた。
……いや、これは錯覚なんかじゃない。
俺の全身は、四肢の先端からぼろぼろと燃え尽きるように崩れようとしていた。
一方で、俺の四肢を拘束していたゾンビ達は、それよりも先に塵に帰っていた。
「上手く、行ったみたいね……」
横向きに倒れたオーディが満足そうに言う。
「何を……」
――何をした。
そう問おうとして、俺は言葉を失う。
――今にも命を落とそうとしている目前の彼女は、時が経っても昔日の美しさを失っていない。
その瞬間、俺の記憶に巣食っていた靄が晴れた!
――俺は、全てを思い出した。
「……オーディ! 我が愛する妻、オーディよ! あぁ、俺は何ということを……」
手を伸ばす。しかし、その手は身に纏った鎧ごと、先端からぼろぼろと黒い灰になって崩れ去ってしまう。
俺はオーディに近づこうと、必死で身を這いずらせる。
気づけば、涙が滂沱となって流れていた。
「思い出したのね……」
オーディは消え入るような声で言う。
その声に非難の色は全くなかった。
俺は全身が燃え尽きるまでの僅かな間に、記憶の大海を走り抜けた。
†††
帝国との戦争で、王国は初めから劣勢だった。
破竹の勢いで侵攻して来る彼の軍が、王都に到達するのは最早時間の問題だった。
「私だけ逃げるなんて、できないわ」
俺は王都からの離脱を拒むお前を、必死で説得した。
「お前だけじゃないさ。王都から脱出する民の一団がいる。そこに混ざればいい」
「でも、あなたを置いていくなんて……」
頑固なお前を説き伏せるのは本当に大変だったよ。
「なに、陛下も負け戦を続けるほど愚かじゃない。戦争が終われば、また会えるさ」
「約束よ」
「ああ」
俺は最も信頼できる従士にお前を託した。
「パール! オーディをよろしくな!」
「は、はい! 奥方様を必ずお守りいたします!」
実直で素直なあいつは、ちゃんと俺の信頼に応えてくれたみたいだな。
それから俺は王城の西門の守備に就き、そこで命を落とした……。
陛下は降伏をよしとされなかった。
籠城戦は決死戦となり、最後の一兵まで戦ったんだろう。
それから何が起こったか――そこのところは、実はお前の方が詳しいんじゃないか?
†
――えぇ、知っているわ。
死霊術の師匠に教えてもらったもの。
この国を明け渡したくなかった陛下は、死霊術の禁忌に手を出された。
王城を媒介として、王都を冥界とつないだのよ。
それによって、王都は亡者のはびこる魔都に変わった。
帝国は……諦めて手を引いたわ。
そこだけは、陛下の望み通りになったわね。
私は死霊術を学んだ。
王都で何が起こったのかを知るため。
そして、あなたの魂を本来あるべき場所に還すため。
……才能がなかったから、とっても苦労したわ。
まさか、五十年もかかるなんてね。
あなたは私のこと忘れちゃうし。もう、嫌になっちゃう。
何度諦めようと思ったことか。
でも、私にはあなたを忘れるなんてできなかった。
……これからたくさん借りを返してもらうから、覚悟してね。
†††
なんとかオーディの傍に辿り着いた俺だが、崩れ落ちた両腕では彼女に触れることさえできず、ただ寄り添うばかりだ。
「俺はずっと、幻を見ていたんだな。陛下ももうお亡くなりに……」
オーディは横向きに倒れたまま、力なく頷く。
俺も倒れ込むようにしてそこに並び、彼女の目と目を合わせる。
「ひどい顔」と彼女が笑う。……仕方ないだろう。
オーディは震える手を伸ばし、再び俺の頬に触れる。
……もうその手から、先ほどのような熱を感じることはない。
それが、たまらなく悲しい。
「……パールにも、悪いことをしちゃったわね。……きっと、この結果には、満足してくれると思うけど」
オーディのその言葉を聞き、俺の胸に慙愧の念が湧き上がる。
このときには、俺の体で残った部分は腰から上だけだった。どうやらもう、時間は残されていないらしい。
「……あの世で会ったら、謝らないとだな。……はあ、自分で自分が情けない……」
俺は努めて明るい声を上げたが、終いには尻すぼみになってしまった。
一秒でも長く、彼女と一緒の時間を過ごしたい。そう願った。
「私も、一緒に謝ってあげる。同罪だもの……」
掠れるようなオーディの声を聞いて、俺はパッと笑顔になった。
「そうかい? そいつは……――」
――……しかし、俺の今世での意識は、そこで途絶えた。
――彼女の掌の中で逝けて、良かった。
「ラック……? もう逝ったのね。私も――」
最期に、彼女のそんな声が聴こえたような気がした。
†
二刻後、呪われた亡国の城を訪れる一団の姿があった。
長年、魔都の呪いを解こうと奮闘してきた高名な死霊術師を支援してきた団体の者たちだ。
彼らは事前にその死霊術師に頼まれていたのだ。
「一刻経って戻らなかったら、様子を見に来てほしい」
と。
それは死霊術師が魔都に赴く際の恒例行事だった。
そして、その約束が履行されるのは、今回が初めてのことだった。
慎重な彼女は魔都に長居することなく、いつも必ず一刻以内に戻っていたから、今回、彼女が戻っていないことを知った一団の面々は大層驚いた。
「〝不死身の騎士〟がいたら勝ち目はない。その場合は、あの御方の生死が確認でき次第、撤退だ」
代表の男の言葉に一同は頷く。
一同の中にも腕に覚えのある者はいたが、聖剣を持つ彼の亡霊騎士は別格だった。
「……いないな」
やがて王城の西門が見えて来たが、彼らが亡者に襲われることは一度もなかった。
「隊長! こちらに先生方のご遺体が!」
先行していた斥候の男が、その場に二つの死体を見つける。
一人は死霊術師の老婆、もう一人は彼女に付き従っていた老剣士のものだった。
「これは……奴の聖剣か」
一行は二つの遺体から死因となった凶器を取り出し、およその事態を把握する。
「……命と引換えに、彼の騎士を倒されたのですね」
横向きに倒れた老婆は、微笑を浮かべ、まるで安らかな眠りに就いているかのようだった。
〝不死身の騎士〟ラック=ベルシは、魔都と化した亡国の首都を攻略する上で最大の障害となっていた。
帝国が彼の討伐のために出した報奨金の額が、その障害の大きさを物語っていた。
この老婆らが成し遂げた功績は、それほどに大きい。
代表の男は、彼女に代わって報奨金を申請しようと決意する。
そして、死霊術師オーディ=ベルシを手厚く弔って、その功績を世に知らしめるのだ。
余った金は、これから魔都を解放しようとする者達の支援に回せばいい。
彼は、それまでずっと魔都の上空に立ち込めていた暗雲が晴れ、雲間から差す陽光がその前途を祝福しているかのように感じた。
(不死身の騎士と死霊術師・完)
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